つまり、犯人は……

 押上の部屋を出て、僕はふうと大きく息を吐いた。

「副部長サン」

 住吉の手が背中に優しく触れた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、って?」

「真相が、わかってしまったんでしょう? それが副部長サンにとって良くないことだったから、動揺してしまったのでは?」

「……気づいてたのか」

「途中で、表情が一瞬険しくなりましたし、動揺を隠そうと体が強張っていました。押上クンの話を聞いて、何かに気づいてしまったからですよね。それをあの場で言わなかったのは、おそらくですが」

 住吉に隠し事は出来ないな。観念した僕は、自分の仮説を彼女に話すことにした。ただ、ここでは誰かに聞かれるかもしれない。

「場所を移そう。僕の部屋でもいいか?」

 言ってしまってから、あれ、コレ不味くない? セクハラとか言われたりしない? と不安になった。部屋に若い女性を誘うって、下心ありありって思われないかな?

「わかりました。行きましょう」

 住吉は気にした様子もなく、さっさと僕の部屋の前に立った。意識していた僕が馬鹿みたいだ。それとも僕が意識し過ぎなのだろうか? 昨今の男女関係って想像以上に合理的でドライなのか? どこか釈然としないものを抱えつつ、僕は自分の部屋のドアを開けた。


「結論から話すよ、と言っても僕の推測ではあるんだけど」

「保険は、やっぱり掛けるんですね。私以外に話す機会もないでしょうに」

 住吉が苦笑した。こればっかりは仕方ない。これが僕だ。そういう生き物なんだ。

「そこはわかってくれよ。自分の推理をさも正解と言わんばかりにひけらかしたあげく全く違ったら恥ずかしいじゃないか。個人の見解ですよ、という杖をついておきたいんだよ精神衛生上」

「わかりました。では、教えてください。副部長サンの推測を」

 頷き、言葉を空気に乗せる。

「部長は、名目上は自殺だ」

 驚くでもなく住吉は聞いている。彼女もそう考えていたのだろうか。

「部長が自殺したのは、考えられるだけで四度の精神的苦痛を受けたからだ。まず一つ目は神保さんから。妹の作品を盗作したことで彼女から事実の公表を要求された。これにより彼が保ちたかった社会的地位、名声は一気に失われる。そして、小説家としての人生は断たれることになる」

「副部長サンも言っていましたよね。執筆が生きがいで、プライドだと」

「その通り。それを失うことは耐えがたい苦痛だったはずだ。自棄になった部長は、同時に計算した。さっきも話したけど自分の影響力が失われる前に童貞を捨てないと、とね」

「あの、それは本当でしょうか? 私は女なので、男にとってそれがどれほど大事かはわかりかねるので何とも言えないのですが」

「人によっては重要になってくるとしか言えないけどね。でも、この後に永田さんを襲おうとしていることから、自棄になっていたのは間違いない。どうせ人生終わったも同然なんだから、最後に良い思いをしようと考えた。けれど、ここで二つ目の精神的苦痛と肉体的ダメージを受けることになる」

「白河サンが助けに入って、警察に突き出すと脅し、また同時に突き飛ばされて気を失ったんですよね」

「ああ。彼女たちの話を事実として、まだ部長は生きていた、と仮定する。自室で意識を取り戻した部長が目にするのは、神保さんが沸かした火傷必至の風呂。見覚えのないワイン。そして」

 一度言葉を止める。僕が隠していた秘密。それを話さなければ自殺に至る道を説明できない。それでも、自分の罪を白状すると思った時、恐怖が体を支配した。だが、僕だけ黙っているのはフェアではない。永田、白河、神保、押上。彼らは正直に全てを話してくれた。僕が尋ねてくるときには話す覚悟を決めていた。

 ミステリーを書く上で注意したいのは、読者にフェアでなければならないということだ。作品の中にきちんと読者が推理できるよう犯人に繋がるヒントや伏線を設置しなければならない。それをしないで突然犯人がこれまでの話に繋がらない形で捕まったらミステリーにならない。

 僕はフェアでなければならない。話してくれた四人に対して、同時に、ここまで付き合ってくれた住吉に対して。

「どうしたんですか。副部長サン」

「君に、白状しなければならないことがある。明日、警察にも伝えるつもりだったことだ」

 真剣な僕の言葉に、住吉は居住まいを正した。

「僕は、この合宿で部長を殺す計画を立てていた。君がさっき立てた推測通り、動機は充分。そして密室トリックも考えていた。だが、僕が部長の部屋に忍び込んだ時、部長はすでに死んでいた。と、当時は思っていた」

