はたち あまりふたつめのかたり「朝になりて 村人達に見送らるるに サダロウの能書き垂るるを 朋彦スルーなり」
何度目かのものを吐き出し終え、朋彦に覆い被さったままのナオヨシの汗が朋彦の顔へと滴り落ちた。
目に入る前に手の甲で拭い取ると、朋彦はゆっくりとナオヨシの腕から抜け出した。
襖一枚すぐ向こうの土間でタリョウゴが何も知らずに居るとか何とか、最中に朋彦が余計な事を言って煽ったせいでナオヨシが変に盛り上がってしまい、結局精魂尽きて終わったのが二時間半後だった。
上半身を起こして離れる朋彦をまだ少し物足りない様子でナオヨシが眺めていたが、朋彦は苦笑しながらナオヨシの頭を撫でた。
何処がとは言わないが朋彦の後ろの大事な箇所が流石に擦り切れてしまい、痛くてこれ以上ナオヨシの物を入れるのはきつかった。
枕元に放置していた上着の中から道具袋を取り出すと、朋彦は蛙人形を引っ張り出した。
部屋に掛けた時間の流れをいじるマジナイの解除に、自分達の体や衣類、布団の浄化――蛙人形を握りながら朋彦は念じる内容を改めて思い浮かべた。
「あ、後ついでにケツと体力筋力の回復も――だな。」
ナオヨシをたっぷりと受け入れていた場所が流石に疼痛を持ち始め、朋彦は慌てて願い事の内容を追加した。
ナオヨシの方の体力の回復は――。
「ん? どうしたの?」
朋彦がナオヨシの方を向くと、ナオヨシは随分とすっきりした顔をして布団の上で胡坐をかいていた。
朋彦の物かナオヨシの物かは判らなかったが、ナオヨシの頬から耳にかけて小さな一塊の白濁した滴がこびり付いていた。
下手に体力を全て回復させるとまた再開に突入しそうな予感があったので、ナオヨシの方の回復は控える事にした。
後は、タリョウゴの方の洗浄を追加し、朋彦は蛙人形を握り締めてマジナイの発動を願った。
僅かな間を置いて蛙人形から不思議な光が放たれ、朋彦の願いは叶えられた。
「あ、何かさっぱりした気がする。」
汗や精だけでなく目に見えない汚れまで綺麗になった筈のナオヨシは、そう言うと立ち上がり着物を着始めた。
この様子だと、タリョウゴの方も問題無く浄化のマジナイは掛かっているだろう。ナオヨシ言うところのタリョウゴのヤラシイニオイに未練はあったものの、道中でそんな雄の臭いをぷんぷんさせられたのでは色々な意味でたまったものではなかった。
「着物も洗濯したばかりみたいだ。」
「ちゃんとマジナイが発動したみたいだな。」
ナオヨシの言葉にそう返しながら朋彦も自分の着物を着る事にした。
念じた通りに着物も褌も清潔になっており、乾いたさらさらとした肌触りになっていた。
「さ、朝飯にするか~。」
後ろの擦り切れた痛みもすっかり回復した朋彦は機嫌良く襖を開け、ナオヨシと共に土間の方へと足を向けた。
ナオヨシが朋彦を呼びに行って帰って来るまでに部屋の外では数分しか経っておらず、土間の机の前に座って火の番をしていたタリョウゴは二人の様子を怪しむ事は無かった。
「おはようございます。もう具合はいいンですか?」
カセットコンロからタリョウゴは顔を上げると、朋彦へと心配そうな表情で尋ねた。
「ああ、もうすっかり! 今日はカミイシダに出発だし、呑気に寝てらんねえッスよ!」
タリョウゴとカミイシダに旅立つ期待に上機嫌な様子で朋彦は軽口を返した。
「いや、でも、夜中まで具合悪かったし。室地様は明日出発にして、無理せず大事を取った方が・・・。」
心配そうな表情のままタリョウゴは朋彦を気遣った。
朝になって治ったばかりの病人を心配するごく当たり前の配慮ではあったが、今はそれも朋彦にとっては有難迷惑なところでもあった。
「いやいや大丈夫ですって! 売り物の万病に効くとっておきの秘薬をキメてすっかり元気溌剌ってなもんデスヨ!!」
タリョウゴに置いていかれてはたまらんと、朋彦は懐から夜中に飲んだ薬の空き瓶を取り出してタリョウゴへと見せつけ殊更に元気な声を張り上げた。
「そ・・・そンなもンですか・・・。」
