第71話 時計台の上から
二代目賢者の後悔。
彼女は周りを拒絶した。その人を拒絶することが彼女にとっての決意であり象徴だった。それさえできれば、己は完全でいられると信じた。
彼女は
十九代目賢者の後悔。
彼はその人を隷属させた。それでもその人がその人であると信じて、操って、偽りの愛を植え付けた。
その人は魂を歪められてなお、彼を憎んだ。
二十五代目賢者の後悔。
彼女は市井の慣例に倣って、その人とのかすがいとなる子を為した。数年は幸せな日々が続いたという。
その人の魂は削れ、ただの親になった。
四十三代目賢者の後悔。
彼はその人を見守った。その人に己が関わってはならないと悟り、触れないよう、遠くから、時に人伝てに話を聞いて、心の底から一喜一憂をした。そうすることでしか、その人の魂を守れないと考えた。
その人の死に際に、彼は居合わせなかった。
六十代目賢者の後悔。
彼はその人を見切ったことにした。所詮凡百な男であると開き直って、執着するほどでもないと割り切り、関係を切った。
その人の墓に、彼は石碑を立てた。
七十四代目賢者の失敗。
私はその人を巻き込んだ。きっと影響も与えた。それは今考えればとても重大な歪みだったけれど、ついてきてくれた彼が心地良くて、何も問題がないと思ってしまった。全部を自分の思い通りにしようとするあまりに、自分の気持ちにさえ決着をつけないで、一人の人間を振り回そうとした。
つまるところ、私は彼という人間を、侮っていた。
それは私が一番されたくなくて、憤っていたことだった。一番大事なたった一つのもののためにいろんなことを蔑ろにしてきた人生なのに、その肝心の一つのものにさえ無自覚で、ついには傷つけてしまった。
なんと無礼で、無様で、愚かな失敗なのだろうか。言い訳のしようがないし、あれだけ確信した自分自身にも、彼にも会わせる顔がない。
だけどあくまで、失敗だ。
後悔には、まだ早い。
◆
南中した太陽がカーテンを突き抜けて目に入って、ようやく目が覚めた。
黙って起きた。
窓から見える時計台の短針はとうに右の半円を指している。
ずっと調子が出ない。小さなころは跳ね起きていたのに、ここ最近は覚醒までの段階があまりにもなだらかだ。まるで起きた先にあるものから逃げているみたいだった。
寝坊したって、起こしに来てくれる人はいない。
朝の思い付きを、おい、と言って相談する相手がいない。
やあやあ、と言って彼に会いに行くのは、私の日常の動作だった。
のっそりと立ち上がって、部屋の灯りも点けずに顔を洗う。
行動の一つ一つに空振った感じが付き纏っていた。空振らないように目を見開いても、どうしたって空虚な気持ちが拭えない。
こういうのを、俗に「胸にぽっかりと穴が空いた」なんて言うのだろうか。
数か月が経つけれど、ヴィムの方から会いに来たり、何か連絡を寄越してくるということはなかった。
私の方も忙しい。新米とはいえ賢者である。国からの魔術開発の要請には答えねばならないし、冒険の方だって忙しい。訓練も勉強もしている。今日の寝坊ですら、時間が潰れてしまってけっこうまずい。
だからこの数か月間は丸々彼と会っていない。声も聞いていない。すれ違ってすらない。
会いたい誰かと自然に会うことなんてないのだと知った。頭の片隅では次会う機会なんてことを考えていたけれど、この広い街ではそんなことは起きない。何にも縛られない大人の世界において、仲間とか友人とかいうものが、どれほど作為的なものなのかを痛感した。
関係を続けるには、会いに行くしかない。
だけど、それはできない。むこうがきっと、私には会いたくないだろうから。
嫌われているわけではないと信じたいけれど、今はやめた方がいいと思う。でも、それはいつまでなのだろうか。
何か月経てば会いにいっていいのか、許してもらえるのか、どのぐらいの長さなら話してもいいのか。何もわからない。
足りないのだ。情報が。
彼に対して適切に振る舞おうとしたときに、元となる根拠がまるでない。
彼が具体的に今、どういう状況にいるのか。
身を寄せるパーティーに当たりはついているのか。
受け入れてもらえる望みはどの程度あるのか。
新しい仲間になるかもしれない人は、どんな人なのか。
訓練はできているのか。付与術の理論は出来上がったのか。
