第60話 素晴らしき迷宮潜

 ヴィム少年を迎えて三か月、彼はすっかり変わった。


 おどおどした様子は消え去って、はきはきと喋るようになった。

 少し猫背だった背中も伸びて、目に光が宿り、快活に笑うようになった。

 私たちに物怖じすることもなくなったし、丁度良い謙虚さを残したまま、自分の力を正しく誇れている。


 もともと周りが見えすぎてしまうがゆえの挙動不審、という気配もあった。

 つまりは常識や他人の気持ちがわからないわけではなかったということだ。

 周囲の人間が正しく接してやればこうなるのも道理だったのだろう。


 実際のところ、仮団員の段階の彼と周りには小さな軋轢があった。

 その能力と自己評価の差が嫌味ったらしく見えることがあったようで、正直なところあまり良く思っていなかった団員もいたようだ。

 彼にもその気配が伝わったのかもしれない。


 無論それでヴィム少年を害するような下卑た輩などうちには一人もいやしない。


 しかし小さな綻びはいつか大きな問題に結実することもあるし、彼の側にも自覚があって本人が改善しようと思ってくれた結果なのだから、歓迎すべきことだ。


 見たところ、今は団員とも問題なくやれているようだった。


 能力の分仕事も多くなってしまうから仕事量は私の方で調整している。

 道義的にも合理的にも、彼のような優秀な人材には健康的な生活と十分な休暇をもって末永く働いてもらうことが望ましい。


 ここも彼に関して評価が高い点だが、こういった意図をすぐに汲み取って従ってくれるのも有難い。

 やはり聡い少年なのだ。

 物事の本質を捉える能力に長けている。



 万事順調。そう考えるのは安易だろうか。





 耳鳴りと頭痛が止まない。


 もう何十度めかの第九十九階層。

 第九十八階層に負けず劣らず広大な階層だけど、俺たち【夜蜻蛉ナキリベラ】の活躍と、そして意外なことに【竜の翼ドラハンフルーグ】の躍進によってかなりの部分が開拓されてきた。


 俺が聞くとややこしいことになるので直接調べたわけではないが、どうもクロノスがここに来てリーダーとしての頭角を現し始めたらしい。

 新興のパーティーらしく多少は無茶もするようだが、所謂“持ってる”と表現されるような第六感的な勘によって鉱脈や資源等々が掘り出されるのだとかなんとか。


 素直に、嬉しい限りだ。


 確かにあまり嬉しくない形で袂を分かちはした。でもこの形なら禍根は残らないし、互いに成功して余裕があるなら後々トラブルが起きる恐れもなくなる。


 そう、俺は今、成功しているのだ。


 未知の階層を最高の仲間と一緒に冒険している。

 一歩一歩が新鮮。

 地下にいるはずなのに蒸し暑いという摩訶不思議に、見える植物の一つ一つが奇妙。好奇心がとめどなく溢れてくる。


 耳鳴りなんて大した問題じゃない。


「લાયક નથી」


 ああもう、とか思ったらこれだもんな。



『こちらヴィム。角猿がいます』



 いつもの通りの全体伝達。

 パーティー全体に緊張が走る。

 打ち合わせ通り索敵を事細かに行って迎撃態勢を整える。頭がガンガンする。音がよく聞こえる。


 息を吸って吐く。大丈夫、いつも通り。


 そして、ここ最近は心掛けていることがある。


『ローレンツさん! 頼りにしてますよ!』


『……おう!』


 戦いの前の連携確認を含めた個人伝達。

 これは俺一人の戦いじゃない。


 各々の見せ場と矜持がちゃんとあるってことを、目立つ人間はわかっていなきゃいけない。


『アーベル君、頼んだよ! 君の隠し玉に頼ることがあるかもしれない!』


『ヴィムさん、なぜそれを!』


『君のことをちゃんと見てればわかるさ!』


『ヴィムさん……!』


『モニカさん! まずは角猿の側面を叩きますので、その反対の面を狙ってください! 大事な初撃です!お願いします!』


『はい!』


 ちょっと偉そうだろうか?


 いや、でも、みんなは一応喜色が伺える声で返してくれる。それなら立場相応のことをしているってことでいいのかな。


 これで準備は一通り。


 さあ心拍数が上がる。

 今か今かと見えるのを待つ。

 木々の隙間に目を凝らす。



 ──ああ、いた。



 目と目が合う。


 獰猛な目。

 薄暗がりの中でも血液で真っ赤に光っている。生き生きしている。


 なあ、やめてくれよ。


 こっちは別に望んでないんだって。そんなさあ、まるで。


 お前も待ってたろ? みたいな目をされても困るんだよ。



「移行:『傀儡師ぺプンシュピーラー』」



 耳鳴りも頭痛も、止んだ。


 ふう。


 景色がゆっくりになる、と俺は表現しているが、その速度は脳を強化した直後が一番遅い。

 多分一瞬だけは吹かしているような感じなんだと思う。


 その刹那の静止に近い時間。

 これがなかなか不思議なのだ。慣れたというか、むしろ心地よい時間な気すらし始めた。

 脳に強い負荷をかけているからそんなはずはないんだけど。



 肉薄する軌道はくの字型。

 一回右に跳んで切り返して側面から二刀で軽く斬りつける。

 いつものように牽制だけど、でも今回は露骨に左肩だけを狙ってみる。


 俺の意図が角猿に通じる。

 執拗な一点集中攻撃は、裏を返せばそこだけを守るだけでいいということ。

 予定調和じみた攻防が少し続く。


 来た。モニカさんの火球だ。


 角猿に直撃。

 たまらず角猿は仰け反って俺と距離を取った。



 よし。流れに乗った。

 あとはいつも通りみんなと連携を繰り返して撃退するだけだ。

 危険はほとんどない。そして目標を達成したら地上に帰って夜ご飯。


 上がりかけたテンションを維持する。

 熱くなるな。あくまで目的は撃退。



『緊急です! 左翼後方が突破されました!』



 いつも通り順調に事を進めていたところ、いつもとは違う伝達が入った。


 どういうことだ?


『こちらカミラ、ヴィム少年、聞こえるか』


『こちらヴィム。何があったんですか』


同士討ちフレンドリーファイアだ。軽微だが綻びになった』


 人為的過誤ヒューマン・エラーか。

 不味いときに出たな。


 いや、入団して今までこういうことがなかっただけでも【夜蜻蛉ナキリベラ】は優秀だ。


 ここは俺が踏ん張るところだろう。


『わかりました。人員は持って行ってください』


『……すまない。今しばらく保たせてくれ』


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