はたちあまり みっつめのかたり「朋彦の天の下の有識なるさま、タリョウゴ、いといみじと思ひけり」


「――へえ、その神様や精霊様まで相撲を取ってたなンて知りませンでした・・・。」

 朋彦の話を聞きながら、タリョウゴはきらきらとした目で朋彦を振り返った。

 再び山道を歩きながら色々と他愛の無い話をしている内に、何故かこの国「ヨモアシナラ」の相撲を司る神々や精霊の神話や伝説について話が飛び、朋彦が何気無く「知識の参照」をして色々と答えたところ、それにタリョウゴが食いついて来たのだった。

「――ええと、まあ、大分前に書物で読んだだけなんですけども・・・。」

 朋彦は目を逸らしながら曖昧な笑みを浮かべた。

 その場その場で行なった「知識の参照」で得た事をそのまま喋っているに過ぎないので、自分の身に付いた知識や教養ではなかった為、何となく居心地が悪い様な気持ちがあった。

「朋彦さん、謙遜しなくてもいいのに。」

 そんな朋彦の気も知ってか知らずか、朋彦の後ろで荷車を曳くナオヨシが呑気な声を掛けてきた。

「商売以外にも相撲の事とか、色々と物知りで、本当に凄い御家の生まれなンですね!」

 荷車を曳く足を思わず止めて朋彦を振り返るタリョウゴからの尊敬の眼差しに、朋彦はむず痒い様な思いをしてしまった。

 しかし――タリョウゴ、ちょろい!

 相撲の話を餌に好感度爆上げ出来るかも・・・という下心もまた朋彦の心の中に湧き上がっていた。

 書物の普及も、読み書きの教育制度の普及も充分ではないこの世界では、家に本が沢山ある事や読んだ事があるというそれだけで物心両面で豊かな家であるという評価になってしまい、タリョウゴの中での室地家はとてつもない豪商へと進化している様だった。

「他にも相撲の昔話の本とか、御実家には無かったですか!?」

「えーと・・・。そうだなあ・・・。ヒガシヨリタカナカ島の大昔の、えーと・・・相撲の神様三柱の三日三晩の大猿、大狸、大山犬との取り組みの・・・えーと・・・。」

 実際の取り組みだけでなく、相撲に関する事柄であれば分野を問わずタリョウゴは好きな様子だった。

 知らず勢い込んで朋彦へと尋ねて来るタリョウゴの様子を微笑ましくも思いながら、朋彦は「知識の参照」で引き出した記述を読み上げていった。

 そうした調子で山道を進んでいき、カミイシダ村まで残り三割程の距離になった所で日が少し傾き始めた。

「今夜はこの辺で休みましょう。」

 タリョウゴはそう言って足を止め、荷車を道の端へと停めた。

 旅慣れていない朋彦とナオヨシは、まだ充分に明るい時間帯なのに夜の準備をする事に首をかしげていたが、余計な事を口にしてタリョウゴに怪しまれてはいけないと、黙ってタリョウゴの指示に従った。

 ――人の住む集落等から離れた場所では、日が暮れて視界が悪くなる前に安全な寝床を確保する必要がある。夜の山道には化生や盗賊達の出没する恐れがあり、充分な対策をする必要がある。

