調理その十 自己紹介って結構大事だよね?

引き戸を勢いよく開けて、現れたその生徒は、だった。

「はあ、はあ」

全速力で校内を駆け巡ったのか、体中が汗まみれになっていた。

まだそんなに暑い季節じゃないというのに、随分代謝が良いんだな。

美少女はきょろきょろと辺りを見回した後、

「…やった! 間に合った!」

と、他の生徒がまだ着席していないことに気付き、親指を立てて思いっきり片目を閉じた。

「間に合ってるわけないだろ。ここにいるのが誰だと思ってんだ」

担任教師が自分に向かって指さして、だるそうに彼女をとがめる。

「えぇ、そんなぁ。ちょっとくらい良いじゃないですかぁ」

「駄目だ。遅刻は遅刻だ。お前特別に朝練を許可してもらってんだぞ。着替えの時間くらい計算してから教室に来い」

「ぎくぅ!」

わざわざリアクションを口に出す人なんて初めて見たよ。

「分かったら返事だ」

「は、はい…」

それまでとはうって変わり、しゅんとした様子で黒板の座席表を確認し、自分の席へ向かっていった。

まるで塩茹でにされた法蓮草ほうれんそうのように、しぼんでいった。

そういえばあの、確か去年の2学期の終業式で、何か表彰されてたような気がするな。

俺はその名前が、全く思い出せなかった。今まで他人のことに関しては、興味を持ってこなかったからなあ。

ま、そのうち打ち解けていくうちに分かるから、今はまだ良っか。


始業式。校長からのにくたらしい偽善の言葉には終始いらついたが、その後のホームルームもつつがなく終わった。

と言っても、担任が特に連絡することが無い、て言っただけだったが。

登校初日なんだから、何かネタくらい見つけようよ。


一時限目は日本史。そのまま担任が受け持つ授業なので、ホームルームが延長した形で授業が始まった。

「授業は次回からやるんで、今日は自己紹介にしよっか。あとは好きにして―」

相変わらずやる気のない口調で、生徒たちに言った。

「自己紹介、か」

一人ぽつりと呟き、俺は一段と気合を入れることにした。

ここで初っ端、クラスの皆に良いイメージを持たせることに成功しておかないと、頂点に立つのは至難の業。

だが今の段階では、全員に「こいつは良い奴だ」て思わせるのは当然不可能。

なので、ひとまず半数以上の生徒が、好感を持てるようになれば良い。


「じゃあ、まず。1番から」

立ち上がった生徒は、通路側の端っこ、からでは無かった。

出席番号の採番順は五十音順ではなく、男女関係無く4月~3月までの誕生日順での名簿となっている。

座席表も特に番号順等の決まったルールが無く、ランダムに席を割り当てているようだ。

番号1番で我先にと立ち上がった生徒は、ボディビルダーだった。

「番号1番! 市原瑠唯人いちはらるいとだーっ! よろしくなー!」

威勢の良い声で紹介したかと思いきや、その一言で直ぐに座った。

「いやいや! 流石に自己紹介1番でそれは、マズいと思うよ」

りょうが間髪入れずに、ツッコんだ。

「うーん、でも他に紹介できることなんてねえもーん」

「じゃあ誕生日は?」

「え、4月7日だけど」

「何部所属?」

「野球部」

「ポジションは?」

「キャッチャーだよ」

「腹筋は?」

「割れてるぜ!」

「一杯あんじゃん! 何でそれ言わないの!?」

「あ、そっかあ~」

遼のツッコミと、瑠唯人の「あちゃー」と、頭に手を当てた分かりやすい反応で、周りがどっと笑い声が上がる。

「まあでも、そんな単純なとこがルイの良いとこだから!」俺は、彼の強みを活かせるよう、紹介に割って入ってみた。

「そうそう。分かってんじゃんセーイチ! てなわけでよろしくなあ!」

最後の威勢良い挨拶で、クラスのほぼ全員が拍手をしだした。

そのおかげか、クラスの雰囲気は一斉に賑やかになった。

「ルイ! ハッピーバースデー!」

「お、ありがとう!」

途中さり気なく教えていた誕生日を聞き逃さず、最後にお祝いの言葉を贈っておいた。


自己紹介は順々に済んでいき、

「次、13番」

立ち上がったのは、爽やかイケメンだった。

彼は少し咳払いをした後、

「7月14日生まれ、加倉井遼かくらいりょうです。陸上部所属で、得意種目は走り高跳び。詳しい部分は、追々教えていくから、今はこの辺にしとこうかな。とりあえず皆よろしく!」

