その3

「……ラッ、ラ、ラ、ラウラが、どうかしたのかい?」


「そうじゃなくて、スーちゃんが、です」


「は、話を戻そう! 賢者ハイデマリーの正体はあのスーちゃんだった! 君からすると逆かね!? スーちゃんの正体は賢者ハイデマリーだったのだ! さあさあここからはめくるめく冒険譚が」


「いえ、あなたが私の産みの親なんじゃないかと」


「ろ、論理がわからないなぁ? 突飛だなぁ? え、ええー! 何がどうなったらそうなるんだろう? いやぁ、賢者だというのはね、うん。声の加工は軽くしかしてないし、そこはさぁ、知り合いだったら、わかるんだけどね?」


 飄々としていたスーちゃんは、目に見えて動揺していた。

 この彼女は見たことがある。ご飯前のつまみ食いをお母さんに詰められているあの姿だ。


「だ、第一、君にはきちんと両親がいるじゃあないか」


「……私だけ、耳生えてないし。絶対知り合いか何かの子だし。じゃあスーちゃんかなって」


「いやいや、な、なんの話かな? よくない! よくないぞぉそういうのは! 君は正真正銘ラウラの子! それに、ほ! ほうら、私、若いだろう? 十四の君と母娘なんて歳が合わない」


「スーちゃん、昔から見た目変わらないし。賢者様って知ってるし。老いないし。というかさっき、お母さんと昔からの知り合いって言ったし」


「ぐふっ……」


「昔からちょっと疑ってたんです。お母さんの知り合いの中でスーちゃんは浮いてたから」


「え、私、浮いてた?」


「はい、それで、私に妙に優しいし」


「そりゃあもうあくまで賢者の大いなる博愛の一環であって、別段君に──」


「スーちゃんが賢者ってわかってから、賢者の記録を見ました。大規模遠征とかいろいろあって、基本はちゃんと書かれているのに、でも、十五年前だけは変に空白だったんです。私が産まれる前後の一年だけ、当代の賢者は表に出てきていなくて」


「あー、いやぁ、ちょっと、そのときは極秘任務というかぁ? そりゃあ、書けないことだってあるさぁ? 偉い偉い賢者様だもの」


 スーちゃんは見苦しく斜め上を向いて、絶対嘘とわかることを口先だけでぺらぺらと喋りつつ額から汗をだらだらと流していた。


 ああもう、埒が明かない。


「手!」


 私は立ち上がって、倒れた鉢植えを乗り越え、スーちゃんの方にズカズカ歩いて行った。


「手を、握ってください!」


 お願いする身で、無理やり手を押し付けて、握ってもらう。


「ずっと、わからなくて」


 ああ、やっぱり、ひんやりした手だ。


「あの日、苦しくて」


 私の手を振り払おうとするけれど、しない。握って良いのか悪いのか、探っているみたい。


「でも、誰かが、手を、握ってくれて」


 それで、そうなんじゃないかって、思った。


「わかったんです。お母さんだって。それはきっと賢者様で、スーちゃんだって」


 この手はあの日、蛹室で、私を繋ぎとめてくれた手だ。


 勢い余って全部言ってしまった。本当はもうちょっとゆっくり切り出すはずのことも、全部、ぶちまけるように言ってしまった。


 スーちゃんは目を見開いていた。

 困ったような顔をして、苦笑して、それから軽く私の肩を抱き寄せた。


「どうどう、落ち着け。待ってよ、ビリー。君の推測は決して外れてはいない。外れてはいないんだが」


「じゃあやっぱり、スーちゃんが私のお母──」


「事はそう簡単じゃあない、賢き者が君に仔細を教授してやろう」


 彼女はそう言って、こほん、咳払いをした。少し間をおいてテーブルに座り直し、今度は朗々とした調子に乗せて、つらつらと語り出した。


「確かに肉体的に、つまり産道を通ったとかはそうさ。つまり私の両親は君の祖父母に当たるし、君の父親は野垂れ死んだ私の夫──いやまぁ籍は入れてないんだけど、に当たる」


「……はい? え? お父さん? 死んじゃったの?」


「くだばったね、うん」


「え? え?」


「まあまあ、それはあとで話そう。でだ、つまり、あくまで私は君の父親の妻ということでしかないわけだよ」


「えっと? 産んだのは、別の人、ってこと……? 愛人さん?」


「いやいや、そうじゃないよ。君の母親と、私こと君の父親の妻は同一人物さ」


「それじゃあ、私のお母さんはあなたということになりませんか……? え? 何が違うんでしょう、か……」


「難しい、極めて難しくて絶妙な意味合いがあるんだよ、ビリー。君の母親と私は確かに同一人物だが、違うんだ。私という人間は、君の祖父母の間に生まれた娘に宿った魂、という言い方が一番正しいんだよ。その娘の魂は私の魂と完全に同一だったけれど、特異点的なんだ」


「特異点?」


「ああ。一足す一は二だろう? それを二で割ったら一。そうして子供が生まれるわけで、もちろん私も人間だからそれで間違いはないんだけれど、最後の二で割るという仕上げがうまくできない逆さの因子を持ち合わせたわけさ。本来の私の体の持ち主、つまり君のお母さんは一であるべきだったのに、たまたま私はその処理ができなかったから、一に変な因子が残った。その因子は遺伝によっては受け継がれないらしくてね」


「うん?」


「つまり、君に私が私たる形質──賢者の因子は受け継がれていないんだよ。だから、正しくは私が本来あるべきだった姿が君の母親に当たるわけだから、厳密に言えば私は君の母親には当たらない」


「なるほど?」


「わかってくれたかね。ぺらぺらと話してしまったけれど」


「ちなみに、厳密に言わなかったら、母親になるんですか?」


「……なる、ね。あくまで定義上は、ということを忘れないでね」


「あなたは私を産んだ人、ということは、合ってますか?」


「うん、そうだね」


「ええと、よく、わからなかったんですけど、それは、えー……スーちゃんは私を産んだけど、遺伝していないものがある、という、話、ですか?」


「そうそう。よくわかったじゃあないか。優秀だね」


「あれ? あれれ? そういうことなら」


 どうも、合っているらしい。

 ええと、それじゃあ、つまり、私にとってスーちゃんは──



「ただのお母さんじゃん!」


「誤魔化せなかったか……」



 真面目に話を聞いたら、損をさせられていた。


「はいはい、そーですよーだ私は君の母親ですよーだ」


「えぇ……」


 スーちゃんはぶーっと頬を膨らませて開き直り、拗ねたぞと身振りで伝えてきた。


「なんだい、抱きしめてほしいのかい? 贅沢だねぇラウラ母さんからたぁーっぷり愛情をもらったろうが。不満はあるのかい?」


「まあ、ないです、けど」


「だろう? それとも何、取り合いでもしてほしいかい? 上等だ君を綱にして私とラウラで綱引きをしてやろう。勝った方が養育権を得る。引きちぎってやるぜ」


「えぇ……」


 一通りわめいたあと、冗談めかして手をひらひらと振る彼女を見て、思う。


 なんだ、この人。

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