器用貧乏なオッサンは異世界で歌う(仮)

立木ミル

【プロローグ】Road Of Resistance

 令和2年、世界は未曾有のパンデミックに襲われた。

 横須賀市在住の野間のま時親ときちかがそれを最初に肌で感じたのは、嫁の付き添いで行った産婦人科で立ち会いを拒否された2月のころだった。そこからコロナの感染はあれよあれよという間に大都市圏に広がってしまったのだから、嫁を里帰りを3月のうちにすませたのは正解だった。

 そして、4月30日に無事に娘が誕生する。政府から発せられた緊急事態宣言によって県外移動を自粛するはめになった野間は、わが子の誕生に立ち会えないばかりか退院後のわが子を抱くことすらできないでいた。

 県外移動自粛を無視する人たちが大勢いる中で、それでも野間が自粛をかたくなに守っていたのには理由がある。ひとつは、愛娘には社会という共同体の中で自分勝手な振る舞いをする大人になってほしくないから。そしてもうひとつは、万が一自身がコロナに感染していた場合、愛娘に感染の危険があったからである。

 政府から発表されていた県外移動自粛解除の予定日は6月19日となってはいたが、感染が拡大したりすれば解除は延期になることも十分ありえる話で、実際に解除されるまでは何があるかわからないと野間は楽観的にはなれなかった。それだけに予定通り6月19日に県外移動自粛が解除されたことは野間を安堵させると同時に人生で味わったことのない種類の興奮を野間に与えた。

 自粛が無事に解除された当日、仕事を終え帰宅した野間はあらかじめ準備しておいたお泊りセットとともに車に乗り込む。嫁にメールを送って、ETCカードをセットしお気に入りのCDを車内に流すと安全に車を出発させた。嫁の希望としては6月20日の昼頃に来て欲しかったそうだが、野間の妻子に会いたいという気持ちは彼女の実家に対する配慮や彼女自身の要望を失念させるには十分だった。

 そして、横須賀から群馬へと向かう片道4~5時間のドライブが18時30分にはじまる。運転は極めて安全運転で法定速度は徹底順守する。横横道路と横浜新道を通過して第三京浜道路に乗ると空はだんだんと紫がかって、その空の色は野間に夜の到来とライト点灯の必要性を知らせた。第三京浜を降りてから関越道にのるまでは軽い渋滞にはまってしまうが、窓を少し開けて煙草を吸いながら進まない車列に苛立つ気持ちを落ち着かせる。

 高井戸を越えたところで、時間は20時。

「21時までに関越に乗れれば、今日中には到着できるな」

 昂る気持ちを抑えるように独り言をはっきりと口にだすと渋滞の道路が流れはじめた。少し喉が渇いていることに気づきドリンクホルダーにあったコーラに手をかけるが、トイレ休憩のことを考えて少しためらう。結局、一口だけ飲んでそのあとはカーステレオから流れるCDの音にに合わせて歌いはじめた。

 しばらくして谷原交差点を左折すると、いよいよ関越道まではあと少し。関越道路の沼田インターで降りれば、嫁と愛娘まであとわずか。

「あと約2時間。映画一本分。CD2枚分。苦節50日間、ようやくサチコとの初対面がかないますな」

 また独り言をはっきりと口にだしてから、テンション高くハンドルを軽く叩いてリズムをとる。野間は今まで生きてきた時間のなかで、これほどまでに運転に高揚したことはなかった。目論見通り21時ごろに関越道路のETCゲートが目の前に現れると、それを新しい世界への入り口のように感じながら速度を落として突入する。

「ゲートぉ、オープンっ」アニメの必殺技のような声で叫ぶ。


 ETCのバーが上がり通過した時、野間は何とも言えない不思議な感覚に襲われた。それが、愛娘との初対面に向けた興奮からなのか、嫁との再会へ向けた感情からなのか、それとも別のなのか、この時点では野間にはそれが判別できなかった。しばらくして、強い横風でハンドルを少し取られると歌うのをやめて運転に集中しなおす。

 「いかんいかん。こういう時こそ安全運転だな。こんなとこで事故って死んだら目も当てられん。前後左右に気をつけましょう」

 そう自分に言い聞かせるとCDを止めて窓を少し開け煙草に火をつけた。煙草を1本吸い終わると窓を閉めまたCDをつけて歌いはじめる。そして、またCDを止めては窓を少し開けて煙草を吸う。そんな作業を繰り返しながらドライブは続くはずだった。

 「ん?」

 関越道路に入ってから『道がすいている』『運転がしやすい』くらいにしか思わなかった野間が、先ほど襲われた不思議な感覚を明確な違和感として認識したのは、埼玉を越えて群馬に入ったころ。野間が周囲に意識を向けると、上りも下りも一台の車も走っていないことに気づく。胃がキュッとなるのを感じながら、いろいろな可能性を考える。

