【1曲目】Change The World
<intro>
平成25年12月19日(木)
冬の雨は嫌いだ。ただでさえ寒いのに気が滅入る。
野間は女友達のアキラから彼女が働く喫茶店『歌凛』に呼び出され、雨のそぼ降るなかビニール傘をさして足を運んだ。『歌凛』には小さなステージがあり常連客らによるライブが時折開催されるのだが、週末に出演を予定していた何組かのうち一組がキャンセルになった。欠員のままライブを行うこともできたのだが、アキラは代役として野間に声をかけた。アキラは野間の歌をはじめて聴いた時から野間の歌にはまってしまい、アマとしてでもいいからもっと積極的に音楽活動することを望んでいた。しかし、当の野間は消極的で極めて親しい人間から頼まれない限り人前で歌う事がなかったので、今回無理やりステージにあげることを画策したのだ。大通りから路地に入り店の前まで到着すると、ため息をつきながら濡れた傘をとじる。店に入ると開店準備中のアキラと目が合う。
「いらっしゃーい。3曲くらいでいいから、弾き語りたのめる? とりあえず、これから店長のオーディションを受けてもらうね」
アキラは野間に挨拶も質問もさせず勝手に要求だけ押し付けたが、すでに諦めていた野間は気にせず自分の状況だけ伝えた。
「事情がわからなかったから、今日はギターを持ってきてないよ」
「大丈夫大丈夫、ステージのあのギター使っていいよ」そう言ってステージの方を指さす。
野間は渋々ステージに上がり置いてあったアコースティックギターを
「じゃぁ早速始めちゃってよ」
アキラは店長の横に座り野間に指示をだした。
野間は少しため息をついて、Eのコードをジャーンとかき鳴らす。
「そしたらまずは『Change the world』で」
<side-A>
黒い影に襲われてからの映像が野間の頭の中で駆け巡る。
「はうっ」
ベッドの上で、野間は勢いよく上半身を起こした。
「えらい恐ろしい夢を見た」
そうつぶやくと、無意識に両手の平をまじまじと見つめながらグッパーで手の動作確認をする。そして問題なく稼働する手の平で頭から順に上半身の各部位を触診をはじめた。毛布をめくり太ももと膝をさすってベッドから降りると、全身の動作確認をするように簡単なストレッチを始める。目をつむって慎重に体の異常を確認し終わると、大きな深呼吸で締めくくり目を開けて薄暗い室内をぐるりと見渡す。
「で、ここどこよ」
野間は裸足のままベッドの周りををウロウロしながら考える。
あの事故が夢だったなら俺は自分の部屋か嫁の実家にいなきゃおかしい。あの事故が現実なら病室で包帯グルグル巻きで満身創痍なはず。ところが現状はまったく見覚えのない部屋で怪我もなくピンピンしてる。あるいはここは死後の世界?いやいや、なんとなくそれは違うと感じる・・・死んだことないけどね。
目が暗さに慣れてきて自分のいる場所が西洋の童話に登場するような部屋だと気づくと、腕組みをしてうなだれながら少し考えてから答えをだす。
「もしかして、違う世界に来ちゃったってやつ?」
46歳のおじさんは、飲み込みも諦めも早い。そして、野間はベッドに腰をかけて天井を見つめる。
こういう非常事態時はまず安全を確保すべきなのだが、現時点では安全は確保されていると考えていい。パニックせずにまずひとつひとつあわてずに整理しよう。
「まずは自分のアイデンティティが保たれているかが重要だ。声を出して確認しよう」
・氏名
・年齢 46歳
・生年月日 昭和48年8月15日
・国籍 日本
・出身地 神奈川県横須賀市
「うんうん、基本は大丈夫だな」
・最終学歴 T大学文学部歴史学科日本史専攻
・資格免許 普通自動二輪免許 普通自動車免許 高校教員免許
・賞罰 なし
「履歴書レベルもクリア」
・配偶者 野間サユリ
・生年月日 昭和57年4月15日
・子ども 野間サトコ
・生年月日 令和2年4月30日
「そうだ・・・二人に会いに行く途中だったんだ・・・」
立ち上がり窓に近づき外の様子をのぞいてみると、おそらく夕方と思われる色をした空はよく見えるが景色は薄暗くてよく見えない。窓ガラスに反射した自分の顔に気がつくと、それを鏡にして顔を触ったり変顔をして確認した。事故前とはなんら変わらないそのままの自分の姿であることがわかると少しだけがっかりする。
「まんま俺じゃん。異世界きても転生じゃないのねー」
モンスターになっているわけでもー、別人になっているわけでもー、性別が変わっているわけでもー、若返っているわけでもなくー・・・オッサンのまんまじゃん。
「いや待てよ、逆にそのままということは、このまんま元の世界に帰れる可能性あるってことか?」
そもそも違う世界といっても海外って可能性はないだろうか?もしそうなら大使館に駆け込んで助けてもらえないだろうか。
「ないないない。異世界くるより海外のほうが中途半端で現実味がない」
室内に電化製品らしきものが1つもないあたり、仮に海外だったとしても時代も越えている可能性のほうが高い。
右手で髪の毛をグシャグシャっとしながらウーンとうなって、ベッドの横にあった椅子に座り腕を組み背もたれによりかかり天を仰ぐ。
「異世界ねえ・・・」
ふと黒い影に襲われたカーチェイスの記憶がフラッシュバックする。
とりあえず、あの事故が夢じゃなく現実にあったことだとするなら、黒い影の野郎は明らかに俺を狙って誘拐したんだよな、多分。ってことは何かしらの意図があるのか?
