第17話 "空"

 第九十八階層。迷宮ラビリンス然とした空気。


 周りに人間以外の生き物は見えないのに、薄暗がりのむこうから生命に満ち満ちた雰囲気が漂ってくる。


 この階層は洞窟のような壁をしていて、床は水分を多く含んだ岩でゴツゴツとしている。

 足元をよく見ないとときどきつまずいてしまうだろう。



 そして何より特異なのが、この階層には”空”がある。

 壁はどこまでも高く、登り続ければ闇に消えてしまう。



 夜空とは違う、しかし闇というほど暗くもない。

 月も星も見えないが月明かりだけがある、というのが近いだろうか。

 一応他の階層には見られない現象だが、今のところ特に不利はなく、むしろ閉塞感がなくて気分が良い。


 そして今回は、いつもともう一つ様子が違う。

 俺たちの部隊は走力を強化しているので、少し早歩きしているだけなのに走るよりも速く壁が横を通り抜けていく。

 こうしてみると不思議なもので、周りの変化により気付きやすくなってきた。

 時間あたりの変化が大きくなるのかなんなのか。


「ヴィムさん、予測通り左方に距離五十、敵影を確認しました。ヒドラの乙種です」


「数はどのくらいですか」


「最低五はいます。下手をすれば九」


「僕も見てみます、えっと」


 ベティーナさんの情報を元に範囲を絞って探知をかけて確認する。


 大岩らしき遮蔽物に隠れるように、ヒドラの影が複数。周りにも痕跡がある。


「見えました。お渡ししたパターン二五に一致する可能性が高いと思われます。この先道幅が広がると考えられるので……えーと、僕の方は最右方と地中に索敵を広げますので、ベティーナさんは引き続き左方ともうちょっと前方をお願いします」


「了解です」


「あ、あと、若干道が下っているかもしれないです。地図マップ作成の際は注意してください」


「……? あ、本当だ」


 ヒドラ系統は水場を必要とするので、複数いる場合はこの階には水脈がある可能性が高い。

 先ほどから雑魚ウィードに鳥系が多い上に、恐らく半水生であると思われる新種もチラホラ見られ始めた。


 これはかなりの確率で湖があると見ていいだろう。


 進行方向は迷宮ラビリンスの中央方向に向かっているはずなので、となるとここからは大きな空間に向けて道はまっすぐに、どんどん広がっていく筈だ。


 右に分かれ道が見えた。

 これは右の先遣隊と繋がるかな。索敵の反応だと行き止まりではないっぽい。


『こちらヴィム。ハンスさん、右に小さな分かれ道が見えました。しばらく行き止まりではないみたいです』


 後方にいる副団長、ハンスさんに連絡を取る。


『こちらハンス。道幅は』


『二人分ほどです。部隊が通れるほどではないかと』


『了解した。今回は記録のみとする。それとヴィム君、もうじき全体伝達が来るだろうが、距離二十五に大型を発見した。こちらは引き返してそちらに合流する予定だ』


『了解です』


「『示せジィガスミーア』」


 地図マップを投影し、すぐさま記録。

 こういう細かい分かれ道は次回以降の遠征で調査するらしい。

 もしくは未開拓の道が残されている地図マップとして競売にかけたりすることもあるそうで、実は結構な収入になるのだとか。


 記録が終わったらまた歩きながら情報収拾。


 経路と罠の予測、階層主ボスの痕跡探し。あとは趣味と実益を兼ねた観察も。



 充実していた。



 的確な指示に従うというのは楽だ。自分の役目に集中できる。


 言葉は難しいけど、友達ではなくて仲間というか、対人能力がお世辞にも高くない俺でも、一つの目的を共有し、こうやって仕事上で交流を図ることはできるかもしれない。


 これはこれで、俺に向いているような気もした。






 昔から体は大きい方で、ずっと優秀だとも言われてきた。

 自分には能力もあって勇気もあると、自負があった。


 周りの人にも恵まれた。みんな自信に満ちた目をしていて、その人たちがアーベルは次期幹部だと言ってくれるのは嬉しかった。


 そういう俺の人生において、このヴィムという人は特殊だった。


「甲甲丙、乙乙乙、丁甲甲丙、えっとこれで二三:五十?一:二、明らかに一致?いや、微妙、断言はできない」


 休息時間だというのに何やらブツブツ独り言を言って、ときどき頭を掻きむしって発狂している。


 彼が【夜蜻蛉ナキリベラ】にやってきてしばらく経つけど、驚かされることばかりだ。

 特に今回の大規模調査に至っては、前回の調査とは比にならない速度で進んでいる。


 なんだあの歩行の付与術は。

 本人は走力強化だと言っていたが、あれはもはや新たな移動手段だ。

 他人を、しかも複数人を強化する魔術をあそこまで長時間持続させることが可能なのか?


  しかもどういうからくりか、出発から相当な距離を進んだのに一度も大型モンスターと接触していない。


 それに加えてあの細かい観察力と丁寧な仕事で描かれた地図マップ

 さっき見せてもらったけど、こうも人によって見えている世界が違うとは。

 あのレベルなら多分地図マップの売値も数倍に跳ね上がる。

 あんなに細かく仮説を立てて検証を続けているとわかれば、道中で怖いくらいに罠や敵の配置を当ててしまうのもなんとなく説得力が湧く。


「どうしよう……やばいよやばいよ、また本詠唱からバラそうかな、いやいや残り魔力が、う、おえぇ」


 だというのに本人はあんなに自信なさげで今も緊張で吐いている。ブツブツ言ったりハイになったり吐いたり、もう忙しい人というか楽しそうにすら見えてくる。


 というか盾役タンクの俺でも多少疲労して喋る気力がないくらいなのにあそこまで元気にあたふたされていると自信がなくなってくるな。


 悪い人ではないしそれどころかかなり良い人だが、ハイデマリーさんが連れてきた人だけあってとんでもない変人。


 しかし目の前でここまでの実力を見せつけられ、それが味方となれば頼もしくて仕方がない。


「ヴィムさん。水です。水分補給しないと」


「……あ、どもども。ありがとう、アーベル君。ごめん夢中になってました。というかごめん、うるさかった?」


「いえいえ、もう慣れました。それよりありがとうございます。ヴィムさんは初めてなので実感はしにくいとは思うんですけど、前回に比べてびっくりするくらい順調に進んでいます。かなり助かってます」


「そんなそんな。こちらこそ助けてもらっちゃって。ありがとう。へへっ」


 なんだか、反応が無垢というか。挙動不審だけど。


「ヴィム君」


「あ、ハンスさん」


「団長がお呼びだ。君の見立てではもうしばらくすると広間に出るんだろう?」


「はい。えっと、細かく言えば」


「むこうで聞く」


 一礼して、ハンスさんに引っ張られるようにむこうに行ってしまった。


 幹部もすっかりヴィムさんを信用している。


 当然か。この数ヶ月で積み上げた実績だけで信頼に値するし、彼の場合は自分を決して過信せず、不測の事態を見越しての代案を大量に用意している。


 つまり目線が管理職に近いので、やりやすいのだろう。


 ヴィムさんの座っていた場所を見て、あの強化バフを思い出す。

 防御の深奥反射リフレクションを常に出すあの快感。


 あの日から何度も記憶を反芻して、迷宮潜ラビリンス・ダイブのたびにヴィムさんと同じ班になることを願った。


 もしも将来、二人で一緒に幹部をやれたら。


 ……なんというか、俺もすっかり毒されてるなぁ。


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