昨夜の欠けたピース
「以上が、昨夜の部長の部屋で起こったやり取り。あたしの動機。副部長が部屋に入った瞬間トリックを見破ったって言った瞬間『ミントの匂いから気づかれたのかな』って思った」
「ああ。まさにその通りだ。有名な作品のトリックだからね。ちょっと使い方が違うけど」
自分の面の皮がどんどん厚くなっていく。この皮は嘘で塗り固められていくものなんだと理解した。
「茜に教えてもらったのよ。日常生活の中にある物を使ったトリックのいくつかを。お風呂場のトリックもその一つ。あの子も、その作品からパクったのかな」
悲しそうに目を伏せる神保に言う。
「言っただろ。今から完全なオリジナル作品を作るのは難しいんだ。いや、影響を受けていない作品、と言った方が正しいか。皆、何かからインスパイアされて、自分の作品を創るんだ。パクリとインスパイアは違う。妹さんは、そこからヒントを得て自分なりの作品を創ったんだよ」
「もしかして、副部長も部長の、茜の小説を?」
「読んだよ。悔しいくらい面白かった。部長を売り出そうとする出版社の後押しがなくても、多分、賞に出せばかなり良い評価を貰えると思う」
「そう、やっぱり、あたしは茜にとって余計な事ばかりしているのね。何もしなくても、あの子の作品は世に出てたんだから」
「それは違う」
断言した。ここだけは断言するべきだ。
「あの作品、手元にまだあるならもう一度、妹さんの作品として読むと良い。ミステリーだけど、あの作品に登場する犯人役の妹と、彼女を庇う姉。どれほど姉が妹の事を思っているか、妹はそれをどれほど感謝しているか、そういう家族愛がこれでもかと描かれているから。溢れんばかりの感情が込められているから」
「それ、本当?」
「小説の事で僕は嘘をつかない。妹さんが神保さんのことを怒ったのは、余計な事をしないで、じゃなくて、ちゃんと読んでくれてない、っていう意味が大きいと思うよ。小説書く奴は総じて自己表現が苦手で、代わりに文章にするんだ。きちんと彼女の気持ちを受け止めてあげると良いよ」
俯いた神保が、目元を拭う。涙はもちろん見ていない。その方がきっといいと思うから、見ていないのだ。
「帰ったら、ちゃんと読むことにする。そして、もう一度茜と話すよ」
「それがいい。あと、もしよければだけど、大学入学したらうちのサークルに来て欲しい。今度こそ、良いサークルにしておく。妹さんが入学する頃には僕は卒業しているけど、OBで顔出すし、作品のブラッシュアップ協力するってね。部長よりも良い賞を獲りに行こうって」
「うん、必ず伝えるよ」
落ち着いたのか、神保の幾分表情が和らいだ。ここからは事件について、客観的な話ができそうだ。
「神保さん、改めて確認のために聞くよ。君が最後に会った時は、部長はまだ死んでいなかった、そうだね」
「ええ」
「部長ともみ合う事なんかはなかった?」
「その前に、部屋を出た。間違いない。後を追ってくることもなかった。我ながらかなりきつい言葉を浴びせたから、追ってくる気力もなかったと思う」
視線を住吉に向ける。彼女が頷き、代わりに質問する。
「ちなみに、時間は何時ごろとか、覚えてらっしゃいますか?」
「夜の十時か、十一時だったと思う」
「その後は、どうされましたか?」
「部屋に戻ったわ。それから一度も出ずに、寝ないで朝まで過ごした」
住吉の視線が僕に向けられる。再び僕が質問する。
「その間に、何か変わったことはなかった? 誰かが訪ねてきたとか、そうじゃなくても何か見たとか聞いたとか」
少し首を捻り「何か、かぁ」と唸る神保。
「ゆっくり思い出してほしい。この話によって、僕は君が犯人でないことを証明するので」
「……え?」
思いがけない言葉だったか、神保が驚いた表情で僕を見て、続いて住吉を見た。住吉が頷き返すと、神保はまた僕を見た。
「犯人、じゃない?」
「僕の推理が正しければね」
「本当なの? 本当に、私のせいじゃない?」
「ああ、それを確定させるためにも、質問に答えてほしいんだ」
「う、うん。わかった。私が部屋に戻ってから、よね」
目を瞑って考えることしばし。「気のせい、かもしれないんだけど」と神保が前置きした。
「何時かまでは覚えてないけど、外から晴子ちゃんの声が聞こえた気がした。何となくだけど、いつもと様子が違う、ような。気になったのは、そのくらいかな」
「なるほど。最後に、部長は君が脅すまでは、いつもと変わらない感じだったかな? 特に変わったこととかはなかった?」
「そう、ね。浮かれてたと言えば浮かれてたかな。興奮してた。まあ、部屋に入るまでは部長の話に乗って、優しい言葉をかけてあげてたからね。夜に女が部屋に尋ねてきたんだから、本人は多分、その気になってただろうし」
少しだけ部長に同情してしまった。こんな可愛い子が夜に一人で部屋に尋ねてきたら、勘違いもする。自分に気があると舞い上がっても仕方ないだろう。なのに箱を開ければシュレディンガーも驚きの内容なのだから、救われない。ざまあみろとも、少し思う。
「話してくれて、ありがとう」
「ううん。こっちこそありがとう。聞いてくれて。ちょっと気が楽になった、かな」
立ち上がり、部屋を出ようとした僕に、神保が手を差し出した。握手に応じ、手を握ると、グイと引っ張られた。体が前のめりになる。
「おっと」
柔らかく抱き留められた。こ、ここ、これは、この状況は!
「大丈夫?」
ワザとらしく言う神保の顔が、ほんの数センチ先にある。俗にいうキスできる距離だ。つやつやの唇が近づき、え、近づくの? え? マジ?
脳内が加速度的に回転しているのでスローに見える。神保の唇は僕からゆっくりと逸れて耳元に添えられる。
「今夜、部屋に行っても良い? もちろん、部長とは違う意味だよ」
「え、ちょ、え?」
熱くて甘い吐息が耳にかかる。頭が蕩けそうだ。何も考えられなくなって、頷いてしまいそうになった、瞬間。
「はい、もう行きましょう」
ぐいと強い力で肩を引かれ、体勢が整えられてしまった。
「あまり長居しては神保サンにご迷惑ですよ」
僕の肩を引いたのは、当然のことながら住吉だ。でも何で彼女が? ボケッと見つめていたら住吉も僕の方を見た。
「何か?」
「いえ、何でもないです」
多分普通に、何で見ているのかを聞いただけなんだろうけど、何だろう。妙にとげとげしいというか冷淡というか、気のせい、かな? 怖くて思わず即返事したんだけど。
「ざぁんねん」
小悪魔的に、いたずらっぽく神保が笑った。
「副部長。さっきの話はやっぱ無しで」
無し、かぁ……。
じゃね、と手を振る彼女に見送られながら、部屋を後にする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます