その4
口ぶりからするに本当にスーちゃんは私の実母らしい、だけど、彼女はまるで母親然としていない。女性然ともしていなければ、幼稚ですらある。賢者然とすらしていな──いや、賢者というのはこういうものなのかもしれない。知らないけど。
そういえば、今回私が変に真剣ぶって来ただけで、考えてみればいつもの彼女はこっちだ。
可愛がってはくれるけども、すぐにふざけて煙に巻こうとするし、目線を下げて話してくれているのかと思えば本気で対等に話していたりして、下手をすれば言い合いになるし、子供の分際でも面食らったりする。
ただ、今日に限って、これでは梨の礫も同然だった。
「あのっ!」
相手にされていない気がして、焦った。
「そういうことじゃ、なくて、あの」
スーちゃんはそんな私を見て微笑んだ。
「冗談さ、真面目に答えるよ。私が君を育てられなかったことについて、ね」
彼女は言葉を求めた私の視線をそのまま見返して、まっすぐに射貫いていた。
心底が見通されるような目だった。
今度はきっと、真剣だ。たぶん。
「最初に言うけど、誰かが君のことが嫌いだった、なんてことはないぜ。私も、君の周りの人たちもみんな、君のことが大好きさ。それだけは安心していい。ただ、ちょっと君の母親である私が特殊だったってだけでね」
「そう、なんですか」
「そうともさ。私は君が大好きなんだぜ。母親らしいことはしてあげられなかったけれど、いつだって君のことを気に留めていたし、会う度嬉しかったもんさ」
ただ、とスーちゃんは人差し指を立てた。
「第一に、賢者の子供ってのはそれだけでけっこう危ないんだよ。人質になる。時勢によっては友人や弟子すら少しマズかったりするんだ。ましてや賢者が大手を振って子供がいますとは言うのは論外に近い。賢者の子孫とか、聞いたことないでしょ?」
「……うん」
「だから子供が生まれた場合は、内々で知り合いの養子に出す、というのが基本なんだよね。厳密さを求めるために本人にも知らせずにさ。自分で育てる場合にしても、少なくとも表向きは誰かの養子ということにする。そちらの道を取っていても君は今とあまり変わらない状況になっていたと思う。そして第二に、あー、正直、これが一番大きいんだけど」
二本目の指、中指は立たなかった。彼女は座り直して逡巡し、私を見据えた。
真剣な目だった。
スーちゃんは満を持してと言わんばかりに喉を整え、覚悟を決め直しているようだった。私も唾を呑んで、聞く準備をする。
賢者の子供であるということの危険性は、話の上だけれど、少しわかった。
それ以上に重要なこととは、一体。
「ビリー、君はまぁ、もう十四歳だ。大人を純粋に尊敬する時期は過ぎたと思うが、どうだね」
「はい? え、えっと」
「完璧な人間などいないどころか、人間というものは欠点の方が多くて、頑張って取り繕って子供の前では大人ぶっている。そういう現実が、わかってきたかね」
「……なんとなくは」
「君には格好いい姿ばかり見せてきたから私の情けない様は想像できないと思うが、私だって欠点も多い人間だったりするわけだよ」
「えぇ?」
「そう、意外だろう。つまり、平たく言うとだね──」
スーちゃんはうー、と言うか言うまいかして、苦い顔をして、言った。
「私が親に向いてなくて……」
あんまりにも素朴だったので、言葉を待った。
でも、続きはなかった。彼女は額から汗をだらだら流しながら腕を組み、横目できまずそうに私を見ていた。
え? 本当に、それだけ?
