ノックスの十戒は破られた
「私の推理は、以上です」
御陵は言い終えて、ミルクティーに口を付けた。少し冷めてしまっているが、このくらいが丁度良い。
「お姉さんは、いつお戻りに?」
「来月の頭には帰ってきますよ」
「その時、お話を伺うことになりますが」
「どうぞ」
渋るそぶりがあるかと思いきや、斉木はあっさり許可を出した。出来るものならと言わんばかりだ。彼は姉を守るために療養という口実で海外に逃がしたのではないのか。
「療養させているのは事実です」
御陵の疑問を読み取ったかのように、斉木は言った。
「俺が返ってきたとき、姉はかなりのショックを受け呆然自失の状態でソファに座っていました。この環境に居続けるのは良くないと考えました。仕事で出来た知り合いが海外にいるので、その伝手で世話になることにしたんです。あの状態の姉を、一人にするわけにもいきませんでしたし」
「一緒に行こうとは思わなかったのですか?」
そもそも余計なことはせずに、遺体を山や海に処分して失踪という形にした方が疑われなくて済む。密室殺人など、疑って調べてくれと言っているようなものだ。そう御陵が尋ねると「そういうわけにはいかなかったんです」と斉木は答えた。
「俺の自己満足になるのですが、たとえどれほど嫌いな相手でも、きちんと弔いたかったんです。遺棄してしまえば発見されるまで弔うことができないでしょう」
姉から容疑の目を逸らし、かつ葛葉を弔うために、わざわざ密室殺人の形を作った、というわけか。御陵には理解できないが、彼のこだわりを否定するつもりもない。
「質問は、以上ですか?」
ミルクティーを飲み終えた斉木が尋ねた。密室の謎は解けた。死体の死亡時刻の謎も解けた。真犯人も特定できた。彼の姉が戻ってきてから、斉木にも改めて署まで来てもらい、取り調べを受けてもらうことになるが、それまでは特にない。逮捕も必要ない。死体と一緒に過ごし、平然とした顔で刑事を招き入れるような人間だ。初めから逃げるつもりなどなく、姉の療養が終わるのを待つ間の時間稼ぎをしたかっただけに違いない。
「はい。お時間いただきまして、ありがとうございます」
紅茶ごちそうさまでした、そう言って御陵は席を立った。斉木が彼女を玄関まで送る。
「あ、最後にもう一つだけ」
玄関のドアを開けたところで、御陵はピンと人差し指を立てた。
「どうしました?」
「すみません。一つ、気になっていたことがあったもので。伺ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ。遠慮なく」
「”いつ“準備したんですか?」
「と、いうと?」
「密室にしても、死亡時刻をずらすトリックにしても、です。おそらくですが、お姉さんの犯行は突発的なものだったはず。仮に殺害後すぐに連絡が入ったとして、あなたがご実家に戻られるまでに数時間。そこからお姉さんを海外に療養に行かせるための準備、飛行機の予約や海外にいらっしゃる知人への根回し、葛葉さんと入れ替える人材の確保、3Dプリンターで葛葉さんの仮面を作る準備、それこそデータのインプットなどです。たった二日、いや、実行日があるからほぼ一日で全ての準備を終えていた。よくぞ考え付いたものだと感心します。特に、一番のネックは密室トリックです。普通、壁紙は統一すると思うのですが、たまたま木目調になっていたからあのトリックは捜査員に気づかれなかった」
まあ、私は気づいたのだけれど、と心の中だけで御陵は自慢げに胸を張った。
「偶然リフォームで部屋を区切れるようにしていたからこそのトリックだったと思うのですが、これが無かったらどうするつもりだったんですか? また別のトリックを?」
御陵の質問に、斉木はしばし考え込んだ。今更悩むようなことがあっただろうかと御陵の方が訝しんだ。トリックの根幹になるような質問にすら平然と答えていた男が、何を口ごもることがあるだろうか。
「信じてもらえないかもしれないんですが」
斉木はどこかで聞いたセリフを言った。聞いたはずだ。何故なら、御陵自身がついさっき同じようなことを言っていたのだから。
「俺、超能力者なんです」
「何ですと?」
聞き間違いかと思い、もう一度尋ねても、返ってきたのは同じ答えだった。
「ふざけないでください。そんなもの信じられるわけないじゃないですか」
「おや、ご自身は霊感があると仰っていたのに?」
「あるわけないじゃないですか。あれは、私にとっての方便です。私は人の言動、癖から行動や心理を読み解く捜査をするのですが、それを理解できない相手に素早く言語化するのが面倒なので、霊感という超常現象の一言で済ませているにすぎません」
