この瞬間だけはメンタリスト
「部長は倒れた時、このテーブルに頭をぶつけたんです」
この部分です、と永田が指さした。
「部長は、そのまま泡を吹いて動かなくなりました」
頭を抱えそうになるのを何とか堪え、僕は永田たちの話に耳を傾けていた。僕が部長を殺そうと部屋に向かう前に、そんなひと悶着があったとは。だが、これで謎がいくつか解けた。頭の傷は永田が突き飛ばした時に出来たもので、部長の部屋の机に血がついていなかったのは、犯行現場が違ったからだ。
「動かない部長サンを、それからどうしたんですか?」
住吉が代わりに尋ねてくれた。
「部長をこのままにしてはおけない、そう思った私は、部長を部屋に戻そうと思ったんです」
そして白河が語ったのは、ずいぶんと大胆な手口だった。
「中から移動すると、他の人の目に触れる。だから、外から部長を運びました」
カーテンを外し、部長の両脇に差し込んでゆっくりと階下にある部長の部屋の窓まで下ろす。カーテンを結びつけて部長を固定し、次に白河が部長の部屋に向かう。自分一人なら、どうとでも言い訳できると思ったらしい。年下だから食い物を持ってこい、みたいな指示をされたとしても不思議ではない、などだ。
「部長の部屋は幸い鍵が開いていて、簡単に入ることが出来ました。窓を開け、部長を部屋に抱え入れたら、優先輩に合図してカーテンの片側を外してもらいました。濡れた服を脱がして、他の服に着替えさせて、後、引っ張った時に外れたネックレスを元に戻したりとか、そういう争った形跡を消そうと躍起になってました」
今思えば、無駄な事ですよね、と白河は言った。
「ミステリーとかで、こんな状況よくあるじゃないですか。でもこういう時、正当防衛なんだから正直に話した方が良い、下手に隠ぺいするから罪に問われるのに、とかツッコんでたんですけど、いざ当人になると本当に焦って動転して、今考えても何でそんなことしてたのかわからないくらい無駄なことしてますよね」
自虐的に笑った。
「副部長が、全部わかっているって言って。それでも私を追求しなかったのは、私に時間をくれたからですよね。落ち着いて、きちんと自分で話せ、正当防衛だから、って」
警察には、正直に全部話します。そう言って目の前で手をつなぐ二人を、僕は微笑んでいた。勘違いしてくれて、良かった。事件も一件落着だ。安堵しきっていると、脇を突かれた。視線だけ向けると、住吉が何か言いたそうにこっちを半眼で見ていた。
あ、そうか。彼女が言いたいことがわかった。彼女たちは犯人じゃない。何故なら、彼女たちは部長が頭を打って死んだと思っているからだ。だが、僕たちが見た部長は、首を吊って死んでいた。死因が違うのだ。しかも昨日の夜に死んでいたら、僕たちが発見した頃は死後硬直のピークになる。全然一件落着じゃない。
笑顔のまま、住吉の方を振り向く。正直、ここからどうしたらいいのか皆目見当がつかない。住吉が小さくため息をついて、僕の代わりに話をする。
「白河サン」
住吉が話している間、笑顔を崩さないように頑張った。頼む住吉、僕の頭が整理されるまで時間を稼いでくれ。
「はい」
「部長を部屋に運んだ後、どうしたか教えてもらっていいですか?」
「後、と言われても、すぐに戻りました」
「特に何もせず?」
「はい。出来るだけ早く戻りたかったし、ここにはいたくなかったので。でも、どうしてそんなことを」
「実は、副部長サンはあなた方が犯人でないことを、確認に来たのです」
「私たちが」
「犯人じゃない?」
白河と永田が顔を見合わせる。
「ええ。部長サンが死んだのは、頭部の傷のせいではありません。部長サンを運んだ時、彼はまだ生きていた可能性の方が高い、と副部長サンは推測しているのです」
そうですよね、と住吉が僕に話を振った。二人の視線が僕に突き刺さる。そんなに目をかっぴろげたら落ちちゃうよと心配になるほどだ。
「じゃあ、あいつは、部長はどうして死んだんですか。いったい誰が」
詰め寄る白河を押し留める。僕は言った。一度は言ってみたかったセリフだが、本当に言うタイミングが来るとは思ってもみなかった。
「申し訳ないが、それはまだ語るべき時じゃないんだ」
何故なら再び迷宮に迷い込んだからね。でも、住吉の時間稼ぎのおかげで頭の中は何とか整理できたし、聞きたいことも生まれた。
「最後に聞いて良いかな?」
「ええ、どうぞ」
白河は上目遣いでこちらの言葉を待っている。
「部屋の様子を聞きたいんだ。何でもいい。気になったことがあれば教えて欲しい」
「気になったこと、って言われても。さっきも言った通り、すぐに戻ったし」
ばつが悪そうな顔で首を振る白河に「目を瞑って」と指示する。
「人間は、意外と記憶容量が大きい。見たもの、それこそ意識すらしていない視界の端の事も、意外と記憶としてインプットされている。けれど、出力の問題で上手くアウトプット出来ないんだ。これから、僕の声に耳を傾けて。ゆっくりと過去を遡っていこう」
「は、はあ。わかりました」
僕は時間を戻していく。
「君は今、部長の部屋から出ていこうとしているね。最後に証拠の隠ぺいなど、やり残しがないか不安になり部屋の中を見渡した。まずは何を見たかな。何が見える?」
「倒れている、部長です」
「そうだね。次に周辺に視線を向けたね」
「机に置いたワインがあります。優先輩の部屋にあったものです。それで、誰かと一緒にいて、その時に死んだと思わせようとしました」
ワインはその時にセットしたのか。
「指紋などの痕跡は消したわけだね。もうやり残しはないかな?」
「はい」
「そこで、君は何かに気づいたのではないかな?」
「何か?」
「そう、何か。視覚だけじゃない。嗅覚、聴覚、触覚、他の感覚から、何か違和感が脳に伝わった」
「そう、いえば」
白河は鼻をくんくんと動かした。
「匂い、何か匂いがしました。すごく爽やかな」
「匂い?」
「はい。スッとする匂い、歯磨き粉とかの匂い」
「もしかして、ミント、みたいな?」
「そう、それです。ミントの匂いがしました」
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