マンガ好きのバイブル
階段を上がって四つの部屋が並んでいる。右から空き部屋、斉木の姉の部屋、斉木の部屋、現場である物置部屋となっている。
「広いお宅ですね」
正直な感想が御陵の口から洩れた。一つ一つの部屋が彼女が借りている1LDKマンションよりも広い。
「両親の遺産です。二人とももういませんが」
「それは、申し訳ありません。立ち入ったことを」
「お気になさらず。もう何年も前の話です。それに、立ち入ったことを聞くのがお仕事でしょう?」
すでに警察ではそのことを知っていたのだろう? という顔で斉木は御陵を見た。
「それは、確かにそうなのですが」
話しながら、斉木は自室のドアを開けた。
「どうぞ。お入りください」
彼の後に続いて、御陵はドアを潜る。いたって普通の部屋だ。本棚、ベッド、机、椅子がある他、斉木の趣味だろうか、釣り竿とリールが専用のスタンドに飾られている。
普通の部屋の中、異彩を放つのが四角い箱だ。透明なガラスが前面につけられ、スイッチが複数並んだパネルがある。
「これ、もしかして3Dプリンターですか?」
「ええ。そうです。釣りが趣味で、ルアーを自作したりするのに使っています」
少し珍しいが、それだけだ。気を取られている場合ではない。
「隣の物置部屋とつながっているのは、このドアですね?」
御陵が木目調の壁の真ん中にあるドアの前に立つ。想像していたよりも小さいドアだ。身長が百六十センチの御陵が少し屈まなければならない。大体百五十センチほどだろうか。ドアノブはよくある握り玉式やレバー式ではなく、円の中につまみがあり、それを引っ張り出して回す、防火扉などで使われるようなケースハンドルと呼ばれるタイプだ。
ドアの下のフローリングに、わずかながら引きずった跡がある。すぐそばには漫画がたくさん並んだ本棚があった。調書にはドアの前には本棚が置いてあり、消防隊員が移動させたとあった。だが、引きずった跡は本棚とは別の方向だ。消防隊員がドアを開ける際に動かした後、斉木が本棚を今ある場所に動かしたのだろうか。本棚には男性コミックが多い。『幽遊白書』『レベルE』『HUNTER×HUNTER』。
「富樫義博先生が好きなんですか?」
疑問に思って斉木に尋ねた。
「漫画を読む人間で富樫先生を嫌いな人はいません」
断言した。御陵も異論はないので「ですよね」と追従し、自分の仕事に戻る。
「開けても?」
一応斉木に許可を取る。
「ええ。どうぞ」
彼が頷いたのを確認してからドアノブをつまむ。右に回すとカチャンとロックだろうか、金属的な何かが外れた音がして、ドアはあっさりと引けた。調書の通り、開けてすぐ木製のしっかりとした本棚が置かれており、わずかな隙間があるものの人が通るのは不可能だった。
御陵が鼻で匂いを嗅ぐ。腐敗臭は微かにするものの、正直気になるほどではない。
「匂います?」
斉木が嫌みにも聞こえるような尋ね方をしてきた。
「微かに匂いますが、そこまでは」
動揺などしていませんとばかりにさらっと答える。内心首を傾げながら。
腐敗臭は確かに強烈な匂いがする。だが、もし外まで漂うほどの異臭がしていたなら、この部屋からは数日たった今でも耐えがたいほどの悪臭が漂い、室内にしみついてしまうはずなのだ。特殊な清掃が入ったとしても、匂いが消えるまで専門業者が何度も訪問し確認する事がある。腐敗臭とはそれほどの悪臭なのだ。
「特殊清掃業者は、まだ入っていません。現場を保存したい、とかで、あなた方が封鎖してからは何も触っていません」
先手を打つように斉木が言った。特殊清掃が入っていないのに、匂いはさほど残っていない。
「変ですね。外に匂いが漏れるほどの異臭が、特殊清掃もなしで消えるはずがない。その程度の異臭であれば、外に漏れるほどとは考えにくい。矛盾してます」
「部屋の隅にある排気口から空気が漏れたのではないか、と消防隊員さんが話していました。室内ではエアコンと空気を循環させるためのサーキュレーターが稼働していたから、中の空気が流れやすくなっていたのでは、とのことです。反対に、出入り口や俺の部屋につながるドアは、気密性が高くて空気が漏れなかったため匂いに気づきにくかった。空気は逃げ場所を求めて排気口に勢いよく流れ込んだのではないか、それに近隣住民が気づいたのではないか、と」
「なるほど」
とはいえ、死亡推定時刻が二日以上という事に変わりはないが。斉木の部屋を出て、事件現場である物置部屋へ向かう。
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