「でしょうね」
からかわれているのだろうか。真面目に答える気がないのなら、時間の無駄だ。御陵は踵を返そうとして。
「お父様によろしくお伝えください」
立ち止まった。
「何故、父に報告しなければならないんです?」
「何故って、直接頼まれたから来たのでしょう? あなたは本来警務課の人間だ。県警の刑事課にいたがあなたの優秀さを妬んだ同僚の嫌がらせを受け、それが面倒になって異動願を出し、一昨年から所轄である天舎署の警務課に異動した。事務仕事なら人の嫌な部分を見ずに済むからですね。けれど、あなたの高い検挙率を惜しんだ県警本部長、あなたのお父様に頼み込まれてここに来たはず」
「どうして、それを」
驚愕する御陵を無視して、斉木は憑りつかれたかのように喋り続ける。
「親の七光りと言われるのが嫌で、同僚にはお父様との関係を伏せているんですね。嫌がらせするような連中にこそ存分に、目が眩むほどの光量で七光りを浴びせてあげればよかったのに。まあ、今更言っても詮無き事ですし、あなたは今満足しているようですから、俺がとやかく言う筋合いはありません。八時から五時の規則正しい生活、安定した給与、殺伐とした空気とは無縁の職場、穏やかな生活。ですが、油断して緩んできたようですね。昨年の衣服がちょっときつくなってきたようで、お気に入りのデニムが入らなく」
「ちょ、オイ! それ以上言うと問答無用で逮捕するからなマジで!」
「っと、失礼。口が過ぎました」
斉木が今言ったことは、全て当たっている。特に父と自分の関係を、一般人である斉木が知るはずがない。
「本当に、超能力を?」
「読心、霊視、予知、過去視など、見えないものを見る力がある、ということになるんですかね。予知に関しては不安定で、今回の姉の殺人については見えていたものの、いつ発生するかまではわからなかった。見えた映像からこの家で起こることはわかったので、その為の下準備を少しずつしていました。これが、あなたの質問の答えになるかと思います」
「では、葛葉さんが嫌いだったのは」
「本心が丸見えだからです。外面を綺麗に繕っただけのクズでしたから。能力に関しては家族には話したことがあるのですが信じてもらえなかったので、俺がどれだけ義兄との結婚を反対しても、姉は聞き入れませんでした」
少し悲し気に斉木は笑う。未来が見えたとしても、姉が殺人を犯すという結末は変えられなかったということか。
「ん、ちょっと待って。ということは、斉木さん、あなたもしかして初めから私の嘘を」
「霊感云々の部分ですか? ええ。わかってましたよ」
御陵は体の体温が急上昇し、顔が赤くなっていくのを理解した。本物の能力者の前で、私は霊感があるとか信じてほしいとかなんとかかんとか。身悶えするほど恥ずかしくなってきた。
「何で言ってくれなかったんですか」
「言ってどうするんです。その霊感の話で切り込んでくるつもりだったんでしょう?」
「そりゃそうなんですが。じゃあ、何で話に乗ってきたんですか」
「興味があったので。今後、自分が使う時の参考にしようかと」
使うことはないでしょうが。と斉木は言った。
「俺は、特殊な能力とは思っていないんですけどね。手足を動かすのと同じように使える、自分の能力の一部に過ぎないのですから。ただ、他の人間が使っていないから使っていないだけです。人間は自分と違うものをすぐに排除しようとする生き物ですからね。この社会で生きていくには、面倒だけれども合わせる必要がある。よほどのことがなければ使うことなどなかったでしょう」
「そのよほどのことが、今回の事件だったんですね。そんなすごい力を犯罪に使うしかなかったなんて、残念です」
「そうでもないですよ」
「どういうことです」
「使ってみなければわからないこともあった、という事です。これまで目に見えないものは変えられないと思っていました。ですが今回、変えられるものもあった。大きな収穫です」
「殺人の未来は変えられなかったのではないのですか? 今ご自身が言っていたじゃないですか」
「そちらは残念ながら。ですが、心。正確には記憶の部分か。それを操れるということが判明しました」
「記憶を、操る?」
こいつは一体、何を言っているんだ。御陵はとっさに身構えた。底知れぬ恐怖を斉木から感じ取ったからだ。これでも柔道、剣道の段持ち。何人の凶悪犯を取り押さえてきたと思っている。
「まさか、私の記憶を消そうってこと?」
「いいえ。刑事さんの記憶は”もう“操りませんよ」
「もう?」
「っと、すみません。説明不足でした。あなたがここに来たのは二度目です」
ゾクッと御陵の背筋が凍る。二度目? どういうことだ?
