犯人でないことの証明
永田の部屋を出た。ドアが閉められ、二人と隔絶されたとわかった瞬間膝から崩れた。
「き、緊張した」
「しっかりしてください。まだあと二人いるんですよ」
呆れた声が後頭部に降り注ぐ。
「何でそんな平然とした顔をしていられるんだい?」
「逆にどうしてそんなにヘロヘロになったのか教えてください」
僕と彼女はどうやら分かり合えない、平行線の間柄のようだ。
「とりあえずは、だ」
足を引きずりながら一旦部屋に戻る。永田たちから得た情報を整理するためだ。
「彼女たちは犯人ではない、と思う」
「そうですね。嘘をついているようには見えませんでしたし、嘘をつくならもっとマシな言い分が用意できたでしょう。わざわざ自分たちが殺した、と勘違いしている風を装う必要もありません」
「気づかれているのに気づいている、みたいなややこしい事態ではないわけだ」
「はい。断定するのはまだ早いとは思いますが、犯人である可能性は低いと考えられます」
それよりも、と住吉は言った。
「すごかったですね」
「すごかったって、何が?」
「白河サンに対してやった、記憶を遡る手法ですよ。副部長サンは、催眠療法みたいなことが出来るんですか?」
「いや、昔ドラマで見た方法を真似ただけで、本当にできるわけじゃないよ。たまたま上手くいっただけさ」
手放しでほめられると、ついつい自分で否定してしまう。目の前にいる彼女に注意されたばかりなのに。
「なるほど」
だからだろうか。痛いところを追及されるはめになったのは。
「ですが、質問の仕方が堂に入っていましたよ。話す手順というか、マニュアルもドラマの通りだったんですか?」
「いや、質問の中身は僕が」
「じゃあ、やっぱりすごいじゃないですか。視覚以外の感覚を思い出させるよう仕向けるなんて」
「そ、そう、かな?」
僕は、褒められて照れながら戸惑う顔を作れているだろうか。今更自分の失言に気づいても遅い。
「いや、すごいですよ。普通、記憶を思い出してと言われれば、自分が見た光景を思い出させるように持っていくものだと私は思っていました。ですから、視覚ではなく他の感覚にすぐシフトさせていた手際、流石としか言いようがありません。そのおかげで、白河サンは特徴的な香りを思い出したんですから。ええと、そう。ミント。ミントの香りですよ」
ミントを強調しながら住吉は微笑んでいる。だが、僕にはそれがこちらを追及している、凄腕の刑事の顔にしか見えない。具体的に言えば現場に自転車でやってきて額に手を当てながら「え~今回の犯人は重大なミスを犯しました」とか言って、相手の嘘を笑顔で論破するタイプだ。
彼女が言外に込めた意味は「ミントの香りを思い出すよう誘導しようとしたのではないか?」ということだろう。そうなると次はこうなる。
初めから、部長の部屋にミントの香りがしていたことを知っていたのではないか。
となれば、僕が部長の部屋に行っていたのではないか、という理屈につながる。何のために行ったのか。行っていたのなら、いつ行ったのか。永田たちが仕掛けた前か、後か。
殺したのは、僕ではないのか。
この疑惑に彼女ならすぐ行きつくだろう。もちろん、僕が犯人でないことを僕自身が知っているが、犯人ではないという事を証明するのは犯人であると証明するよりも難しい。なんせロープは僕が持ち込んだもので、動機も充分だからだ。指紋だってそこら中にある。
「匂いに関して記憶を遡ってほしかったのは、前に面白い話を聞いたからだ」
早急に頭の中で組み立てた話をする。話せば話すほどぼろが出そうだが、話さなくてもすでにぼろぼろなのだ。破れ鍋に綴じ蓋精神で破れた部分を塞ぎにかかる。
「他の感覚と違い、嗅覚は記憶に直接作用する、という話を聞いたことがあるんだ。実際映画でもそういうワンシーンを見たことがあるから記憶にあってね。その映画では、昔嗅いだ匂いをもう一度嗅いだ時、その昔の光景や言葉、音などを思い出すシーンだった。だから、嗅覚から他の記憶に刺激を与えられないかな、と思ったわけだ」
実際思い出したのはその匂いだけだったけどね、とおどけて見せる。
「それで、臭いの方へと誘導したんですね」
「うん、そうなんだ」
うさん臭さ全開の返事だな、と人ごとのように自分を評する。
「しかし、彼女たちの話が事実だとすると、部長サンに対する認識を改めなければなりませんね」
意外にも、住吉は引き下がった。僕としては助かったのか、生殺し状態なのかよくわからない胃の痛む状況が続くわけだが、なぜだろう。もっとガンガン突っ込んでくると思ったのに。もしかしたら、彼女としても情報を集めている段階なのかもしれない。全て集めきったうえで、判断を下す、そういう事だろうか。ともあれ、時間を稼げるのは僕にとっても助かるので、話に乗る。
「ああ、そうだね。僕も想定外だ。まさか、部長が永田さんを襲うなんて」
「副部長サンの話では、部長サンには襲う度胸などないという話でしたが」
「うん。強気なのは内輪だけの内弁慶で、僕と同じヘタレだ。頑張って虚勢を張って、ようやく調子のいい話を女性と出来るくらい、のはずなんだけど。本当は攻撃的な奴だったんだろうか」
そうなると、僕の見る目は節穴だったことになる。いずれ元の部長に戻るはずだと信じて一緒に活動してきたこの一年がただのストレスを積み重ねただけの日々だったわけだ。自分の見る目のなさに笑うしかなかった。
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