トリック解明度90パーセント

 一階に降りてきた御陵と斉木は、再びテーブルの前で対峙する。二人の前にはアッサムティーが湯気を立てている。ミルクを入れて、かき混ぜて、白と赤が混ざりあい、少しくすんだ黄赤色に落ち着いた。紅茶の香りを吸い込んで味を楽しみ、ティーソーサーをテーブルに戻した御陵は、両手を合わせ拝むようなポーズを取った。合わせた指先の向こう側、斉木を視界に捉える。

「これから話すのは、あくまで私の推測です。ですが、事件の真相をほぼ解明できていると思っています」

「ほぼ解明できている確信があるのに予防線を張るのは、どこかわかっていない部分がある、という意味ですか?」

「仰る通りです」

 正直に告げると、斉木はわざとらしいほど目を大きく見開いた。

「意外です。刑事さん。あなたはそういう部分を上手く隠してくるものだとばかり思っていました」

「相手が普通の犯人で、これまでの私なら、おそらくそうしたでしょう」

「相手が私で、今のあなただと方法が違うと?」

「ええ。フェアではない、と感じました」

「フェア?」

「ええ。斉木さん。あなたはここまで、私の質問に全て正直に答えてきた。黙秘することも、嘘をつくことも出来たはず。ですが、自分の不利になるような話も全て正直に答えてきてくれた」

「だからあなたもフェアでいたい、ということですか」

 御陵は頷き「それに」と続けた。

「おそらく、あなたは私のまだ証拠の出ていない推理であっても正直に答える。仮に犯人であったとしても、偽ることなくね」

 また、斉木に嘘は通じない。御陵は同じく嘘を見破る人間として、確信めいたものあった。

「会ったばかりの人間に、妙な信頼を寄せるのはいかがなものかと思いますが。まあ、どうせ俺は嘘がへたくそなので、正直に答えるしかない。なので、あなたの俺に対する推測は間違っていません。あなたが俺を犯人かと問えば、俺は正直に答えますとも」

「助かります。では、本題に入りましょう。まずは、密室の解明から行います」

 一旦間を入れて、御陵は推理を披露する。

「殺害現場である物置の入口には鍵がかかっており、その鍵は葛葉さん自身が持っていた。入口の前には幅が五センチほどの油絵が置かれていて、こじ開けるときに引っかかって開けるのが難儀だった。窓はあるが十センチしか開かず、隣の斉木さんの部屋とドアで繋がってはいるものの、そのドアの前には本棚が置かれている。ドアを開けても、目の前にある本棚が邪魔で入ることはできない」

 しかし、と御陵は言った。

「本当は、密室などなかったんですね」

 斉木は動揺を見せることなくミルクティーを啜った。

「私たちは騙されていたんです。いや、勝手に騙されていたというべきか。物置部屋が密室だと自分たちが勝手に思い込んでいて、事件を勝手にややこしくしていただけなんです」

「物置部屋の鍵は確かに閉まっていた。他の出入り口の状況も、刑事さんが仰った通りです。密室ではないと断言する理由を伺っても?」

「富樫義博先生です。正確には、富樫先生の作品『HUNTER×HUNTER』が、最初から答えを提示していたんです。作中にある『試しの門』、それが、密室の答えです」

 御陵がドアノブを回した時、何かが外れる音がした。あれはドアと、そのドアを囲むようにある一回り大きなドアをつないでいたロックを外す音だった。

 木目調の壁は、大きなドアの中に小さなドアのある、防火扉と同じ作りのくぐり戸型になっているのだ。木目調だから、普通なら見えるドアの境目が見えなくなっていただけで、密室は最初から開かれていた。

「床に残った引きずった跡は、本棚ではなく、大きい方の扉を開いた時に付いたものです。だから、本棚とは違う方向に跡が付いた」

 気づいたのは『HUNTER×HUNTER』と、落ちた油絵だ。物置部屋にある釘に油絵がかかっていたとして、なぜ落ちたのか。絵の掛かっていた辺りが境目になっていて、大きなドアを開いた時に引っかかって落ちた。絵が釘に戻されなかった理由は、ドアは斉木の部屋から押して戻すことになるので、引っかかって戻せなかったか、戻したがドアを閉めた時に結局落ちてしまったかのどちらかだ。閉めてしまえば、斉木の部屋から絵の状態を確認することはできない。

 この推理を確認するための質問をした。リフォームをしたかどうかの問いに、斉木は『部屋を区切れるようにした』と答えた。区切れる、ということは、区切らないようにすることも可能、という意味に御陵は捉えた。リフォームで、部屋をパレットで区切る方法もある。斉木の答えに御陵は自分の推理が合っていると自信を持つことができた。

