第38話「逃げ惑う兄弟」

「ちっ! せっかく船尾まで近づいたってぇのに!」


 ジェイドが、イライラして舌打ちすると、思わずそうこぼした。


(しっ!)


 ベリルが、人差し指を立てて短く注意する。ふたりは今、船上甲板から数えて三層目の中甲板と呼ばれる場所まで来ていた。


 隠れ穴から、垂直に船長室まで行くことはできなかった。昇降階段などがなかったのだ。そこで、船体の中央部分にある階段を使って移動しようと考えたのだ。中央階段は、船上甲板からオーロップデッキまで、すべての甲板をぶち抜いている。


 海賊たちは、みな寝静まり、数人の見張りが行ったり来たりするばかりであったし、その見張りも、みんな酔っぱらっていて見張りの仕事を果たしてはいなかった。だから、中央階段を使っても問題はないと考えたのだ。


 しかし、さっきまで静寂に包まれていた船内は、少し前から、やたらと人通りが多くなり、なんだかあわただしい。中央階段も、海賊たちが上り下りを繰り返していた。見張りの数も増えているようだ。


 中甲板の中央階段のそばに、格子状の壁で仕切られた部屋がある。ふたりは今、そこに身を隠していた。そこは帆に使うための予備の帆布はんぷを保管している部屋だった。


 折りたたまれて山積みされた帆布に潜り込んで、ふたりは外の様子をうかがった。


(あの扉の向こうが船尾エリアだね)


 ベリルが息を殺してそう言った。


(ああ、間違いない。白壁になってる)


 ジェイドがあごをしゃくる。

 そこは、壁が真っ白に塗られていて、壁掛けランプも金の装飾を施してあった。今まで目にしてきた油で汚れきったランプとは風格が違う。


(ぼろい安宿から、急に貴族専用の高級ホテルって感じだな)

(うん。一般の船乗りは入れない船長や幹部たちが使うエリアだよ。だから下からは行けなかったんだ)


 船尾の上層部分には、幹部たちの個室や会議などをする広間があり、船尾ラウンジと呼ばれる。そこの最上階に船長室があるのだ。


(こんなところで足止めとはね。一般市民は、お断りってか? 悲しいねえ)


 ベリルは中央階段を見やった。海賊たちの出入りが激しい今、あの階段を使ったらすぐに見つかってしまうだろう。


(中央階段を使うのは、中止にしよう。危険すぎるよ)

(ならどうする?)


 ベリルは、身を静かによじって船首側を指さした。


(あそこはどう?)


 ベリルが指差す先に、木製の台座があった。丸い台座で横木が何本も伸びている。そして台座の上から、天井を突き抜けて、木の柱がのびていた。台座には、太いロープが何重にも巻きついていた。


(キャプスタンか?)


 ジェイドの問いに、ベリルはうなずく。

 キャプスタンとは、碇綱いかりづなの巻き上げ装置のことだった。数人がかりで横木を押して台座を回転させ、碇を昇降させるのだ。


(キャプスタンによじ登れば、なんとか上に行けると思うよ)

(後退するのはくやしいけど、それしかないか)


 ふたりは、人の切れ間を逃さず、部屋から出ると、キャプスタンの裏まで走り込んだ。

 まずは、ジェイドが、キャプスタンの横木に足を引っかけて、台座の上に飛び乗る。天井のくりぬかれた隙間から上の様子をうかがった。


 ジェイドが親指を立てる。だいじょうぶそうだ。

 ジェイドがジェスチャーで、まずは自分が上がると伝える。ベリルがうなずく。


 ジェイドは、軽やかに、天井の隙間から上に這い上がった。すぐに下へ腕をのばす。

 ベリルが、その手を取って、ジェイドに引き上げられるように上の層に飛び移った。上甲板へ到達する。


 そこで、ふたりは、感じるはずのない風と淡い光を身に感じた。上を見あげる。そこは、一部分、天上が抜けていて、梁が何本も渡されている。その梁に、ボートが何艘なんそうも置かれていた。その間から夜空が見えた。

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