 上りはどこかで事故があって通行止めになっているか?下りも同様に後方で事故があって通行止めになっているか?いやいやいや、いくらなんでもそりゃないだろ。

 そうやって自問自答していると激しい衝撃に突然襲われる。反射的に首をすくめそのままそっとルームミラーを見ると、後方では道路から火柱が上がっていた。

 「隕石?」逃げなきゃ。

 反射的にアクセルを強く踏み車を急加速させた野間を二度目の衝撃が襲う。先ほどよりも激しい音と強い衝撃は、が接近していることを野間に知らせた。危険を察知した野間はとにかくそのから逃れよう車の速度をさらに上げるが、三度目の衝撃はなかなか襲ってこない。運転に集中しながら慎重にドアミラーをのぞくと後方の上空に自分を追尾するような黒い影が見えた。

 「どういうことだ?」野間は運転席でつぶやいた。

 アクセルはすでにベタ踏みで、先ほどの衝撃が直撃するかハンドル操作を誤るかで簡単に死ねる状況の中それでも野間は脳みその中にある冷静な部分で考える。

 今起きていることは?誰もいに高速道路でが俺を攻撃している。これは間違いないんだが、そのって誰?

 ①米軍、②自衛隊、③その他の機関、④もののけの類?

 ①②③の場合は兵器のたぐいの実験か?④の場合は妖怪?あっ悪魔ってのもアリだな。そもそもなぜ攻撃されている?①②③の場合、俺を実験台にする理由に心当たりがさっぱりない。④の場合、こちらも俺が妖怪に恨みを買った覚えはまるでない。意外と大規模なドッキリってことは・・・ないな。ただの46歳の一般のおっさんだし、特別な能力があるわけでもない。狙われる心当たりがまったくない。たまたま?いやいやいや、たまたまでこんな目に合うほど、日頃の行いは悪くはないはずだ。とにかくなんとか逃げ切らなくては。

 こんな状況でも緊張感のない冗談めいた思考をするのは野間の悪い癖だが、彼なりに事態を改善しなければと真剣に考えていた。

 まず最優先事項は?当然、自分の生命を守ること。絶対に死にたくはない。やるべきことは?①車を降りて降伏・命乞い、②とにかく逃走。いやいやいや、まず降伏とか命乞いとか通じる相手なのか?①は却下だ。

 「結局のところ②、逃げ続けるしかないわけだな」

 逃走方法は?①高速道路を降りて市街地に入り建物を盾にする、②どこかで車を乗り捨て森林に身を隠す、③相手が諦めるまで走り続ける。

 「うーん…やっぱり無関係な人を巻き沿いにするような父親にはなりたくないな。①は却下だな」

 「速度落としたら絶好の的になるし、カースタントよろしく走る車から飛び降りたらそれで死ぬな。いずれにせよ生身は危険度が上がるな。②も却下」

 「とどのつまり、逃げ続けるしかないわけだ。。。」

 一見不毛に見える独りごとを口に出して言いながら、野間は必死に集中力を維持していた。野間は右レーンに車を移動させると、しばらく直進であることを確認し、右のドアミラーの角度を上に向け、後方上空の追跡者を見やすいように調整した。

 「飛び道具の場合、左右にかわすより離れるほうが回避率が上がるはずなんだよなあ」

 声に出してそうつぶやくと、アクセルを踏んでさらに加速する。

 この車でこんなスピードを出したことがないのだが、もつのかな?

 しばらくすると野間はドアミラーをチラ見しながら、追跡者が車のスピードに合わせて距離を一定に保っていることに気づいた。

「あのヤロー、完全にもてあそんでやがんな」

「次の攻撃は絶対かわしてやる」

 絶望的な状況であることを理解しつつも、反面この状況を楽しむように野間は相手を分析する。

 2発目の雰囲気では発射後に弾道を曲げたりはできなさそうだな。とにかく発射と同時に回避だ。

 野間はハンドルを強く握る。

 仮に軍関係だった場合、ここで一撃交わしたらあるいはスカウトされて命は取られないかも。

 などと妄想をする余裕がこの瞬間まではまだあったが、事態は突然あっけない形で決着がつく。大きなカーブに差し掛かったところで、野間はハンドル操作を誤りガードレールに衝突した。いわゆる自爆事故である。車体の前方はつぶれ、フロントガラスは割れている。半分気絶状態の野間は生存本能だけを頼りに運転席のドアをあけ、転げ落ちるように車外へと脱出した。そして、呻きながら腹ばいになって進んでいく。

 「・・・生きるんだ・・・」

 「・・・サトコに会うんだ・・・」

 「・・・家族三人で遊ぶんだ・・・」

 頭を打った衝撃から視界はぼんやりとしている。道路に這いつくばう野間の前方に追跡者が舞い降りる。その気配を感じた野間は進路を変えようと試みたが、腕が体を支えきれず倒れこんで仰向けになった。そして、自分の方に近づいてくるぼやけた黒い影をにらみつけながら、かすれた声を絞り出す。

 「生きる・・・サトコに会うん・・・家族三人で遊ぶん・・・」

 黒い人型の影は足元に転がる瀕死の野間を見下ろし、薄ら笑いを浮かべながらこう言った。

 「ああ、絶対に死ぬなよ」


 この物語は、約4時間前に横須賀を出発した男が、生まれたばかりの娘をだっこするまでのおはなし。

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