思考力が徐々に回復しているのを感じながら、立ち上がり部屋をウロウロしながら可能性について考えてみる。
「空を飛んで火の玉を発射するような野郎が誘拐犯だということは、やっぱりファンタジー系の世界かな?」
①剣と魔法の世界に魔王討伐のために召喚された勇者。
②オーラ〇トラー的なロボットの操縦者。
③なんらかの儀式の依り代。
「現実とばかりは限らないか。流行りのMMORPG的なシステムに取り込まれている仮想現実世界の可能性もある?いやいやいや、世の中VRゴーグルで楽しんでいるレベルでこんな高性能なシステムはないだろ」
それに、もしそうならますます俺を選んだ意味がわからない。俺、最近ゲームやらんし。
「さてどうしたものか」
窓側の壁に寄りかかってズルズルとしゃがみ込んで頬杖をつくと、自分の視線の先にあるベッドが大切なことに気づかせてくれた。
「あっそうだ、俺この家の人に保護されてんじゃん。」くだらない妄想をしているよりも、聞いた方が早い。
46歳のおじさんは、どっか抜けてるが合理的でもある。
<side-B>
椅子にかかったライダースジャケットを着てから、ベッドの下にあったトレッキングシューズを履いて靴紐を締めなおす。両手で両頬を軽く叩いて気合を入れた雰囲気だけだして、おそらく異世界であろうこの現実への第一歩を踏み出そうと覚悟を決めた。
「すいませーん、どなたかいらっしゃいますかー」
恐る恐るドアを開け小声でたずねてみたが誰からも返事はない。勘を頼りに廊下を抜き足差し足でコソ泥のように進んでいくと、おそらく居間らしき広めの部屋に辿り着く。
「あのー、どなたかいませんかー?」
寝起きドッキリのレポーターのように小声でたずねる。そもそも誰かを探しているなら大声をあげればいいのだが、知らない人の家の中を歩きまわることに少し抵抗を感じていた。居間らしき部屋には西洋風の家具がならび、ここにもやはり電化製品らしきものはない。
「ああ、やっぱり少なく見積もっても時代は越えちゃってるっぽいね」
落胆しながら部屋を見渡すと、弦楽器が壁にかけられてるのを見つける。
「リュートの
楽器屋のノリでその弦楽器に無意識で軽く触れた瞬間、全身に不思議な感覚が波紋のように広がっていくのを感じた。しばらくその余韻に浸っていると家の外から声がする。
「起きたのかい?こっちにおいで」
野間の想定の中には、
「あのー、何か助けていただいたみたいで、ありがとうございます」
揺り椅子に腰かけながらパイプをふかしているこの男性がおそらく先ほどの声の主であろう。野間の観察眼はこの時点で『男性』『老人』『喫煙者』という情報だけは入手したが、暗がりのせいで表情までは読み取れなかった。
「気が付いて良かった」
重厚な声・ガッチリとした体形・白髪・口髭、まるで宇宙を行く戦艦の艦長か山小屋で少女と暮らす山男のような風体だな。
「あのー、僕はどれくらい寝てました?」
「半日くらいかね。今朝方、東の砂浜でお前さんが倒れていたのを見つけて、息があったんでここまで連れてきたんだよ」老人は遠くの方を指さしながら答えた。
そして、パイプを吸って深く煙を吹き出して野間にたずねる。
「お前さんはどこから来たんだい?この辺の人間じゃないようだけど」
野間はどこまで本当のことを伝えるべきか正直少し迷ったが、もしこの老人が味方でなかったら「もはやそれは無理ゲーではないか?」という思いから一縷の望みを託し賭けに出た。
「おそらく、この世界ではないところから来たようなのですよ。はっきりいって自分の身に起きていることがまったく理解できていません。たいへん身勝手なお願いなのは承知してますが、力になってもらえますか?」
頭をクシャクシャとしながら困って見せる野間を見て老人は笑い声をあげる。
「はっはっはっ。そうかそうか。違う世界から来たのか」
座ったまま握手を求めるように右手をスッと差し出して、老人は自分の名を名乗った。
「わたしの名前はディオ、『ディオ・ユピテル』。ディオと呼んでおくれ」
