調理その十三 才女の夢
「お願いします結城君。どうか料理部に入部してください」
俺はその言葉を理解するのに、時間は掛からなかった。
最近衝撃的な出来事が多かったためか、頭が慣れてしまったのだろうか。
「え、それはどういう?」と聞くこともなく、すんなり理解していたのであった。
「まあ、俺に頭下げてまで、こんなに必死になってお願いするなんて、よっぽどの事情があるんだろうな」
「…ええ」お辞儀の体勢から起き上がっていた藤島さんは目を伏せて、どこか焦ったような表情をしながら応えていた。
「わかった。差し支えなければ、その事情を聞きたいんだけど、良いかな?」
藤島さんは自分の胸中を告白するべく、すぅと息を吸い込んでから、次のように答えた。
「私は、どうしてもあなたが必要なのっ」
……。
いや、いやいや。
なにこのべっぴんさん、こんな公衆の面前でとんでもない爆弾発言しちゃってんの!?
新手の見合い結婚の要求か?
もし本気だとしたら藤島さん、あなた相当ぶっ飛んでますよ?
俺は平静を装った態度をとり続けていたが、勿論内心はかなり動揺している。
反対に藤島さんは、俺を
そんな彼女の様子に、
「え、それはどういう?」
今度は聞き出してしまった。思いっきり素っ頓狂な声で。
だって仕方ないじゃん。いきなり意味深なこと言ってくんだもん。
「ご、ごめんなさい! 急に変なこと言い出しちゃって。混乱したわよね?」
「あ、ああ。割と今、頭ん中ぐるぐるしてる」
「大丈夫よ、安心して! これは違うから。あ、でも違くもないかも。え、えーとどっちなんだろう。うーん」
「とにかく落ち着こうか?」間髪入れず反応した。
さっきから藤島さんの焦り濃度が、徐々に濃くなりつつあるのを感じていたが、それが最高に塩っ辛くなったので、一旦彼女の思考をストップさせてあげることにした。
「え、ええ。ありがとう。そうするわね」
そして、ゆっくり深呼吸をした後に放った言葉はこれだった。
「私の夢を実現するために、どうしてもあなたが必要なの」
先程よりは穏やかな瞳ではあるが、俺を見つめていた。けど眼光の鋭さだけは、変わっていない。
「夢を実現するため?」
「そう。私が料理部の部長なのは、知ってるわよね?」
「ああ」
「実はね私の実家、和食を営んでるの」
「え、そうだったんだ!?」
俺は声を大にして驚いていた。部長を務める程なのだから、料理が上手なのは薄々気付いていたが、まさか料理屋の娘までとは知らなかった。
「まあ、びっくりするのも当然よね」藤島さんは、少しはにかみながら笑っていた。「だから将来、自分で料亭を立ち上げたい、という夢を子供の頃からずっと持ってるの」
俺は途中に割って喋ることなく、ひたすら彼女の言葉に頷いていた。
視線は揺らぐことなく俺を一心に見つめ続け、
「その夢のため、まずは東京の一流に括られる割烹で修行したい、というビジョンを抱えていたのだけれど、調理師免許を持ってても、希望の店で修行させて貰えるのなんて、非常に狭くて難しいことなの」
「まあ、何となくは分かる」
俺は続いて何か喋ろうと、喉から声にならない声が出掛かっていたが、その間も藤島さんは絶えず話し続けていた。
「そんなの、まだ高校生の私に叶うはずがないのは分かっていた。大学や調理師専門学校に行ってみることで、他の可能性も見えてくるかもしれないけど、やっぱり東京の一流で修行したい思いは根底にあったの。この先も諦めきれないだろうなと思ってて、途方に暮れていた」
想いを
「実家の手伝いをし続ける日々だったけど、正直心ここにあらずのような状態だった。どうすれば都会で修行できるようになるのだろうか、て。考えても答えなんか出てくるわけないのに、毎日考えてしまってた」
そう言って、藤島さんは「そんなことしても無駄だと分かってたのにね」と苦笑していた。
相変わらず俺は、彼女の言葉にただただ頷くばかりだった。
「けどある日、その一流で修行できるチャンスが、遂に私の元にやってきたの」
藤島さんは両手を強く握って、胸の前に出したが、直ぐにその拳は弱々しくなっていった。
「でもそれには…条件があったの」
俺はその先の回答に、何となく予想がついてしまっていた。
その条件というのは…。
「その条件が、校長からの、結城征一郎を料理部に入部させて教養を身に着けてもらうこと、だったのか」
藤島さんは「そういうこと」と言って、俺の答えに対して首を縦に動かしていた。
「だから、お願いします。結城君。料理部に入部して頂けませんか?」
藤島さんは、再び45度の深いお辞儀をした。
長い髪がふぁさっと四方八方に広がる程に、速く。
自分の人生が掛かっていると伝わるような程に、重く。
それは、10代の女の子がやるにはあまりにも早すぎるお辞儀の仕方だった。
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