049 指導1

 タイカは午前中は調べ物をするために図書館に来ていた。午後からは赤森邸で柳水流の指導を行う予定なので余り時間はかけられない。入館料が若干もったいないと後ろ髪をひかれながらも必要な先行投資だと思って支払うと早速目当ての資料を探しに本棚に足を運んだ。


(さて、どこにあるかな……?)


 案内板をざっと見渡す--文化、風習、学術、論文、犯罪史……かなり幅が広く探す手間も掛かりそうだなと落胆していると--


「やあ。また会ったね。どうやら無事な様で安心したよ」


 後ろを振り返るとテロメアがいた。相変わらずニコニコとしており機嫌が良さそうである。


「ああ、テロメアさん。先日はどうも。おかげで魔石は無事に手に入りました」


「それはよかったね!それでまた調べものって事は失敗だったのかい?」


 符術や魔道具を修理する知識は先日あらかた調べ終わっているはずだ。なのにまた図書館へやって着ている事にテロメアは若干だが不安げな表情を浮かべて訊ねた。


「いえ、修理の方は上手くいきました。今日は……別件ですね。指紋に関する論文などないかなと。ピジャン国では契約書に拇印を使う文化があるでしょう?なら指紋がユニークに個人を特定可能だという認識が古くからあると思うんですよ。それに関しての論文や犯罪への証拠能力について調べたかったんです」


「またおかしな事を調べているんだね!」


 魔道具について調べていた少年が今度は指紋について調べようとしている。冒険者とはそういったものだったろうかと疑問に思うも探求心旺盛な事はテロメアにとって好ましかった。


「ええ、実は--」


 タイカがミド鍛冶屋で起きた事を大雑把にだが説明した。それを聞いたテロメアはミド鍛冶屋が魔道具も作っていた事に驚き、そして詐欺が横行している事実に胸を痛めた。


「えっ!そんな事が起きてるのかい?ひどい話だね……。それで街の魔道具屋も商品がスッカラカンになってたのかな……」


「……恐らく。なので解決したいんですよね」


「そうゆう事なら私でも少しは力になれるよ!」


 テロメアは任せてくれと言わんばかりに自身の薄い胸を叩いてみせた。テロメアは学者という立場から図書館への出入りは自由に許可されており、それを最大限活用して本を読み漁った過去がある。その為、タイカの求める情報にも当たりがついていた。


「本当ですか!?」


「しーーっ!この時間なら人はいないけど一応マナーだからねッ!!」


 そういうテロメアの声もそこまでトーンの抑えられた声量ではなかった。


 テロメアは知識とは共有されてこそ真価を発揮すると思っている。自分のもつ知識がそうやって他人から共有されて得たモノだからだ。だが残念なことにテロメアの周りには同様に知識を欲している人間がおらず物足りなさを感じていた。だから情報を渇望する者が目の前にいて、求められているのだから嬉しくて仕方がなかった。


「こっちだよ。おいで!」


 そう言ってタイカの手を引っ張っていく。


「えっ?あ、はい」


「実は指紋による犯罪の証明については既に研究されているんだ。発端はご想像の通りに拇印文化から研究が始まったんだ。それで指紋による個人の特定は論文になっているし、物から指紋を検出する方法もいくつか編み出されているよ。たしか数年前に国防局で実験的に採用したって報告書も見た覚えがあるよ」


 タイカにとっては朗報だった。指紋の証拠能力が認められており、そのノウハウを持った人物が既に赤森領にいるなら直ぐに動いてもらえる可能性が出てきた。あとは赤森家の方から動いてもらえるならば一歩どころか数歩も前進だろう。


「へえ!そこまで進んでいたんですね!たしか国防局の人が先日の巨人絡みで赤森領にも来てますよね」


「そうなのかい?……それでも伝手がないと難しいんじゃないかな?」


「それなら多少は心当たりがあるので大丈夫だと思います」


「えっ?そうなのかい?君はなんだか凄いね!」


 テロメアから素直な賞賛の言葉が出てくる。まだまだ少年らしさを残した一介の冒険者がなぜそこまで知識を欲して、また国防局への伝手まで持っているのか。魔道具にのめり込んで学者を目指してエルフの里を出奔したテロメアだったが、それでも当時ここまでの行動力はなかったように思えた。


