第72話 起きた私は伸びをした

 フィールブロンの人混みをかき分けて、俺はギルドでも迷宮ラビリンスでもなく、街外れの石切り場に向かっていた。


 往来の中では俺なんてすぐに埋もれてしまう。ちゃんと立っていないとすり潰されるんじゃないかとすら思う。


 あの日から俺は一人の冒険者になった。これでもまだ、冒険者にしがみついている。


 この身一つの付与術師というものが、どれほどの茨の道かということはすぐさま思い知った。

 そもそも付与術師というだけで相手にされないし、たまたま優しいリーダーがいるパーティーの募集に当たっても、一回でも一緒に潜ったら、地上に戻るころには「申し訳ないけど……」と切り出される。


 とりあえず繋ぎの収入として街で働こうとしてみたけど、それもうまくいかない。

 フィールブロンは迷宮ラビリンスを金鉱脈とした裕福な都市だから、景気自体は良く職もたくさんある。けれど誰にでもできる力仕事なんかは駆け出しの戦士が何百人分の仕事を一気にやってしまうから、実質的に職業がない付与術師では比較的簡単に就けるような職は接客業が大半になる。


 この接客業というやつが、死ぬほど俺に向いていない。背に腹は代えられないので申し込んではみるものの、だいたいは雇ってすらもらえないし、頭を下げ倒して雇ってもらってもほとんどすぐさまクビになる。


