第94話 傀儡遊び

 角猿は立ち上がって俺に飛び掛かってきた。


「待ってよ」


 無論勢いがついているわけもない。

 頭をはたき落とす。


「ええと、『解析エナルーズ』、『構築バウン』……」


 痛がっている間に角猿の体を解析にかける。

 これなら逆強化デバフを先に解くんじゃなかったかな。


 まあ誤差か。


 関節の微小変位から支点、力点、作用点を特定していく。

 並行してコードの作成も行う。

 この極まっている状態は並行作業に強いらしい。


「よし、付与済みエンチャンテッド。来ていいよ」


 俺が一歩後ろに下がって許可を出すと、角猿は戸惑いながら立ち上がり、辺りを見回した。


 状況が呑み込めていないみたいだ。

 自分の体の変化に戸惑っている。

 でもさすがというべきか、いくつか数えるうちに自分が強くなっていることに気付いたようだ。


 角猿はにやりと笑った。


 剣戟が再開される。応戦する。さっきよりも速い。


 獣の目に爛々とした光が戻りつつあった。

 俺もちょっと嬉しい。

 頬を掠める刃に少しだけ、危険スリルを感じる。



 爽快爽快。

 まだしばらくは楽しめそう。



 でも、足りないんだよな。


 これじゃない。これでは上にいけない。

 単に強化バフをかけるだけでは俺に追いつけない。


「『停滞ハルツ』」


 また止める。

 角猿は受け身を取る暇もなくこける。


 やはり角猿は自分の体を操りきれていない。

 筋は悪くないががむしゃらに攻撃しているだけだ。

 俺が脳を強化しているからこそできることは、当然素のモンスターには不可能なんだ。


 どうしたものかと思案する。

 課題は大分わかってきたので、また脳に設問を投げる。

 数秒も待てば答えは返ってきた。


 なるほど、そうすれば良いのか。


 再びコードを作成し直す。

 大事なのは細やかさと発想の転換。

 強化バフ逆強化デバフかじゃない。

 薬と毒が本質的に同じなように、両者も行為としては等しい。

 目的の為なら分ける意味はまったくない。


付与済みエンチャンテッド。動いて」


 かける強化バフを切り替える。


 角猿は性懲りもなくまた俺に飛び掛かる。


 だけどそれはうまくいかなかった。


「ガッ! アガッ!」


 関節がそうは動かないように、摩擦を調整してあるのだ。

 下手に動こうとしたせいで無理な動きになって強い痛みが走ったらしい。


「違うんだよ。その、そうじゃない。無駄が多い。……もっといろいろ試してみて」


 感触から強化バフの内容はある程度わかるはずだ。


 これは誘導。

 僭越ながら俺による動きの指南でもある。

 この通りに動けばこいつはもっと強くなれる。


 でも、角猿は動かなかった。


「あれ?」


 どうしてだ?


 ああ、恐怖があるのか。

 自分から動いて痛みが走ったばかりだから、動くこと自体が制限されているように感じているのか。


 素手で顔を殴って吹っ飛ばした。


「寝るな。立て」


 枕元に立って言う。

 角猿は恐る恐る従って棒立ちになる。

 よく見れば震えている。強制していることとはいえ、ちょっと滑稽で申し訳ないな。


「よし、動け」


 ゆっくりと、俺の誘導通りに角猿は右腕を振り下ろした。

 うん、下半身もうまく連動している。


 子供に剣術を教えるくらいのゆっくりさで、振り下ろされた爪に山刀マチェットを合わせる。

 それからまだまだゆっくりと、もう片方の山刀マチェットも角猿に近づける。

 角猿はかけられた強化バフを慎重に確認しながら、今度は左腕の爪でそれを防御する。


 この要領を繰り返す。形にはなっている。


 反応も加速させる。

 俺の強化バフを受け取った瞬間理解できるくらい。

 それ以外の動きは認めない。

 そうとしか動かせない、という状況を作り続ける。



 おいおい、そんな怖い顔するなって。

 自分で自由に動かすより遥かに強いんだから。



 少しずつ、少しずつ速度が上がっていく。


 まだ“誘導”している段階だ。

 大雑把な動きはこれでできるけど、もうちょっと強化バフの密度を上げないと操るくらいまで行かない。


 ん?



 “操る”、か。



 その単語が浮かんで、点と点が繋がった。


傀儡師ペプンシュピーラー』はあくまで象徴詠唱の発音だ。

 複雑に絡んだ本詠唱にタグを付けて、そのタグに刻んだ文字を読んでいるにすぎない。


 この文字は理論上はなんでもいいことになっている。

 多くの場合は普段発音しない古代語からそれっぽい単語を選ぶけど、深い意味はない。


 だけどときどき、象徴詠唱には本質的に意味のある言葉が並ぶことがある。

 自分で本詠唱を組んでみればわかる。

 組み終わったあと、その魔術に自然に合致する単語が浮かんでくる。



 ようやく理解した。


 これが真髄か。



 だけどそれを実行するにはまだまだ足りない。

 俺含めて二人分の全身の処理を一つの脳でやりきらないといけない。


 脳をもっと回す。

 このくらいなら暗転ブラックアウトしない自信がある。


 慣れた?

 それとも頭が作り変わっている?

 それとも不純物が消えて抵抗がなくなったから?


 きっと全部だ。

 確信があるなら大丈夫。



 嘔吐する。

 消化器官にあるものをすべて吐き出す。

 ちょっと血も混じっている。



 限界が近いか。

 視界は重なるどころじゃなくて端がピカピカと光り始めている。

 でも体はまだまだピンピン動く。


 もっと、もっと、速く、速く。



 これで、掌握した。



「始めようか」



 俺は角猿に突進した。

 角猿は俺に突進させた。


 すれ違いざま、段違いの鋭い薙ぎ払い。

 迎え撃つべく差し出した片手の山刀マチェットはあえなく飛ばされる。


 想像以上。

 動きを知っていなければ山刀マチェットごと腕が跳んでいた。


 残った山刀マチェットを両手で握り直す。

 懐かしい構え。

 手数は少なくなるがこっちにはこっちの良さがある。


 視界の重なりは俺と角猿両方の動きを示していた。

 辿り着ける道筋ルートはより詳細に、もっと深くまで計算されている。

 もちろん選ぶのは一番難易度が高くて危険でヒリヒリする、最高の道筋ルート


 俺はまっすぐ振り下ろす。

 角猿には迎え撃つのではなく間一髪で胴体をくねらせ避けさせる。

 両腕の爪が下と右から繰り出されて、俺は右側を山刀マチェットの腹で、下側を両靴底で受けて後退する。


 追撃させる。

 形勢は圧倒的に角猿。

 後退している俺はただただ不利なので、カウンターにすべてを懸ける。


 俺の動きを角猿は知っていて、角猿の動きを俺が知っているわけだから、この右腕を囮動作フェイントとして繰り出された蹴りは──



 あれ? どっちがどうだ?



 最終的に、攻撃をもろに受けたのは俺の方だった。

 受け身は取ったけど思いきり飛ばされて大樹の幹に激突する。


 そりゃこうなる。

 俺が操って俺と戦わせているんだから俺の動きを攻略し続けているわけで、とどめの一撃があるとすれば俺の方に当たる。


 こりゃあ行きつく先は死しかない。

 それを避けてようやく次にいける。高みに行ける。


 その先に待っているのもまたとどめの一撃。



「楽しくなってきた!」



 吐血する。

 意識が朦朧として、強化バフで脳を回して無理やり引き戻す。

 内臓がやられた。もう長くは戦えない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る