絶対に付いて行くという朋彦の勢いと執念に少したじろぎながら、タリョウゴは一応は納得した様だった。
「あ、そろそろ朝飯、茹で終わったんじゃない?」
朋彦の後ろで呑気に成り行きを見守っていたナオヨシが火の点いたままのカセットコンロの方へ顔を向けた。
「ああ、そろそろだな。とにかく今日はずっと歩くからしっかり食っとかンと・・・。」
前に教わった通りにスイッチを捻って火を消すと、タリョウゴは器用に菜箸でレトルトパックを挟んで鍋から取り上げた。
「おー! 寝込んでる間ろくに食べてなかったからな―! 腹減った!」
まるで何日も絶食していたかの様な言い方をしながら朋彦は席に着いた。
「しょうがないなあ、朋彦さんは。」
そんな朋彦の様子に苦笑を浮かべながらも、ナオヨシは甲斐甲斐しく食事の用意を始めるのだった。
◆
食事と後片付けを済ませると、朋彦達はそれぞれ手分けして駐在所の窓や戸口の鍵やつっかえ棒がきちんと掛かっているか確かめていった。
「忘れ物は無いよな?」
道具袋と蛙人形さえあれば問題は無いが行商人を装っている手前、朋彦は一応それらしい注意掛けをナオヨシとタリョウゴに行なった。
「うん。大丈夫。」
先に裏口から外に出ていたナオヨシは、荷車に積んだ木箱を確かめながら答えた。
「村長様に鍵を返してくるから、お二人は表で待ってて下さい。」
巡回の警官が不在の間は、駐在所の鍵は村長が管理していた。
裏口の木戸に南京錠を掛け終わると、タリョウゴは朋彦とナオヨシにそう言って先に駐在所の表の方へと駆けていった。
「あ、タリョウゴさんの荷物、表に運んどくよ。」
「あ、有難う!」
タリョウゴの荷車を先に牽きながらナオヨシが駆けていくタリョウゴへと声を掛けた。
タリョウゴの背を見送りながら、朋彦も自分達の荷車を牽いてナオヨシの後に続いた。軽量化のマジナイを掛けている上に、そもそも積んでいる三つの荷箱の中は空だったので体力の無い朋彦でも荷車を牽くのに全く問題は無かった。
裏庭から駐在所の建物の横を回り込んで朋彦とナオヨシが表にやって来ると、村長と立ち話をしているタリョウゴの後ろ姿が目に入って来た。
「あれ、村長様・・・?」
朋彦が声を掛けるとタリョウゴと村長が朋彦へと顔を向けた。
村長の後ろには十数人程の村人達と子供達の姿があった。
「室地殿!!」
村長のすぐ横にチヅコとツルオも居り、チヅコの肩から飛び立ったサダロウが朋彦の頭の上へと下り立った。
「お体のお加減はもうよろしいので?」
タリョウゴから駐在所の鍵を受け取った村長が朋彦の方へとやって来た。
「はい。御蔭様で。煎じ薬がよく効きました。」
さり気無く頭上のサダロウを掴み取り、朋彦は村長へと頭を下げた。
「この度は並々ならぬご恩を被り誠に何と言ってお礼を述べたら良いのやら・・・。」
そんな朋彦に村長もまた頭を下げ返した。
村長のすぐ横でチヅコやツルオとその両親達もまた深々と頭を下げていた。
他にも何人かの村人達や、祠の広場で即席相撲大会をした時の子供達の姿もあった。
沢山の商品を安く売ってくれただけでなく、盗賊や化生からチヅコとツルオを助けてくれた大恩ある名字持ちの行商人様――と、朋彦とナオヨシはすっかり村の英雄扱いになってしまっていた。
「いえいえ、こちらこそお世話になりました。」
朋彦は村長や村人達に再び頭を下げると、手に握り締めていたままだったサダロウをチヅコの肩に止まらせた。
「ふ~。息が止まるかと思ったでござるよ。」
肩の上で軽く体を震わせ、サダロウがいつもの調子で囀った。
「えーっと・・・色々、ありがとうございました。」
「――ました。」
生意気な様子のサダロウとは違い、チヅコとツルオの姉弟はたどたどしい口調ながらも改めて朋彦と――何より実際に化生から自分達を助けてくれたナオヨシとタリョウゴに礼を言った。
小さく微笑みながら頷くタリョウゴの横で、ナオヨシは慌てて頭を下げた。
「い、いやっ、その、こちらこそ・・・。」