当面の稼ぎはどうしているのか。ちゃんとご飯を食べられているのか。
そもそも、冒険者を続ける気があるのか。
私が積極的に調べられることなんて、精々が冒険者ギルドに貼られている紙を確認することくらい。
しかし付与術師の条件に合いそうな募集は一通りリストアップしてみたものの、そのパーティーにヴィムが接触したのか確認する術がない。
本人に聞くのが一番に決まっているけれど、距離を取られている以上それ自体に問題がある。きっと、何か干渉しようという気配を感じさせることすら良くない。
同様の理由で聞き込みも良くない。目立つ人間が知りたいこと、というのはすぐに広まって、本人の耳にも届きうる。
つまるところ、八方ふさがり。覆し難い二律背反。
頑張ろうと思ったって、できることなんてない。
だってすべての原因は、気まずさにあるから。むこうが私に会いたいと思ってくれていないから。
ドアを開けて外に出た。
温まりきった石畳から立ち昇る湯気と、燦々と照らす太陽は、朝の爽やかさを逃した罪悪感を変に煽ってくる。
私は時計台へ向かって歩き出す。たぶん俯いているけれど、もしかしたらすれ違うかもなんて思って周りに目を配ってしまう。
薄々であるけども、一般的に考えて、待つしかないような気はしていた。
彼の中で整理がついて、久々に会ってみたい、会っても構わないと思ってくれるまで待つべきなのだろう。
でも、それはいったい何年後なのだろうか。そもそもそんなときは来るのだろうか。
来るとして、彼の中で何もかも整理が終わりきって、過去に自分で決着を着け、どこか新しい居場所を見つけたその先に、私を置く場所はあるのだろうか。
私が勝手に待っていると思い込んでいただけで、その実は絶縁一直線、みたいなことにはならないのか。
じゃあ、会っても構わないと思ったタイミングを逃さないようにするべき、ということが結論になるような。
それは果たして彼の望みになるのか、という問題もある。会いたくないのなら一生でも会わないべきだ。生涯唯一の友人である、彼のことを思うのであれば。
私はそこでふと立ち止まった。
ここ数カ月ずっと頭にかかっていた霞の正体が、見えたような気がした。
ようやく私は、立ち止まることができた。
また間違えてしまうところだった。目的にむかって梯子をかけているのに、梯子そのものに目を向けてしまうのは、悪い癖だ。
本心はそうではないだろう。
──すぐにでも、私の方が、会いたいんだ。
素直にそう思って認められるようになったのは、成長と呼ぶべきかもしれない。
緩やかでも、ようやく大本にたどり着いた。これこそが、私が私らしく振る舞うために必要なことに違いなかった。
◆
思いつくことがあった。
賢者協会の持ち物である時計台は、建造から何百年経っても未だに街の中では飛びぬけて高い建物のままだ。その歴史と目立つ外観故にフィールブロンの象徴ということにもなっている。
そして単に見やすい大きな時計ということも重なって、フィールブロンの不動産においては「窓から時計台も見えますよ」という物件の紹介のされ方がある。
些細なこととはいえ、そうしたことがきっかけに建物の配列が意識されて、時計台への視界を遮らないようにフィールブロンの街は構築されてきた。
ここで、視点を変えてみよう。
フィールブロンのどこからでも時計台を見れるということは。
裏を返せば、時計台からはフィールブロンのあらゆる物件が一望できるということでもある。
何度か最上階まで登ってみたことがあるけれど、あそこの景色は壮観だ。
加えて、時計台は基本的に何か催し事でもない限り一般人の立ち入りは禁止。何かをするのに誰の邪魔が入ることもない。
街で起きていることを把握するのにこれ以上都合の良い場所は、ないんじゃあないだろうか。
運命的な気すらしてくる。私が抱える二律背反を打破する景色が、私が選ばれた賢者という特権によって与えられるなんて。
躊躇がないでもない。賢者は確と一般的な常識を持ち合わせるから。みんながみんなその常識を無視するけれど、忘れることはない。ちゃんとわかった上で無視をする。
そう、それこそが〝手足が自由に動く〟という証明なのだ。
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