犯人になれなかったから探偵をします

 ともかくも、このままここでじっとしているわけにはいかない。計画がとん挫した今、僕がやるべきは自分の証拠を消して部屋を出ることだ。

 死後硬直を使って密室を作る方法は取れない。僕以外の誰かがすでに部長が死んでいることを知っているからだ。そこから計画が破綻するかもしれない。

 そこで、いっそ密室にしない方法をとる。証拠を消すのではなく、多量に残す。ここに自分がいたという証拠を多く残し、よく出入りしていたと見せかける。疑われるが、そこに致命的な証拠はない。当然だ。僕が犯人ではないのだから。疑わしきは罰せずがこの国の法律だ。過去の有名な現金強奪事件を模倣する。

 ドアのカギは開けたままで、グラスを増やしワインを注ぐ。死亡時に誰かが一緒にいたように偽装する。窓のカギも開けておこう。この時、わざわざ割ったりしない。外部からの侵入を装うのにカギをこじ開けられたとするのはナンセンスだ。余計な証拠を残すことになる。カギのかけ忘れくらい、誰にでもあるのだから開けるだけで事足りる。特にタバコを吸う部長は、換気のために窓を開けることがある。ベランダもあるし、道具があれば、もしくは多少運動神経が高ければ外からの侵入は容易い。僕でも一度試して出来ることを確認できたから問題ない。ほら、案の定、僕が開けるまでもなく窓は開いたままで締め忘れている。

 しかも僕に有利な点は、最近の部長の行動については、彼の家族以上に知っているという点だ。僕が最近の彼はこういう行動をとっていましたと証言すれば、それが正しい意見となる。

 証拠を残し終えた僕は、最終確認としてワンルームの部屋の中を見て回る。ほかにできることはないか、逆に消すことはないか。

 洗面所を開いたとき、湯気が飛び出してきた。かなりの熱気だ。バスルームを覗くと、湯が張ってある。通常の風呂の温度じゃないのはすぐにわかった。かなりの高温だ。

 かすかに鼻が通った。年中鼻炎気味の僕の鼻が、だ。ミントを嗅いだ時のようなスッとする感覚。

 はっとして、部長のもとに引き返した。彼の死体をもう一度観察する。ポロシャツとジーンズばかりの洒落っ気のなかった男が、今ではブランドシャツにおしゃれなパンツ、首にはネックレス、指にはシルバーリングをごちゃごちゃつけていた。これじゃあキーボードは打ちにくいしペンも持てないだろう。

 ネックレスの両端を結ぶ、引き輪と呼ばれる部位に違和感を覚えた。引き輪は金具を指で押し込んだり引っ張ったりすることで円の一部が引かれて開く。そこにもう一端にある輪を通すことで結んでいる。

 部長は左利きだ。彼がネックレスを着けるとき、引き輪は左手で引くから左に位置する。しかしネックレスの引き輪は右に位置していた。別の誰かが一度外してつけたのだ。もしくは、外れていたのをつけた。今の僕のように、偽装したのだ。

「いや、何で?」

 推測しておいて、自分でもおかしいことに気づいた。毒殺なら、そんなことをする必要がない。何で、風呂で死んだように偽装したんだ? しかもこの場合の風呂での殺害方法は、溺死ではなく火傷、熱傷による循環血液量減少性ショックによる死を偽装したいはずだ。ミントがその理由だ。ミントには体がスッとして涼しくなるように感じる成分が含まれている。それを利用して、高温のお湯も体感では熱く感じないように脳を錯覚させ、相手に火傷を負わせる有名作品のトリックがある。それを真似たいはずだ。なのに毒殺なんて訳が分からない。偽装にならない。

 訳が分からないながらも、とりあえずノータッチで行くことにする。意味をなさない偽装だが、僕が仕掛けたわけじゃないので、警察などに疑われても僕に通じることはない。

 なぜか、この偽装をした真犯人に同情してしまった。こんな奴のためにわざわざ殺人なんて犯さなくてもよかったのに。賞は取ったものの、次の作品はあまり売れずに本屋からの返品が相次いでいるというし、大学生作家という肩書も留年しなければ今年で消える。三日天下の終わりが見えているのだ。殺さなくてもどうせ消える人間をわざわざ殺して、今後の一生を台無しにするなんて、僕が言うのもなんだがもったいない。

 どうにかして、外部犯の仕業に見えるようにしたくなった。うまく偽装できないか。とりあえず、僕でも気づいたネックレスの矛盾は修正しておく。可能な限り触れないようにしながら、部長の首に改めてネックレスを着けようとして気づく。後頭部に傷がある。

「また、謎が増えた……」

 あからさまな、もみ合って傷つきましたという傷だ。しかし、テーブルにも机にもそれらしい血痕はない。拭き取ったのか? 何で? ますます意味が分からない。

 考えられる例としたらもみ合って、誤って倒れて後頭部を強打、そのまま死亡か、まだ生きていたのを毒で殺害。

「いや、無理があるだろう」

 もみ合って殺したのなら衝動的な犯行だ。毒を用意しているとは思えない。そのまま、殴るしか利用価値のなさそうな意味不明の置物かガラス製の灰皿での殴打が相場だ。殴った後に毒を飲ませるなんて、有名な推理漫画でしかお目にかかったことがない。その漫画より優れているのは、毒の副作用で小さくならずに確実に殺したところぐらいだ。

 混乱してきた。この真犯人は何がしたかったんだ。本当に、訳が分からない。

 ひとまず、やれることはやった。残るは、犯人になれなかった男の、まさかの犯人捜しだ。

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