051 詐欺の顛末1

「今日はありがとう御座いました!おかげで充実した訓練が出来ました。それにしてもタイカさんの技量はすごいですねっ!私達もそれなりに訓練を積んできた自負があったのですが……全く歯が立ちませんでしたよ!」


 赤森邸の応接室に案内してソファに腰を掛けるとモエハが先程の訓練内容についてタイカへの素直な賛辞を口にする。


 訓練中はモエハを含めた門下生達からの攻撃に対してタイカは一太刀も受けることなく全てを受けきっていた。だが、モエハ達……少なくともモエハは全力で攻撃していなかった。その為、タイカとしては訓練で皆が手を抜いていたから多少の余裕があっただけで自分が技術で圧倒したとは思っていない。少なくともモエハとはそこまで隔絶した技量の差があるわけではなかった。


「いや、モエハも十分強かったよ。少なくとも去年の俺なんかよりずっと強かったかなあ。モエハならほんの些細なきっかけ一つあれば、あっという間に俺なんか追い越しちゃうんじゃないかな?」


 感慨深げにタイカは答える。道場に通っていた時のタイカはお世辞にも才気溢れているとは言い難く、一つの技を会得するにも人一倍時間がかかっていた。それでもオメガオや妹のアヤに喰らい付いて行こうと藻掻いていた。酷く遠回りをしていたとタイカは思う。だが、そのおかげで最短距離で技術を会得していたのでは得られないような周辺技術に触れる機会を多く得られた。それらの一見無駄に思える経験の一つ一つが<鳥瞰>ちょうかんを得た事によって視野が広がり、使いこなす事が出来たおかげで今のタイカがあった。


 たった一つの経験が爆発的な成長を促すことをタイカは身をもって知っていた。


「ふふふ。ありがとう御座います!それで……来月からも月に一度の頻度で指導依頼をお受けして貰える……という事でよろしいでしょうか?」


 少し不安そうにモエハは尋ねた。今日の門下生達の態度は決して好意的なものばかりではなかった。むしろ否定的な者の方が大多数だっただろう。その環境にやり辛さを覚えていないだろうかと心配していた。


「ああ、構わないよ。ただ俺が教えられるのは柳水流の基本だけだけどいいのかい?」


 むしろタイカの方が不安になってしまう。五家老である赤森家で一門下生に過ぎない自分がそんな頻度で教えていいのだろうか。


 だが、これには赤森家側の事情も含まれている決定であった。元々赤森領内では威勢がよく実力のある人物が好まれる。その為か碌に実績のない子供であってもその傾向が強く出ている。通常であれば家臣が付き添いながら実戦を幾度も経験してその差を埋めていくのだが今はインビジブルジャイアントとの戦闘で指導員が人材不足となっていた。


 そんな事情から安全を担保しながら実戦を経験させて自己認識と現実の差を理解させることが難しくなってきていた。そこで外部から指導員を招いて実力を比較させることで門下生達の自己認識を改めようという試みが提案された。モエハからの今回の指導依頼はそれに沿う形で実現され、マサルからの実力査定をパスしたことで正式な許可が下りたものだった。


「勿論です!同世代でこれほどの実力者がいるのだと知って皆やる気を出しておりましたわ。それだけでも価値は計り知れません」


「ならいいんだけど……」


 指導の後半あたりから門下生達が随分とヒートアップしていた様子を思い出す。最終的には複数人を同時に相手取る形で実戦形式の稽古にまで発展していた。あれがやる気からでた行動なのかは疑問ではあったがタイカとしては別段、身の危険を感じるほどではなかったのでまあいいかと付き合っていた。


 それをモエハが気にした様子がないのは恐らくはモエハ自身もあの程度であれば対処可能だからなのだろう。実際に訓練でモエハと手合わせした感じでは他の門下生と比べて確かな実力を感じ取ることが出来た。


「でも、まあこれは赤森家からいいね!評価されたって事なのかな」


 恐らく今回の訓練において何らかの評価基準を満たした事で依頼継続に繋がったのだろうと推測した。タイカはその考察を不用意に口にしてしまった。


「いいね……ですか?」


 モエハは聞き覚えのない単語にきょとんとして首をかしげた。直ぐにタイカは慌てて訂正する。


「あ、ああ……いや、その、それは言葉のあやで……」


「うふふふ。こうゆうのですか?」


 モエハはそう言ってタイカの頭を撫でた。


(いや、それはいいね!じゃなくていい子いい子だしっ……!)


