第96話 羽折


 たった半年でも、フィールブロンは様変わりした。

 建物は競うように増改築を繰り返し、商店街の屋根が一段高くなった。人の密度は体感では二倍に近い。なんでもない平日の大通りですら、私の小さな体躯では埋もれてしまいそうになる。


 仕方がないので、人混みを抜けて跳び、屋根に上がる。上から街を見下ろしてみれば、さっきまでこんな場所を歩いていたのかと辟易した。


 フィールブロンに空前の好景気が訪れている。人も物も瞬く間に動くから、一日でも目を離したところが片っ端から知らない何かに変わってしまう。


 この異常事態をもたらした要因は主に三つある。


 第一に、第九十八階層と第九十九階層が短期間に突破されたこと。

 つい先日に第九十七階層、第九十八階層が突破されたばかり、というところでほとんど間を置かず続けて第九十九階層が突破され、第百階層への扉が開かれた。そもそも第九十八階層ですら詳細にまでは攻略されておらず、まだまだ資源の採掘が見込めるという状況で、広大な第九十九階層が階層主ボス不在の安全な未開拓地帯と化したわけである。

 これほどまでに万人に開かれた好機は他に存在しない。人は集まり、その集まった人が迷宮ラビリンスの財宝を持ち帰って街にばらまく。当然、街は潤い、人々は富み、物の値段は上がる。


 第二に、第百階層に膨大な資源が眠っていたこと。

 第百階層は山を内包した、過去最大の階層である。そして迷宮ラビリンスの中に意味深に聳える山となれば、何か資源が見つかることは想像に難くない。

 それが見事に当たった。巨大な金鉱床が発見されたのが最初、新種の魔石すら含んだ多様で多量な鉱脈が相次いで見つかった。

 階層主ボスのいない未開拓地帯が数多残っているということだけでは、この好景気は精々数年しか続かないという見方もできる。だが、その先で見つかった階層に新たな産業が生まれる規模の鉱床があるとなれば、今の盛り上がりに数十年単位の先ができるということになり、物価が信用される。それは経済の発展と変わらないわけだ。


 屋根を歩いている途中、大通りの四つほど向こう側の通りに、車が走っているのが見えた。


 馬車ではない、魔道具を動力とした三輪の車である。


 これが第三の要因。第百階層は資源だけではなく、技術革新をももたらした。

 あの階層について最も注目すべき点が、山の他にもう一つあった。おそらく迷宮ラビリンスを創った存在が利用していたと思われる遺跡が発見され、ある魔道具が大量に出土したのだ。

 原動機モートルと呼ばれるその小型の魔道具は、魔力を注ぎ込むか、魔石を燃料とすることで据え付けられた軸が回転する。

 似たような機構は今までにもあったし、私も使ってきた側の人間だ。ただし第百階層から出土したものは出力も効率も桁違いで、しかも現段階ですら、その構造の単純さゆえにある程度までなら模造品を複製することも可能ときた。

 もう少し解析が進めば、人の暮らしは変わるだろう。

 まだ街の景色が少し変わったというだけで、原動機モートルを使った製品が大流行とまではいっていない。しかし兆しは見えるし、先代の賢者たちは既に今を産業革命の黎明期と位置付けている。


 目まぐるしい変化だ。なまじ自分が賢者という徒に時間を浪費する存在であるから、確と目を開いて見ていたとしても、何かに置いて行かれたような気分になる。


 いや、賢者という職業の特殊性に理由を求めるのは、それこそ目を逸らしているかもしれない。変化に置いて行かれる感覚だなんて、今まで持ったことはなかった。


 だからきっと、止まっているものがあるとしたのなら、それは私の中の時計なのだ。





 会議室の扉に手をかけ、引いて開けた。


「来てくれたか、ハイデマリー」


 そう言ったのはカミラさんである。


 会釈して部屋を見回す。

 腕を机の下で組んでいるカミラさんを中心に、【夜蜻蛉ナキリベラ】の幹部がそろい踏みで横一列に並んでいる。私の他に幹部候補はいない。ここは権限を持つ者だけで最重要の決定を下す場だ。


 彼らの向かいに一つだけ空けられた席があった。

 その席を見つめる幹部たちに妙な緊張が走っていて、どうもここが私が座るべき場所なんだろうと判断し、厳重に扉を閉めて、さっさと座る。


 私の準備ができていることを確認したカミラさんは、おもむろに口を開いた。


「先代の賢者はなんと?」


 私は答えた。


「許さない、と。賢者が市井に関わりすぎると観測結果に大きな誤差が生じるそうです」


 私がさっぱり否定したので、カミラさんは片方の眉を潜めた。ほんの少し間をおいてそれが本気の否定ではないと察した彼女は、そのまま続けた。


「……君はどうした」


「脳漿をぶちまけてやりました」


「大丈夫なのか、それは」


「いつものやりとりです」


「どういうことだ?」


「あいつら、異例中の異例だ! と言いたいがために規則を吹っかけてくるんですよ。だから、大丈夫です」


「……そうか。理解に苦しむが、大丈夫ならいい」


「そちらはどうなんですか」


 今度は私が問い返す。


「後援会は承認したよ。そしてついさっきに我々で最終決定を下した。あとは君自身の返答次第だ」


 カミラさんは勿体ぶることなく答えた。


 私はすぐに返そうとして、一度止まる。

 いきなりとんとんと私とカミラさんで話を進めてしまったので、横の幹部たちの間に、息を吸う前の隙を突かれたような戸惑いが生まれていたようだった。


 だから、彼らが追いついてくれるまで一応は待つことにする。


 敢えて間を作るべく、再び会議室を見回した。


 ──やはり、空気が悪い。


 既に幹部候補として名が挙がっているとはいえ、賢者である私は【夜蜻蛉ナキリベラ】の中での処遇が微妙なところにあり、パーティー内の権力をどの程度持つべきかという部分に大きな問題がある。これは本来ならもっと時間をかけた上で、落ち着いた状況下で行われるべき決定だ。


 それをわざわざ今行わねばならない事情というのが、ある。


 幹部たちはようやく覚悟を決めて私を見る。半信半疑か、あるいは藁にも縋るような思いなのか。



「了承します」



 私がそう宣誓すると、カミラさんが頷いて、言った。


「本日付けで君を【夜蜻蛉ナキリベラ】の幹部役員、並びに団長相談役に任命する。実質的なNo.2だと思ってくれ」


 彼女はそのまま右腕を机の下から引き上げて、骨に響かない程度にぼす、ぼす、ぼす、と拍手をした。


 彼女と同じく、怪我を負った幹部たち──中には大怪我で座り続けることすら難しい者もいる、も遅れて鈍い拍手をしてくれる。


「無論、君に期待するのは、ヴィム少年の穴を埋める大活躍だ」


 カミラさんは最後に、私にそう念を押すように言った。


 第百階層への扉が開かれて半年、すなわちヴィムが失踪して半年が経つ。


 【夜蜻蛉ナキリベラ】は崩壊の危機にあった。

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