第2話 彼女の夢

俺はなぜ泣いてしまったのだろうか。他の人間に会えたことで今自分が生きているのだと実感できたから?少女の優しさに溢れた笑顔に安心したから?どちらもあるだろう。ただ、最大の理由ではない。美しく伸びた黒い髪と幼さの残るなかで強い意思の籠った切れ目、細い眉。俺が守りたかった誰かによく似ている。そんなことはきっと彼女にはわからなかっただろう。


「ほら、お茶でも飲んで落ち着いて」


相も変わらずこちらを安心させるように、というよりあやすような笑顔を浮かべながらテーブルにカップを置いてくれた。昔飲んだカモミールに似た、落ち着く香りが湯気に乗って優しく俺を包み込む。 彼女が手をつけるのにならって、俺もカップをとる。純白のカップはまだ熱く、その熱さが今自分が生きていることを実感させてくれる。 1口すすって静かにカップを置いた俺を見て、ある程度落ち着いたことが伝わったのだろう。彼女もカップを置いて話しかけてきた。


「落ち着いてくれたようで何より。目が覚めたらいきなり知らないところで寝てて、びっくりしたかもしれないけど、もう大丈夫だから。私、この辺りを管理してるソレミア家の娘で、シャルロット。一応ここで治療師をしながら暮らしてる。あなたの怪我も、治せるところは治しておいたからね。」


言われてみれば、やせ細ってしまった以外は擦り傷切り傷の類まですっかりと無くなっている。


「……助けてくださって、本当にありがとうございます。お、いや私は峰吉優と申します。」


「そんなに畏まらなくてもいいよ、ユウ。別に恩とかいいから。領主にはそこの領内の人間の面倒を見る義務があるんだから。それで優。あなたはどうしてあの森の入口に倒れていたの?あの森は道に詳しい木こりくらいしか入らない森なんだけど。」


正直、話したところで信じてもらえるだろうか。少なくとも日本でこんな話をすれば厨二か、それとも狂人かの二択だろう。目の前の少女だってそうそう信じてくれるとは思えない。かと言って、恩人に経緯を誤魔化して伝えるのもどうなのか。迷っても仕方の無いことかもしれない。意を決して話してみることにした。


「へえー、転生……ねえ。まれに、本当に稀にそういったことがあるのは聞いたことがあるけど……確かに着てた服も見たことないものだったし、真っ黒な髪に真っ黒な瞳の人なんて、そうそう見るものじゃないしなあ……」


「神は、俺が自殺した罰としてもう一度ここで生きることを命じたんだ。お前に生きて欲しいと願ったものの思いまで殺した、と。」


「なんで自殺なんてし……いや、ゴメン、やめとく。聞かれて気持ちのいいものでもないだろうしね。」


そう言うと彼女は一気に茶を飲み干して立ち上がった。


「つまり、あなたは生きることの意味と価値を探しにここに来た、そういう事ね!」


「まぁ……そういうことだと思います。」


「そっか。じゃあしばらくここで暮らしたらいいよ。あなたがしたいこと、見たいもの、幸せにしてくれるもの。きっと見つかるよ!」


そう言って彼女は朗らかに笑う。なぜ彼女がここまでしてくれるのかは全く分からないが、今はこの好意に甘えさせてもらうことにする。

____________________


彼女の朝は早い。日が登り始める頃には既に起きていて、外に出ていった。一体何をしているのだろうと窓から眺めてみると、昨日と同じように剣を振るっていた。剣の心得なんて全くない俺が見ても、その動きは一朝一夕で出来上がったものでは無いことが分かる。まるで誰か相手がいるかのような動きがそう感じさせた。領主が武芸を嗜む。まるで戦国時代の武将みたいだ。昨日は触れなかったが、恐らく彼女にも両親親兄弟がいないのだろう。それで彼女は剣を振っている。似た境遇でもたくましく生きている人に救われた、これは生きることから逃げた俺への神からの最大限の皮肉なのかもしれない。 それが終わると、簡単な食事を済ませ、集落の方へと向かった。領地の見回りも重要な役目らしく、村人からは敬意のこもった挨拶をされていた。 帰ってからも彼女は勉学と鍛錬をしていた。そして暗くなればそれに合わせて一日を終える。 こうした彼女の日常を、俺はしばらくそばで見ていた。そしてひと月ほど経った。


「おっさん!もう少し負けられないか、シャリーが最近めっちゃ食うんだよ。それこそ春先の馬みたく。」


「いや、最近は肉のはいりが良くねえんだよ。うちも生活があるんだ。これ以上は負けられねえ。」


「ほう……では今度奥さんにアンタが向かいの八百屋の娘に色目使ってるってバラしと……いデデデデデデッッ」


「おいボウズなんで知ってんだよはよ黙れ!!これだけつけてやるから今日のところはこれで勘弁してくれ!!」


「毎度ありー」


案外馴染めるものだ。どうやら森をぬけて来た人間は相当に珍しいようでぼちぼち注目されていたようだった。シャリー……シャルロットが連れ回して、みんなに気にかけるよう触れ回ってくれていたことが大きいが。今では完全にシャリーの食事係として認識されている。 他にも変わったことがある。それは彼女に文字や文法、武術を教わるようになったことだ。この世界は口語が通じるにもかかわらず、文字が通じなかった。別の表音文字が使われているのだ。と言ってもほぼ五十音と変わらないのだが。ひらがなカタカナ漢字にアルファベット、気が遠くなるほどの数の文字を覚えざるを得ない日本人からしてみれば、新しく表音文字を覚えることはさほどの苦労ではなかった。 しかし、武術は別だ。そもそも本来何年もかけて習得し、磨いていくものである武術は、どれだけやろうとはじめは伸びない。組むことすらない。ひたすらに型を続けるだけだ。それでも何故か無駄なこととは思えなかった。彼女も同じことを続けているのを見ているからだろうか。


「シャリーはどうして武術を続けてるんだ? やっぱり、お父さんみたいにみんなを守るため、か?」


ゆっくりと石に腰掛けながら彼女に声をかける。


「……それももちろんあるんだけど…… 実は私、夢があって」


「夢?」


「そう、夢。私が助けたいな、守りたいなって思ってるのは、ここの人達はもちろん、国中、世界中の人達の幸せなの。人間も魔族も、当然亜人たちも。でも、それはなかなか叶わない。いつだって人と魔族は争ってる。亜人とだって仲良くはできてない。きっと人は戦わないと生きていけない生き物だから。だったら、もっと人が死なないようにしたい死ななくていい人間を殺さないようにしたい。それができるのは、この国ではそこだけ。」


「王立国防アカデミー。将来軍の幹部になる人間を教育する、この国最高のアカデミーに、私は行きたいの。」


彼女は決意のこもった瞳で俺を見つめてくれてはいたが、当の俺はこの世界に魔族やら亜人やらがいることすら知らず、正直半分くらいしかわからなかった。

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