「それはつまり」
「そのままさ。実はね、当初は私も真っ当に母親をやろうとしてみたりしたんだよ。現に生まれてから少しは、曲がりなりにも私が育てていたと言えると思う。覚えてたりする?」
「……いえ」
「だろうね。まあ、そのときわかったんだけど、君の命が危なくてさ」
「命? ……誘拐、とかですか?」
「そういう物騒なのじゃなくて、単純に私のせいなやつ」
「えぇ……」
「ラウラと──グレーテさんっているだろう、二人に本当に何度も助けられてさ。その上でいよいよ限界が来て。本当に危なかったんだよ」
スーちゃんはごちゃあ、とした部屋に目を遣った。
確かに、私が問い詰めにきた身で恐縮だけども、スーちゃんがお母さんみたいに母親をやることは想像がつかなかった。我が家に来た時だって、一人っ子みたいなお姉さんが増えただけ、みたいな感覚だった。
逆に苦労をしている様は想像がついた。さっきの慌てふためきぶりから見るに、本当に私は命の危機にあったのかもしれない。
にしても、である。
私は今日、ここに、世に言う出生の秘密を聞きにきたわけだ。
その解答がこれでは緊張が釣り合わないような気がした。長年の疑問が氷解したというよりは、その正体が煙だったことに気付いて、よく見てみればもやもやと吹けば飛ぶようなものが浮かんでいただけだったというか。
賢者の子供だったというのは、重大なのだけど。なんか思ったのと違った。もうちょっとこう、泣いてしまうような何かがある気がしていた。
空回ってしまった気分だ。
スーちゃんはそれを汲み取ってくれたみたいだった。
「……ごめんね。君が聞きたいこと、みたいなものは、そのもやぁっとした気持ちの塊に、何かしら答えてほしいってことだよね」
苦い顔を解いて、何度目かわからない苦笑をして、気まずそうに私を見る。
「すまない。それには私はきっと答えられない。聞いてりゃわかると思うけど、資格がないんだよ。君に親としていろんな物を与えてあげられたのは、結局のところ君が今お母さんとお父さんと呼んでいる二人なんだ」
彼女は一拍置いて、続けた。
「幸せ、だったかい?」
これにはちゃんと答えられる。自信を持って。
「はい」
「そりゃあ、良かった」
スーちゃんはニヤッと笑った。私がこう答えることがわかっていて、良かったと言うために聞いたみたいだ。
ようやく、彼女が醸し出したい雰囲気に思い当たる。
これは彼女なりの愛情表現、というやつなのだろうか。一々言い方が迂遠でわかりにくい。もうちょっとはっきり言ってほしいような、全部説明してほしいような。
……そういえば、最初の方に「私は君が大好きなんだぜ」と言われていた。
まっすぐな言い方まで、なんか、変に迂遠だ。
「まあ、その、なんだ」
スーちゃんはおもむろに立ち上がった。
「君がこうして、立派に成長をして、私に詰め寄りに来て、問いただして。けっこう、快く思っててさ」
彼女はゆっくりと私に歩み寄って、目の前で止まった。そして指を四本そろえて自分の頭の上に置き、平行にまっすぐ移動させる。
「ほら──」
それでとん、と私の額を優しく打った。
「私よりとっくに、背が高い」
どうして昔から、なんとなくスーちゃんと縁があるように思っていたのか、わかった。
彼女の髪は黒くない。雰囲気も口調も気質も全然違うし、才能だって段違いだ。私は賢者様みたいな特別な人じゃない。
ただ、ちょっとだけ、目尻が私と似ている。
もしも、もしも彼女が、私の母親を続けていたとして。
「なんでも聞いてくれ。答えてやるよ」
そんなに悪くないようになってたんじゃないかな、と、過った。
「じゃあっ、あのっ、お父さんの、話を……」
「……なんでもって言ったそばから悪いんだけど、それだけは次回でいい?」
◆
久しぶりに泊まり枝に来た。
何も掛けられていない扉の前に立って、辺りを見て、少し足踏みをする。牛娘はともかく、ラウラの方に会うのは未だに気まずさが抜けない。彼女の一家には相当な迷惑をかけているから。
あの夫婦には本当に、頭が下がる。お陰でビリーもちゃんと育ってくれた。
なまじ自分が老いずに時間を浪費するものだから、子の成長というものには戸惑ってしまうことも多い。
自分が本当に大手を振って親と言えるのか、というと間違いなく違うので、そんな感傷に浸るそばから自己批判をしなければならないのだけれど。
……子のことを放って自己批判するあたりが、ほんっとうに親に向いていないことは、よーく、わかる。成り行きもあったとはいえラウラにあの子をお願いしたのは大きな大きな大正解だった。
