第22話 名前のないカクテル
オーナー夫妻の趣味だと言うジャズのレコードが流れる店内は、カウンター奥にスーツ姿の男性2名、2つあるテーブル席には学生と思しきグループ、女性2人組と賑わいを見せていた。店内に入った際、運良くバイトに入っていた友人に「2人なんだけど。」と告げると、私の背後にいる斉藤の様子に察したようで、カウンターの一番奥を指し示した。
何飲みます?私はいつも柑橘系の炭酸入ったやつなんですけど、と尋ねると同じもので良いとの返答だったので、友人にいつものやつ、と告げる。これは私の好みに合うよう友人が作ったオリジナルカクテルで、名前はない。
カクテルとナッツが置かれた頃には斉藤も落ち着きを取り戻し、小さく乾杯をした後、細長い箱に入ったタバコを取り出し、ラインストーンがあしらわれたブランド物のジェットライターで火を付けた。
「そのタバコ、あんまり見かけないですよね。自販機で売ってます?」
あんまりないかな、いつもコンビニで買ってる、と斉藤。私も自分のタバコに火を付け、スピーカーから流れるサックスの音色に耳を傾け、彼女からの言葉を待った。
「前々から、束縛が酷くて。」
ポツリ、と彼女が言う。
右隣に座っている斉藤に目を向ける。そういえば、少しやつれただろうか?ふっくらとした彼女の頬が、いつもより張りを失っているように思えた。後日、別の社員経由で知ったのだが、今日まで数日間、彼女は仕事を休んでいたらしい。
「携帯のアドレス帳も、2回全消しされたからね。」
仕事だけならまだしも、飲み会終わりでも必ず迎えが来ていたことを思い出す。単純に、優しい彼氏さんだと思っていたのだか…。
「いつのまにか、うちに住むようになって。初めは良かったんだけどね、だんだん、酷くなっていって。最近だと、テレビ蹴って壊したり。」
うわぁ、という顔になってしまったのだろう。彼女が続ける。
「基本的には優しくていい人なんだけどね。」
「いや、それダメでしょう。暴力とかはなかったんですか?」
家の物を蹴って壊すのも一種の暴力だと考えられるが。彼女はうーん、と明言を避ける。
「私、昔からそういう人、引きがちなんだよね。」
「聖子さん、ふわふわしてて、優しいから。わからんでもないですね。」
そうかなぁ?と、カクテルを空にする。
「同じので良いですか?」
「うん、これ、美味しいね。何て言うの?」
控えめに手を挙げ、友人におかわりを頼む。
「『柑橘系で、酸味強くて、ちょっと苦くて、炭酸入りで』って言って作ってもらったやつなんで、名前は多分ないです。」
と答えると、何かオトナだね、普段はあんなに子供なのに、と揶揄われた。
少し元気になってきたようだ。
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