第三章

プロローグ

【告知】

・明日4/28日にコミカライズ四巻が発売されます。

・発売延期をしておりました小説書籍二巻の発売日がようやく決まりました。来月末、5/30(火)になります。今度は確実に発売します。素敵なイラストもいっぱいです。

・本日もマンガがうがうにてコミカライズが更新されております。

特典情報等、詳細を近況ノートに記しました。よろしくお願いいたします。


【ご報告】


シリーズ累計60万部突破したそうです。読者の皆々様に厚く御礼申し上げます。


──────


 山道に小さな花が咲いていた。それを竜の足が踏みにじった。


 深い霧を漆黒の翼が薙ぐ。翼の先の爪と山刀マチェットがぎん、とぶつかり合う。乱された霧の隙間から、日光を乱反射する鱗がちらつく。


 飛ばされまいと踏ん張っていた。この身と比べれば、竜の四肢はまるで樹の幹のようである。一振り同士の質量がまるで釣り合わない。


 だから、硬さで対抗する。体が浮くような一撃は回避し、僅かにでも下方向の力がある攻撃だけ選んで受ける。地面の反発と摩擦をもらい、あとは硬化の強化バフのみで、折れないでいた。


 こちらが折れることを諦めた一瞬を見逃さなかった。緩んだ爪を後ろに跳ね上げて、背を前に倒し、その勢いも使って竜の懐に潜り込んだ。


 白い腹が見えた。


 ぐん、と巨体を支える脚が膨らんだのも、見えた。


 次に見えたのは火球である。


 回避は間に合わず左半身が焼けた、受け身を取り、最後に立ち上がって踏ん張って勢いを殺す。目だけは瞑っていたから、瞼の痛みを感じる前の一瞬、両の目で見ることができた。


 ばさり、ばさり、と巨大な翼が羽ばたいて、竜の巨体を浮かせていた。


 ほんの数瞬前、翼ごと爪を跳ね上げたことを思い出した。竜はあの勢いを殺さず、羽ばたく前の予備動作に転用したらしい。


 この巨体に可能な動作なのか、それができるからこその階層の主、空の王なのか。


「……ヒッ」


 これ以上飛ばれてしまっては捕捉のしようがなかった。反面、回避のために飛びたったこの瞬間は、上昇にも加速にも翼を使っていない、隙と考えることもできた。


 跳ぶなら、今しかない。


 踏ん張った足は踏み込む足に転用できる。竜は現在、姿勢の制御に手を焼いているとも踏んだ。


 雁行していた両脚を、僅かに右脚から早く伸ばした。


 この跳躍と斬撃は一体である。右の内転筋が反時計回りに山刀マチェットの柄を引っ張っていた。


 剣尖が竜の足に肉薄している。爪による防御は一拍遅れた。


 数枚の鱗が飛んだ。


 かっ、と乾いた音が鳴る。骨と山刀マチェットがぶつかった。


 衝突のすぐ後、竜はもう一度羽ばたいて、山刀マチェットの間合いの外に脱出する。


 ここは空中である。翼を持たない者が再び加速するための足場などない。


 脳が回る。傀儡師ペプンシュピーラーはいつだって発動している。

 空気は流体である。ならば、水の中で泳ぐように動くことも、粘性にさえ目を瞑れば全くの不可能とは言い難い。


 右脚の靭帯を極限まで緩め、股関節と膝を折りたたんだ。足の裏は然るべき進行方向と垂直に確と据えた。


「『瞬間増強パンプアップ──」


 全力で、ただし強くではなく速く。慎重に、足の角度が変わらないように。


十万倍がけヒュンダー・タウザントマール』」


 空気を一段、蹴れた。


 綿で足裏を押し返されたような加速だった。破裂音が遅れてやってきた。


 竜は多少の想定外を迎えているように思われた。翼を持たない生物による空中での加速は、通常は想定すらしないものである。


 左脚は空中で再び右脚を曲げ直すための反動に使った。その間で仰ぎ見ていた竜の腹に肉薄し、踏み込むための姿勢も出来上がった。


 腕が微かに震える。目と鼻の先、あと一歩踏み込めたのなら、刃は届く。


 さっきの一段で空気を蹴る感触は掴めた。固い地面で体を支えるのではなく、柔らかい手のようなもので押し返される感触だ。


 もう一度、右脚で、蹴った。


 ぱき、と罅が入る音が、骨伝導を通じて聞こえた。


 単位時間あたり十万倍の、最小限で最大限、最高効率の、最も適切とも言える強化バフである。


 現に蹴れはしたのだ。空を蹴るという、子供じみた発想を実現させた。


 それが体の耐久力と、それに基づいた付与術の限界を勘案していなかったとしても。


 体は竜を追い詰めに向かっている。折れた右脚は宙ぶらりんに、両腕は山刀マチェットの柄を握りしめ、来たるべき爪撃と刺し違える準備をしていた。


 だが竜の動きはそうではなかった。翼を後ろから前に羽ばたかせて、風を送り、後退する。予測していた爪撃は、攻撃という形ではなく、後退の反動として緩やかに前脚を差し出すという形になった。


 繰り出した山刀マチェットの剣尖に、爪が添えられていた。


 翼で送られた風で失速したのが一度目である。そして二度目に爪でとん、と押されてしまったことで、完全に静止してしまった。


「まだ」


 左脚が残っている。すかさずまた空気を蹴った。静から動へ、突飛なぶんまた一つ予想外に加速する。骨を伝う感触は気にしないことにした。


 竜は空に後退する一方だったが、戦いの余地は残っていた。この空中戦にすべてを集約するのであれば、上がっていく高みはまだまだそこにあった。


 それさえあればいいから、そこを目指して、飛んだ。


 勢いはある。後退している竜を追いかけている。次に届きさえすれば、また剣戟の一幕は上る。


 飛んで、飛んで、飛んで。


 その先にある頂に。


 届かない。


 両脚の折れた人間が、空中に一人放り出されていた。


 岸壁と平行に、仰向けになって、まっすぐ地面に向かって落ちていく。


 見上げた空では竜が一対の翼を広げ円を描いて滑空していた。


 落ちる一方の自分と、自由に機敏に飛ぶ竜と、殊更に対比をさせられているような気がした。


 これこそが過去数百年に渡って、地上の人類が竜を討伐できなかった由縁である。絵本でも、言い伝えでも、竜の脅威を象徴してきたものは、いつだってこの翼だった。


 フィールブロンで有名な言い回しがある。


 ──怒れる竜の翼は、千の海を越える。

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