第6話 次のりんご

 それからしばらくは隣町に行くこともなかった。代わりに、ではないのだろうが時々、東雲さんの愚痴のようなメッセージが届くようになった。「死ぬ……」という一言にどう返せばいいのか、乗ればいいのか真面目に心配すればいいのか判らなくて「イキロ」とスタンプを送るだけにした。それが気に入ったのか、一言だけのやり取りが――日を開けて、時間帯もバラバラで、ではあるが――続いた。

 そのうち夏休みも終わって授業が再開する。

 一言も来なくなったなと思い始めた頃、やたらテンションの高いメッセージが届いた。


 ――俺は乗り越えた!!

 ――褒美をもらってもいいと思う! いいはずだ!

 ――手作りとは言わない

 ――何か、甘いもの

 ――とはいえ、甘すぎないものを所望する!!


 ドン引きである。

 コウキ君と気が合うのも当然に思えてきた。

 なんては言ってみても、何か大変なのかなぁ、とは雰囲気で察していたのでどうしようかなと考えを巡らせる。

 既読がついているのに返事をしないからだろうか。唐突にテンションの下がった続きのメッセージが送られてきた。


 ――あ、いや

 ――すまん。間違えた。くるみに送ったつもりだった

 ――気にしないでくれ


 思わず吹き出す。本当ならくるみさん、毎回こんなのに付き合ってるのか。嘘なら――嘘なら、どういうつもりで送ってきたのだろう。

 それきり更新されない画面に視線を落として、本来ならば接点など無かったのだよなと考える。今は東雲さんがカフェをやってるから、時々コーヒーを飲みに行けるのであって。

 迷うより先に指先が動いていた。


 ――来週の木曜なら講義がないので行けますけど、ご褒美は次の新刊と引き換えでいいですね?


 既読はついたのに、返事がなかなか来ない。どういう間なんだろう?

 まあいいかと書きかけのレポートに戻る。最終チェックに入る頃、ようやくスマホが音を立てた。


 ――次出るのは、再来月なんだが


 温度のない文字列は、本気にするなと窘めたいのか、期待しているのか読み取れない。本になった彼の文章ことばからは、いろんなものが鮮やかに滲み出してくるのに。なんだかずるいと思ってしまうのは、どうしてなんだろう。


 ――にしてあげてもいいですよ


 次の間はそれほど開かなかった。


 ――じゃあ、その……お願い、します?


 最後のクエスチョンマークは打ち間違いだろうか。「OK」とスタンプで返信して、何を作ろうか考え始めた。あんまり甘くないの。りんごとくるみのパウンドケーキでいいかな。りんごはブランデーに漬け込んでやろう。

 鼻歌交じりに段取りを考えて、うまいと笑う東雲さんを想像してしまった自分に私はちょっと驚いて、それから突っ込みを入れた。


 せめて、無精髭は剃ったところを思い浮かべよう?



 # # #



 次の木曜日、前日に焼いたパウンドケーキを片手に『カフェ sky』へと繰り出した。リズミカルに足を運んだままそのドアに手をかけて、ふと、違和感を覚える。

 なんだろう?

 わからぬままドアは開き、胡散臭いおじさんの笑顔が出迎え――なかった。


「いらっしゃい」


 カウンターの向こうで笑っていたのは、ダンディなおじ様マスターだった。カマーベストにカフェエプロン。フチなしの丸眼鏡がきっちり整えられた短髪によく似合っている。


 ――どちらさま?


 ドアの取っ手を掴んだまま呆けてしまった。

 いつもと違って半分は埋まっている席のお客さんたちの視線が痛い。

 不思議そうにやや首を傾げるマスターの姿に、羞恥心が湧いてくる。


「あの……すいません! えっと、間違え、ました!」


 慌てすぎてそのまま後退してドアを閉めてしまう。そこで気づいた。ドアにかかっているプレートが「open」になっていたのだ。私が来るときは、いつも「close」だったのに。

 混乱しすぎて、しばし立ちつくしてしまう。どうして、と堂々巡りしそうになる頭で必死に考える。ああ、そう、電話! 電話があるじゃない!

 メッセージアプリでは通話もできる。呼吸を大きくして気を落ち着けながら、通話ボタンをタップした。


 ――出ない。


 何度かけても、出ない。ざわりと喉の奥に嫌な感覚が湧いてくる。

 不安な気持ちで読み返せば、この前のメッセージもおかしい、ような?


 私、本当に騙されてた?



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