「あー・・・そうなのか。」

 無意識に行なわれた「知識の参照」から引き出された山道での注意事項に、朋彦は思わず呟きを漏らした。

 朋彦の独り言は幸い誰にも聞かれなかった様で、朋彦とナオヨシはそのままタリョウゴに言われた通り山道の真ん中で立ち止まった。

「人が来た時に邪魔にならないかな?」

 荷車の持ち手から手を放しながら、ナオヨシが少し心配そうに辺りを見回した。 

「まあ、滅多に人も通らンし、多分、大丈夫でしょう。」

 昼間休憩した時の様な広い場所に行き当たったら良かったのだが、カミイシダ村に近い方の山道にはそうした場所は少ないとのタリョウゴの話だった。

「取り敢えず、座り易い様にちょっとだけ薮を刈りますか。」

 自分の荷車の荷物の中からタリョウゴは鉈を取り出すと、手近な薮を刈り払い始めた。

 この辺りは人通りも少なく、またそもそも山道の全てがきちんと整備されている訳ではなかった。

 この辺りの道も人が一人か二人やっと行き交う事が出来る程度の幅しか無く、朋彦達が足を止めたこの場所も道の際まで草木が一杯に生い茂っていたのだった。

「あ、オレ達鉈持ってない・・・!」

 作業を始めたタリョウゴの姿を見ながら、ナオヨシが申し訳無さそうに声を上げた。

「あー、いつもの刀でいいんじゃないか?」

 朋彦は懐の道具袋に片手を突っ込むと、いつもの刀を二振り取り出した。

 そう言えばナギシダ村から脱出して少しの間山の中で暮らした時にも、この刀で藪を切っていたっけ、と、朋彦は思い出していた。

「取り敢えず普通の刀の切れ味でいいか・・・。」

 ナオヨシの刀の鍔を見ると、シモアサダ村で化生と戦ってチヅコ達を助けた時の、一番切れ味の良い赤いボタンが押されたままだった。

 朋彦はタリョウゴに聞こえない様に小声で呟きながら、刀の鍔の青いボタンを押してナオヨシに手渡した。

「そうだね。流石に触れただけで何でも真っ二つは恐いよ~。」

 ナオヨシは無我夢中で化生に刃を突き立てた時の事を少しだけ思い出して眉を軽く顰めた。

 それから受け取った刀を抜くと、早速タリョウゴの手伝いに取り掛かった。

「タリョウゴ殿、どの辺りを刈ったらいいッスか~?」

 朋彦も自分の刀を抜き、タリョウゴの方へと声を掛けた。

「えーと、そうですね・・・。」

 振り返ったタリョウゴは、屈んでさくさくと草木を刈り払うナオヨシの姿と、片手で刀を構えた朋彦の姿を見て思わず驚きの声を上げた。

「え? 室地様、刀をそンな作業に使うなンて・・・。え? え? あン時の刀・・・ですよね?」

 刃毀れも無く一定の切れ味を維持してどんどんと刈られていく雑木の枝や雑草の様子を、タリョウゴは呆然と眺めるばかりだった。

「あー、いやその、この刀、凄く丈夫で――。ははは・・・。」

 朋彦は慌てて言い訳とも言えない様な言葉を取り繕った。

 化生をナオヨシが刀でやっつけたと聞いていたので、てっきり刀の性能もタリョウゴは目にしていたものだと朋彦は思い込んでいた。

 だからそう隠さなくてもいいだろうと――全く深く考えずに使ってしまったのだった。

 だが、タリョウゴの驚く様子から考えるに、タリョウゴは余りきちんと刀の能力は認識していない様だった。

 まあ、必死で化生と戦っている最中に刀の切れ味を一々気にする余裕はそうそう無いだろう。

 物語でよくある、俺達何かやっちまいましたか?――というものをやらかしてしまっただろうかと、朋彦は誤魔化す様に笑いながら、取り急ぎ手近な草木を刈り始めた。

 そんなこんなで――元々大掛かりな作業をする訳でもなかったので、すぐに朋彦達がゆっくりと座れる位の場所が出来上がった。

 朋彦とナオヨシが刀を鞘に納めて腰に差す様子を、タリョウゴは今一つ納得がいかなさそうに首をかしげて見ていたが、朋彦は深く追及されない様にと荷箱の間へと慌てて刀を押し込んだ。