「当時、ああ、もしかして、永田サンと白河サンが部長サンを部屋に運んで、偽装工作をした後に副部長サンが現れた、という事ですか?」

「まさにその通りだ。部長が死んでいると思った僕は混乱した。殺すはずの人間がすでに死んでいて、ミントの香りのする熱湯風呂でやけどによる計画殺人を目論んでいただろうに後頭部の傷から衝動的な犯行に及んだのはどうしてか。同時に、可哀そうにも思った。部長ではなく、殺した犯人の方ね。こんな奴のせいで人生を棒に振るなんてもったいないと自分の事は棚上げして。だから証拠を消したり、部長の部屋に入るなと注意したりもした」

「部長サンの寝起きが悪い話は、もしかして嘘だったんですか?」

「いや、事実だよ。完全な嘘を即興でつける程僕は器用じゃない。そして同時に、真犯人を捜そうとした。この合宿に参加した動機を訪ねたり、いろんな例を挙げながら買い出しを言い出したのは、皆の反応を見るためだったんだ」

「なるほど、頭をぶつけたエピソード、ワイン、ミントの入浴剤、今思い返せば全部この件に絡んでくるキーワードですね。では、白河サンの記憶を呼び戻そうとしたとき、やはり香りの方へと誘導したんですね?」

「君は本当に鋭くて、冷や冷やしたよ。そうだ。その時にミントの香りがしていれば神保の後、あの時点では彼女らの前にミントの熱湯を誰かが準備していたと判断できたからね。そうやって犯人を絞っていく予定だった。でも、部長の死因は火傷でも頭部外傷でもない。首吊りだ。そして、その首吊りに使われたロープこそ、僕が用意したものだった」

「まさか、犯人を庇うために、自分が疑われるように仕向けたという事ですか?」

「はは、格好よく受け取ってくれてありがとう。事実は、ただ忘れただけなんだ。本当に。でも、だからこそ驚いたよ。買い物から帰ってきたら、そのロープで首を吊っていたんだから」

 さて、話を戻そう。

「つまりだ。部長が気絶から復活した時、目にしたのは風呂とワインとロープなわけだ。ミステリーを書く部長はすぐ気づいたはず。自分に対して殺意を持っている人間が三人以上いると。風呂は言わずもがな神保さん。ワインは部屋で殺されたと見せかけたいから永田さん白河さんの偽装工作、そしてロープは、正体はわからなかっただろうけど、もしかしたら僕だと勘づいたかもしれないね。長年いいようにこき使ってきた僕に殺意を抱かれていると知った部長は、さて、どう思ったか」

 本人が死んでしまっている今、真実はもう確認できない。酷くショックを受けたかもしれないし、なんとも感じなかったかもしれない。

「昨夜は事実を公表しなければ社会的に殺すと脅され、自棄になったものの返り討ちに遭い警察に通報すると脅され、気が付けば殺意に囲まれている。発狂してもおかしくない状況だ。住吉さん。買い物行くときに僕が言ったことを覚えている?」

 彼女は少し考え、答えた。

「滅茶苦茶ナイーブで、小声で悪口を言われただけでも寝込む、でしたっ、け…」

 住吉の目が大きく開かれる。彼女も気づいた。本気にしていなかったのかな? だが本当に、僕たちのような人種は、言葉によって下手すりゃ死ぬメンタルをしている。

「最後の追いうちは、押上の呼びかけだ」

 昨日、なんかあったんすかね?

「何かあったに決まっている。だから女性陣の様子がおかしいんだ。部長にとって、リビングは地獄の入り口だっただろう。地獄の極卒たちが、手ぐすね引いて待っているんだ。部長を地獄に落とすために。逃げることもできない。神保さんはすでに告発の準備をしていると言っていたし、永田さん、白河さんは警察に通報したかもしれない。そして何より、物理的な死を連想させるロープが自分の前にある。終わったと思ってもおかしくない。未来は暗い。であるなら、輝いている今の状態で死にたいと願い、それを実行した」

 これが、僕の行きついた真相だ。

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