調理その十 華やかな才能③

三品目。

清水せいすいに浸された具材は、まるで写真に載っているかのように美しく型取られている。

『お吸い物』。


うるしられたお椀には、透明のように透き通った出汁が、緩やかに湯気を立たせている。

中には軽くあぶられた白身魚と手まり拍子木ひょうしぎ切りされた柚子ゆずの皮が浸かっている。

そして、今の季節は春。

桜の花びらが添えられていて、季節感をかもし出している。


俺はまず、出汁の味を楽しもうと一口すすることにした。


ずずぅっ。


すると突然沈黙が、俺達三人を包み込ませる。

地雷を踏んでしまったかと思わんばかりの事態のおかしさに、二人の可憐な少女を交互に見つめてみると、藤島ふじしまさんは、俺をギロリと鋭い目つきでにらみ、恋奈れなは、困惑しながら俺のことをちらちら見ていた。

どうも二人の様子がおかしいことに疑問を感じていた俺は何がいけなかったのか分からず、

「えっと…何かやらかしました?」

と、素直に聞いてみることにした。

「今のタブーよ」

「うーん、その、ユーキ。人前で音を立てて飲むのはあまり良くないと思うよ?」

「なっ!」

今まで気づかなかった。

確かに、音を立てて汁物を飲むのはマナー違反だった。

家でも名取なとりさんからも散々教えられていたことだった。

「あなたのお爺様が、今のを聞いたら、なんておっしゃるかしらねえ…」

「いや、こ、これは違う、そうだ、違うんだ。何がどう違うって…それはほら、人間何でも間違えることだってあるっていうじゃん。それなんだよ」

俺自身もよく分からないことを口走っているのは自覚していた。支離滅裂しりめつれつな俺の物言いに、藤島さんはため息をついた。

「今あなたが言ったことを理解しようすると多分日が暮れてしまうから、もういいわ。次から気を付けて頂戴よ」

「あ、はい。すみませんでした」

またとがめられるのかと思っていたが、案外すんなりこの話は終わった。

隣の恋奈もむふふと口をにんまりしながら笑っているだけだった。

うん、次からは気をつけよう。

俺は再び脳内を食レポモードに戻し、細心の注意を払いながら、今度こそは音を立てずに出汁つゆを口に運ぶ。


…。

え、なにこれ。

「う、旨すぎる。何だこれは? この出汁は一体何なんだ?」

出汁には基本的に旨味と塩味が基本(多分そうだと思う)なのに対し、そこに甘味までも入っている?

「これはね、かつお出汁の他に昆布こんぶ出汁も合わせているの。昆布が入ることで味に甘味が入り、より高級感を生み出せるの」

と、流暢に語り出す藤島さんを片目に、繊細な出汁つゆに感心している俺。

「汁物は出汁が命なの。使用している鰹節かつおぶしは一級品。昆布も一番出汁。どっちも単価で1万は超える最高級品ね」

「え、そんなの俺が食べて良いんですかね」

「完全に御曹司おんぞうしであることを忘れちゃってるわね結城君。まあでも、いずれにしてもまだあなたが食べられるような代物ではないわね」

藤島さんは俺に向けて薄ら笑みを浮かべてきた。

「いやいや、ユーキでさえ食べれないくらいの高級品なら、あたし一生無理だよ?」

「何言ってんだよ。恋奈ん家だったら、獲れたて一杯食べれんじゃん」

「いくら漁師の実家でも、出汁までは取り扱ってるわけないって…」

恋奈は自虐じぎゃく的に顔を引きつらせ、次の一杯をすすり始めた。無論音を立てずに。


「上に乗っている白身魚は、金目鯛きんめだいの炙りね。出汁と一緒に食べることをお勧めするわ」

「あ、これたいだったのね」

その金目鯛という魚の炙りを一口かじり、出汁を口に運ぶ。

とその時、

「さあ、らいなさい」

にやりとよこしまな笑みを浮かべ、毒針を刺してきたかのような鋭利な言葉、その刹那せつな———

「っっ!!」

鰹と昆布が織りなす超一流の出汁に、金目鯛のあわい食感と優しい旨味が合わさる。

上品な出汁の中に、焼き魚を直接むからこそ生じる直球の旨味が上書きし、2段階にわたって味が押し寄せていく。

「こ、これは、ヤバすぎる。とにかくヤバい」

頭の中まで飲みこまれていたのか、俺の語彙ごい力はすっかり皆無かいむになっていた。

「結城君、あなたまるで中学生みたいね、そんな子供っぽい言葉ばっかり使っちゃって」

藤島さんは、勝ち誇った笑みをこれ見よがしに俺に向けてきた。

「そうだよユーキ。いくらなんでも食べるだけで、そんな言葉まで若返るなんてあり得ないって。……え、ナニコレ。まじでヤバいんですけど」

千歳ちとせさん、あなたも大概よ」

「あれ、あたしもなってた?」恋奈がおとぼけな表情で、そう言った。

俺はというと、高級料理を食べた後のような、体中がぽわーんと幸せに満ちたような感覚にふけっていたのだった。

そんな俺の様子をながめ、藤島さんは再び勝ち誇ったような笑みを見せてきた。

「そのお吸い物こそが、私の切り札よ。でも結城くんは、既に一品目から参っていたみたいね」

最早返答する気すら起きてこなかった。

応えるよりも、この幸せな感覚にまだ浸りたいという思いが勝ってしまったからであった。

普通なら主菜に最も力を注ぐところ、藤島さんはそうはせず、

それはまさしく、俺の予想を大きく外れていた。

だからこそ、その予想外さ故に、彼女の華やかな才能に倍に翻弄ほんろうされてしまったのだ。


これだけ質の高い和食を短時間で提供できてしまうなんて…。

1時間前の俺の軽はずみな言動を、きちんと反省しよう。


「じゃ、後は頼むわね」

「は? 今何て?」

「後片付け、よろしく~」

おおおおおい!後始末全部俺がやるのかよっっ!!

「え、ちょっと! 本気で言ってる、それ!?」

「何よ。調理が出来ないのだから、その分やってもらうのは当然じゃない」

「ユーキ、ごめん。この後ちょっと予定が入ってて」

それまで癒しの世界に入り浸り、昼寝のように満喫していた俺は、一瞬にして現実に引き戻された。


ちょっと待って。後片付け自分、人生今までろくにやったことないんですけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る