「えーと、寝袋に、ランタンに、後、夕飯は・・・と。」

「そんなに慌てなくても~。」

 朋彦一人が何となく焦って荷箱の蓋を開ける様子をナオヨシが傍らで不思議そうに眺めていた。

「オレも手伝うよ。」

 ナオヨシが荷車に積んでいた荷箱から三人分の寝袋を取り出した。

 ナオヨシから受け取った寝袋を広げながら、タリョウゴは朋彦が手にしていた電気ランタンへと目を向けた。

「その舶来の提灯があるンで火を使わなくて便利でいいですよね。焚火よりも明るいし。」

 火が消えない様に一晩中注意したり、火事の心配をする必要が無いのが有難いと、タリョウゴは改めて感心していた。

 焚火よりも明るい――そう言えば、小さなお日様みたいだとタリョウゴが言っていた事を朋彦は思い出した。

 広げた寝袋の上に腰を下ろす朋彦の横で、ナオヨシもその事を思い出していた様だった。

「シモアサダ村の人達、一番最初はすっげぇびっくりしてたよね。」

 ナオヨシの呟きに、日が暮れて真っ暗になった村の往来を、この電気ランタンで照らしながら駐在所まで歩いた晩の事を朋彦も思い返していた。

「チヅコ達を助けに行った時も、そこら辺にほっぼり出してても火事にならずに照らしてくれて、化生と戦う時にも随分助かったですよ。」

 タリョウゴの方もチヅコ達を助けに行った夜の事を思い出し、今更ながら改めてチヅコとツルオを無事に助け出せた事に安堵していた。

「その提灯のお蔭で、ほンとに助かりました。」

「いや、ハハハハ・・・。そこまで褒められる様な品物でもないし~。いや参ったなー。」

 手放しで褒めるタリョウゴの言葉に、朋彦は照れ隠しに笑うしかなかった。



 照れ隠しに朋彦が強引に話題を変えた結果、再び相撲に関する神々や精霊の昔話、更には「ヨモアシナラ国」の昔の力師・力士達の伝記物語まで知識の参照から引っ張り出す事になってしまった。

「――と言う訳で、ヒロタロウは相撲の神ナラヤシチヒロヒコからオクウチの名字を賜り力師として 認められたのでありました・・・。」

 少し喉が嗄れてきた朋彦は一旦話を打ち切って竹筒の水筒に口を付けた。

 相撲に関する物語を話す程にタリョウゴが――ナオヨシもだが――本当に子供の様に目を輝かせて聞き入っているので、元々タリョウゴとお近付きになりたい下心を持つ朋彦は、際限無く調子に乗って語り続けてしまったのだった。