「えっ?いえ俺が凄いのとは少し違いますね……。それならテロメアさんの方が学者として自立出来ていて凄いですよ」


「いやいや、私は学者になるまで結構かかったんだよ。私は君の行動力が羨ましいよ。それよりも着いたよ。たしか……これだったかな。……でも伝手があるならこちらはもう不要だったかな?」


 いくつかの書物を取り出してタイカに手渡したものは指紋に関する論文だった。


「いえ、自分でも把握しておきたいですから調べますよ。それより、ありがとう御座います!」


「この程度お安い御用だよ。また困ったことがあったら相談してくれて構わないよ」


「はい。頼りにしてます」



 図書館を出ると紅葉したイチョウの葉っぱが落ち始めている広場を通り抜けて貴族街の方へ歩いていく。目的地はその先にはる赤森邸だ。都市全体の広さは以前見た日波領都の方が広大だろうが迷宮都市はその分密度が高かった。それはやはり魔獣被害の多い土地で堅牢な防壁で囲む必要があったからなのだろう。高さのある建築物が密集していた庶民街から貴族街までくるとさすがに建物からくる圧迫感は和らいだ。その中でも一際広くて重厚な門構えをした邸宅の前で足を止める。


コンコン


 門にこさえられた呼び鈴を叩くと執事が迎えに来てくれた。先日の帰還命令時に報告しに赤森家へ来た際にも案内してもらった老紳士といった感じの人だ。


「ようこそいらっしゃいました。タイカ様ですね?」


「はい。本日はよろしくお願いします」


 少年ともいえる年齢のタイカにもにこやかと人の良さそうな笑みを浮かべて対応してくれている。立ち振る舞いにも隙はなくいざとなれば護衛も熟すのかもしれない。さすが五家老に仕える執事はレベル高いなと関心してしまう。


「どうぞこちらへ」


 案内されたのは裏手にある万象理合流の道場だった。既に稽古は始まっているのだろう竹刀で撃ち合う音が聞こえてくる。中に入ると既に二十人程が稽古をしているものの最奥ではマサルが寝っ転がりながら門下生に指示をしているのが印象的だ。だが不思議と道場内には緊張感で包まれており手を抜いている者は見当たらない。そんな中にモエハの姿もあった。


 だが入り口付近で休憩していた門下生からはあまり好意的ではないささやきがれ聞こえてくる。


「チッ……指導員雇ったってガキじゃねえかよ。モエハ様も何だってあんなヤツを……」


「どうせ大した実力なんて無いだろ。訓練中に分からせてやりゃあいいのさ」


 マサルには聞こえないがタイカには聞き取れる、そんな絶妙な声量で嫌らしい笑みを浮かべながら相談を聞かせる。そんな門下生にチラリと視線をやるもこの程度なら特に問題はないとすぐに視線を戻した。


 道場の端の方を進んで執事はマサルの前まで進んでいくと注目が集まっていく。モエハとも一瞬目が合うものの、その瞬間に異様な緊張感が高まっていくのを感じて視線を正面に向け直した。


『うーん。完全にアウェーだな』


『いつも通りじゃーん』


 クンマーには実家にいた頃の事も少し話していた。愚痴を肴にした酒もストレスが解放されていくようでタイカは嫌いではなかったからだ。だからだろう、その辺の事情について詳しく知っているクンマーだったが--その時の愚痴を思い出してウンザリとした表情をしている。


『……まぁ、そうなんだけどさ』


 慣れているとはいえ、あまり気持ちのいいものではないのでゲッソリとする。


「マサル様。指導員のタイカ様をお連れしました」


 最初から気付いていただろうにマサルはようやくこちらに目を向けて体を起こした。


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