あの子は私の子供でも、私とは全然違う子なのである。母乳を盗むものだとは思っていないし、小さいながらに部屋で籠城戦を始めたり隙あらば脱走しようともしないし、ハナから学校に向いていない子でもない。愛されることで満たされて、少ないながらも友達や兄弟と仲良くなれる、そんな、普通の子だ。妙な行動力と黒髪だけは、あいつの影響が見える、かもしれない。
少しだけ笑ってため息をついて、扉を開けた。
いつもの通りにカウンターに牛娘が立っていて、ラウラは昔からのように不安げにちょんと椅子の端に腰かけていた。
「あ、スーちゃん! 久しぶりですね」
牛娘が私を認めて、こちらを向いた。
「おうよ。すまないね、夜遅くに呼び出しちまって」
「どうしたんです?」
「いやー、それがねえ」
私は当事者であるラウラの方に視線を移して、言った。
「ビリーがうちに来てさ」
「えっ……」
あの子の名前が出た途端、ラウラの耳がピンと立った。
「全部、バレた。隠してもしょうがないから認めたよ」
「あわっ、えっ、それは、あの、あわわっ」
「軽く話しただけさ。大丈夫、別に誰かに怒ってたりとか、家出する! とか、うちの子になるー! だとか、そんなことは考えてなかった。ちゃんと君のことが大好きだぜ。落ち着いたもんだったよ」
「なら、良かった、けど……あっ」
安心してふと「良かった」と零したラウラは、ちょっと気まずそうに私から目を逸らした。
「ごめん、スーちゃん。えっと、その」
「いつまで言ってんだい。謝るのはいつだって私の方だよ」
「でも」
「世にも珍しい、子に選ばれた親だぜ? 誇りに思ってくれ。ふはは」
こんな雰囲気になることはわかっていた。どうしたって私とラウラであの子のことを話すと、最初は変な空気になる。
察してくれたのか、呆れた顔をして牛娘が話に割って入ってきた。
「なんでスーちゃん側が微妙に得意げなんですか」
「いいじゃあないか、今の私はストーカーのスーちゃんでも素敵なスーちゃんでもない、あの子からすれば自分を捨てたスーちゃんだ」
「弄りにくい自虐を……」
客観的な事実として、私はおそらく、相当な変人に当たる。
それでも私はそんな自分がけっこう好きだった。肯定的に捉えていた。自分の変わり者ぶりに拍車をかけるようなことでも躊躇せずにやったし、人とどんどん違うようになることには爽快感すら覚えていたと思う。
ただ、それでいざ自分が親になったときに、困ってしまった。
そういう顛末である。
「まあ、過去の話をしたいわけじゃなくてね。幸い……というより、ラウラのお陰だね、憎まれているということはなさそうだ」
立ち話も難なので、ラウラの隣にどかっと座った。
するとまあ座高の差がはっきりする。小さかった頃の彼女は嘘のように、私より頭が一個分高く、この高い高い椅子でもぺったりと足が床に着いている。私の方は相変わらず床に足が着かないのに。
牛娘の方はますます牛娘になって、近づかれると私の目線からでは彼女の口が見えない。もうちょっと年相応に垂れてくれた方が会話がしやすい気さえする。
この二人との付き合いも、相当長くなった。世話にもなった。
「何かっていうとさ、つまりその、父親について、何を話せばいいのかなって。どんな人だったかとか」
私がそう言うと、二人は目を見合わせて、それから牛娘が言った。
「ありのままを言えばいいんじゃないですか? もう十四歳ですし、親の話と自分の話を分けて聞くくらいの度量はあるでしょう。別に父親が犯罪者だったわけではありませんし、ましてやビリーちゃんを嫌っていたわけでもないですし」
「いやぁ、私も原則はそう思ってるよ? ただ、物によってはもしかすると傷つくかもしれないというか、ふかーくあいつの人となりを知らないとどうにも擁護し難いことというか……」
「そんなことありましたっけ?」
「ほら、たとえば、あの子を……その、なんだ、授かった? ときにさ」
「……あー」
私もあいつも、親として十分なことをやったとは言い難い。そしておそらく、そうしてあげる権利もとっくのとうに消失している。
それでも私の方には時間がある。けれど、あいつは違う。
「私もまさか、言った途端にあいつの顔が父親ヅラに貼り替わるだなんてことを考えちゃいなかったんだけど」
だから古めかしい発想でも、しばらくは父親の沽券くらい守ってやってもいいと思った。
「ものの見事に逃げたのは、さすがにねぇ」
「逃げましたねぇ……」
「逃げたねぇ……」
Fin.
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