 正直、食べるのにも困っている。日雇いの細かい荷運びで一日の時間を多く捧げて食い繋ぐのが精一杯だ。


 あの日までの自分がどんなに恵まれていて、守られていたのか痛感する。


 その上自分から拒絶した癖に、一人になってしまえばこの体たらく。


 あまりにも情けなくて、死にたい。消え去ってしまいたい。


 それでも胸の空いた感触が拭えないのが、余計に。


 人混みの中でとんと肩がぶつかった感触があった。

 一礼してちょっと早足になる。他の冒険者と喧嘩になったら勝てるわけがない。


 すると次に、とん、とん、と強めに肩と首の間を叩かれた。


 俺に用があるんだと気づいたら、背中がビクッと震えた。わざわざ俺に話しかけてくる人がいるなんて前提が消えていたから。


「は、はいっ……!」


「ヴィムじゃあないか」


 振り返って見えた人が誰だかわかって、息が止まった。


 ハイデマリーだ。


「久しぶり。そんなに驚かないでおくれよ」


 彼女は当たり前みたいにそこにいて、前とまったく同じ瞳と同じ表情で、俺の目を下から覗きこんでいた。


 すぐに何か返そうと思ったけど、詰まった息が喉から出てくれない。胸がぎゅっと閉まって言葉が出ない。

 考えないようにしていたことだった。不意に会わないように、街並みに目を配って逃げようとさえしていた。


 自分の弱さと、情けなさと、矮小さ。


 それが全部、清算を迫ってきたみたいにみたいに一気に目の前に現れたような気さえした。


「……ひっ」


「ん? どうしたの?」


「……あ、ああ、いや、うん。その……ひ、久しぶり」


「おうよ」


 ようやく息を吸い込んで、無様な引き笑いと一緒に、返すことができた。


 ハイデマリーはあくまでいつかのいつもどおりだった。


 どうして彼女はあのままでいられるんだろう、とすら思った。


 俺はあのとき、相当に酷いことを言った。ずっと手を差し伸べてくれていた彼女を振り払って、きっと、傷つけさえしたのに。


 全部俺が悪いのに。何もかも強くいられなくて、逃げてしまった俺が悪いのに。


 憎まれたって、いいくらいだ。


「……ご飯、まだ食べてなかったりする? もう昼過ぎだけど」


「あ、も、もう、食べちゃった」


「あー、そうだよね。じゃあ、これからギルド?」


「そ、そんな感じ」


「そっかそっか。それなら、また今度」


 じゃあねと言って、彼女はすぐに翻って、人混みのむこうの方に去っていってしまった。


 本当に、すぐに。ただ単に見かけたから声をかけただけというくらいで。


「……え?」


 雑踏の音が戻ってくる。硬直していた手足が順に動くようになった。往来の中で突っ立って邪魔になっていたことに気づいて、すぐに歩き出す。


 緊張が急に高まるだけ高まって、そのまま放り投げられて、その投げられた先にも前にも何もないみたいな。


 肩透かし、だった。


 重大に考えて逃げさえしていた自分が、もはや子供っぽい気さえして、恥ずかしくなった。



   ◆



 ぱっと路地裏に駆け込んで、壁に背を預けて、深呼吸をした。


 柄にもなくまだ緊張が解けていなかった。胸の中がドクンドクンと跳ねて、この姿が見られてはいないかと、路地裏から顔を半分だけ出して後ろを確認した。


 大丈夫だ。


 久しぶりに、話せた。


 ヴィムはなんにも変わっていなかった。私を怖がっていた節は少しだけあって、それは悲しくて複雑な気分だったけれど、安心することでもあった。


 ──ちゃんと、私のことを考えてくれていたんだな、って。


 一つ、心境の変化があった。


 今までの私の考え方というのは、私がどうすべきかということ一辺倒だった。


 何かをするのも私だし、何かを考えるのも私だし、何かを言われても、それは私が何かを言われているということに過ぎなかった。会いに行っていいのか、ということですら、私は会いにいってもいいのだろうか、という域を出ていなかったと思う。


 そんなふうに私らしくもなく毎日うじうじして、あれやこれやと気を揉んで、調子をおかしくして、胸にぽっかりと穴が空いたなんて言ってみて。なんか私の方ばっかりあいつのことを考えていて、馬鹿みたいだなと思うわけだ。


 そして翻って、気になる。


 彼は今、私のことを考えてくれているのだろうか。


 私についてこなければならない重圧から解放されて、思い出すこともないのだろうか。それとも一日に一回くらいは、私のことを思い出したりするのだろうか。


 だとしたらそれはどういうふうに? 嫌な思い出として? 多少は嬉しい懐かしさもある?


 いつかはまた組みたい、みたいに思ってくれていたりは?


 長い付き合いだから多少の察しはつくことはあっても、確信は持てない。細かいことは何もわからない。


 いい加減に思い知るのだ。


 私はヴィム=シュトラウスという人間のことを、よく知らない。


 時計台の上から見たヴィムは、私の知っているヴィムとは少し違った。

 私が知っているふうに歩くけれど、私が見たことのない店に行って、知らない人に謝り倒して、苦笑いをされて、それで落ち込む姿が、私が思う姿とうまく重ならない。

 重なる部分があったとしても、改めて客観的に見てみればあいつはかなり変なやつだった。遠慮がちに見えて変なところで人への迷惑が頭から抜けていたりするし、無意識に妙なこだわりがあったりするし、他人との距離もやたらと取りたがる。そもそも他人に興味があるのかも、正直怪しい。


 よくもまああんなに面倒くさいやつとあんなに長く一緒にいられたものだと、少し笑ってしまう。


 ずっと一緒にいたからわかっていたようで、なんにもわかっていなかった。


 彼が本当はどういう人間なのか、心の底で何を願っているのか、どういうふうに自分を形作ろうとしているのか。


 本当のところは、何一つ。


 だからまずは知らなければいけないと思った。

 そうしないと彼はきっと、私とは関係のないどこかへ行ってしまうということは、改めて確信してしまった。


 悟らせてはならない。目を切ってもいけない。


 そのために必要なものも、ちゃんと仕込めた。



   ※



 翌朝、俺は来たこともないキラキラとした喫茶店の前にいた。


 こんな店に入っていくなんて場違いこの上ないから、尻込みする。指定されたのだから何も躊躇うことはないのだけれど、二回、三回と前を横切って、入るかどうか考えてしまった。


