姑獲鳥村の伝説
いつの間にか日が暮れ、すっかり空は暗くなっており
夕食を済ませた谷浦は大浴場に向かおうと1人歩いていた
「あら、こんばんは…」
そんな谷浦に夕方に会った、宿のオーナーの女性が声を掛ける
「これからお風呂かしら?」
「えぇ、そうです…」
「是非ごゆっくりしてください、何にもないけどお風呂だけは自慢なの」
「…た、楽しみです」
谷浦はぎこちない仕草だが必死に返す、だがオーナーの女性には違う風に捉えられてしまったらしい
「引き留めてごめんなさいね、迷惑だったかしら?」
「いえ、どうも…初対面の人と喋るのが苦手で…」
オーナーの女性の優しい言葉に、谷浦は申し訳なさそうに言葉を返す
「あら、そうなの…」
「普段は仕事仲間としか喋らないので…、すみません」
「いいのよ、謝らないで」
谷浦の態度の理由がわかったオーナーの女性は穏やかな表情で返す
「そういえばお仕事って言ったけど、ここに来たのもお仕事の関係かしら?」
「はい、
谷浦のその言葉に、今まで穏やかな顔をしていたオーナーの女性の顔が引きつった
「…どうしてそんなところに?」
様子が急に変わったオーナーの女性に谷浦も驚く
「…え?そんなところ…?」
「貴方もしかして《
「《姑獲鳥村の巫女》?」
2人しかいない寂しい廊下が静寂に包まれる
オーナーの女性はしまったという表情を浮かべるが、それでも構わず谷浦はせがんだ
「その話詳しく聞かせてくれませんか?」
「…ここだと長話になるわ、奥の事務室まで来ていただけるかしら?」
そう一言告げると、静かにオーナーの女性は谷浦を事務室まで案内した
「…お願いします」
谷浦はそのままオーナーの女性の後をくっついていった
――時代はおおよそ明治の頃にまで遡る
その山には、かつて小さな集落があったのだが
ある日を境に妊婦だけが怪死するという奇妙な事態が起こった
「当時は火葬なんてまだ無かったから、集落の人達は亡くなってしまった妊婦さんの遺体をそのまま埋葬していたの」
オーナーの女性はコップに飲み物を注ぎながら、昔話のように語る
「しかしその事が原因なのか、埋葬された妊婦達が化け物になって村人を襲う怪異が起きてしまったの」
そこまで語ると、いったん谷浦の分の飲み物を渡すために中断する
だが谷浦は話の内容に聞き覚えがあるのか質問をはじめた
「…それって妖怪の《姑獲鳥》の話に近いですね、妊婦と胎児を別々に埋葬しないと、その遺体は姑獲鳥という妖怪になる…って、まさか……」
「あら、よく知っているのね、その通りよ、いつしかその妊婦達は"姑獲鳥"と恐れられるようになったわ」
集落の人間は姑獲鳥となってしまった妊婦の仕業だと考え
恐れた集落の人間は供養のために姑獲鳥を神として崇めるようになった
「それが《
その言葉に谷浦は衝撃が走った
「え…?」
「姑獲鳥村はあなたが今から行こうとしている
オーナーの女性はそう言いながら淹れてきた飲み物を谷浦の前に差し出す
「…姑獲鳥村、…そう言えば《姑獲鳥村の巫女》の巫女とは何なのですか?」
「そうね、説明のための前置きはこのぐらいにして本題を話しましょう」
そうオーナーの女性は言うと、椅子に深く腰をかけ続きを話した
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ここは姑獲鳥村…
「姑獲鳥」を信仰することで、恐れられていた怪異がなくなり、集落は時代が進むにつれ、いつしか姑獲鳥村と呼ばれる村へと大きくなった
早朝から村の真ん中に人が集まる、集まった村人の前には巫女装束を身に纏った人物が立っていた
《おぉ、巫女様…》
《巫女様だわ…》
巫女様と呼ばれたのは"
羽衣一族では、必ず女性が巫女として姑獲鳥を信仰し、村を導く役割を任されていた
澪は数年前に巫女となり姑獲鳥を信仰し村を守ってきている
《皆さん、朝早くからご苦労様です。さぁ、今日も私達の平和の為に祈りを捧げましょう》
少し低めの落ち着きのある声が、優しく村人たちに響き渡る
声を聴いた村人たちは言われるがままに手を前に合わせ、それぞれ祈りを捧げていた
まだ若いながらも村人の前で振る舞う巫女の姿は凛々しく、村の人間は酷く信頼していたそうだ
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「その澪って巫女は、特別な力を持っていたと伝えられていたの」
「…特別な力?」
「私はあくまで噂話だと思うわ、それだけ凄い巫女だって伝えたかったのかも知れない」
オーナーの女性はそう言うと、事務室の古い棚から一枚の写真を取り出し、谷浦に渡した
「この写真は?」
「この人がさっき話した澪よ」
「……っこの人が」
谷浦はその写真を見て驚いた
谷浦の反応を見たオーナーの女性は、ゆっくりとした眼差しで写真を見つめる
「…とても綺麗な人でしょう」
古びた白黒写真で見えづらいが、それでも息を飲むほどの美しさがある
黒く長い髪にカメラに向かって微笑む顔は、まるで著名な絵画でも見ているかのような気分だった
「この写真は昔、羽女之村に住んでいた私のおばあちゃんの物よ」
オーナーの女性は自身の祖母が亡くなった時に、遺品整理でこの写真を見つけたらしい、捨てるには祖母との思い出もあって惜しく感じたのか、今までとっておいたそうだ
「だから、この話を知っているんですね」
「幼い頃からおばあちゃんによく聞かされていたわ」
こうしてオーナーの女性は続きを語り始めた