言葉少なく口ごもるナオヨシを村人達は微笑ましく眺めていた。
朋彦の後ろで小さくなって余り村人達とは交流は無かったものの、タリョウゴと二人で恐ろしい化生に立ち向かったナオヨシの心の優しさは村人達にしっかりと伝わっていた。
「ナオヨシ殿も室地殿の下で一層精進されよ。」
またサダロウが生意気な口を叩くのを朋彦は生温かい目で一瞥し、そろそろ出発しようと、ナオヨシとタリョウゴへ声を掛けようとした。
「拙者はまだシモアサダ村に預けられた身故、里帰りは叶わぬが。カミイシダ村に着いたら拙者の兄上に宜しくお伝え下され。」
半分聞き流していた朋彦はサダロウに兄弟が居る事に思わず振り返った。
「え、お前兄弟が居るの?」
朋彦の言葉に勢いを得たサダロウは、更にぴいぴいと囀り始めた。
「うむうむ。名をコクヨウマルと言い、カミイシダの神社を司る精霊イシダヒメ様の一の配下。その速い翼でもって大切な手紙を余所の精霊様に届ける重要な役処――。」
「――そろそろ行こうか。」
やはり半分以上聞き流しながら朋彦は傍らに立つナオヨシの肩を叩いた。
「あ、あの、よろしければこれをお持ち下さい。」
チヅコ達の母のカメヨが朋彦へと声を掛け、チヅコとツルオの背をそっと押した。
母に押されて朋彦達の前へと進み出たチヅコとツルオは、手にしていた小さな三つの布袋を朋彦へと渡した。
「この様な物しかお礼にお渡し出来る物が無いのですが、よろしければどうぞ・・・。アキノヒラガ草の干した物です。」
チヅコに代わりカメヨが袋の中を説明した。
「いいんですか? 大事な薬草なのに・・・。」
朋彦は布袋を手にしたまま申し訳無さそうにカメヨを見た。
礼を受け取るのは構わないのだが、シモアサダ村もナギシダ村よりはましとは言え貧しい村という事に変わりは無かった。
少量とはいえ貴重な現金収入の元になる物を貰うのには遠慮があった。
「子供を二回もお助け下さった事に比べれば、これでは足りません・・・。」
カメヨはそう言って朋彦の言葉に頭を横に振った。
「いえ、そんな・・・。」
遠慮しつつも、受け取らない方が失礼だし、カメヨ達の気持ちを考えて朋彦は有難く受け取る事にした。
手の平程も無い小さな布袋の中で干された薬草がかさかさと小さな音を立てた。
秋にとても小さな黄色い菊の様な花を咲かせるアキノヒラガ草の様子が、反射的に行なわれた知識の参照で一瞬浮かび上がって消え去った。
チヅコやツルオがキヨミ達盗賊に攫われたのはアキノヒラガ草を山で採っている最中だったと朋彦は改めて思い返した。
彼等や他の村の子供達も親の手伝いで山で採集に励み、加工を手伝い、こうして煎じ薬として出来上がっている事に――改めてしみじみとする気持ちが朋彦の胸に湧いた。
朋彦からタリョウゴとナオヨシにそれぞれ手渡し、それぞれの背負い箱や袋に仕舞うと今度こそ出発する事にした。
「それでは・・・。」
朋彦達が軽く頭を下げ歩き始めると、村長達が再び何度か頭を下げ、手を振って朋彦達を見送った。
「有難うございました! またいつでもおいで下さい!」
「はい! また来ます!」
タリョウゴはまた来年に来るのだろう。その時期に合わせて来てもいいなと思いつつ、朋彦は時々振り向きながら手を振り返した。
タリョウゴもナオヨシも同じ様に振り返って手を振っていた。
「今年は何か大変だったな・・・。」
自分の荷車を牽きながら、大変だったとは口にしながらもタリョウゴは何処か充実感を感じながら呟いた。
「いつもは買い出しと村の手伝いで特には事件も無いでしょうしね・・・。」
先導するタリョウゴのがっしりとした後ろ姿をこっそりと愛でながら、朋彦は相槌を打った。
普通ならばナオヨシの牽く荷車の後ろを朋彦が押さなければならないところだったが、軽量化のマジナイのかかった荷車がナオヨシにとっては軽過ぎて朋彦の補助は必要無かった。
その為にタリョウゴ、手ぶらの朋彦、ナオヨシの順に道を歩く様になっていた。
