第7話 紫煙ゆらめく

「私ね、まだまだ全然若造なんで、平気で勘違いしちゃうんですよ。」


数時間前までの恥じらいは、とうに消え去っていた。


「ママみたいな美人にちょっかい掛けられたら、それはもう盛大に。」


何も答えないママ。カウンターの上、タオル生地の黒いハンカチに添えられた、彼女の左手をチラリと確認する。薬指には何もついていない。構わず続ける。


「それでもね、例え一晩だとしても、法に触れるようなことはしたくないんですよ。同姓同士でも、不貞は不貞ですしね。」

自身の左手に向けられた視線に気付いたのだろう。

「独身です。バツありだけど。」

ママの右手をテーブルの上に開放する。

「お子さんは?」

「いない。できなくて。」

それ以上の詮索は野暮だろうと、話題を変える。


「こういうことって、良くあるの?」

私の口調は、いつの間にか変わっていた。

「初対面の客、口説くとか。」

「ありません。」

「じゃあ、初対面の『女』、口説くとか。」

「今日が初めて。」

「初めてでいきなり『私のを舐めさせたい』って!どんだけ手練れかと思いましたよ!」

自分の笑い声と同調し、煙がフッ、フッ、フッと不規則に吐き出される。


「初対面じゃない女の人は、あるわよ。口説いたこと。」

「いやそうですよねぇ?触り方とか、視線とか、未経験者の口説き方じゃないですもん。にしても、初手から衝撃が凄かったなぁ。絶対忘れないわ、アレ。」

「…今日を逃したら、もう会えない気がして。」


さっきまで青い熱を放っていた姿とは打って変わり、切なさが唇から溢れ出さんばかりの彼女に、自分の下腹部がキュウッと反応するのを感じた。ママはいわゆる「誘い受け」というやつなんだろうか?当方、タチだろうがウケだろうが、年上の美人からのお誘いにはめっぽう弱いのだ。それについては、また別の機会に話したいと思う。


「さっきの名刺、まだある?」

ママがキョトンとしながらこちらを窺う。

「あるけど…?」

2時間前に渡した名刺を受け取ると、内ポケットからボールペンを出し、名刺の裏に携帯番号を書いてママに手渡した。

「これ、私のプライベート携帯の番号なんで。いつでも連絡して下さい。」

私の右手に置かれた、2台の携帯をチラリと見るママ。


「だから、また会えますよ。それとも、一夜限りの方が、燃えるタイプだった?」


彼女の頬を、左手の親指でそっとなぞる。

その流れに身を委ねるように、薄く開いた唇に親指を這わせる。指先に触れる熱を帯びた吐息に、またも下腹部が疼いた。

「これから帰るのに、化粧、取れちゃうね。ごめんごめん。」

キュッと上がった口角まで辿り着いた所で親指を離し、彼女の目を見ながら、

「間接キスだね。」

と、自分の親指をついばむ。


お預けをされた子犬のような表情に、足の先から全身に、紫色の興奮が走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る