揺れる
何で鍵が掛かっているんだ? 僕は、わざと密室を作らなかったはずなのに。誰が閉めたんだ? 軽いパニックになった頭の中を気取られないよう、態度は自然を保つ。
「やっぱ開きませんね。どうしましょう? 出てくる気配もないですし」
ドアに耳を当てて押上が言う。
「マスターキーとかはないんですか?」
住吉が言った。
「マスターキーは、多分ここを貸し出してる管理人さんが持ってると思うけど」
ただ、管理人はここから離れた場所にいる。今から取りに行くのはさすがに危険だ。雨脚がさらに強くなってきている。
「ともかく、電話してみては。鍵が開かないことを報告して、相談すればいいのではないでしょうか?」
住吉の言う通りだった。
「わかった。連絡してみよう」
一階にある固定電話に登録されていた番号から、管理人室に電話した。すると、あっけなく解決方法を教えてもらった。ブレーカーのパネルの中に、予備の鍵があるとのこと。早速取りに行く。
ブレーカーは風呂場の脱衣所にあった。天井付近にあるので、椅子を持ってきて脚立代わりにする。かなり埃が積もっていて、ここ最近触られた形跡は見当たらない。下手にスイッチを押さないよう、注意して開く。舞い上がる埃に目と鼻と口をやられながら、目的の鍵を見つけ出す。
「お待たせ、鍵があったよ」
「ありがとうございます」
押上が礼を言い、住吉が頭を下げた。
「良いって。それより部長は」
わかり切ってはいるが、普通はそう言うだろうという事を尋ねる。演技はまだ続行中だ。幕はいつ下りるのやら。早く終わるようにと心の中で祈る。
「出てきません。物音ひとつしやしない。ああ、エアコンの動いてる音はしてましたけど」
「そうか」
だろうね、と言いそうになるのを飲み込む。押上が場所を開けてくれたので、代わりにドアの前に立ち、鍵穴に鍵を差し込む。ガチャリと鍵が開かれた。
「部長、悪いが入るぞ」
言いながらドアを押す。あっけなく開かれたドア。そして目に飛び込んできた光景に、僕たちは絶句する。
「嘘だろ、何で」
薄暗い室内。曇天を貫いて届く微かな日光が、影を作っている。影は、ゆらゆらと揺れていた。
洋館を支える梁から一本、細長いロープが垂れている。その先で、部長が揺れていた。足元には机と、倒れた椅子がある。二つ重ねて上ったようだ。椅子が倒れた時の衝撃のせいか、ワインボトルとグラスが倒れて割れている。
「何で、こんなことに」
再びこのセリフを言う事になるとは思わなかった。
悲鳴すら上げられず、僕たちは催眠術にかかったように身動きすらできず、左右に揺れる部長を見つめていた。
「副部長サン」
肩をゆすられ、はっと我に返る。真剣な表情の住吉がいた。
「部長サン、大丈夫、じゃないですよね、早くおろさないと」
流石住吉だ。この状況でも落ち着いて……
いや、違う。肩を掴む手が震えている。当たり前だ。普通こんなのを見たら誰だって叫びたくなるし泣きたくなるほど怖いし気を失ったっておかしくない。安心させるように彼女の手に手を重ねる。
「お、おう。そうだ、そうだな。押上君、手伝ってくれ!」
「は、はい!」
同じく固まったままの押上に指示を出す。頭がパニックになっている時は、こちらが脳の代わりに指示を出してやればいい。二人して台に乗り、押上がロープの結び目を、僕が部長の体を支えた。人かと思うほどの冷たさにぞっとする。
「ほどけました!」
言葉と同時、両腕にかかる負担が倍増した。机から落ちそうになるのを何とか堪え、部長の体を押上と一緒に下ろし、横たわらせる。押上も部長に触れた瞬間驚愕の表情を浮かべていた。
「部、長……?」
声をかけるが、返ってくることはない。震える手を何とか抑え込み、ポケットの中からスマートフォンを取り出す。
「押上君、住吉さんを連れて部屋を出ろ。現場保存だ」
「は、はい。わかりました」
押上が住吉の両肩を支えて、無理やり部長から背を背けさせる。そのままドアに向かって押し進む。その様子を見ながら、僕はちらちらと視線を巡らせる。
部長は、素人の僕から見ても間違いなく死んでいる。脈がないことや、体の冷たさもそうだが、舌がだらしなく口からこぼれ、見開かれた目は瞳孔が開ききり瞬きはない。真っ赤にうっ血している顔に反して、裸足の足先は恐ろしいほど白い。高級なパンツは失禁のせいかシミを作っている。アンモニアの匂いが薄いのは、僕の鼻炎のせいだけではなく、零れたワインのせいもある。何より、部長からは生きている者特有と言っていいのか、そういう気配が感じ取れない。これでドッキリなら、僕は部長に小説家ではなく俳優になるようアドバイスする。
次は室内の様子だ。鍵はかかっていた。この部屋の鍵は僕が入り口付近の鍵置き場に置いたきり動いた様子はない。ドアも、僕が見た頃と何も変わっていないように見える。
いや、そんなことは問題じゃない。一番の問題は、部長を吊り下げていたあのロープは、僕が忘れていったやつじゃないか。何が証拠を残して本当の証拠を消すだ。残し過ぎてミスを犯しているじゃないか。過去の自分をぶん殴ってやりたい。一転、第三者から見た場合の最有力候補に躍り出てしまった。本当に犯人を庇うために自分が怪しくなってどうする。
何で、こんなことに。
押上たちが部屋を出た後、僕も時間を空けずに部屋から出た。これ以上下手な動きは出来なかった。震える指で何とかスマートフォンを操作し、警察への連絡を終えた僕は、待ち構えていた押上たちに警察からの指示を伝える。
「とりあえず、そのまま何も触らず、現場を保存しておいてほしい、とのことだ」
「警察は、いつ頃来るんですか?」
押上が怯えた顔で尋ねてきた。じわじわと、事の重大さが身に染みてきた頃合いのようだ。住吉を支えていたはずが、今は住吉に寄りかかっているような状態になっている。
「警察は、すぐには来ない。台風のせいで土砂崩れが起こって復旧作業中だそうだ。どうしても一日はかかる」
絶望の見本みたいな顔で押上が項垂れた。よくよく聞けば、僕たちが通り過ぎたすぐ後に道が塞がったらしい。ある意味九死に一生の体験、ぞっとする話だ。
「副部長サン」
住吉が口を開いた。
「部長サンは」
「死んでる、と思う」
「あのままにしておいて良いんでしょうか」
「警察が、それ以上触るな、と」
「そう……ですか」
重苦しい空気が僕たちの間に立ち込める。
「どうして、自殺なんか……」
押上がポツリとこぼした。
「自殺……?」
殺人、じゃなく? 予想外の事を言われポカンとしている僕に、責めるような強い口調で押上は言った。
「だって、そうじゃないですか! 首吊りっつったら自殺でしょう? どうみても自殺だったじゃないですか! 部屋に鍵はかかってたし! 今まで誰も部長の部屋に入らなかったんだから!」
そうか、と冷静になる。昨日の、僕と同じ光景を見ていないなら、普通はそう考える。
「ちょっと、どうしたの?」
階段下から、神保が声をかけてきた。怒鳴り声がリビングまで聞こえたらしい。
「三人にも、事情を説明しないと」
僕がそう告げると、押上も住吉も頷いた。彼らを連れて、神保たちの元に戻った。
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