朋彦とタリョウゴの会話を聞きながら、ナオヨシは小さくなっていく村人達の姿をもう一度振り返り、そして荷台に積んだ自分の背負い箱を見た。
背負い箱の中に仕舞ったチヅコ達のくれたアキノヒラガ草――化生に攫われた時のチヅコとツルオの姿や、ナギシダ村の秋祭りの夜に山の中で小さくなって座り込んでいた自分自身の姿を思い出してしまうが。
けれども、どんな心の働きなのか。何故だか――もう、あの秋祭りの夜の冷え冷えとした寂しさや物悲しさはナオヨシの中では、薄れて遠ざかりつつあった。
化生に捕らわれて暗い山の中で震えるチヅコとツルオを、他の誰でもないナオヨシ自身が必死に刀を振るって助け出した事で――あの時の山の暗がりを遠くへと追いやっていたのだった。
嬉しそうな、少し誇らしそうな表情で前を向き直したナオヨシと、ふと振り返った朋彦の目が合った。
「まあ・・・ちょっと滞在しただけで色々あったけど、いい村だったな。」
朋彦の言葉にナオヨシも頷いた。
「うん。・・・それにね。・・・オレ、ちょっとだけ秋の山も好きになった・・・と思う。」
ナオヨシの心情の全てを流石に理解している訳ではなかったので、朋彦はナオヨシのその言葉に少し首をかしげたものの。
「へえ・・・? まあ、嫌じゃなくなったんなら良かった。」
ナオヨシの表情からは何の陰りも感じられず、朋彦はその様子に素直に喜んだ。
◆
そうしてシモアサダ村を出発し、朋彦達はひたすら山道を歩き続けた。
タリョウゴの話では山道とはいえカミイシダ村までは比較的平坦な道が続いており、傾斜のきつい坂道は少ないとの事だった。
「――まあ、割と歩き易いンで、そンなに疲れないと思います。」
「そうですか~。良かった。きつい山道じゃなくて。」
タリョウゴの説明に朋彦はほっと安心した様だった。
「でもまあ、どちらの村からも離れた辺りには、ほンと滅多に無いけど盗賊や化生が出るから油断は出来ないですけどね。」
「・・・・・・。」
しかし何の気なしにタリョウゴが付け足した説明に、朋彦もナオヨシも顔を青褪めさせて黙り込んだ。
基本的にはタリョウゴは一人で買い付けに近隣の村に出掛けているので、盗賊や化生と山の中で鉢合わせになって戦う事も今迄の経験の中で三回だけあったと、先頭で荷車を牽いているせいで朋彦とナオヨシの様子に気付かず呑気に笑いながら告げた。
そう言えばチヅコ達が化生に攫われた騒ぎの時にも、その様な話をしていたと朋彦とナオヨシは思い出した。
「一人だと折角買った荷物も、盗賊の仲間が二手に分かれて持って逃げたりして大変だったな・・・。」
「はぁ・・・。なかなか荒々しい経験デスネ・・・。」
タリョウゴの話に朋彦は背中に冷や汗を掻いてしまっていた。
優秀な能力のある刀や腕輪を持ってはいても、朋彦とナオヨシにとってタリョウゴの勇ましい話は縁遠いものの様に感じられた。
チヅコ達を助ける為に化生と戦ったナオヨシも、あんな体験はもう二度と味わいたくないと心底思っていた。
カミイシダ村までまだ全体の三分の二の距離を残し、ひとまず山道の途中の少し開けた場所で休憩を取る頃には正午を少し過ぎていた。
身軽であればもう少し道を進める事が出来ていたのだが、細い山道を小振りとはいえ荷車を牽いて移動するのは時間と体力を取られてしまうものだった。
山道を維持する為に適度に木々が刈り払われて人の行き来があるせいか、小さな広場には山の中には余り生えていない筈のススキ等の草もあちこちに勢い良く生えていた。
今はその姿を留めたまま秋の枯れた姿へと変わっていた。
朋彦達の背丈の半分程に生い茂っていたススキを手分けして軽く踏み均してから、腰を落ち着けて休憩する事にした。
「腹減ったなー。メシにしようぜ~。」
朋彦はタリョウゴに背を向けて、荷車の荷箱から荷物を取りだす体裁を取り繕っていつものレトルトパックのご飯と煮物を取り出した。
朋彦はついうっかりと大容量の水の入っているいつもの竹の水筒を懐の道具袋から取り出して湯煎の用意をしかけてしまったが、普通の旅人の道中は水も節約しなければならないという事を思い出し慌てて水筒を引っ込めた。