 その子共扱いされているかのような扱いに気恥ずかしさを感じて、だが振りほどくわけでもなくそっぽを向くだけのタイカにモエハは特に気にした様子もなくクスクスと笑っている。そんな二人にクンマーは厳しい視線を向けている。


「……いや、評価されたんだなって、そう思っただけだよ」


「当然ですよ!マサル叔父様とあそこまで戦えるのは本当にすごいんですよー!」


「でも割りと加減して貰えてたみたいだけどね」


 マサルが身体強化や無手での攻撃も封じて対応していた事を理解していたので自慢するのは憚られた。そこでタイカは別の用件を思い出して訓練の事は思考の隅に追いやった。


「ああ、そうだ。実は別件で相談したい事があったんだ。実は--」


 タイカは先日の鍛冶屋ミドから聞いた詐欺の顛末を説明する。それを聞くとモエハの表情は曇っていった。


「なるほど。似たような話は他にもあったようで既に報告が来ております。調査はしているのですが何分、契約書は正式に交わされておりまして、詐欺である証拠が出てこないのです……」


「……そうか。実は契約前の書類を預かっているんだ。そこには詐欺に結び付く内容も書かれている。指紋を取れば同一人物が関わっている事を証明できないかな?」


「指紋……ですか?」


 モエハはキョトンとした表情で聞き返した。この世界ではまだ警察が指紋による捜査は確立しておらず一般的には認識されていなかった。


「ああ、契約書には拇印が押されているだろ?これは一人ひとりの指紋が異なる模様だからこそ成り立っている文化だ。そこでこっちの契約前の書類なんだけど、拇印は押されていないけど紙に触ることで目に見えなくても指紋の模様が紙に残っているんだ。それを採取して比較すれば詐欺を立証出来ないかな?」


「……なるほど。でも見えない指紋はどうやって採取するのでしょうか?」


「少し調べてきたんだけど帝都の方で指紋に関する論文が上がっていたんだ。それが国防局の方で採用されているらしいんだよ。それで今、国防局からイコマさん達が来てるだろう?そちらに問い合わせれば指紋を採取する方法を教えてもらえるんじゃないかな」


 イコマはまだ巨人の事後処理に追われており、未だ赤森領に滞在していた。新たに未知の脅威も出現した事から当分は帝都に帰ることは出来なさそうだとボヤいていた。


 それを思い出してモエハは嬉しそうに両手を合わせた。


「へぇ!それが出来れば確かに証明出来そうですね!さっそく問い合わせてみます!」



 イコマは領主であるトドロキからから突然の呼び出しを受けて急いで赤森邸へ足を運んで来ていた。案内された応接室には既に人が集まっておりトドロキ以外に愛娘であるモエハや重臣達が揃っているのを目にして驚愕する。


 モエハはタイカと別れた後さっそく行動を起こして領主である父トドロキに話を持っていった。詐欺はすでに街全体の経済にも影響を及ぼし始めていた為、トドロキもすぐに行動に移った。イコマが呼び出されたのはその結果だった。


「た、大変遅くなりまして申し訳ありませんッ!何分突然でしたので、その--」


「ああ、イコマ殿。遅れてはおりませんぞ。こちらこそ突然呼び出してしまって申し訳なかったな。どうか楽にして下され」


 トドロキは低頭平身して謝ろうとするイコマを制して、むしろ無理を申しつけた事を詫びた上で笑顔で迎え入れた。重臣達も一様にニコニコとしておりイコマを責めるような様子は見られない。


