殺せる条件を揃えし者
「ねえ、住吉、さん」
「何でしょう?」
神保の部屋を出た僕たちは、廊下で言葉を交わす。
「何か、怒ってる?」
「何故?」
超クールなんだけど。『何故』という単語って、こんな切れ味鋭い物だったっけ?
「それよりも、今の神保サンの話ですが」
「うん。昨夜の全貌が見えてきたね」
話が変わったので便乗する。これ以上、追及しない方が僕の身のためだと本能が訴えていた。
「部長に先に会っていたのは神保さん。その頃はまだ自殺する様子はなかった。ミントの匂いを白河さんが嗅いでいたことから、神保さんとの口論の後に自殺した可能性は無しだね」
「はい。そして、白河サンが部長を部屋にそのまま置いていった事が事実だとすれば、部長サンを吊るしたのは白河サン、永田サンではないことになるから、彼女たちも犯人ではない。もちろん、全員が真実を語っている、という前提ですが」
「ああ。それに白河さん、永田さんのときも言ったが、死後硬直の時間がある。住吉さんも見た通り、僕たちが部長をロープから下ろした時、硬直はまだ始まっていなかった。彼女らが部長とあったのは昨夜だ。最低でも六時間は経っている。六時間も経てば通常の温度でなら全身に硬直が行き渡っている」
「そして、その後は誰も部長サンの部屋には入っていない。それは、副部長サンが止めたからでもあります」
「その通りだ。部長が死亡したと思われる時間、誰も部長の部屋に入っていない。僕たちは買い物に一緒に行っているし、それまではみんなと一緒にいた。買い物に行かなかった残ったメンバーも僕がそう伝えたから部長の部屋には入っていない。もし誰かが部長の部屋に向かっていたら、他の誰かが必ず覚えているはずだ」
そうなると、自然答えは決まってくる。誰も入っていないのだから、誰も殺せるわけがない。
自殺。その言葉が頭をよぎった。どれほど考えられなくても、ありえない可能性を削っていって、残ったのが真実だ。動機は、つまりは人の心だ。僕にもわからない、部長の心の一部が発露し、自殺に至った、そういう事なのだろうか。
「いえ、一人だけ、該当時間に部長の部屋に行けた人間はいます」
可能性の話ですが、と付け足して、住吉は言った。
「それは、一体?」
全く思いつかなかった僕に、彼女はゆっくりと人差し指を向けた。
「あなたです。副部長サン」
「……え」
頭の中が真っ白になった。なぜそうなる。
「お忘れですか? 私たちがなぜこの合宿に参加したのか、という話をしていた時。副部長サンは一度だけ、私たちの前からいなくなっています」
……あ、あーっ!
思い出した。女性陣にからかわれて、頭と呼吸を整えるために彼女らを残してリビングから出た時だ。
「私たちの中で唯一、殺害時刻に単独になりアリバイがないのは副部長サンだけです。殺害する動機も充分、この中では最も部長サンの信任厚いでしょうから油断させるのも容易で、何よりその頭の中には多くのトリックが詰め込まれている。これは、解くためだけでなく、使う事も可能なはず。密室トリックを作り出すのも、十秒くらいで出来るのでは?」
滑らかに喋る彼女の言葉を聞きながら、僕は悩んでいた。よもや、自分が疑われることになるとは。しかも、上手い言い訳が全く思いつかない。そもそも殺害を計画していたのは事実だし、凶器であるロープは僕の持ち物だ。警察が調べれば購入している僕が映った防犯カメラ映像も見つかるだろう。
頭と背中を伝う汗が尋常じゃない量になっている。どうする、どうするよ僕。まさか、さっきの切れ味鋭い『何故?』などの、僕に対する住吉の塩対応の正体は、彼女が僕を犯人だと思っているからではないだろうか。神保から引き離したのも、彼女が僕に害される恐れがあると思ったから、と考えればつじつまが合う。悲しい事に、ラブコメ的要素は一切なかったのだ。