カセットコンロも水もあるのに食事を温める事は出来ず、冷えたまま食べる事に朋彦は内心少し不満はあったが、朋彦の能力を知らないタリョウゴが居るので仕方が無いと諦めた。
ビニールパックを破り野菜の煮物に箸を付けながら、朋彦は隣に座ったナオヨシに声を掛けた。
「次、荷車は俺が牽こうか? 疲れてないか?」
実際には積まれた荷物は空箱で、荷車全体の重さもマジナイのお蔭で百グラムも無いとは言え、二時間半もナニを致したすぐ後に山道を延々歩くナオヨシの疲労を心配していたのだったが。
「ん? 何で? 大丈夫だよ~。」
ご飯を美味そうに頬張りながら答えるナオヨシには、疲れた様子は殆ど無い様だった。
「そ、そっか・・・。」
ナオヨシの答えに朋彦は少し苦笑を浮かべた。
あの時体力を全部回復させていたらやはり、更にナニの延長戦があったに違い無かった。
「――まあでも、ずっと荷車牽かせるのも悪いって言うか・・・。」
朋彦も煮物を食べ続けながらナオヨシの方を見た。
しかしナオヨシは笑いながら、
「悪くなんかないよ。前にも言ったじゃないか。朋彦さんの行商の荷運びの役目が果たせて嬉しいんだ。」
「ナオヨシさンは働き者で良いお弟子さンだな。」
朋彦とナオヨシの遣り取りを見ていたタリョウゴが、箸を止めて微笑ましそうに呟いた。
「あー、いや、はは・・・それほどでも・・・。」
タリョウゴに褒められ、ナオヨシは顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべた。
食事を終えて再び出発するべく朋彦とナオヨシは自分達の荷車の方に行き、一応は何か異常が無いか確かめ始めた。
舗装されている訳ではない山道では車輪や車軸等の傷みも早く壊れやすい為、小まめな点検と対応が大事である――と、知識の参照からの受け売りであったが。
朋彦がふとタリョウゴの方を見ると、タリョウゴも自分の荷車や荷箱を点検した後に、食事の間荷台に積んでいた小さな背負い袋の中から中身を取り出し確認する様子が目に入った。
「何かの果物ですか?」
朋彦がタリョウゴに声を掛けると、タリョウゴは少し驚いた様に顔を上げた。
タリョウゴの手にはチヅコ達から貰ったアキノヒラガ草の小袋と、何かの果物か瓜の様な小振りの実が二個あった。
「あ、ああ・・・はい。アキヤマノアカウリです。運良く手に入ったので・・・。」
秋山の赤瓜――この地域に分布している秋に実を付けるウリの仲間で、主に干した物が保存食として利用されている。干した物もイチジクのドライフルーツの様な味わいで甘く美味ではあった。
しかし秋に収穫したばかりの生の実は、干した物よりも遥かに強い甘味と芳しい香りを持ち人々に好まれていた。だが、生のままでは日持ちせずすぐに傷んでしまうので余り流通していなかった。
例によって知識の参照により朋彦の脳裡に、掌の半分程にも満たない大きさの鮮やかな赤い色をした瓜の説明が浮かび上がった。
豊富な情報量により味や香り、手触りまでもが頭の中に再現されデザートの別腹が刺激されてしまい、山道を歩き続けて疲れた体には少し厳しい仕打ちになった。
「へえ~。初めて見た。」
「と、友達に土産でもと思って・・・。」
カミイシダ村の同い年の幼馴染――と言う程には親しい訳でもないが、神社の近所に住む子供の頃からの男友達の姿が一瞬タリョウゴの脳裏に浮かんだ。
何処か取り繕う様な、少し硬い表情を誤魔化す様にタリョウゴは朋彦へとぎこちない笑顔を返した。
「綺麗な赤い実だなぁ~。オレも初めて見た!」
朋彦とタリョウゴの方へとやって来たナオヨシが無邪気な声を上げて、珍しそうにタリョウゴの手にある山瓜の実を見た。
干した物ではなく、味と香りが良いとはいえわざわざ傷み易い生の実を買い求めて土産物にというのは思い入れのある友達なのだろうか――と、朋彦はつい下衆な勘繰りをしてしまっていた。