 だが、イコマはそんな状況にむしろどのような無理難題を申しつけられるのか怖気を感じて表情を引き攣らせながら着席した。


「そ、そうですか……。では失礼します。それで今回はどの様なご用件でしょうか?」


 イコマが落ち着くのを見計らってからトドロキは説明を始めた。


「うむう。そうじゃな。イコマ殿は現在この街で行われいる詐欺についてご存じだろうか?巨人の出現後に生じた混乱を利用して我々領主が武器を徴発する……と虚偽の情報をばら撒いて不安を煽り、徴発されるぐらいなら……と考えた地元の鍛冶屋や魔道具店から捨て値で商品を巻き上げていった者達がおる」


 あまり世間の動向について見聞きしていなかったイコマは目を丸くして驚く。


「そうなのですか……?すみません。自分はその辺の事情については把握していなかったのですが……」


「実に嘆かわしい事じゃがな……。そこでイコマ殿には国防局で使われている指紋の採取を手伝ってもらいたいのだ」


 指紋鑑定は最近論文が発表されたばかりで、国防局でもまだ実証中の技術だ。論文は発表されていても実用されておらず知名度は低いはずなのにトドロキがその技術を把握しているとはイコマは思っていなかった。よほど赤森家の人材は優秀なのだろうとイコマは素直に感嘆する。


「……ああ、なるほど!そういう事だったんですね。それにしても指紋鑑定なんてウチでも最近取り入れたばかりなのによくご存じでしたね?」


「ええ!実は懇意にしている冒険者からその話を教わったんですよ!どうやら、その方の身近な人が被害に遭われたようで色々と調べていたようなんです」


 モエハが嬉々として教えてくれた。


 だがイコマは冒険者ってそうゆうものだっけ?と困惑した。イコマが知っている冒険者の多くは力自慢の荒くれ者だ。勿論例外がいる事も知っているがあくまで例外なのだ。だが……赤森家が懇意にしている冒険者ならばきっと高位ランクなのだろう、それならばあり得ない事じゃないかと自分を納得させた。


「指紋を採取するだけなら道具もそろっているので直ぐに出来るんですけど……肝心のモノはあるんでしょうか?」


 トドロキがチラリとモエハに視線をやると、モエハは頷いてから二枚の書類が入った封書を差し出した。


「偽の徴発通知書と武器売買の契約書はこちらです。これらに容疑を掛けられている商会の関係者が関わっていれば犯罪を立証できないでしょうか?」


「……分かりました」


 随分と良く準備されており、断ることも出来ないイコマはそのまま封書を受け取った。国防局の人員は連日のように先日の巨人事件の調査で忙しい日々を過ごしているので徹夜で作業になるかもしれないと顔を引き攣らせた。とはいえ赤森領の現状を思えば見過ごせない案件なので切り替えて気を引き締めた。


「直ぐ作業を取り掛かりますのでお任せください。数日で結果は出ると思いますがそれまで容疑者の身柄は押さえておいてください」


「イコマ殿、感謝するぞ。後日正式に謝礼するが、これを持って帰って皆に振舞ってやってくれ」


 そう言ってトドロキは清酒を一瓶イコマに持たせた。イコマはそこまで酒好きではなかったのでなんで酒なんだと疑問に思ったが国防局員には酒好きもいたのでありがたく受け取った。


 これはただでさえ忙しい国防局員にトドロキが指紋調査を追加で依頼する事を案じた際にモエハからお酒を送れば多少は心象がよくなるだろうと助言したからだ。トドロキ自身もなんで酒なんだと疑問に思いはしたがモエハが確信をもって勧めてきたのでしぶしぶとその通りにした結果だった。


 モエハ自身は酒を飲まないのにいったい誰の影響なんだとトドロキはしばらく頭を悩ませた。

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