 でも、意を決して扉を開けて入ってみる。


 奇異の目で見られやしないかと周りを見回したけれど、そんなことはなかった。誰も俺なんて見ていない。


 俺は気にしすぎだったんだ、と自嘲する。


 ちょっとした勇気が湧いていた。


 昨日、久しぶりにハイデマリーと会って、胸のつかえが一つ取れたような気がした。

 俺が目を背けながらも引きずり続けていた一方で、彼女はそんなことを気にしてなんていなかった。少なくとも、そう振る舞ってくれた。


 彼女は彼女で、なんの気兼ねもなく頑張っているんだ。


 もう一度同じ場所に立てるなんて思わないけれど、それでも、同じ冒険者として、同じ街で、同じ迷宮ラビリンスに潜っている。


 だから俺だって少しは頑張らないと、かつて手を差し伸べてくれた同郷の盟友に申し訳ない。


 店内を見回した。観葉植物が多くて見通しが悪い。

 一つ、目立つ三人の一団がいた。わかるように座っているとは書かれていたから、あの人たちだろうか。


 服装でわかる。

 剣士、魔術師、神官で一人ずつ。間違いなさそうだ。



   ◆



 ヴィムはあたふたと応対していた。きっと大きな脂汗をだらだらと流している。


 彼に相対しているのは、男一人、女二人の新人冒険者のパーティー。

 三人とも魔力量としては大したもので、けっこうな潜在能力の高さは見込めるだろうけど、私としては新人らしくいろいろと杜撰な点と三人の結束が固くて入る隙がなさそうなのが結構気になっている。雇ってもらえたとて、あまり良い待遇は考えられない。リーダーの男と二、三言すれ違いざまに話して声色を解析にかけた感触としても、真に心根が優しい人物には思えなかった。


 でも、選り好みできる状況にないヴィムからすれば他と比べても上等な選択肢の部類だ。


 何よりヴィム本人が探してきて、やっとの思いで面接まで漕ぎつけた今の状況にケチはつけられない。一生涯このパーティーにいなければならないわけじゃないし。


 ヴィムは一生懸命に話していた。緊張しすぎてところどころで引き笑いをして、懐からしょっちゅう紙を取り出して、問われたことに少しズレた返しをしてしまって、パーティーの人たちからは失笑すらもらっている。


 それでも彼は諦めない。なんとか食らいついて雇ってもらおうと、冒険者を続けようとしている。頑張っている。


 私がいなくても、と付けてしまって、ちょっと自己嫌悪。


 この調子では流石にこのパーティーは望み薄だろうと思う。そうすれば今週の手札は残り二枚かな。その二つとも面接まで行けるかはわからない。たぶん、今日を逃したらしばらくは好機はない。


 リーダーの男が、緊張してるみたいだし、と言って立ち上がった。ヴィムは見限られたと思ってビクッと背を震わせるけど、どうも間を置くために水を取りに行くだけらしい。



 盗聴石アブホレンを耳から外して、閉じていた目を開いた。



 両手をぐっと天井に突き出して、大きく息を吐く。ベッドから立ち上がって、テーブルに広げた地図を見直す。


 この面接が終わったら、ヴィムは日雇いの仕事の交渉に行く。今日はいつもの石切り場の親方はいなくて材木運びの募集しかないから、交渉も難航して仕事が終わるのは夕方を過ぎるはず。時間がなくなるし、終わったら間を置かずに朝に買った黒パンロッゲンブロートを濡らして齧って、迷宮ラビリンス第三階層での訓練に向かう。

 訓練内容はこの面接の内容次第だろう。もしもお試しで近いうちに一緒に潜ってみよう、という展開になったのなら、索敵の復習をする。そうでなくこの場でお断りをされてしまったのなら、身体の、特に三頭筋の強化バフを用いた戦闘を試してみるに違いない。魔力の回復もある程度間に合っていることだし。


 ……うん、ちゃんと全部知っている。外れていたら修正すればいい。


 気持ちの良い朝だった。起きた先に待っているものから逃げなくたってよくなった。寝っ転がったらばねが縮んで、目覚めたらぱんと跳ねる気分が戻ってきた。


 最後まで聞き届けたら、杖を背負って、石と地図を片手に冒険へ出かけよう。きちんと自分のことをする。彼をフィールブロンに連れてきた私は私のまま、迷宮ラビリンスの深奥へまっすぐ進んでいく。


 彼は彼で頑張っている。私はそれをちゃんとわかっている。


 胸にぽっかりあいた穴は、一時であっても、ちゃんと埋まっていた。

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