「え~? もしかして彼女とかッスか? タリョウゴ殿のイイヒトとか~?」
何の悪気も無くふざけた調子でからかう朋彦の言葉に、タリョウゴは思わず顔を強張らせてしまい大声を上げてしまった。
「ち、違います!! そンなンじゃないっ・・・!!」
タリョウゴの思わぬ反応に朋彦もナオヨシも驚いた。
そして何故か朋彦には、大声を上げた一瞬後のタリョウゴの表情がほんの僅かに悲しそうな苛立つ様なものに見えてしまった。
「あ・・・いやその、ごめん・・・。ふざけ過ぎた。」
タリョウゴの事情を全く知らない朋彦の一方的な見方でしかなかったけれども――何故か、タリョウゴのその態度と表情は、朋彦にはとても身に覚えのあるものの様に感じられたのだった。
彼女が居るとか居ないとか――。からかわれる事そのものよりも、彼女を作ったり居たりする事が当たり前という前提で話をされる事への煩わしさや悲しさは、朋彦はよく知っていた筈だった。
「ほんとごめん・・・。」
朋彦はタリョウゴに神妙な表情で頭を下げた。
タリョウゴが「産めぬ民」かどうかは別として、かつて自分がされて嫌だった事を無意識の内にタリョウゴに対して行なった事や、タリョウゴの心の何かを刺激してしまった事にとても申し訳無い気持ちになっていた。
「あ・・・。その・・・・・・すンませン。こっちこそ、むきになったりして。」
朋彦の謝罪にタリョウゴの方も慌てて頭を下げた。
こうした彼女が云々というからかったりふざけたりする遣り取りで、真面目に謝られたのは初めての事だった。タリョウゴがむきになったとしても、白けられたり更にからかわれたりするのが今迄の普通の反応だったので、朋彦の謝罪はタリョウゴにとって戸惑うものだった。
「いやいやこっちこそ・・・。」
頭を下げるタリョウゴに朋彦がまた謝り返し、少しの間お互いに謝り続ける事が繰り返された。
黙ったままおろおろとナオヨシが成行を見守っていたが、やっと気が済んだのか朋彦とタリョウゴはお互い気まずそうに笑いながら顔を上げ、再びカミイシダ村に向けて出発する事にした。
◆
再び歩き始めて暫くの間、三人は何となく気まずい思いを抱きながらも黙ったままだった。
「・・・・・・。」
押し黙ったまま荷車を牽くタリョウゴの背中を見ながら、朋彦はさり気無く話し掛けようと口を開いては――また閉じたりと、なかなかきっかけが掴めずにいた。
タリョウゴの背中が少し丸まってとぼとぼと勢いに欠けた足取りだったので、タリョウゴが決して不機嫌で怒っている訳ではないと思いたかったが――沈んだ様な雰囲気には、それはそれで朋彦達はタリョウゴを心配してしまうのだった。
一時間程、そんなお互いに何となく気まずい様な空気のまま、黙ったまま歩き続けたところで、ナオヨシが朋彦とタリョウゴへと声を掛けた。
「オレ、ちょっと疲れてきたから、ここら辺で少し休んでもいいかな?」
「そ、そうだな! ちょっとお茶でも飲もうか。」
重くなりがちな空気を気遣ったナオヨシの提案に、朋彦はあから様にほっとした表情を浮かべた。
「そ・・・そう・・・ですね。」
タリョウゴも足を止め、二人の提案にぎこちない笑みを浮かべながらも頷いた。
昼食の時の様な広めの場所が都合よくある訳ではなかったので、朋彦達は山道にむしろを敷いてそのまま腰を下ろす事にした。
殆ど人の行き来の無い様な山奥の道なので、通行の妨げになる心配は無かった。
例によって荷車の荷箱から取り出す振りをして、朋彦は懐の道具袋の中からカセットコンロと薬缶、三人分の湯呑や煎茶のティーバッグを取り出した。
「どうせ明日にはカミイシダに着くんだし、少し贅沢しようぜ。」
朋彦は既に水の入っていた薬缶をカセットコンロにかけ、ナオヨシとタリョウゴの前に小皿を並べた。
白地に茶色と黄緑色の蔓草模様が描かれた小皿には、リンゴジャムがたっぷりと練り込まれた大きなソフトクッキーが二個ずつ乗せられていた。
「俺達の家」での生活と比べると贅沢という程でもなかったが、焼き菓子等殆ど存在していない様なこの世界では、充分に贅沢なおやつだった。
