008 お稽古3

 符術を習った翌日、一日中文字を書いて筋肉痛になった腕を揉みほぐしながら柳水流の道場に向かって歩いていた。今日から道場通いとあって緊張した面持ちであったタイカであったが竹林を抜けて街並みが現れると態度が一変した。これまで離れと裏山程度しか行動範囲のなかったタイカはニコニコしながらキョロキョロと街を眺めながら歩いている。二階建ての木造建築が多いだろうか、しかしコンクリートなどもある様で道路や塀に使われていた。そんな様子を特に注意するような人はおらず我関せずといった風にヒラノブとアヤは前を歩いている。他に人はいない。リュウヤや他の少年達はみんな竜王流を学んでいたし、女子は剣術は必須でないこともあり別行動だ。


 大通りを抜けて閑散としてきた辺りに柳水流の道場はあった。いかにも古風な道場然としており中からは稽古が始まっているのだろう撃ち合う音や掛け声が聞こえてくる。中に入ると想像とは異なり体育着やジャージに似た服装で素振りをしている様子が目に入る。そんなゆるい見た目とは裏腹に大人達の持っている武器は木刀などではなく本物の刀や薙刀などでありかなりの実戦派であることが伺えた。ヒラノブはあたりを見渡すとある男の前まで移動する。


「くくっ。お前が子供の御守とはなぁ」


「ふん。こちらの二人が今日から世話になる。後は頼んだぞ」


 そう言われた男は立ち上がってタイカ達に向きあう。


「話は聞いている。オメガオだ。強くなるつもりがあるならちゃんと教えてやるよ」


 その男はやたら眼力の強い三十才前後の男だった。異人の血が混じっているのか赤い髪をしているが、そんな目立つ特徴よりも目の前の自分たちに目を向けているのに千里の先を見ているような不思議な視線に圧倒される。また背もそこそこ高く185センチ程だろうかガッチリとしているのにしなやかさも感じさる体はネコ科の巨獣を思わせる。所作にも体幹がブレることがなく一切の無駄がない。明らかに周囲にいる人達よりも飛び抜けた実力を思わせた。


「よ、よろしくお願いしますっ!」


「あー、この程度で緊張すんなよ。そんなんじゃまともに体動かねぇぞ」


 ヒラノブとオメガオは幼馴染らしかった。もっともオメガオは世界を見るぞといって若い時期に家を飛び出していったのでそんな長い付き合いではないらしい。それでも信頼しているのかヒラノブは二人を紹介してさっさと帰っていった。


 オメガオは傘立てのようなものから木刀を二本取り出しタイカとアヤに投げ渡す。意外とキャッチしやすかったそれはオメガオの力量ゆえだろう。


「まずは基本の型だ。必要な動きは全部詰まってる。よーく見ていろよ」


 他の者達からも一斉に注目が集まる。どうやらオメガオは柳水流の道場の中でもかなりの実力者であるらしかった。正眼に構える。そのまま一連の動きを澱みなく行った。袈裟切り、突き、脛切りや飛び違うような斬撃など多彩な技をいくつも繋いでいく。力強いオーラと見惚れる位に美しい動きにゾッとするのと同時に割と普通の動きなんだなと安心もした。なにしろ魔力があって身体強化も可能な世界だ。それを前提にしたファンタジー剣術が飛び出るのではないかと直前まで戦々恐々としていたタイカだった。これなら努力次第ではものに出来るのはないかと安堵の笑みを浮かべた。


(こいつ笑いやがったな!俺の剣をみて笑いやがるのはよっぽど素質があるか、もしくは何も理解してねえ馬鹿のどっちかだ。どっちだろうなあ。……嬢ちゃんのほうはよくわかんねえな。見えてはいるようだが)


「よーし。しっかり視たな?んじゃあ、まずは坊主にやってもらうか」


「えっ?今ので全部だったんですか?柳水流って受け流しが得りだと聞いてたんですけど……」


「かーーっこれだからっ!今のは攻撃の型なの!後でそっちもやるからまずはこっちをやれい!」


「はいっ!」


 タイカは木刀を正眼に構えて一呼吸する。先ほどの一連の動きを思い出しながら頭の中でシミュレートする。頭の中では腕だけではなく足の運びも含めてトレース出来ている。頭の中では……だが。しかしイメージの中で剣を振るタイカは先程のオメガオに比べて同じ動きであるものの何かが欠けていると感じていたがその正体が分からない。今生では剣術は書物で読んだだけで実戦した事はない。前世でも同様に書物漫画や小説を読んだだけである。


(なんか足りないんだよなー。なんだろう?……相手が、いないからか?)


