ぼくのいえは殺戮オランウータンをそだてるおしごとをしています

藤井 三打

挑戦者の記録 第58代目 殺戮オランウータン伝承者

 なぜ、こんな仕事があるのかわからない。

 なぜ、こんな仕事で報酬が貰えるのかがわからない。

 なぜ、こんな仕事が世のためになっているのかがわからない。

 いや。倫理から外れている以上、世のためにはなっていない気がするが。

 とにかく、ハッキリと分かっていることは、私の祖父も父も、私の一族は殺戮オランウータンを育てる仕事で食ってきた。それだけだ。


 私がオランウータンの子供を渡されたのは、小学生の時分であった。まずは寝食を共にし、オランウータンのなんたるかを知り、ともに育つべし。これが、父の最後の教えであった。消息不明となった父に授かったのは、オランウータンの育て方とこの教え、そして殺戮オランウータンを育てる使命だけだった。

 母は私を生んだ際に亡くなった。つまり、私は父が消えたその時、孤児となったのだ。だが、それは私と共にあるオランウータンも同じであった。彼もまた、父と母と離れ、私と暮らすことになった孤児であった。いや、私は人間社会の中に居るが、オランウータンは群れの中に居ない。つまりは、オランウータンの方が孤独である。

 親無き者同士、身を寄せ合う生活。衣食住は、オランウータンを育てることで保障されていた。何故やどうやってと疑問を挟むのは、無駄だと気づき早々に止めた。それまでの友達との縁を捨て、ただひたすらにオランウータンの世話をする。お互いの距離を把握し、信頼関係を築くまでにつかった時間は数年。まともに生きていれば中学生になっていたであろう時を、わたしはオランウータンを育てることに費やしたのだ。


 ここまではただのオランウータンの飼育日記である。どこぞの動物園にでも行けば、もっとしっかりした楽しい日記が読めるだろう。しかし、私が育てなければならないのは、ただのオランウータンではなく殺戮オランウータンなのだ。このオランウータンを、人を殺せるほどに、殺戮の二文字に相応しい立派な犯罪的オランウータンに仕上げねばならない。

 ここに来て役に立ったのは、何処からか送られてきた殺戮オランウータンの育成記録であった。先祖代々の殺戮オランウータンの育成記録。成功例や失敗例が羅列されており、途中欠けたページもあるものの、殺戮オランウータンという他に挑む人間が居ない仕事に望む上で、非常に助かる秘伝書であった。

 まず私は、オランウータンの肉体を鍛えることから始めた。殺人犯と殺戮オランウータンの違い。当たり前のことながら、それは種族である。人では無理なことが、オランウータンにはできる。オランウータンなら、避雷針や窓のといを使って高い建物にも侵入できるし、板で塞がれた窓も容易く壊すことができる。つまり、これらができるくらいまでにオランウータンの肉体を鍛え上げ、建物の登り方や板の壊し方を教えておかなければならないのだ。

 その際、ここで注意点がある。もし四階の密室で殺人事件があったとしよう。被害者は、人智を超えた力でバラバラにされているとしよう。密室殺人を解くためにやってきた名探偵が、もし四階まで軽々と到達でき、人を殺戮するだけの力があるオランウータンに気づいたらどうなるのか。人にできないのならば、人以外がおこなったとしか考えられない。きっと名探偵は、真相に気づいてしまうだろう。実際に、このような形で犯行を見抜かれた殺戮オランウータンもかつていたらしい。

 ならば、どうするべきか。マニュアル曰く、私の四代前の先祖が編み出した画期的な手法は、殺戮オランウータンをオランウータンですら届かぬ域にまで鍛え抜くことであった。

 四階ぐらいの高さならば、オランウータンの仕業だと気づいてしまうかも知れない。だが、それが百階だとしたらどうだろうか。果たして名探偵は、オランウータンが百階登ってみせたと、すぐに判断できるだろうか。鋼鉄のシャッターをも引き裂くオランウータンがいると、認めることができるだろうか。すなわちこれは、過剰なまでに鍛えて、もはやオランウータンでもコレはできないと思い込ませるということだ。窓ではなく壁を壊せるぐらいに鍛え、なおかつそれを実行してしまえば、名探偵も推理に躊躇する。躊躇している名探偵のスキを突いてオランウータンパンチをくらわせれば、もはや恐れるものはない。殺戮オランウータンの力を前にしては、人間など無力である。


 そして、様々なトラブルに対する適応力、今の時代には必須とも言えるデジタル機器の使用、いわゆる頭脳面も鍛えねばならない。電子式の鍵、スマホ、ドローン、人類の文明が発達すればするほど、殺戮オランウータンに覚えさせることは増えていく。この点においては、先人の経験はほぼ役に立たないと言ってもいい。新技術を学び覚えさせるのは、現状最先端である私の仕事である。