「凄い!室地様、本当に凄い知識量です! 俺、こンなに詳しく他の島の力師の話を聞いたの初めてです!」

 笑顔で朋彦の語りに拍手をして褒め称えるタリョウゴの様子は、先刻の電気ランタンの時の比ではなかった。

「あー・・・俺、またやっちまいましたかね・・・。」

 結局また凄く褒め称えられてしまい、照れ臭いというか何と言うか。

 冷たい水で喉を潤した朋彦は照れ笑いを浮かべた後、そっと溜息をついた。

 その横でナオヨシもタリョウゴと同様に満足気に微笑んでいた。

「いつものテレビのヤツを見るのもいいけど、朋彦さんの話を聞くのもすっげぇ良かった!」

「そっか・・・。ありがとな・・・。」

 朋彦の独演会で時間はあっという間に過ぎ、辺りはすっかり暮れて暗くなってしまっていた。

 タリョウゴが褒め称えていた電気ランタンのスイッチを入れて荷車の棒の上に引っ掛けると、朋彦達の周囲だけが強く白い光に照らされ夜の山の暗がりの中に浮かび上がった。

「夕飯の後は―、ええと、交代で夜の番・・・だっけ?」

 荷台に積んでいた荷箱の蓋を開けながら、ナオヨシは聞きかじりの旅の知識を思い出そうとしていた。

「えっ!?そうなの!? 徹夜?いや夜更かし・・・?」

 ナオヨシの言葉に、寝袋の上で座っていた朋彦は思わずナオヨシの方を見上げた。

「え・・・? 室地様、行商の旅で野宿はしないンですか・・・? あ、でも御実家から野宿は止められてる・・・? ンですかね・・・?」

 朋彦の旅慣れていなさそうな様子と発言に、タリョウゴは疑問の声を上げつつも一人合点で答えを出していた。

 とてつもなく立派な豪商と思われる御実家の息子であれば、危険な野宿をしない様に教育されているのであろう。きっとそうに違いない。

「俺は一人旅の時は、どうしても危険そうな場所で寝なきゃならン時は、大木の上に登ったり穴蔵に隠れたりして、半分寝て半分起きてみたいな感じで夜を明かす事もありますよ。」

「そ、そうですね・・・。実家の連中には、ちゃんと宿を取れって言われてててて。」

 少し不思議そうに首をかしげるタリョウゴに、朋彦は慌てて取り繕った。

 朋彦が居た元の世界と違い、この世界では盗賊や野生動物――そして化生に襲われる危険が少なくはなかったのだった。

 焚火の不寝番と言う様な夜間の対策を取る事は当然の事だった。

「あー・・・うん。宿だね。」

 とてつもなく安全で快適過ぎる「俺達の家」で毎晩寝泊まりしていた事をうっかり言ってしまうと、朋彦が折角ついた嘘が台無しになってしまう。

 朋彦とタリョウゴの遣り取りを横で聞いていたナオヨシは、うっかりと余計な事を言いそうになり慌てて口を噤んだ。

「暗くなったし腹も減ったし、メシにしようか。」

 朋彦はカセットコンロと鍋を二つずつ荷箱から取り出すと湯を沸かし始めた。

 一つはレトルトパックの湯煎用で、もう一つはフリーズドライの味噌汁に使う為のものだった。

「ハハ・・・。」

 一晩だけの道中とはいえ、近くに川や泉等の水源がある訳でもない山の中で。

 鍋二つとはいえ気軽に水を用意して湯を沸かす朋彦の様子にタリョウゴは、やはり豪商の息子

は少しこの辺りの村々と考え方がずれているのだなと苦笑するしかなかった。

「今日は炊き込みご飯と味噌汁なんだね~。」

 朋彦にレトルトパックを手渡す時に、色鮮やかに印刷されたパッケージがナオヨシの目を惹いた。

 パッケージの絵の中で、白い茶碗に盛り付けられた飯の中には茸や筍、人参等がたっぷりと混ぜ込まれていた。

「へぇ・・・。筍なンてこの時期には珍しいですね。それにそっちもこの辺りの山ではあンまり見掛けン茸だし。」

 横からタリョウゴが物珍しそうにレトルトパックの絵を見た。

 炊き込みご飯のレトルトパックは一人ずつ違う種類の炊き込みご飯になっており、「筍ご飯」「根菜の炊き込み飯」「三種類の茸の炊き込み飯」と、筆文字で大きくパッケージに書かれていた。

「ちょっと頑張って全部違う種類にしてみた。」

 何を頑張ったかは判らなかったが、朋彦はそう言って笑いながら湯の沸いた鍋へ投入した。

「後は味噌汁な。」

「はい。」

 朋彦の言葉にナオヨシがフリーズドライの味噌汁のパックを手渡した。

 味噌汁の方も朋彦の謎の頑張りによって三つ共違う種類のものだった。

 「ほうれん草と油揚げ」「わかめと豆腐」「長ネギと麩」とあった。

「もう少しで茹で上がるな。」

 鍋の様子を見ながら、朋彦はナオヨシに荷箱の蓋を簡易的な食卓にして、木の汁椀を並べる様に頼んだ。

 その様子にも、朋彦はやはり育ちの良い所の出身なのだとタリョウゴは思った。

 山中の旅の途中での食事等、適当な保存食を飲み食いして済ませる事が普通だったし、弁当を食べるにしても旅の途中では地面に直置きしても決して行儀が悪いと言われる程ではなかった。

