コンプレックス
「副部長サン犯人説は、一旦引っ込めます」
住吉は何故か楽しそうに、思いのほか簡単に自分の説を取り下げた。もしかしたら、本気で僕を疑っていたわけではなく、議論を交わすのが好きなのかもしれない。自分とは違う視点や思考を知ること、新たな発見や自分の考えがブラッシュアップされていくことに快感を得る人種はいる。彼女もそういった人種なのだろう。良いと思う。その議題が僕を犯人にする内容でなければ。
「では次は、不可解だった部長サンの行動についてです」
「うん。これについてだけど、先ほどの神保さんの話から、可能性の高い仮説は立てることが出来た」
なぜ永田を襲うような真似をしたのか。普段の部長の性格からは考えられない行動を後押ししたのは、その直前に会っていた神保のせいだったのだ。
「その仮説、というのは」
尋ねられれば、答えよう。
「その前に住吉さん。君は、あんまり漫画とか読まないんだっけか」
「そう、ですね。あまり読まない方だと思います」
「ちなみに最近読んだのはいつで、どんな漫画?」
「小学校の頃、友人のお兄さんが持っていた『ドリフターズ』です」
「……なんで?」
名作だけど。名作だけど小学生が読む奴じゃなくない?
「全然次の巻が出ないので、多分、そこで躓いたのではないかと」
次巻がなかなかでないのでも有名な作者さんだけど! こんなところで弊害が出とる! 頑張ってください! 僕も楽しみにしているんで!
「それで、漫画が今回の話にどうつながるんでしょうか?」
「うん。これは不良漫画でよくある話なんだけど、実は不良はすごくモテる」
「それは不良漫画では不良が主人公だから、では?」
「それもあるんだけどね。実は、それを裏付ける話で、前にテレビでこんなことがあったんだ」
それは、男性の魅力について特集したバラエティだった。女性を惹きつけるフェロモンが多いのはどういう職種の人に多いか、みたいな実験をしていて、その中でスタントマンなど、危険と隣り合わせの仕事をしている人に魅力を感じると答えた女性が多かった。
「危険と隣り合わせの人は女性を惹きつけるフェロモンが出る。不良がモテるのは喧嘩に明け暮れる危険な日々を過ごしているからだという話。で、何で惹きつけるのかと理由を考えれば、自分の命が尽きる前に子孫を残すためだ。つまり、性欲が高まる」
「フェロモンを多く出してメスを惹きつける、と動物でもよく言われてますよね」
頷き、続ける。
「そう。そして、部長は童貞だ」
僕もだが、そこは伏せる。
「部長が童貞なのが、どうしてここでかかってくるんですか?」
住吉の目がバカを見る目になっている。おいおい、ここから若い男性にとって重要な事を話すのにそんな目をしないでくれ。
「女性には共感を得られないかもしれないけど、二十代前後の男性にとって、童貞であるかないかは重要になってくる。もちろん、昨今の情勢から、そんなことは気にしない、どうでも良い、縁があった時がその時という人が増加していて、こういう考えが古い物、古い価値観になりつつあるのはわかっている。でもあえて言わせてもらう。男は童貞であることにコンプレックスを抱くものなんだ。一定数そういう価値観を持つ人間がいることは、まぎれもない事実なんだ」
「はあ」
「いや、ここ事件に関わってくる重要なとこだから。『何言ってんのこいつ』みたいに思わないでくれ。あ、もしかしてこういう話を女性にするのはパワハラに当たるのか?」
「よくわかりませんが、とりあえず私は気にしません」
どうでも良いから早く話してくれ、と目で訴えられたので続ける。
「いいかい。部長は今日まで次の本が出せないスランプに陥っていた。作家人生の危機的状況だ。そんな中、神保から作家人生どころか、社会的に抹殺されかねない脅迫を受けた。しかも、これから抱けると思っていた魅力的な女性から。頭はショックでも、部長の体は既にそういう気分というか、興奮状態、いつでもバッチこい状態だった。そこで、部長の頭と体はおかしな動きを見せる。お終いだと絶望した部長は、性欲が急上昇したんだ」
「何故?」
さっきとは切れ味の違う『何故』が来たけど気にしない。
「本能は神保のそれを命の危機と判断したんだ。明日には失われる人生。糾弾され、社会的地位は失われてしまう。そうなればもう、自分に誰も見向きもしない。もしかしたら捕まってしまうかもしれない。その前に、童貞を捨てよう。いや、捨てなければならない。もう今日以外チャンスはない。部長はそう考えたはずだ」
「だから、自分が社会的に死ぬ前に永田サンを襲った、ということですか?」
「その通りだ。いくつもの材料が不運にも重なってしまったが故の行為、と推察できる」
「……まあ、そうですね。普段しない行為をしたのは、精神的に追い詰められて自棄になったからだと考えられます」
渋々、僕の言ったことを良いように解釈して飲み込みました、といった感じで住吉は納得した。これで、部長の昨夜の不可解な行動について、僕たちなりの推察が出来たと思う。おそらく、さほど外れていない。残る謎は、死に至った経緯だ。最後に話を聞くことになる押上によって、欠けたピースは埋まるだろうか。
「ちなみに聞いても良いですか?」
「何かな?」
「副部長サンは童貞ですか?」
ふっ、と僕はニヒルな笑みを浮かべて言った。
「それはまだ、語るべき時じゃないんだ」
「語る時、来るんですか?」
殺傷能力の高い純粋無垢な疑問に笑みだけ返して、僕は押上の部屋のドアをノックした。
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