敵意も害意も悪意もあるが、殺意だけはなかった

「お、おいおい、神保君。どういうことだよ」

 風呂場から服装の乱れた部長が飛び出してきた。神保はそれを冷めた目で見つめながら問い返す。

「どういうことって?」

「風呂の湯の事だよ。沸かしてくれたって言ってたけど、アレ、人が入れる温度じゃないぞ! もう少しで火傷するところだった!」

「大丈夫大丈夫。ミント入ってるから、スゥーッとして体感的には大丈夫だと思うし。それに、あんたは人じゃない。人でなしじゃない」

「ちょ、どういう」

「あんたが出した、二作目の本」

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、部長の前に立つ。風呂上がりにこの可愛いギャルとヤレると思い、いきりたっていた部長の下半身が、見る影もなくしおしおと縮み上がっていく。

「盗作、したんでしょう?」

 神保が突きつけると、部長は首筋に刃物でも当てられたかのように動けなくなった。

「何を、言っているんだ。それはネットのデマだ。あれは」

「あの本を出す前に、高校生が一人、あんたを訪ねているはずよ」

「何で、そのことを……もしかして、君は」

「ご明察。あの子はあたしの妹。だから、あの作品が丸パクリだってことは完璧にばれてるわ」

 部長は愕然とした表情で、一歩、二歩と後ろに下がった。それを、神保は許さない。一歩、二歩と彼を追い詰める。

「あたしは、あんたを許さない」

「俺をどうするつもりだ」

「決まってんじゃん。何であたしが嫌いな相手がいるような合宿に来たと思ってるの? その嫌いな相手をぶっ殺すためよ」

 部長の細い首に、神保の左手が絡みつく。右手にはナイフが握られている。左手で首根っこを押さえつけ、いつでも突き刺せる状態だ。

「ひ、や、止めて、お願い」

「自分の時だけ都合いいじゃない。茜の作品は殺しておいてさぁ!」

「許してくれ! 謝る、謝るから! 妹さんにもきちんと謝罪する!」

「はぁ? 舐めてんの? その程度で許されると本気で思ってるの? 茜はそのことがショックで、自殺未遂までしたのよ? 尊敬してたあんたに裏切られて、自分の作品が世に出るチャンスも奪われて!」

「そんな」

「そんな、じゃねえよ! 人踏みにじっておいて合宿? ここに来るまでの王様みたいな態度、何あれ。あんた何様のつもりだよ!」

「じゃあ、どうすればいい。どうすれば許してくれるんだ」

 情けない部長の顔を見て、神保の怒りがさらに増した。なんでこんな奴のせいで妹が苦しんでいるのか。苛立った彼女は部長の首を掴んでいた左腕を振り払った。ふらふらと部長が尻もちをつく。

「決めさせてあげるわ。一、盗作騒動の顛末を公表して謝罪。出版社を通した、公式の奴を」

「で、出来るわけない。俺の一存でそんなこと。ようやく収まった騒動にまた油を注いで火を起こすことになる。出版社が許可するわけがないだろう!」

「できないなら、あたしが出版社に行ってあげる。茜のデータを持って。保存履歴があるから、どっちの方が先に作られていたかわかってもらえると思う。いいえ、わかってもらえるまでどんな方法でも取るわ」

「やめてくれ、そんなことをしたら」

「自分の地位が失われるのが、そんなに怖い? そうね、あたしがそんな真似したら、出版社の人は面倒の種であるあんたを簡単に切るかもね。どう? ちやほやされていたのが一転、厄介者扱いされる気分は。その調子じゃ、二度と小説家でいられなくなるかもね。一度ついたレッテル、はがすのは大変でしょうよ」

「嫌だ、そんなの、本を書けなくなるなんて、俺に死ねって言うのか」

「そこで、選択肢二つめよ。本当に死ねばいいのよ」

 絶望に満ちた顔で、部長が神保を見上げた。

「今沸かしてあげた風呂に、ゆっくり浸かればいいわ。それでチャラにしてあげる」

「無理言うな! 死んじまう!」

「だから選んで。社会的な死か、肉体的な死か。あたしはどっちでも構わないわ」

 神保は踵を返し、部屋から出ていこうとする。そんな彼女を見送っていた部長は、灰皿が近くにあることに気づく。ゆっくりと移動し、それを手に取った。

「一つ言っておくけど」

 彼が動き出す前に、神保が釘を刺した。

「あたしを殺して口を封じるとか、無駄だからね。すでに盗作の証拠はまとめて、パソコンに入れてあるから。あたしが操作しなくても、時間が来ればそれが自動的に色んなところに送信される。そのあたしを殺したりなんかしたら、疑いは簡単にあんたにむいて、それこそ全ておしまいになるから。それでも良ければ、どうぞ」

 文字通り部長はその言葉のせいで釘付けになり、一歩も動けなくなった。その間にも、神保はドアに向かって歩いていく。

「制限時間は明日までよ。それまでにどうするか決めておいてね」

 チャオ、と扉は閉じられた。

 神保は、あの部長が自死を選ぶとは思わなかった。彼女が言った、出版社に押し掛けるという発言や証拠を送り付けるなどは全てブラフだ。ただ、彼を追い詰めたかった。どれほど妹が苦しい思いをしているか思い知らせてやりたかった。懲らしめてやりたかっただけだ。

 翌日、神保は早くにリビングに来た。あれから精神が高ぶって眠れなかったからだ。今更ながら、これで本当に良かったのかと自問自答の沼の中に落ちてしまった。いつもそうだ。感情のままに突っ走って、全て終わってから悩み、時に後悔する。それで自分の妹を傷つけているのに。

 部長が起きてくれば、全て問題ない。もう一度話し、妹に謝罪させて終わりにしようか。いや、やはり盗作は許せない。死ぬのは無しにしても、もっと責任は取らせるべきだ。とにもかくにも、部長が起きてきたら、そこで改めて償いの方法を提示しよう。

 だが、部長は一向に起きてくる気配がなかった。

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