1-5 和装美人と鬼まんじゅう
年の頃は、たぶん先生と同じくらいか少し下。
小袖というのだろうか、白黒の千鳥格子柄の着物にぱっと明るい橙色の帯を締め、その上に深紫色の帯揚げを巻いている。
そんなモダンな和装の美人が、化石みたいな店構えの駄菓子屋から、カラコロと下駄を鳴らしながら出てきた。
「久しぶりねぇ、
「いやぁ、
「……あんた、まぁいい加減そのキャラやめたらどうなの」
「キャラとは心外だな。何もかも本心だよ」
「そんなん言われてたって、何も出ぇせんよ」
百花さんと呼ばれたその人は、切れ長の目をすぅっと細めて小さく笑った。柔らかなアルトの声で、まったりと喋る人だ。
長い髪はふんわり纏めて結い上げられ、
すらりと背の高い先生と並び立つと、やたら絵になる。
「あれ? もしかして服部くん?」
突然こちらに水が向いて、僕はどきりとした。
「あっ、はい、ご無沙汰してます」
「うそぉ、ちょっと見んうちに大きなったことない?」
カラコロカラコロ。百花さんが僕の側までやってきた。ほっそりした手が、僕の制服の二の腕に触れる。
「しかもT高? 賢いんだねぇ」
綺麗に弧を描く、ふっくら艶やかな唇。ふわっと甘い匂いがして、思わずどぎまぎしてしまう。
僕が百花さんに会うのは二年ぶり。その間に目線の高さを追い越した。
「ほんで、今日は何だった?」
「実はこの辺で『引き込まれ』があったんじゃないかって依頼があってね」
「『引き込まれ』ねぇ」
先生は懐の財布から千円札を取り出し、百花さんに渡した。
「最近、何か気になることがなかったか教えてほしいんだ。おかしな出来事があったとか、妙な霊がおったとか」
「うーん、そうだねぇ……気にするほどでもないかもしれんけど、ここんとこしばらく、いつもより霊の気配がざわざわしとる感じがあるわ。だんだん慣れてきたけどね。まぁ、この辺じゃよくあることだわ」
「ここんとこっていうと?」
「一週間くらい前から、かしらん」
「やっぱそうか」
そう言って、今度は
「十九歳の男性で、予備校生。六日前の夕方、この付近で忽然と姿を消した」
「この男の子、予備校生ってことは受験生?」
「そうだよ。心当たりある?」
百花さんは頬に手を当て、可愛らしく小首を傾げた。
「さぁ、それはどうかしらん」
「……本当に相変わらずだな」
「お互いさまでしょ」
「そりゃそうだ」
ふふ、と二人して妖しい笑みを交わし合う。
先生は更に千円を手渡す。百花さんは慣れた様子でそれを受け取る。
こんなやりとりさえなければ、色っぽい関係に見えなくもない。
「六日前、ね。確か今くらいの時間帯に、御守の匂いのする人がうちの店を覗いてったと思うよ」
「御守?」
「学業とか、そっち系の匂いのするやつ。姿は見とらんけど、学生さんがこの辺通るなんて珍しいもんでさ」
言われてみると、LIMEのやりとりでも御守りの話が出ていた。
だけど、それにしても。
「匂いで分かるんですか? 御守の種類まで?」
「うん、だいたいねぇ」
事も無げに返ってくる。
百花さんは、先生と同業者であるらしい。
らしいというのは、百花さんが何者なのか、僕にはよく分からないからだ。
上手く説明できないけれど、彼女からはどことなく不思議な気配がする。実は人間じゃないと言われたら、きっと素直に信じてしまうだろう。
「そう言やぁ、子供の声を聴いたわ。それも、ちょうどおんなじくらいの時間帯に」
「声?」
「『もういいかい』って、かくれんぼの声だよ。子供なんてうちの店にも滅多に来んし、学業守の人と何か関係あるんかと思っとったの。きょうだいとかね」
先生が眉根を寄せる。
「なるほど、そりゃあ確かに怪しいわな」
「何か役に立ったんなら良かったわ」
「あぁ、ありがとう。ただ、やっぱり本人との関連はよぅ分からんな。この辺りで扉を開いて、直接乗り込んだ方が早そうだ」
「あっちへ行くんなら、その前にこっちのもんをお腹に入れとかんとね」
百花さんが一旦店の奥へと引っ込み、盆を持って出てきた。鬼まんじゅうとお茶が載っている。
「これね、すぐそこの饅頭屋さんの鬼まんだよ。ちょうどさっき買ってきたやつ。せっかくだで呼ばれてってよ」
「こりゃありがたいね。いただくよ」
正体のよく分からない人から食べ物をもらって大丈夫だろうかと、一瞬身構えた。
だけど先生が何の躊躇いもなく手に取って食べ始めるので、僕もおずおずとそれに続いた。
片手に収まるくらいの大きさの鬼まんじゅうは、見た目よりもずっしり重い。つやつやとした黄色い生地の中に、さつまいもの角切りがゴロゴロ入っているのが分かる。
一口齧れば、もっちり粘り気のある生地の甘みが舌の上に広がる。噛めば噛むほど、さつまいもがほろほろ崩れた。砂糖の甘さが自然の甘さを邪魔しない、まろやかで優しい味だ。
「えっ、うまっ……」
「でしょ? あたしも大好き」
うふふ、と百花さんが嬉しそうに笑った。
鬼まんじゅうなんてスーパーでも売っているし、小学校の給食にも出た。
それほど馴染み深いものでも、これまで食べてきたどの鬼まんじゅうより美味しく感じるのは、決して気のせいではないだろう。
「よし、そろそろ行くか」
お茶もいただき、腹ごしらえが終わったところで、先生はポケットから懐中時計を取り出す。
アンティークなデザインだけれど、実は中身は特別製のスマートウォッチだ。どこまでも形から入る人なのである。
「電波は問題ないな。GPSの測位も正確。零和三年十月二十八日、木曜日。午後四時四十四分。お
続いて、懐に入れていたスマホを百花さんに渡す。
「これ、預かっといて。命綱だ」
「うん、気を付けやぁよ」
そして先生は、静かだが良く通る声で唱えた。
「開け」
きぃん、と耳の奥で鋭い音が鳴り、にわかに意識が遠ざかった。
次に頭がはっきりした時、僕は真っ赤な景色の中にいた。その瞬間、総毛立つほどの異様な気配を感じ、僕は身をすくめる。
「分かるか、服部少年」
隣には先生が立っていた。その直線的な輪郭の横顔も赤く染まっている。
「えぇ……何か、ありますね」
空は隅から隅まで茜色だ。周囲に立ち並んだ商店街の店々も不自然に赤い。だがこれは夕日によるものじゃない。ここには太陽がないから。
先ほどまで確かにあった百花さんの姿は、跡形もなく消えている。夕暮れと似た色に沈んだ街の中に、僕と先生の二人きりだった。
ここは
先生が言った『扉を開く』とは、つまりここへ足を踏み入れるということだ。この世界のどこかに、幽世への入り口がある。
「まさかのビンゴだな。本人がまだ『狭間』におるんなら、連れ帰るのは簡単だ。だが完全にあっちへ行ってまっとるんだとしたら、ちょっと骨が折れるな」
「そうですね……」
肌をひりつかせるような空気は、既に務夢さんが何かに囚われていることを示しているに違いない。
何者かの強い『念』を感じる。その実態は、まだ計り知れない。
ここに長く留まれば、それだけで精神を磨耗する。とりわけ僕のような者は……
「大丈夫? 手でも繋いだろうか」
「は? 何言っとんですか気持ち悪い。別にどうってことないですよ。ただ、ちょっと強い執着の『念』だなって思っただけです」
「気持ち悪いって……」
なぜ僕が
「何にせよ、だ。受容体としての感度は、俺より服部少年の方が遥かに高い。君がそう言うんなら、確かなんだろ」
僕たちは『狭間の世界』を歩み始めた。
現実にはあり得ない色味で視界が支配され、五感の全てがぼんやりしてくる。
そんな中、『念』の存在感だけが明確に僕を導く。
不意に、声が聴こえた。
——もういいかい。
——まぁだだよ。
小さな子供の声だ。
「先生……」
「近いね」
——もういいかい。
——まぁだだよ。
繰り返されるかくれんぼの掛け合いが、進むほどに近づいてくる。
そしてようやく行き着いた。
先生が小さく唸る。
「あぁ、ここか。なるほどね」
強烈な『念』と声の出どころは、商店街の端にあった小さな神社だった。
石造りの細い柱の鳥居。それを境界にして、向こう側には異界が広がっている。
「行くぞ」
「はい」
二人揃って踏み出す。
——もういいかい。
しかし、鳥居をくぐる瞬間。
——も う い い よ——
「……え?」
僕の意識は、ぷつりと途切れるようにそこで暗転した。
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