「あなたは普通に隣の部屋から物置部屋に入り、葛葉さんの手の中に鍵を入れ、そして普通に部屋に戻った。密室については以上ですが、どうですか?」

 斉木は一つ頷き「その通りです」と頷いた。

「ですが、あなた方が言う謎はまだ残っている。俺がそのトリックを使ったとして、義兄の死んだ時間の矛盾については?」

「もちろん、これから説明します。こちらの方が、あなたにとっては重要なトリックのはずですから」

「と、いいますと?」

「密室トリックこそ、私たちの目を欺くためのミスリード、というやつです。密室だから、殺害したのは同じ日にその場にいた斉木さん以外あり得ない。そう思い込ませることこそ、あなたの目的だった。あなた以外に犯人はいない。なのに逮捕できないのは密室の謎が残っているから。密室さえ解ければ逮捕できる。捜査員にそう印象付けることで、他の些細な問題に見向きもしないように仕向けること。例えば異臭の通報とか、室内のエアコンや温度とかです。密室が本当に隠したかったのは、死亡時刻でしょう」

 ヒントは本棚にあった『容疑者ⅹの献身』だ。この物語にもある、幾何学の問題に見せかけた、関数の問題。あれと同じだ。本件においては、密室トリックに見せかけた、死亡時刻の偽造トリックなのだ。

「葛葉さんが死んだのは二日以上前である。そう仮定することで、矛盾が氷解したんです」

「俺とあの人が飲んでいたのは事実ですよ」

「それ」

 御陵が斉木の顔を指差した。驚いた斉木がびくっとのけ反る。

「それも、ヒントです。叙述トリックのつもりですか?」

「おっと、ではこれも?」

「ええ。理解しました。あなたがバーで飲んでいたのは、葛葉さんではありません」

 なぜ、斉木が葛葉を呼ぶときにあの人、義兄と呼び分けていたのか。呼び分けていたのではなく、まったくの別人なのだ。

「あなたが言う『あの人』、仮にXとしましょう。あなたはXにある物を渡したはずです」

「ある物?」

「3Dプリンターで作った、葛葉さんの顔です。実際に人が被るので、通常よりも一回り大きくなったかもですが。ですが問題ないとあなたは踏んだ。顔を晒すのは薄暗いバーとタクシーの中。ドライブレコーダーの画面と写真で顔認証されても問題ない。なぜなら縮尺は違ってもそれぞれの比率、目や鼻の位置、骨格などで、コンピュータが比較する箇所は九十九パーセント一致する。プラモデルと同じだ。一分の一スケール、いや、二分の三スケールみたいなものです。全く同じ形なのですから。あなたは、変装してもらったXと一緒にこれからのこと、つまりこの計画の事で打ち合わせをした」

 よくよく会話を思い返せば、斉木は嘘はついていないが奇妙な話し方をしていた。嫌いな相手と飲むのか、という問いには嫌いな相手と飲んだら駄目なのかと返した。別に、自分が義兄と飲んだとは一言も話していない。油絵のところもそう。床に置いたのか、という問いにあなたは絵を置くのか、と疑問で返し、きちんと答えてはいない。他の会話に関しても全て同じだ。勝手にこちらが勘違いしただけで、全て一問一答で区切れば正直に話しているが、文脈は全くつながっていないことに気づく。

「あなたはXと酒を飲み、タクシーに乗り、Xを背負って家に帰った。その後、深夜変装を解いたXに外に出てから異臭がすると通報させた。これが一一九番通報の真相です。多くの野次馬を呼び寄せることで、Xの存在を薄めた。この中の誰かが通報者だろうと警察に思わせ、かつ、目撃証言をあやふやにするために。深夜に一人歩いていれば目立ちますが、何十人もいればそのうちの一人になり、特徴が失われます」

 言いながら、御陵は戦慄していた。このトリックは、人間が人間を疑わなければ成立しないのだ。疑うのが仕事である刑事を嵌めるためにあるようなトリックだった。なぜなら、結論として。

「つまり、あなたは犯人ではない」

 こういうことになる。

「俺が犯人でないなら、犯人は誰になるんでしょう」

「私たちは、あまりにあなたが怪しすぎて、最も重要な人物を調べることをおろそかにしていました。なぜならその人物は、葛葉さんが死んだとされる日には海外で療養生活を送っており完璧なアリバイがあるから。葛葉さんにもっとも殺意を抱く人物。それは日常的に暴力を振るわれ、洗脳による我慢も限界に来ていたであろう、あなたのお姉さんです」

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