緊急取調員

 冷蔵庫に向かい、気合を入れてドアを開ける。中にあるビール、は辞めて、微炭酸のジュースを手に取り、キャップを開けて一気に口の中に流し込む。炭酸の泡が口内を暴れまわり、吹き出しそうになるのを無理やり飲み込んで、手の甲で口元を拭う。

 小説とかフィクションなら、ビールでも飲んで、酒の力を借りてアドレナリンドバドバ垂れ流して玉砕覚悟で突っ込むんだろうが、親にいずれ分かると言われた酒の味はいまだにわからないので、二酸化炭素を含んでいる共通点で炭酸ジュースにした。さて、誰から行けばいいか、いや、せっかく揃っているし、二人きりとかどれだけ意気込もうと無理無理僕の神経が持たない。ならば全員集まっているこの場で話をすればいい。事件に関わること以外でも何でもいい。普段の話から、少しずつ情報を合わせてつなぐのだ。小説のネタを集めるのと同じだ。

「そういえば、聞きたかったんだけど」

 声が裏返らないように頑張って張る。押上を含めた五人が僕の方を向いた。

「皆は、どうしてこの合宿に?」

 誰、と特定せず、何気なく聞けたと思う。だが、反応はない。無反応は、下手な反応の数倍怖い。そういった感情をおくびにも出さず、全く気にしてませんよという顔でテーブルにつく。

「私は、その、部長に誘われて」

 白河がおずおず、といった様子で答えた。かなり警戒されている。僕の何気ない質問すら言葉を選ぶほどに。

「あたしは、洋館に興味があって」

 神保が続いた。一人が口火を切ったことで、次の人間の口が少し軽くなったらしい。

「こう見えて、ミステリーとかサスペンスとか好きなんだよね。人里離れた洋館とか、ちょい興味あったし。その流れだと、あたしも部長に誘われて、ってことになるのかな?」

 無理やり明るい声を出している、ようにも見える。僕と同じで、虚勢を張っている可能性がある。

「私はつきそい、みたいな?」

 答えたのは永田。

「晴子ちゃんに誘われて、時間も丁度あったし」

「そうそう、優先輩は私が誘ったんです。最近なんか疲れてるみたいに見えたから、リフレッシュできればと思って」

 永田の証言を白河が補足した。今初めて、彼女らのファーストネームを知った。車の中で自己紹介をしたはずだが、どれだけ僕が緊張していたかわかろうものだ。

「でもまさか、こんな」

「ホントよね。こんな台風に遭うなんて」

 こんな、何だ? 遠い目をした白河が続けて口を開こうとした。多分、事件に関わるようなことを。いきなり謎が解ける、と前のめりになるが、その前に永田がわざとらしいくらい大きな声で遮った。

「そう、そうですよね。近くに川とかあるって聞いてたから、遊びに行きたかったのに残念」

「こんな天気じゃあ、ねぇ?」

 困惑しながらも笑顔を交わす二人。やはり怪しい。しかし、作戦は間違ってない。彼女らは神経を張り詰めているが、張り詰めすぎて疲労がたまっている。疲労は油断の友達だ。少しでも疲れが脳を侵食すれば、油断が生じる。くじけるな。僕。

「でも、あたしは、台風とかちょっと好きかも」

 神保が言った。その場に流れた変な空気を拭い、つくろうような、それでいて自然な横槍だった。流石ギャルにして教育者を目指すだけある。空気を読むのが上手い。

「台風の近づく前の、なんていうか、ぞわぞわ感っていうか、何か来るぞ、何か来ちゃうぞみたいなやつ。瑞樹ちゃんそういうの、わかるっしょ?」

「え、私、ですか?」

 急に話を振られて、住吉がやや戸惑う。

「ま、まあ、低気圧が近づいてくるわけですから、気圧が乱高下して脳が危機を察知し、アドレナリンが分泌されるといわれてますから」

「だよね。興奮するよね!」

 かみ合っているようでかみ合っていない会話をしている。だが、僕にとっては助かる援護射撃だ。最も話しかけづらいのが住吉だった。互いの間に深い溝がある感じだ。誰かがその溝に事前に橋を架けてくれれば、あとは言葉の物資を輸出するだけだ。

「確かに、台風の前とかってちょっと興奮するよね」

 自分も話に乗る感じで、橋に一歩踏み出せた。違和感ないはずだ。どこもおかしいことはない。そうだよね! と神保が次に話をかぶせてくれる。助かった。これで誰も反応しなければ僕は立ち直れないところだった。他の皆もあるある、わかる、うちの妹が、と話に乗ってくれる。ちょっと無理している気が誰からも感じられるが、そこは無視しよう。口を滑らかにするのが肝要だ。ひとしきり話したところで、本題、というか、最初の質問に戻る。

「あ、それで、住吉さんは、どういった経緯でこの合宿に?」

 何気ない風を装えたと思う。

「私、ですか?」

「うん。ミステリーにあまり興味なさそうな感じがするしね? ほら、一度も部室に来たことなかったでしょ?」

「それは、ええと」

 まずい、空気が淀み始める。

「あ、ゴメン。別に責めてるわけじゃないんだ。初心者大歓迎だし、この合宿を機にミステリー好きになってくれればうれしいなって。そもそもそういう目的で合宿してたし。創作する人は集中して創作できる環境を。初めての人には簡単にミステリーの門戸を開ける助けになればなとか思ってたから。全然構わないんだ」

 オタク特有の焦れば焦るほど早口になる癖を直したい。だが、すでに言葉は口からマシンガンのごとく発射された後だ。薬莢を拾ってもらえることを願うしかない。

「あ、いえ、確かに副部長サンが言う通り、私はミステリー作品を読んだことがありませんし、興味はないです」

「お、おう」

 改めてきっぱり言われると、ちょっと心に来るものがあるな。真っ向から自分が色々と賭けていたものを否定されているような気がしてしまう。

「ただ、人が四苦八苦するのは見ていて楽しいと思います」

 ……フィクションの話、だよな? リアルの話じゃないよな。もしリアルならなかなかの人格破綻者認定を授けなければならなくなるぞ?

「あ、すみません。私、昔から、言葉足らずとよく言われて」

「だ、だよねぇ? フィクションの事だよねぇ」

 あは、あっはっは、焦った……。

「私が興味あるのは、副部長サンです」

 しん、とリビングが静まり返った。え、言葉、少なすぎじゃない? その言い方だと、君が僕に興味があるという風に受け取ってしまうよ? オタクはそういう耐性が皆無なんだ。致死量の毒を盛られるようなものなんだ。言葉には気を付けてほしいんだが。

「え、ちょっと瑞樹ちゃんそれどういう意味なの、教えて詳しく!」

 神保が嬉しそうに食いついた。

「いや、詳しくも何も、そのままの意味なんですが」

 戸惑いながらも、別段照れることもなく、淡々と言葉を発する住吉。突如発生した恋バナワールドに女性陣が色めき立ち、男性陣ははじき出された。というか僕が照れくさくなって居づらくなった。

「しょ、少々お手洗いに……」

 一言断り、逃げるように洗面所に逃げた。後ろから副部長顔真っ赤ぁ~とはやし立てる声が追いかけてきて、純情なオタクの心をかき乱す。

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