野間は異世界からの来訪者をすんなり受け入れたディオに少し驚きつつも、この世界での最初の勝負に勝った気分になり安堵した。ズボンで手汗をふき取りあわてて右手を出して握手を交わす。
「わたしは『野間』といいます」
「ん?」
聞き取りにくかったのかディオが聞きなおすと、野間は老人相手だから丁寧に伝えようとゆっくり言いなおした。
「『のーまー』です」
「あー、『ノーマン』か」
ノーマンではないが、まあディオって名前の雰囲気からして洋風の名前の世界みたいだから、そちらの方が都合が良いだろうな。いただきます。
「そう『ノーマン』です」
「フルネームは?」
ええっとー、『
「『クロノス』です。『ノーマン・クロノス』。ノーマンと呼んでください」
この瞬間、ノーマンの内側で何かが刻まれた音がしたのだが、ノーマンには聞こえていなかった。
挨拶の握手とお互いの自己紹介が終わると、揺り椅子で揺れながらパイプをふかすディオがノーマンに尋ねた。
「それでノーマン。わたしは何を協力したらよい?」
「うーん」
ノーマンは下に視線を落とし上着のポケットから無意識に煙草とジッポライターを取り出すと、普段通りに自然な動作で煙草をくわえ火をつける。ディオが喫煙者であることでうっかり気が緩んでしまったのだろう、当たり前のように煙草を吸って煙を吐く。
「それは煙草かい?」
不意の質問にノーマンは少し慌てる。
「ああ、よかったら一本吸います?」
ディオはノーマンの差し出した箱から煙草を一本引き抜くと、興味深げに観察し匂いを嗅いでから口にくわえた。ノーマンが子分のように火をつけると、ディオは大きく吸ってゆっくり煙を吐き出す。
「ふー。これはいいな、それとその火をつける道具もいい」
「パイプにはどうやって火を?」
「このマッチを使うんだよ」
聞けばどうやら『紙巻煙草』と『ライター』はこちらの世界にはないらしく、生産できたら高値で売れるそうな。
そんなたわいない話をしながら、ノーマンとゼフは打ち解けていく。
「なあ、ノーマン」
「なんすか?」
「こちらの世界でどうしていくかは決めなきゃならんとして、今すぐにどうにかなるわけでも、なにかするわけでもないだろう」
「まー確かに、そりゃそうですね」
「そういう時に、この世界ではどうするかわかるか?」
「何です?」
「酒飲んで、歌うのさ」
ディオは立ち上がり屋内に酒を取りに行く。ディオは身長168cmのノーマンが見上げるほどに背が高く、おそらく180cm以上はあるだろう逞しい後ろ姿を見送りながらノーマンは声に出して復唱した。
「酒飲んで、歌う」
これはあちらの世界での自分のストレス解消法と同じだと、嬉しくなったノーマンは大きな声でディオに伝えた。
「僕の世界でも同じです」
世界全体の常識ではないし刺さったというほどのことはないが、とりあえず今夜はそうするべきだと思ったノーマンは先ほど見かけた弦楽器を取りに行く。
リュートは使ったことがないし初見の弦楽器だけど、この4弦リュートをベースギターと同じチューニングにすればパワーコードだけの曲がいくらでも弾けそうだな。未知の楽器にワクワクしながら
「かんぱーい」
「かんぱい」
二人は盃を交わし、一杯目を飲み干すと、ノーマンは急に腹が立ってきた。
「あのー、叫んでもいいっすか?」
「あぁ、嫌なことは吐き出したらいい」
ノーマンは立ち上がり夜空に大声で叫ぶ。
「才能溢れるティーンエージャーとか、もっとすごい奴いるだろー。なんで、俺なんだー。46歳のただの底辺おじさんさらってどうする気だー」
少しスッキリして自分に出来ることをすべて『生きる』と『帰る』ことだけに注ぐと誓う。
『サトコ』
生きて帰って、必ずお前を抱っこする。それだけが今の俺の正義。
そして、ノーマンは2弦だけ使うパワーコードのEをズーンとかき鳴らす。
「そしたらまずは『Change the world』で」
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