 だが、マニュアルには、この点においても注意事項があった。あまり、オランウータンを賢くしてはならないと。なぜなら、あまりに理性のある動きをしては、このオランウータンには人並みのことができてしまうと感づかれ、せっかくの利点を失ってしまう。肉体とは逆に、オランウータンではできないと思われることが知性においては利点となるのだ。そしてあまりに賢すぎれば、オランウータンは人間のコントロールを離れてしまう。人間のような知能を持ち、人間と同じくらいに道具を使いこなすオランウータン。もともと、人間より優れた身体能力を持つ彼らが、高い知性を持ったとすれば、もはや人に従う道理などない。

 身体能力を高め、知性は抑える。このバランスを上手く保つことで、殺戮オランウータンは完成へと近づく。先祖代々の秘伝書にはこう記されていた。だが、それでいいのだろうか。身体能力の高さは大事だ、しかしわざと知性を抑えることは総合的な完成度の低下へと繋がる。それに、ハイテク化が進んだ現代では、知性が低くては適応できないという現実的な問題もある。

 私はここで、秘伝書を一旦捨てた。高い身体能力だけでなく、高い知性も持たせる。アホな真似をして、人を騙せる域にまで。故意に演技ができるレベルにまでいっそ高めてしまうのだ。だが秘伝書に書かれている通り、オランウータンの知性が高くなるということは、こちらに従わない可能性が大きくなるということでもある。

 だが一度そうすると決めた以上、方針を翻すことは失敗に繋がる。私にできることは、オランウータンとのコミュニケーションの時間を長く取り、厚い信頼関係を築くことぐらいだった。時に厳しく、かといって押さえつけることはせず。時に優しく、かといって相手の要望にすべて答えるわけでもなく。幼い時から共に育ったのもあり、幸い育成が進んでもオランウータンとの関係は変わらず、むしろ上手くいっていた。この育成記録を後進のために残しておくべきなのだろうが、いったいどうやって信頼関係を築く過程を言語化すればいいのだろうか。


 オランウータンはすくすくと育ち、そろそろ成熟期に入ろうとしていた。始めて出会ってから約20年、オランウータンの寿命は30年から50年と言われている。つまり、そろそろ殺戮オランウータンとして完成させなければならない。動物を殺し、人を殺し、動く者を殺す、殺戮のオランウータンである。オランウータンの握力は500キロを超えると言われているが、私が育てたオランウータンの握力は計測不能。1トンまで測れる握力計を壊してしまった実績は、計測不能の四文字に相応しい。  

 様々な道具や電子機器を操り、高度な計画を練れる頭脳を持ちつつ、ただのオランウータンのようにボケっと木の上でりんごを齧ることもできる。頭脳においても、もはや完璧。犯罪者の素質としては、もはやかのモリアーティ教授に匹敵していると言っても過言ではない。いや、モリアーティ教授に会ったことはないので過言かも知れない。とにかく、このオランウータンを東京やニューヨークにでも放てば、数日中に街の死亡者数の桁が三つは増えるであろう。我ながら、恐ろしい類人猿を作り上げてしまった。


 だが、ここで問題が発生した。たしかに私は、オランウータンを殺戮オランウータンに相応しい逸材に育て上げた。完成度に関しては歴代最高に至ったとの自負がある。しかし私が育てたオランウータンはあくまでオランウータンであり、殺戮オランウータンではなかったのだ。

 知能が高くなったことで、オランウータンは理由を求めるようになった。なぜ、人を殺さなければならないのか。理由が無ければ躊躇し、時には自らの判断で動かない。かつては遊びで虫を殺してしまうような残虐性があったが、この程度の残虐性は幼児も持っている。そして育つことで忘れてしまう程度の残虐性だ。

 知性の暴走を抑えるために、親身に面倒を見たことも悪影響となった。人とはわかり会える。そんな悟りは、殺戮へのブレーキになってしまう。いっそこうなってしまっては、オランウータンにへりくだっておけばよかった。人など小動物以下のチンケな存在にすぎない。そう思ってくれれば、まだ可能性があったのに。


 脳に直接手を加える。薬物で正気を失わせる。いくつかそんな考えも浮かんだが、ここで強引な手法に舵を切ってしまっては、今までの方針や努力が無駄になってしまう。方針を無理に変えた結果、良い殺戮オランウータンになるとは到底思えない。

 もはや、自ら育てたオランウータンの顔を見ることすら辛い。生業である殺戮オランウータンの育成から離れようとしている私に対し、支援が途絶えるのは当然であった。途絶えるのは支援だけではない。殺戮オランウータンを育ててきた、私の家系の成果と誇りが途絶えてしまうのだ。

 死んでしまっては終わりである。私はただ機械的にオランウータンの面倒を見続けた。オランウータンの餌を優先するため、どんどんと落ちていく生活のレベル。やせ細り、服も薄汚れていく私を見て、心配するオランウータン。誰のせいで、こんなことになっているのか。お前のその、優しい目のせいではないか。思わず見当違いの怒りをぶつけてしまいそうになった瞬間、私の頭にあるアイディアがよぎった。

 このアイディアを実現させるにはある条件が必要だが、もしこの条件を満たせれば、すべてが上手くいくかもしれない。私は一縷の望みをかけて、か細い連絡網を使ってスポンサーに手紙を託す。