「いかがでしょうか、副部長サン」
「お、おう。ええとね。確かに可能性としては僕が最有力なのは間違いないよ。君の指摘通りだ」
肯定してどうする。いや、良いのか。下手に言い訳するよりも、相手の意見を受け入れる度量を見せつつ上手く追撃を躱す。犯人と思わせておいて実は犯人じゃなかった、容疑者から外れたら、もう一度容疑者と思われにくいという人間の安堵という油断を誘う。もちろん、僕は犯人じゃないことは僕が一番よく知っている。
「あの状況で実行可能な密室トリックも複数考え付いている。出来るか出来ないかと言われれば、理論上は可能だ」
「では」
「だが、残念ながら、僕は犯人ではない」
「聞かせてください。その根拠を」
無表情の彼女はどこか、この会話を楽しんでいるように感じる。すぐさま住吉は聴く体勢に入った。
「まず一つ、僕があの時部屋から出たのは、偶然の産物だからだ。もちろん、なぜ合宿に参加したのかと尋ねたのは僕だ。でも、僕が部屋を出た原因は女性陣からからかわれて恥ずかしくなった、というのが原因だ。流石に合宿参加理由からからかわれるような話題になるとは思いもよらなかったし、話を先導してもいない。話題を振った後盛り上がったのは君たちの会話の流れだ。偶然僕をからかうことが出来なければ、僕が出ていく理由が生まれない」
「そうでしょうか。出ていく口実など、いくらでも作れそうな気がしますが」
むう、流石住吉。僕も今自分で話していて無理があるなとは思っている。しかし、僕のターンは続くぞ。
「うん、確かに適当な理由をつけて部屋を出ることは可能だ。では尋ねるぞ。リビングから見てトイレや洗面所の場所はどこだ?」
「リビングを出て右です」
「では、各部屋に行くための階段は?」
「左です」
「そうだ。トイレに向かった僕が部長の部屋に行くためには、リビング前を通過しなければならない。僕が戻ってからもまだからかおうとしていた君たち全員は、僕の帰りを待っていた。トイレから帰ってくる僕を見逃すことはないだろう。一人ならまだしも、そこには五人いたんだ。必ず誰かの目が廊下に向けられていたはず」
「ええ、そうです。副部長サンが言ったように、皆帰りを今か今かと待っているようでした。見逃すことはないと思います。では、外から回って侵入したという線はいかがですか?」
「おいおい、それは君が否定しただろう? この雨の中窓から侵入したら、必ず窓が開いていた痕跡が残ると。でも、そんな跡はなかった。違うか?」
「違いません。エアコンで乾かした後もありませんでした」
「その通りだ。温度を上げて乾かそうものなら、エアコンの設定温度が変わっているし、死後硬直の時間も変わるだろうし、何よりワインや尿の跡も乾いていると考えられる。でも、そんな様子はなかった。あと、これはミステリー好きの人間あるあるであり、実際の根拠に使うにはちょっと理由としては弱いのだけど、あえて言わせてもらう。アリバイを作るならもっと巧妙に作るし、殺害を考えたならもっと時間や場所を選ぶ。アリバイで存在を印象付けるにしたって、これほど僕に注目が集まっていたら怪しい動きは取らないよ」
「なるほど、物理的に難しい理由と、心理的に難しい理由を持ち合わせているわけですね」
「ああ。僕が劇場型犯罪を目論んでいたら話は変わるけどね」
「目論んでないんですか?」
「目論むと思うかい? こちとら出来れば注目を集めたくない日陰の人間だぜ?」
書いた小説は注目を集めてほしいけどね。視線がしばしぶつかり合う。
「残念です」
ふう、と住吉がため息をついた。
「副部長サンが犯人なら、話は早く終わったのですが」
「それだと僕の人生も終わってしまうよ」
諦めたら全て終了だ。偉い先生も言っていた。
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