と、普段よりも数倍近く良い声で、紹介した。

いや、普段からその声出せ。

「いやー、遼は相変わらず決まってるねえ!」

「まさかルイト。僕がクスリに手を出したこと、知ってるのか?」

「いや、そのじゃなくて!」

「ん? お前ら薬物に手を染めたのか?」ギロリと担任が二人を交互に睨み始めた。

「いやいや先生、それは冗談ですって!」またしても俺が二人の間に割って入った。

まあ間違いなく担任も、冗談で突っ込んだと思うが。


「次ー」

遂に番号を言うことさえも面倒臭くなってしまったようだ。

立ち上がったのは、

「今日朝一番失礼しましたー。8月8日生まれの18番、千歳恋奈ですっ! 」

朝飛び込むように颯爽さっそうとやってきた美少女だった。ビシッと右手を挙げ、名を名乗っていた。

ああ。あのプール娘だ。

俺は当時の記憶をようやく思い出した。

「部活は、水泳部に所属していまして、得意種目はフリーです! あ、フリーじゃ皆分からないよね」

片手を頭の後ろにあてて、「えへへ」と舌を出しながら笑っていた。

そんな照れ隠しも、元々の素材が良いので、まるでアイドルのような愛らしさが、言外から出ていた。

「自由形なら分かるでしょ? みんなー」

そうクラス全員に問いかけ、多数が頷いたのを確認し、「おけおけー」と彼女は頷き返す。

「元気だけが取り柄なんでー、自分のテンションで、みんなにも元気を分けていけたらと思っています! 不束者ですが宜しくお願いします!」

と、で敬礼をして、自己紹介を終わらせた。

だからな。左手だと自衛隊に怒られるからな?

「もう遅刻すんなよー」

「それはもう許してえ! お願いだから勘弁してぇ!」

間髪入れず飛んできた担任の野次に、彼女は若干涙目になっていた。

何だか頭よりも、体が前に出てきそうな印象深い女の子だなあ。

男子だけでなく、女子からも人気が出そうな気がする。

俺も、高校生活の中での恋人候補としとこうかな。


「次ー、は体調不良で休みだから、20番」

て、休みなのかよ。

予定よりも早い自分の出番に少々驚いた。

そんな焦りにも対処できるようスッと息を吸い込み、気を落ち着かせて話し始めた。


「8月20日生まれの20番。えー、この度私、男子バスケ部のエースとして君臨しました。皆の頼り溢れる得点源として活躍しています。今年は、バスケで培ったリーダーシップで、絶えることのない皆さんの悩み事を、解決に導けるよう手助けしていきたいと思っています。勿論その時は他言なんて一切しません。あ、申し遅れました、結城征一郎です。宜しくお願いします!」

長台詞を言い終え、深々とお辞儀した。

「誰も笑点やれなんて言ってないよー」

遼が野次を飛ばしたことで、クラス全員がまたどっと笑い始めた。

「お、なら結城。私の今後の出会いについて、相談しても良いか?」

「先生は対象外でお願いしまーす」

「よーし、あとでしばくから授業後、こっちこーい」

「えええ…」

クラス全員がけらけら笑い始め、賑やかさがより一層増した。

そう、クラスを盛り上がらせるためなら、利用することが必要。これが俺の狙いである。

とにかく、これで何とか俺の立ち位置も確立することができそうだ。


やがて誕生日月が11月まで回り、その時立ち上がったある男子が、俺は少し印象に残っていた。


「11月16日。29番。村上宗太むらかみそうた

起立してから着席するまで、終始抑揚よくようが無く、紹介も必要最低限しか言わなかった。

周囲も「何だか感じ悪いね」と、前後の席同士で耳打ちしていた。

中性的な顔立ちで、背は162,3cmといったところだろうか。

確かに必要最低限しか言わない点では、瑠唯人と似通っているかもしれないが、あいつの場合、言外に強力な勢いも含んでいるから、それだけで十分皆に好印象を持たせることが出来ていた。

対して村上君の場合は、クラスと馴れ合う気は微塵みじんも無いような雰囲気をかもし出している。

自己紹介なんて無駄だと考えてるタイプだな。

それが逆に、自分の記憶に残った。


よし、その腐った性根しょうねを更生してやろうじゃないか。

俺は、今年一年かけ、村上君の陰キャ脱却を目論もくろんでみることにした。


その次、立ち上がったのは容姿端麗の女子生徒。

だがその女子生徒と目が合った瞬間、巨大なたらいが頭上に落ちてきたような、そんな大きな衝撃が俺の身体中を走った。


「12月1日。30番。藤島才華ふじしまさいかと申します。————」


周りの男子生徒は、藤島さんの美貌と、そのくすっとほころびた笑顔にうっとりしていた。

反対に俺は、彼女の自己紹介の内容が全く耳に入ってこなかった。

そして、それ以降の生徒の自己紹介も、俺の耳には全く入ってこなくなった。

俺以外の男子にとっては、藤島さんの笑顔は、例え作り笑いだとしても、まるでかもしれない。

だが、俺にとっての藤島さんの笑顔は、もはや作り笑いの時点で、まるで禍々まがまが見えてしまうのだから。

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