「一度目では、あなたが猫舌でミルクを紅茶に入れて冷ますのを知らなくて、申し訳ない事をしました。なので次に来た時のために用意しておいたんです。ミルクと、それに合う茶葉を」
「私の記憶を操ったってこと? でも、それならどうして、私はもう一度ここに来たの?」
「あなたが言ったからです。一度目のあなたが、ですが。むきになってそこまで言うなら記憶を操ってみろと。そしたら信じるってね。なので、ここに来た時の記憶だけを消しました。お父様からの依頼はそのままなので、もう一度来たのでしょう。一度目の記憶が残っているからでしょうか。二度目のあなたは一度目よりも速いタイムでトリックを暴き、また、すんなり俺の言葉を信じている」
言われてみれば、驚きはしたものの、もう疑う気はさらさらない。斉木が超能力を持っていること前提で御陵は身構えている。
「お見事です。刑事さん。あなたは二度密室と死亡時刻のズレのトリックを解決して見せた。ですが、残念ながら葛葉殺人事件の真相を解明できない」
「なぜそんなことが言える。たとえあなたが全ての証拠を消したとしても、あなたのお姉さんさえ帰ってくれば」
自白が取れる、と言おうとした御陵を、斉木は自分の言葉をねじ込んで遮った。
「名推理を披露した刑事さんとは思えませんね。俺は、既に真相を解明できないようにした、というヒントを提示したつもりだったんですが」
真相を解明できないようにした。その言葉が意味するところは。
「あなた、まさか」
「お察しの通りです。犯行の全てを知る人間には、その記憶はありません」
思わず、斉木の胸倉を掴んでいた。二人は真正面からにらみ合う。
「申し訳なく思っています。本当に。罪を犯した者には罰と償いが必要だというのは理解しているつもりです。ですが、俺が到着したとき、姉の心は修復不可能なまでに壊れていました。心を癒すには、もう傷ごと取り除くしかなかったんです。傷跡は、時間が癒すでしょう。帰国する頃には、元気な姉に戻っています」
「そんな言い方、卑怯だ」
「わかっています。理解しています。だから、あなたに問います。戻ってきた姉に、あなたは真実を告げられますか?」
記憶のない人間に記憶のない出来事を告げても、まともな反応は帰ってこない。罪を贖うには、その罪の重さを理解させなければ意味がない。
仮に思い出したとしても。精神が崩壊するような出来事を、もう一度強いることになる。罪を暴くことで、人を殺すことになる。
「卑怯だ。卑怯だぞ。そんなの。私に、そんなこと、出来るわけ」
歯が欠けるほどに食いしばり、斉木の胸倉を締め上げる。斉木はわかっていたのだ。御陵が己の職務と人命の間で葛藤し、悩んだ挙句に必ず決断を下すことを。だから正直に全て話した。
「こうなることも、私がこれから下す決断も、全て、予知していたのですか。最初から、分かっていたのですか。だったら、私はあなたを許さない」
「許されようとは思いません。こんなことを平気で出来るあたり、やはり俺は、人間ではないのかもしれませんね」
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