「さ、どうぞどうぞ。」
湯呑の中で茶が出た所でティーバッグを引き抜き、朋彦はタリョウゴとナオヨシの前に湯呑を置いた。
「いただきまーす。」
真っ先にナオヨシがクッキーに手を伸ばし、嬉しそうにかぶりついた。
「あ・・・さっきは、その・・・すンませンでした。」
湯呑を手に持ちながら、タリョウゴは朋彦に頭を下げた。
「いやいや、さっきお互いに謝ったじゃないですか。もう気にすんの無しにしましょうよ。ね!」
朋彦は苦笑しながらタリョウゴに頭を上げさせた。
意外とタリョウゴは繊細で気にしいなのだろうかとも朋彦は思いつつ、まだ申し訳無さそうに俯きがちなタリョウゴの顔を眺めた。
少し幼さも留めつつもきりっとした男臭さを既に感じさせるその顔立ちは、やはり朋彦の好みで、その顔が曇った様子なのもそれはそれでまた、たまらないものがあった。
「――あ、そう言えば村祭りの相撲大会、タリョウゴさん出られないって言ってたけど。」
朋彦がそんな事を考えていると、クッキーを一枚食べ終えて茶を啜りながら、ナオヨシがタリョウゴの方へ顔を向けた。
「次にタリョウゴさんが相撲取るのっていつになるの? 何かの神事とか試合とか? タリョウゴさんが活躍するとこ、いっぺん見てみたいな~。」
無邪気に笑いながらナオヨシはタリョウゴに問い掛けた。
不意の問いにタリョウゴは一瞬言葉に詰まったが、
「そう・・・ですね・・・。その、その内――余所の村の神社の相撲取りとの交流試合とかの時、とか・・・。」
何とか答えたものの、いつとははっきり言えないものだった。
「正直、次男なンで試合の経験は少ないンです。神事としての相撲は基本的に父と兄が行なうし、頭数合わせで駆り出される事もあるけど、余所の神社との交流試合みたいなものも年に一、二回あるか無いか位で・・・。はは・・・。」
「そうなんだ・・・。」
ナオヨシも朋彦も、少し残念そうに言葉を返した。
太い眉を下げ、少し困った様にタリョウゴは笑うと一口茶を啜った。
内心正直な所、タリョウゴ自身は相撲自体は好きだったが、生身の対戦機会が少なくて助かっていた。
同じ様な年頃の男子達とマワシ一丁で取っ組み合うのは試合に集中出来ず、自分のマワシの中が大変な事になってしまう恐れもあったからだった。
「あ・・・これ、美味いですね・・・。」
タリョウゴにとって湿った土塊や生乾きの木の皮の様にも感じられたソフトクッキーは見慣れない菓子だったが、口の中に広がるリンゴの甘い香りと味とが意外とタリョウゴの好みに合った。
「サダロウが見たら食わせろってうるさいかもな。」
「そうだね~。精霊様、何かビスケットとか気に入ってたもんね。」
朋彦の言葉に、サダロウの囀る様子を思い出したナオヨシが小さく笑った。
タリョウゴも、村の祠の広場での即席相撲大会でのサダロウの精霊の威厳の全く感じられない様子を思い出し笑ってしまった。
「クッキー詰め合わせとか、サダロウ御愛用とか何とか書いてカミイシダで売ってみるか。」
自分の分のクッキーを齧りながら、朋彦は適当な事を口にした。
「鳥の仲間の精霊様には意外と売れるンじゃないですか。」
朋彦の適当な言葉に、茶を飲み終わったタリョウゴが苦笑交じりに相槌を打った。
飲み終わった湯呑を朋彦に返すと、好奇心に目を輝かせたナオヨシがタリョウゴの方へと顔を向けた。
「え? 精霊様って鳥以外にはどんなのが居るの?」
「えーと、イシダヒメ様の眷属は主に鳥と――。」
そうして少しの間他愛の無いお喋りをしながら休憩を取り、何とか三人の間の何となくではあったが気まずかった空気は和らいだのだった。
「――そろそろ出発しましょうか。もう少しカミイシダまで近付きたいし。」
「はーい!」
旅慣れたタリョウゴの言葉に朋彦とナオヨシは素直に従い、再び山道を歩き始めた。
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