「――という訳で、どれにする?」

 朋彦からの問い掛けに、タリョウゴは一瞬、自分に言われているのか判らず戸惑ってしまった。

「え?」

「あ、どれでも好きなの、タリョウゴさんから先に選んでって。」

 朋彦の横でナオヨシが、荷箱の蓋の仮食卓に並べられた炊き込みご飯のパックと味噌汁のパックを指差した。 

「え? あ、ああ・・・。」

 自分の家では次男であり何かと後回しにされる扱いが普通だったので、自分が先に何かを選ぶという事が余り無かった。 

 タリョウゴは戸惑いながらも朋彦とナオヨシに促され、茸の炊き込みご飯と、わかめと豆腐の味噌汁を選んだ。

 茸はこの辺りの山には余り生えていない種類で、また、わかめも山中の村での暮らしでは殆ど食べた事が無かったので選んだのだった。

 タリョウゴは意外と珍しい物に興味があったのだった。

「じゃあオレはこれ。」

 ナオヨシは筍ご飯に、長ネギと麩の味噌汁を手元に引き寄せた。

 パッケージを破ると醤油と出汁の染みた筍の香りがふんわりと立ち上った。

 その香りを嗅ぎながらナオヨシは汁椀にフリーズドライの味噌汁の中身を入れた。

「んん・・・?」

 ナオヨシや朋彦が炊き込みご飯や味噌汁のパッケージを破る様子を見たものの、全く初めての事なのでタリョウゴは上手く破れずに苦労していた。

 力加減が判らず中途半端に包装のプラスチックが伸びた様子を、朋彦は微笑ましく見ていた。

「やりますよ。」

 朋彦はそう言ってタリョウゴから包みを受け取ると、元々入っていた切れ目からゆっくりと破っていった。

「あ、有難うございます・・・。」

 申し訳無さそうにタリョウゴは軽く頭を下げた。

 全員の汁椀に湯も注ぎ終わり、朋彦が箸を配り終わった所で早速ナオヨシが食べ始めた。

「いただきまーす。」

 嬉しそうに美味そうに食べるナオヨシの様子を、朋彦もまた嬉しそうに眺めていた。

「朋彦さんと一緒だと色んな美味い物が食えていいよな~。」

 無邪気にそう言って笑い箸を進めるナオヨシに、朋彦は苦笑しながら自分の汁椀へと手を伸ばした。

「すっかり胃袋掴んじまったなぁ・・・。」

「・・・。」

 そんな二人の遣り取りを目にしながら、タリョウゴも無言で自分の分の汁碗を手に取り箸を伸ばした。

 味噌汁の鰹出汁の香りを含んだ湯気が柔らかにタリョウゴの鼻先に漂った。

 手元に置かれた炊き込み飯の容器からも、醤油の染みた様々な茸の香りが立ち上っていた。

 タリョウゴが味噌汁を啜っていると、汁碗の温もりが骨太な掌にじんわりと伝わって来た。

 味噌汁で潤った口の中に運ばれた茸と飯粒は美味そうな香りの通り、醤油の塩気と茸の旨味をタリョウゴの舌へと届けた。

「何か漬物とかあると良かったかな~。後、食後の甘味とか。」

「この~。贅沢を覚えおって。」

 ナオヨシの軽口に朋彦も笑いながら応えた。

 二人の様子を見ながら、知らず、タリョウゴも小さく笑みを浮かべていた。

 温かく――暖かい美味い夕食が、いつも何処か気を張ってしまっているタリョウゴの気持ちを少しだけ解していった様だった。

「――そういや、シモアサダでも品物、沢山売れたし――カミイシダ村ではええと・・・どうしようかな・・・。」

 カミイシダでは何を売ろうか、と呑気に言い掛けて、朋彦は慌てて取り繕った。

 ナギシダ村からここまで商品を仕入れられる様な場所も無く、売れてばかりの状態でそんな事を言えばタリョウゴに怪しまれてしまうだろう。

