調理その八 華やかな才能①

「完成したらNINEで呼んであげるから、それまで好きなことしてていいわよ」

そう言って藤島ふじしまさんは、俺たちに自由行動するよううながしてきた。


俺はというと、藤島さんが冷蔵庫から取り出した食材を使って何を作ろうとしているのかを確認した後、図書室に行って今日の授業の復習を始めることにした。体育館にいってバスケをするのも良いかなと一瞬頭をよぎったが、かえって未練がましく見られてしまうかなと思い、諦めることにした。

恋奈れなの方は、「もうひと泳ぎしてくるー!」と一目散にプールへと駆け出して行った。流石エースは違う。暇があればすぐに泳ぎだす。近いうちに手足から水かきが生えてくるんじゃないか。


俺はペンを走り書きしながら、藤島さんが冷蔵庫から取り出していた物を思い出していた。

…あのとき、俺の目に映っていたのは、海老と白身魚と卵だった。

それで一体どんなものを作ろうとしているのかは、超絶ちょうぜつ料理素人しろうとの俺には分かるまい。

料亭の娘である以上、少なくとも和食であるはず。

これがもし、中華や洋食とか出てきたら、羊頭狗肉ようとうくにくってもんだ。

藤島さんの真っ直ぐな性格上、そんなことはしてこないだろう。

だが、どんなコースが出てくるのか全く想像がつかないことは変わらないので、俺は勉強の方に再度集中することにした。


そして、1時間は経っただろうか。

「出来上がったから戻ってきて」と藤島さんからのNINE通知を見た俺は、早々に教材をかばんにしまい、颯爽さっそうと図書室を出て、一目散に家庭科室へと向かった。

道中、恋奈と廊下で出会いがしらで会い、一緒に行くことに。彼女も急いで向かっていたのか、髪がまだ少しれていた。首元から垂れている一通の水滴は、拭き残しなのか、それとも汗なのか、俺からは全く分からず、彼女自身にしか分からないことだった。

「いやーどんなおもてなしをしてくれるのか気になるねえ」

「ははっ、いっそ珍味とか用意してくれたりしてな」

そんなこれからの藤島さんの神業かみわざに対して冗談を交えつつ、目的地へ歩いて行った。


「ただいまー!」

「戻ったぞー」

そんな俺たちの声に気付き、

「あら、お帰りなさい、早いのね。送信してからまだ5分も経っていないのに」と返す藤島さん。

「そりゃそうだろ。可能な限り出来たての方が良いし」

「そーそー」

「あと、それに…」

「…それに?」

俺は深呼吸をした後、次の台詞を言おうと————

さいちゃんの手料理。どうしても食べたいからに決まってんじゃん!!」

台詞をとられてしまった。しかも大声で。

「おい。それ俺が言おうとしたやつ」

「言葉なんて最初に伝えた方が勝ちなんだよ」

「当然のことなのに、今だけは何か強く刺さるな…」

そんな俺達の様子を一瞥いちべつした藤島さんは、軽くうな垂れ、

「そこに椅子2脚用意してるから、早く座りなさい」

と、向かいの調理台に置かれた椅子を指さしてきた。


見るとそこには、漆塗うるしぬりのお盆があり、その上に3皿の料理が置かれていた。

その見た目は盛り付けも繊細で、細部まで見事に完成させている。

お盆の上には、桜の花びらやたんぽぽの花を添えており、季節感を統一していた。

目を見張るべきその質の高さに、目をぱちくりさせた。

それは恋奈も同じような反応だった。


見くびるな、俺。

俺は結城征一郎ゆうきせいいちろう。世界規模で展開している大手総合商社の御曹司おんぞうしだぞ。

高級料理なんて、腐るほど見てきたじゃないか。

でも自分はまだ、味覚に関してはそこまで大人じゃない。

辛い物、苦い物全般は未だに苦手なのである。


俺と恋奈は、用意された椅子に座った。

二人とも、何やら形状しがたい緊張感にかられ、じっと黙ってそこに座ることしか出来なかった。

何とかこの状況を脱却し、しびれを切らした俺は藤島さんに「食べても大丈夫か?」と聞いてみる。

すると、藤島さんは「どうぞ」、と平仮名たった3文字の冷え切った対応で済ましてきたのだった。

この俺たちの緊張感を、わざとスルーしてんな。

とにかくOKのサインを貰ったので、食べてみることにしよう。


まず、1品目。

金塊きんかいのように輝くその黄色は、とても卵のみで作り上げたように見えない。

『出汁巻き』だった。


金塊の横には大根おろしが、一枚の大葉の上にちょこんと乗っかっていた。

それはまるで、小さな船の上に乗っかる一寸法師のような可愛さだった。

俺はその金塊に、顔を近づけてみた。すると、芳醇ほうじゅんなかつお出汁の香りがただよってきて、鼻腔びくういやしてくれる。

6等分に切り分けられたその金塊の端っこを、俺ははしでつまんで持ち上げてみる。

女の子のリップのようなつやのある光沢。

揺らすとぷるんぶるんと踊り出し、今にも壊れてしまいそうな程の繊細な軟らかさ。

見た目、質感、そのいずれも一流だった。


俺と恋奈はその金塊を丁寧に扱いながら、一緒に口の中に放り込んだ。

すると…、

「「ふふっ」」

思わず笑みがこぼれていた。

まずんだ瞬間に、かつお出汁の旨味が口の中一杯に溢れる。

ふわっふわな食感には何の雑味も無く、気づいたときには口の中に、もうその金塊は無くなっていたのだ。

食べる前の香りから、食べた後の後味にかけて、全ての一連を卵だけで十二分に満足できることに、俺は驚きを隠せなかった。


そして、傍に小さく添えられた大根おろしと大葉も摘まみ、二口目。

出汁巻きから広がる旨味以外に、大根おろしの瑞々みずみずしさと大葉の香ばしさが加わることで、また違った味が楽しめるよう工夫されていた。

ただでさえ味覚が幼稚な俺でさえも、本能的に旨いと思わせてくれる。

「出汁巻きってさー、いつも大根おろしと大葉がセットでついてるじゃん?」

「言われてみればそうだよな。ほんと申し訳ないくらいにちんまりとついてるよな」

「まさか、味変を楽しむための計算づくされた薬味とは思わなかったよー」

俺と同じことを思っていた恋奈は、しみじみと卵が織りなす繊細な味を噛みしめていた。

「そうだよな! 今まで大根おろしに醤油かけて食ってた自分を殴りたくなってくる」

「ほんとそうだよね! あたしたち出汁巻きの醍醐味だいごみについて何も分かってなかったんだ、て思ってくる」

出汁巻きという名脇役を、俺達は肌で実感した。それは他でもないクラスメイトのおかげなのだが。

卵が主体の出汁と薬味の二重奏デュエットに、俺達はひたり続けることにした。


いつの間にか俺達は、

藤島さんは口角を少し上げ、にやりと笑みを浮かべていた。


「1品目からこの調子だと、次からどうなるかしらね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る