 とりあえず生前の自分でも正面に置いておくかと考え想像する。何となくで構えていたのを身長百七十センチの敵を想定して目線や構えを修正する。どうせ初めてなのだから上手くいくとは思っていない。恥をかくほどの面子もないと割り切りやってみる。


(ふーん?なかなか思い切りはいいじゃねえか。多少のセンスも感じられるが、それよりもちゃんと敵を想定してるのがいい。それなりにはなるかもなあ)


 オメガオはそう評価した。オメガオは柳水流でもトップレベルの実力者だった。戦闘に関するセンスは抜群にあり、世界各地を転々としながら実践も積んでいる猛者だった。今も定住などしておらず、たまたま地元に立ち寄ったこの道場に客として世話になっていた。そのオメガオがそれだけの評価をする事は異例であった。端的にいって有望である。


「まあまあだな。次は嬢ちゃんの番だ」


「はい」


 なんの気負いもなくおもむろに剣を振る。そこに殺気は感じられないが、それでも剣筋には凄みが感じられた。なんとなくオーラを纏っているようにさえ見える。タイカは自分の動きは客観的にみれていないものの、それでも自分との差をはっきりと認識出来た。あるいは自分が年齢相応だったなら嫉妬に燃えたかもしれない。だが剣や魔法で成り上がるなんて事は魔力回路を持ってない時点で諦めている。だからだろうか素直に称賛の気持ちも湧いてくる。


「すごかったぞ!俺よりもずっとセンスがいい気がするぞ!」


「ありがとう御座います。兄様の型をみて色々と工夫する時間がとれたおかげです」


「そんなことない!なんかこう……!すごいオーラとか出てたしな!」


(……こっちはやべえな。あのちっこい体で大人用の木刀に振り負けてねえ。まだ教わってないだろうに身体強化が出来てやがるのか?稀にだが自然と出来る奴はいる。そういった天才の類かもなあ。たしか……竜王流を習ってるってえ兄弟もそんな天才だって話だったなあ)


「たしかに雰囲気はあったなあ。あと嬢ちゃんは自然と身体強化が出来てるみてえだな。でもガキの頃に多用してると体の成長が止まるからやめておけ」


「はい」


 当主のトウジはそれほどの傑物だとは聞いていなかった。だが息子達はかなりの才を持って生まれたようだ。これだけの才があるなら教えがいもある。しばらくは付き合うかと考えた。


「よーし。いいぞ。んじゃあ次は守りの型いくぞお!」


 それから夕方になるまでいくつもの型を覚えさせられ繰り返し体に覚えさせていった。剣を振るって思い通りの剣筋を出せた時の快感は何物にも得難く時間を忘れて練習をつづけた。


 訓練が終わるころには既に暗くなっていた。今日一日でアヤに才能の差をまざまざと見せつけられ若干気落ちしながら夜空を見上げた。少し見た目が異なるが月があり、天の川がはっきりと見える。同じような渦巻銀河の中にこの星はいるのだろう地球で見た夜空とあまり変わらない。そこにいくつもの光が流れていくのが見えた。最初は流星かと思ったがそれにしては遅すぎるし動きが生物っぽい気もした。


「どうしたのですか?」


「ああ、夜空を見てたらさ蛍みたいなのが空を飛んでたから気になって」


 アヤは夜空を見る。


「……蛍ですか?」


 蛍が分からなかったのか、あるいは見つけられなかったからかアヤは首をかしげていた。もう一度タイカが夜空を見たら既に飛んで行って見えなくなっていた。流星とまではいわないがかなり早かったので仕方ない。


 おそらく月模家の兄弟のなかで剣、符術、魔法など戦闘面において最も才能がないのはタイカだろう。本来は才能の因子のようなものはあったのだろうが、異世界転生するにあたりタイカの体に異世界からの魂が乗っ取る形で入り込んだ。その為、この世界に根差すあらゆるものに対して才能の因子が魂のレベルで欠けていた。


 それでもタイカには他の誰よりも強い思いがあった。生前の後悔から一際大きな、生きることに対する飢えだった。これほど夢中になって取り組む事が初めての経験だった。今のタイカには符術でも剣術でもなんでも楽しかった。ミスをしては原因を探って修正し、それでも上手くいかなければ夢にまで出てきて夜中に目を覚まして唸る。


 そんな生活をしてあっという間に八年が過ぎていった。

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