 もしこのアイディアが通らなかった場合は、オランウータンに怒りをぶつけ、無理やり私との関係を悪化させるしかない。私の豹変を見て、人間に不信感を持ってもらうしかない。だがきっと、オランウータンは私の浅知恵を見抜いてしまうだろう。当然だ、それぐらいの逸材に、私はオランウータンを育て上げたのだ。しかし、この成果こそが、私のアイディアの鍵なのだ。

 数日後。私の元には再び殺戮オランウータン育成に必要な物資が届くようになった。むしろ、前よりも少し豪華になっている。手紙への返信は無かったものの、間違いなく私のアイディアは認められた。

 まだ、実現に至ったわけではない。しかし、先に進む一歩、そのための道を切り開くことができた。肉体と精神が見る見るうちに回復していった私を見て、オランウータンは嬉しそうな顔を見せる。その慈悲の瞳と向き合っても、もはや私の中に後ろめたさや怒りが宿ることはなかった。


                 ◇


 私の育て上げたオランウータンの一撃が、相手の頭を頭蓋骨ごと粉砕した。

 あたり一面に散らばる肉と血、赤く染まったビルの屋上。この光景は凄惨である。

 よくやってみせた。

 私の言葉を聞き、オランウータンは淋しげな微笑みを見せる。

 だが、もう少し早ければな。

 私にそう言われ、オランウータンはうつむいてしまう。私はそっとオランウータンの肩に手を置いた。

 この屋上に散らばる肉塊は二種類である。多数を占めるのは、人間の肉塊。一際大きく原形を残している、殺戮オランウータンの肉塊だ。この屋上で、人間を殺しまくった殺戮オランウータンの肉塊であり、駆けつけた私のオランウータンに頭を潰された殺戮オランウータンの肉塊でもある。


 結局私は、優秀なオランウータンを育てることはできたが、殺戮オランウータンは育てられなかった。優れた知性と肉体を持ち、正しい心にて生物を慈しむオランウータン。その精神は、殺戮オランウータンの真逆に近い。

 だがだからこそ、殺戮オランウータンを育てられる。私は育てられなかったが、私のオランウータンは殺戮オランウータンを育てられるのだ。

 私は自分が殺戮オランウータンの育成に失敗したと悟った時、一つの可能性に駆けた。私の一族以外にも殺戮オランウータンを育てている者がいる。殺戮オランウータンは一匹ではないのではないか。

 もし、複数の人間が殺戮オランウータンを鍛え上げている環境ならば、私のオランウータンを活かせる。高い能力を持ちつつ、殺戮とは真逆の性質を備えてしまったオランウータンを、あえて障害として存在させる。他のオランウータンの完成度を知っているわけではないが、殺戮オランウータンとして世に出ているのであれば、きっと警察どころか軍隊でも止めるのは難しいに違いない。だが、私のオランウータンであれば止められる。私のオランウータンは、無辜の人を殺す殺戮オランウータンを許さない。

 私のオランウータンは探偵オランウータンにしてヒーローオランウータンにして、史上最強の当て馬ならぬ当てオランウータンである。壁なき殺戮オランウータンの壁となる存在、成長を促すためのライバルとして存在している。私のオランウータンを超えるために、殺戮オランウータンにはさらなるクオリテイが求められ、やがて私のオランウータンを超える殺戮オランウータンも出てくるだろう。だが、その経験を活かし、私や私の子孫が再び当てオランウータンを作れば、再び壁は生まれる。交互に繰り返していくことで、自然と殺戮オランウータンのレベルは上がっていくはずだ。


 私の一族は、先祖代々殺戮オランウータンを育ててきた。私は殺戮オランウータンを育てられなかった。かわりに、殺戮オランウータンの可能性を広げてみせた。


                 ◇


 それにしても、ふと思う。私のオランウータンにとって、私とはなんなのだろうか。昔から共に居る者なのは間違いない。おそらく、それなりに縁があるのも間違いない。自惚れではあるが、友や家族と言ってもいい間柄だろう。オランウータンの演技に私が騙されている可能性は、この際、考慮から外す。

 私がもし、殺戮オランウータンにより殺されてしまったら、私のオランウータンはどうなるのだろうか。何も変わらず生きるのか。殺戮オランウータンに一層の怒りを覚えるのか。それとも、私の死によりタガが外れ、真の殺戮オランウータンとして覚醒するのか。

 もう、私は一つの成果を出した。わざわざ、殺戮オランウータンを作る必要はない。私のオランウータンもそのままでいいのだ。

 だがその一方で、私というトリガーが最高の形で無くなった時のことも考えている。だから私は、オランウータンと共に、殺戮オランウータンの元へと向かうのだ。


 私の家は、殺戮オランウータンを育てる仕事をしてきた。

 宿命に背を向けるのはなんとも難しいのだ。

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ぼくのいえは殺戮オランウータンをそだてるおしごとをしています 藤井 三打 @Fujii-sanda

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