「そういや石木さンが、ツワミナトの商店みたいに品物が沢山あるって言ってましたね。」

 幸い朋彦の内心の慌てようにはタリョウゴは気付かなかった様で、呑気な様子でカミイシダ村での朋彦達の行商の様子を思い返していた。

「あ・・・でも、朋彦さん、カミイシダの相撲大会とか――お祭り見てみたいって言ってたし、今回はそんなに商売しないで色々見物しようよ。」

 食事を終えたナオヨシが箸を置き、朋彦に笑い掛けた。

「オレ、よその村の大きな祭りなんて初めてだからすっげぇ楽しみ!」

 村の娘達への夜這いを気にしなくていい余所者の立場での祭り見物――。ナオヨシは生まれて初めて気楽な気持ちで祭を楽しみに感じる事が出来ていたのだった。

「そうだな。残り物の、ええと・・・酒とか干物とかちょこっと売って、後は色々見て回ろうか。」

 朋彦はタリョウゴや石木に売った酒とか干物を思い出し、仕入れの事等について色々と辻褄合わせを考えるのも面倒だったので、ナオヨシの意見に賛成した。

 そもそも朋彦に真面目に商売をするつもりはさらさら無かった。

 村の青少年達のマワシ一丁でぶつかり合う相撲大会を堪能する事こそが、朋彦の今回の旅の大きな目的だった――。

 むらむらとまだ見ぬ相撲男子達への下心が朋彦の内に滾り始めた事も知らず、ナオヨシは食後の番茶を竹筒から直接飲むと、朋彦へと再び笑みを向けた。  

「ほんと、朋彦さんと一緒に旅に出られて良かった。」

「お、おう・・・。」

 無邪気なナオヨシの笑みに、朋彦は相撲大会への期待に渦巻く下心に少しだけ申し訳ない気持ちになった。

「・・・旅か・・・。」

 ナオヨシの朋彦への言葉にタリョウゴはふと呟きを漏らした。

「旅はいいな・・・。何処にでも行ける・・・。」

 その呟きに何処か羨ましそうな感情があった様な気がしてしまい、朋彦は不思議そうにタリョウゴを見た。

「タリョウゴ殿は、何か、あちこち旅に出てそうなイメージ・・・あ、いや、印象があるけど・・・。祭に必要な物の仕入れとかで旅をしたりとか?」

「あー・・・自分は決められた村しか回ってないですから。シモアサダとかニシヤマウチとか・・・。全然、旅という感じではないです。」

 何処か寂しそうでもある様な苦笑を浮かべ、タリョウゴは朋彦へと答えた。

「でも――ナオヨシさンや朋彦さンと一緒にあちこち行商の旅に出掛けるのも、何だか面白そうですね――って、あ!」

 ナオヨシの言葉につられていたのか、無意識に室地様ではなく朋彦さんと呼んでしまった事に気付き、タリョウゴは思わず焦った声を上げてしまった。

「も、も申し訳ありませン・・・!」

 平伏しかねない様な勢いで慌てて頭を下げるタリョウゴに、朋彦もナオヨシも慌てて頭を上げさせた。

「いやいやいやいや、そこまで慌てなくても!全く全然気にしてないし!」

 半ばタリョウゴの肩を押し上げる様にしながら朋彦は頭を横に振った。

「ほんとほんと。朋彦さん、そんなの全然気にしない人だし。」

 朋彦の横でおろおろしながらナオヨシもタリョウゴに声を掛けた。 

 カミイシダ村で数日過ごす中である程度は打ち解けてくれた様子ではあったが、礼儀正しく――何処か堅苦しく緊張した様子を朋彦はタリョウゴからずっと感じていた。 

 「知識の参照」の相撲の話や美味くて温かい夕食のお蔭で、タリョウゴもきっと随分と緊張が取れてリラックスして来たのだろうと朋彦は思った。

 それはタリョウゴとお近付きになりたいという朋彦達にとっては嬉しい事ではあった。

