第95話 お気に召すままに

 頭がおかしいことをやっている自覚はある。

 絶対正しい魔術の使い方をしていない。


 俺にとって最高だというだけ。


 角猿も向上していた。向上させていた。

 爪があったのは両手だけじゃない。両足にもあるに決まっている。


 使わない手はない。

 俺さっきが使った徒手空拳が応用できた。


 払われた右腕を避けて背中が見えていたとしても、次に跳んでくるのが左腕か右脚かはたまた左脚かわからない。


 いや、まあ俺が動かしているからわかっているんだけど、なんにせよそれは俺が一番やりにくい方法だ。


 来たのは左の回し蹴り。

 大股に開かれていてすでに地面が蹴られている。

 俺がいるのは角猿の間合いのど真ん中もど真ん中。


 回避は不可能。

 山刀マチェットを両腕でがっちりと掴み、刃で受け止めて脚をぶった斬りにかかる。

 そのまま斬れるわけもなく爪と衝突する。

 そもそもの質量差と勢いの差で俺は無様に後ろに飛ばされる。


 この瞬間、俺は宙に浮いてしまった。

 一秒ほどの滞空時間。

 あまりにも大きすぎる隙。

 切り返すのが間に合わない。


 とどめの一撃までの道筋ルートが眼前まで迫る。

 角猿は停滞することなく回した左脚を設置させて軸足にして、低い姿勢から俺を突き上げようとしていた。



 これを食らえばあと二撃で俺の五体はバラバラになる。

 そういうふうに俺が角猿を操っている。



 すでに不可避。

 とっかかりすらない。俺はもう死んでいる。


 ここから挽回する方法など計算していない。


 だからこの刹那で計算する。

 実行と実現を鑑みて切り捨ててしまった可能性を検討する。


 空中で足場なし。

 姿勢制御は不可能。

 結末までは一直線。

 時間はほぼ皆無。


 脳から汁がドバドバ出る。


 閃く。


 俺はさっき弾かれた山刀マチェットが足元の地面に刺さっているのを、たった今発見した。

 足を極限まで折り曲げて靴底を割る。

 すぐに柄を足で握って、剣尖に全体重を乗っけて離脱する。


 突き上げが空振った角猿。

 対して離脱してさらに二刀に戻った俺。


 優劣は逆転する。

 俺はがら空きの側面に躍り出ている。



 ──はっきりした。


 そうか、上がっていくために、取るべき枠組みはこれか。



 俺は最善を尽くして角猿を殺しに行く。

 そしてそれを攻略すべく、角猿を操ってすべての動きを踏まえた最高の対処をさせる。

 もちろん最後の一撃はばっちり俺の命を刈り取らせるようにする。


 ここからだ。絶命の刹那に俺は向上できる。

 万事休すの状態で、計算すら考慮しなかった低確率を見つけ出して渡りきる。


 すると戦いは次の段階へ移行する。

 角猿もそれに伴って引き上げる。



 刹那が引き延ばされる。



 音が消える。

 景色から徐々に不要な情報が失われる。



 俺はさらに加速する。

 角猿も当然のように進化を遂げる。


 発想がさらに転換する。

 これほど時間が引き延ばされているのなら持続時間は考慮しなくていい。

 一瞬に全魔力を出し切って問題ない。


 何かおかしなこと言ってるか、俺?



 『瞬間増強パンプアップ』はもう何倍がけだ?

