この世は全て舞台、であればよかったのに
買い物を終え、帰りの二十分は行きの二十分よりも比較的精神に負担のないものになった。ずぶ濡れになった姿を互いの姿を見て、同時にクシャミをして苦笑を漏らした後は、自然と会話が弾んだ。なぜこんな簡単なことが出来なかったのかと不思議に思うくらい、普通に話せたと思う。何か不思議な力が働いたのだろうか。
「それでは、部長サンの方はお願いしますね」
館に到着するなり住吉からそう切り出された瞬間、楽しかった空間は僕にとっては霧散し、残ったのは散った霧でも付着したのかと思うほどに汗でべとついた背中だった。不思議な力は、現実逃避の力だったらしい。ドアを閉じる音だけ残して住吉はさっさと荷物を館に運び込んでいく。泥の中を歩むような足取りで僕も後に続いた。
「お帰りなさい」
出迎えてくれた押上が、僕の持っていたナイロン袋を半分受け取ってくれた。
「で、どうでした副部長。住吉さんとのドライブは?」
ニヤニヤ顔で、馴れ馴れしく肩を組んできやがった。
「何か進展とかありました? 連絡先交換とかもうできました? 帰ってくるまで結構時間かかってましたけど、もしかして車中で一発」
いやん、マニアックぅ~と押上が照れる仕草をする。うんざりしながら答える。
「わかってるだろう僕にそんな度胸がないことくらい。むしろ初めての女子と二人きり状態で死ぬほど緊張して、事故らないことだけに集中してたっつの」
「なんすかそのヘタレた行動は。見損ないましたよ! 文系の根暗でも美女と付き合えるという奇跡を、彼女のいない俺たちに希望を見せてくださいよ!」
「何にキレてんだよ。そんなこと言うならお前、残った系統の違う美女三人の誰か一人とでも仲良くなれたか? 連絡先交換したか? 結構時間あったけど何かできたか?」
畳みかけるように言葉を叩きつけると、押上はへなへなと腰砕けになった。そんな彼の後頭部に天からの声を授ける。
「罪を犯したことのない者だけが罪人に石を投げていいように、モテたことのある奴だけが僕にヘタレと言いなさい」
「俺が、間違っていました」
わかればいい。
「という事は、特に何か変わったことはなかった、ってことだな」
「ん? ええ。そうですね。最初のピリピリした空気は薄らいだものの、妙な雰囲気はちょっとですけど漂ってきているし、相変わらず部長は起きてこないし」
「そうかぁ」
やっぱり起きてきてないかぁ。流石の部長も、ここまで長く眠ることはない。やはり、部長が死んだのは確実、ということなのか。これからの事を考えると気が重いし進まない。しかし、やるしかないんだよなぁ。
「副部長サン」
「おうっ」
うだうだ廊下で悩んでいるところへ住吉が突然現れた。
「何でずっと廊下をうろうろしているんですか」
「うお、ゴメン」
「荷物、リビングの机の上に置いておきました。後、女性用の物は私の方から皆に」
「あ、うん。ありがとう。助かる」
「いえ。では後は」
「部長だね。わかってる。これから起こしに行くよ」
「お願いします」
胃の中に石が詰められた気分というのはこういう感じか。そういえば昔、胃に熊のぬいぐるみが詰められた死体が出る警察映画を見たけど、あの時は小学生だったから正直かなりビビったなあ。軽いテンポの明るい刑事ものだったのに、突然シリアスをぶち込まれてギャップ差で泣きそうになった。
と、益体もない事を考えて現実逃避しても、現実は目の前に立ち塞がる。物理的なドアの前に立つ。背後には住吉がついてきていて、逃げられない。退路は断たれた。
ああ、やだなぁ。何が嫌って、これから演技をするわけだよチミィ。しかも可愛い女子の前でだよ。死んでるとわかっている相手に向かって「おい、そろそろ起きろよ」なんて何気ない自然な感じを崩さず言わなきゃならんのだよ。
意を決して、拳を作る。この一瞬で良い。舞台俳優の魂よ、僕に宿れ。軽く振りかぶり、下ろす。繰り返すこと二回。人差し指と中指の第二関節が固い音を奏でた。
「部長。そろそろ起きてきたらどうだ」
いけた、んじゃないか。かなり自然に。声もひっくり返らなかった。何もおかしなことはない。なかった、はずだ。後ろを振り返って彼女の様子を確認したい欲求に駆られたが、そんなことは出来ない。それこそ怪しまれる。時間を空けて、もう一度。さんはい。
「部長、まだ寝てるのか? 風呂でも入ってるのか? いい加減出て来いよ」
反応はない。当然だ。次は、強めにドアをノックする。
「おい、そろそろ起きろって。皆退屈してる。部長のお前がいなきゃ話が始まらないんだって」
心に吹きすさぶ虚しさの風が何をやっているんだと問いかけてくる。せめて表情や態度に現れないようにしながら僕はノックを続ける。異変に気付いた押上が一階のリビングから上がってくる。ここからが本番だ。
「どうかしたんですか?」
「いや、さっきから声をかけてるんだけど、部長が出てこないんだよ」
押上の質問に、困惑している風を装って答える。
「マジすか。まだ寝てるんですかね」
「流石に起きてると思うんだがな」
押上が僕の隣でドアを上から下まで眺める。
「ここは、あれじゃないですか。ミステリーの定番」
「定番、ああ、もしかして」
「ええ。ドアノブを回して開けてみる、ですよ。あれ? 開いてる、ってやつです」
押上がドアノブを回す。ああ、これで扉は開かれてしまうと観念し、目を瞑った。しかし。
「開かない」
「えっ」
「えっ、て何ですか。むしろ当然じゃないですか。部屋に鍵は掛けるものでしょう」
「ああ、すまん。つい。こういう時のセオリーは開くものっていうイメージが」
とっさに言い訳をする。「そうっすよね。普通開きますよね」と押上が笑いながら、ドアノブを二、三回回したり、押したりするが開かない。僕も試しに押してみたが、確かに鍵が掛かっていた。
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