「この澪って巫女にはすでに許婚の方がいてね、名前は"
「許婚…ってもしかして」
「この写真に写っている、澪の隣の男性の姿がそうよ」
谷浦は再度写真を目を向ける、微笑む澪の隣に青年らしい人物が立っているのだが、顔の部分が破れていて見えなかった、きっと彼が清孝という人物なのだろう
「結婚は村の誰もが賛成だったわ、でもね、それを良しとしない人がいたの」
その人物は、村だとそこそこの権力を持っている男性だったらしい
その男は澪に一方的に惚れ込んでおり「結婚するのはこの俺だと」と周囲に言いふらしていたが、素行の悪さや横暴な性格からか、村人から冷たくあしらわれていた
「そんな人だったから「反対だ」って喚いても村人たちも気にも止めなかったのよ、…でもそれが悲しい結果を招いてしまったの」
そう語るオーナーの女性の顔はとても辛そうなまま続きを語り始めた
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谷浦がオーナーの女性と話している時を同じくして
場所は変わり、江國にあてられた個室の扉がノックする音がした
江國は室内で1人時間を持て余していたらしい
いじっていた携帯を放り、扉に近づく
「誰ですか?」
ノックはしたものの、名乗らない誰人物に江國は少し警戒をした
するとしばらくして、ドアの向こうから声が聞こえる
「…俺だ」
名乗りは無くずいぶん弱々しくなったが、悪い意味で聞き覚えのある声を江國に嫌気がさした
「なんの用ですか?鳴川さん」
感情が駄々洩れはしているが江國なりに抑えつつ、ドア越しに応答する
「頼む開けてくれないか…」
ここで相手もしびれを切らしたのか、悲痛な様子で江國に懇願した
そう言われてしまえば江國は開ける以外の選択肢などなく、渋々施錠を外してドアを開けた…
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再度場所は変わり、谷浦とオーナーの女性がいる事務室に戻る
姑獲鳥村の巫女で村人からも慕われていた澪、そしてその許婚である清孝
2人はお互いに愛し合い、村人からも祝福を受けていたのだが
それを良しとしない男がいた
男は澪と清孝の結婚が迫る中、ある事考えていたそうだ
《澪が俺のもんにならないなら、いっそ襲って俺の女にすればいいんだ》
それは策略というにはあまりにも行き当たりばったりで身勝手な考え
そしてあろうことか男はそれを決行してしまった
家に忍び込み澪の部屋を開けた男は、躊躇することなく寝ている澪の身ぐるみを剥がす
しかし、男は身ぐるみを剥がされた澪を見て悲鳴を上げた
「澪の身体は男でもあり、女でもあったの…」
澪は俗に言う"両性具有"と呼ばれる身体だった
「…つまり半陰陽ってことですか?」
谷浦は青ざめた顔でオーナーの女性の方に顔を向ける
「今でこそ、それなりに知れ渡っている事だけど、あの当時は随分奇妙に見えただろうね……」
それだけ言うとオーナーの女性は、黙って自身の手に持っているマグカップを見つめてしまった
「…許婚、…その清孝って人はそのことを知っていたんですか?」
「どうやら知っていた上で結婚をするつもりだったらしいわ」
「………知っていたのか」
谷浦はその言葉に安堵にも近いため息を無意識に吐く
「だけど、澪の身体を見てしまった男が黙っている事なんてなかった」
翌朝、男は必死な形相で村人の前に現れると
大きな声で《こいつは巫女なんかじゃねー!化け物だ!》と村の人間に言いふらした
最初のうちは村人も男の言葉に、狂言めいたことを言い出したと思っていたが
それでもめげずにいた男の必死な訴えにより、村の人間はいつしか信じてしまうようになる
「ごめんなさいね、私はここのくだりがどうも好きじゃなくてね…」
ちゃんと伝わっているかしら?と谷浦の方を向く
谷浦は無言で首をゆっくりと縦に1回振ったあと口を開いた
「…このあと、2人はどうなったか聞いても?」
その問いにオーナーの女性はしばらく黙ったあと、静かに口を開いた
「…村の人間に殺されてしまったの」
谷浦は目を見開く
「…2人共、ですか…?」
バレてしまった2人は、逃げようとしていたところを取り押さえられてしまい、神社の建物内で村人から暴力と罵声を受け続け、しばらくして命を落としてしまったという
「そこからはあっけなかったらしいわ…」
因果関係があるか知らないが、その後村は天災、疫病などで村は壊滅状態に陥ってしまう
「私の祖母は村が壊滅する前に、隣町のここに来て難をしのいだらしいわ、今でも何人かあの村に住んでいるけど、全員よその所から来た人間よ」
これで一通り話を終えたのか、オーナーの女性はマグカップの飲み物を飲み干す
「この写真はどこから…?」
谷浦は手元にあった澪たちが写っている写真を、オーナーの女性に見せた
「祖母はまだその時には幼くてね、事情がよくわからないみたい気づいたら手元にあったっと言って大切にしていたわ」
オーナーの女性はそう言うと、無言で谷浦の前に手を差し出し返してもらうように優しく催促した
理解した谷浦も無言で写真を返し、そのまま立ち上がり頭を下げる
「……話して頂いてありがとうございました。」
「いいえ、どういたしまして。…行くとしたらくれぐれも気を付けて」
こうして、谷浦は事務室を後にした…
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