 万は超えてるように思う。

 出力が集約されてまた段違いに上がる。



 踏みしめて跳んでいるだけで、聖域の大地が割れ始める。

 爪と刃の衝突で大樹が割ける。

 衝撃波ソニックブームが辺りを破壊する。

 それすら回避するか耐える為の硬化の強化バフが織り込み済み。



 一寸の焦りも間違いもなく全力で振っている。

 望み通りに追い詰められている。

 奇跡を起こして生き延びている。



 ほら、俺だけじゃちょっと戦いが綺麗すぎる。

 角猿きみの発想も欲しいんだ。



 角猿の動きにわずかに幅を与える。

 もう慣れただろう、効率という概念もある程度理解したはずだ。


 すでに一刀同士のやり取りだった時間で十刀以上の剣戟が繰り広げられていた。


 そこに角猿本来の柔らかさが加わった。

 霊長の、しかし人間にはわからない絶妙な柔軟性を俺は認められていなかった。

 手数で翻弄されたかと思った一瞬、俺の二刀の隙間から腕が伸びて来た。


 脇腹が抉られた。


 止血はあとでいい。

 この剣戟の間に出血はしない。



「いいね」



 恐怖に震えていた角猿の目に色が戻っている。

 すべて俺の掌の上とはいえ、戦っている実感が戻ってきた。


 ここに来てもまだ上がる。

 絶命までの時間に無限がある。

 次の瞬間終わるなら、その次の瞬間までの半分の時間で決着をつける。

 だけどその決着の前に俺は角猿に俺を殺させる。


 天にも昇る心地。天国との距離も近い。なんつって。



 世界一幸福だった。



 極上の恐怖を享受し続ける。

 自己満足に真剣になっている。


 これが正しい姿だ。誰のことも気にしていない。

 視界の中でお人形ごっこに興じているだけ。

 ずっとそれがしたかったんだ。余計なしがらみが多すぎた。


 誰だ、ほんのちょっとだけ褒めて欲しかったとか思っていたやつは。


 ただひたすら、いつまでも続いて欲しいこの時間。

 原理的には可能なはず。



 でも、物理的にはどうか。



 悲しきかな、そのときはやってきてしまった。


 俺の山刀マチェットは角猿の胴体を横から真っ二つに切断していた。

 止まれない。妥協もしていない。

 そのまま靴裏で下半身を遠くまで突き飛ばしていた。


 限界が訪れた原因がわかる。


 こいつ、この期に及んで命を優先しやがった。

 ここまで昇ってきておいて怖気付いて、強化バフに従わなかったんだ。

 速度に耐えきれず腕が飛ぶ予感でもしたのか。


 そんなのどうでもいいだろうが。俺がいくらでも繋ぎ止められたのに。



「おい!」



 こっちは命捨ててたのに、その態度はなんだよ。

 覚悟決めてたんじゃねえのかよ。


 ふざけんなって。


「お前、つまんないよ」


 ぶつける相手はもういない。

 角猿はこと切れていた。

 もしかするととっくに彼の意識はなかったのかもしれない。

 俺がそう操っていただけかもしれない。



 もともと茶番も茶番だ。


 息を吸って、冷静になった。



 不満たらたらなのも良くないな。


 ここは迷宮ラビリンスだ。


 階層主ボスを倒せば次の階層への門が開かれる。

 その階層には例外なく前の階層よりも強い階層主ボスがいる。



 何も悲観することはないじゃないか。

 まだまだ続きがある。



 この階層がダメだったなら次。

 次の階層がダメだったんだらその次。


 そうやって戦っていけば、いつか本当の頂まで辿り着くことができる。



「また、ここに来よう」



 一人でだってそれができると証明できた。

 十分、楽しかった。


 今までの人生で一番充実していた。

 死にたいとばっかり思っていた気がするけど、今は違う。


 もっと死にたい。死ぬ寸前まで生きたい。


 高望みさえしなければ満たされていたに等しい。

 そしてその高望みは進み続ける限り実現することが確約されている。



 なんだ、未来は明るい。



「હું ચાલુ રાખીશ」


「……うん」



 軒並みなぎ倒された聖域の大樹の間に、さっきまでは見えなかった光が見えた。


 転送陣だ。


 やっぱり聖域なだけあって階層としても重要な場所だったんだな。


 すぐに行こうか迷う。

 性分かな、準備しなきゃと思ってしまう。


 すると自分の体の状態に気付く。

 もうズタズタだ。


 強化バフを応用して止血なりなんなりしてようやく立っている状態。



 少し休もうと思った。

 脳への強化バフの倍率を一旦下げる。

 四肢に重さが戻って、一気に怠くなって、平らな地面に体を投げ出した。


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