「折角だし、もうこれからはこのまま名前呼びで! 室地様だと堅苦しくていけないし!」

 朋彦がタリョウゴの肩を押さえたままへらへらと笑い掛けると、タリョウゴは太い眉を下げ困惑した表情のまま少し口を閉じた。

 そんなタリョウゴの様子に、朋彦の方も少し困った様にそっと溜息を吐いた。

「ええ・・・? もしかして名字持ちって結構偉い感じ? 無礼打ちオッケーな感じとか?」

「いやその、近年ではそこまでの狼藉は帝や精霊様達から禁じられて・・・。」

 思わず呟いた朋彦の言葉に、無礼打ちされるとでも思ったのか タリョウゴは一瞬肩を震わせながらも生真面目に答えてくれた。

 名字持ちの人間からの無礼打ち、あったのか・・・。朋彦はタリョウゴの言葉に冷や汗をかいた。

 その瞬間にも便利な「知識の参照」機能は、一瞬で朋彦にヨモアシナラ国での名字制度について回答を用意した。

 ――家族や親戚等といった、祖先からの血の繋がりや纏まりを表わすものとしての名字自体は辺境の農村や漁村の村長等にも存在しているが、彼等の名字が戸籍へ記載される事は無かった。

 平民が公で名字を名乗る事は禁じられていたのだった。

 ヨモアシナラの国では一定の身分を持つ役人や、貴族である公家、武力を司る武士階級等、緩くはあったがある程度の身分を持つ者達にのみ、支配者である帝が名字を賜るという形式で名字を公に名乗る事が原則として許されていた。

 他の場合では何か手柄を立てたりする等して、帝から表彰され褒美を賜る一環としての名字の下賜があった。

 ――ナギシダ村やシモアサダ村の人達からは、朋彦の実家はこの様なケースだろうと思われていたのだった。

 ――ヨモアシナラ国の名字制度について、古い時代にまで遡ると、帝はマジナイの力で国を支配していた為、帝は民への支配を行なう一環としてマジナイの力の込められた名字を賜る事でその人物の存在そのものを呪縛する・・・。

 いやいやいやいやいや。

 何やら歴史の暗部っぽい事柄まで頭の中に流し込まれそうになり、朋彦は慌てて頭を振り「知識の参照」を打ち切ろうとした。

 ――現代の帝はむしろ、国民の自由の尊重を標榜し、下賜する名字に込めるマジナイを減らしたり通称や私称の名字を公称化する動きを・・・。

「いやそれはもういいって。」

 「知識の参照」がだらだらと知識を流し込もうとするのを、朋彦は再び頭を振って無理矢理打ち切った。

「へ?」

 朋彦の突然の奇行にナオヨシもタリョウゴも驚いた様だった。

「あ、いや、ごめん。――ええと、とにかく、もう俺の事は名前で呼んで! そもそもそんなに偉い身分とかでも無いし。」

「ええ・・・。でも・・・。」

「でもとか無し!」

 朋彦の勢いに押し切られ、半ば無理矢理にタリョウゴは名前呼びを承諾させられたのだった。

「・・・ええと・・・。判りました・・・。」

 戸惑いながらも朋彦の言葉にタリョウゴは頷いた。

「敬語も使わなくていいけど・・・。」

「そこまでは・・・。そ、その内・・・その、頑張ります。」

 何処までも生真面目にタリョウゴは答え、軽く頭を下げた。

「じゃあ、まあ、改めて宜しく。」

 タリョウゴに倣い、朋彦とナオヨシも軽く頭を下げた。

 好みのガチムチ男子とお近付きになりたいという下心は勿論あったけれども――もう少しだけ仲良くなれればいいのにと朋彦は思いながら、まだ戸惑った表情を浮かべているタリョウゴの様子を眺めていた。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る