はたちめのかたり 「化生ども村を襲ひて チヅコ達攫ふ まがまがしくさへにくし」

 窓も雨戸も締め切ってしまった駐在所の中は真っ暗で、朋彦達の居る寝間だけが電気ランタンの薄明かりで照らされていた。

 村長の差し入れの煎じ薬を昼間に飲んだだけなのですぐに効果がある訳ではなく、朋彦の具合は悪いまま変わりは無かった。

 窓の戸板の隙間からナオヨシが外の様子を覗き見ると、既に日は沈み切っており外もまた真っ暗になっていた。

 化生が里までやって来るかも知れないし、そのまま何処かに去っていくかも知れない。

 はっきりしないまま夜を過ごすのは、村人達にとってもナオヨシ達にとってもとてつもなく長い時間の様に感じられた。

 ナオヨシは朋彦の具合が気になって寝付けないまま、一番弱くしたランタンの薄暗い中で何をするでもなく座り続けていた。

 タリョウゴの方も寝付けない様で、真っ暗なままの土間で軽い体操や四股を踏む等して明朝に備えて体を解していた。

 時間をかけてゆっくりと腕や肩を伸ばし汗はかかない程度で柔軟体操を終えると、タリョウゴは寝間へと戻って来た。

「――何か落ち着かンけど、明日の事もあるので先に寝ます。」

 タリョウゴは朋彦の側で座っているナオヨシにそう言って、部屋の隅に寝袋を広げて潜り込んだ。

「あ、うん。おやすみ。」

 このまま何事も無く朝が来て、化生も何処かに去っていればいいのだけれど・・・。

 ナオヨシは不安で落ち着かないまま朋彦の側で座り続けていた。



 シゲジ達が目撃した二匹の化生は夜になるまで、山中のアキノヒラガ草の畑の近くを休みながら徘徊していた。

 時には野兎や山鳥を追い掛け、手に届いた何羽かを縊り殺したり引き裂いては辺りに投げ捨てた。

 化生には余り知恵も無く、また食べる為ではなく、人間や他の動物達をただ傷付け殺そうとする性質があった。

 ――もっと知恵のある動物を恐怖させ傷付け殺したい。

 この化生達もそうした性質に従い、次の獲物――人間達の多く住む場所へと移動を始めたのだった。



 時刻にして午後十時半頃だろうか。普段のシモアサダ村ならば既に村人達は寝静まっている時間帯だった。

 しかし、いつ化生が来るかも知れない中で寝付ける筈も無く、村人達は子供達だけでも無事にと思い押入れに潜り込ませたり、布団を被る等してじっと息を潜めていた。

「――ッッッ!!!!」

 夜の山中に甲高い化生の雄叫びが響き渡り――それは何度も繰り返され、次第に村へと近付いて来た。

 村人達の恐怖と緊張は極限まで高まり、戸口も窓も閉め切った真っ暗な家の中で身動き一つ――呼吸すらも出来ない程になっていた。

 木々の茂みを突き破る様にして飛び跳ね、だん、だん、と乱暴に地面を踏み付ける様にしては飛び上がり、ついには集落の中へと化生達はやって来た。

 ――どうか、何事も無く化生達が通り過ぎます様に。

 大部分の村人達の必死の祈りは通じ、ケタケタと甲高く笑ったり叫んだりしながら化生達は家々を通り過ぎていった。

 だが――人間達に混じって、小さくはあったが一つの精霊の霊力が存在する事に化生達は気付いてしまった。

 大した意味は無かったが灯火に群がる蛾の様に、化生達は人間達の中では目立っている精霊の霊力に惹かれて村長の家の隣――チヅコ達の家を目指した。

 凄まじい脚力で瞬く間に化生達はチヅコ達の家へと至ると、無造作に戸口を突き破って中へと侵入した。

「!!!!!!!!」

 チヅコ達一家は悲鳴を上げる余裕すら無く、ただ抱き合って恐怖に小刻みに体を震わせる事しか出来なかった。

 猿を基本にした姿ではあったが、その猿のような赤い顔にある白目の無い真っ黒な眼が四つ――それぞれがぎょろぎょろと動きながらチヅコ達一家の怯えて震える姿を捉えていた。

 すぐ殺してしまっては勿体無い。

 ひとかけらの知能でそう判断し、二匹の化生達は雀の姿をした精霊とそのおまけの人間の子供二人を乱暴に引っ掴むと、彼等を玩具にして暫く遊ぼうとまた山の中へと引き返していったのだった。

 悲鳴を上げる間も無くチヅコとツルオは脇に抱えられ、サダロウは無造作に掴まれたまま、瞬く間に遠ざかっていった。

「――ッッッ!!!!!」

 為す術も無く我が子を再び攫われたチヅコ達の両親は血を吐く様な叫び声を上げながら、恐怖で強張り震える体を無理矢理動かし這う様にして化生達を追い掛けようとした。

 だがそうする間にも化生達はチヅコとツルオ、サダロウを抱え素早く飛び跳ねながら山の中へと姿を消してしまった。

 一度目は盗賊、二度目は化生に――我が子達を理不尽に攫っていく者達を呪う様に泣き叫び、チヅコ達の父と母は這い出た家の戸口で蹲り続けた。

 化生達の気配が去った事とチヅコ達の両親の悲鳴で、隣の村長夫婦や近隣の村人達が恐る恐る戸を開けて表へと出て来た。

「・・・チヅコ達が・・・。」

 チヅコ達の母――カメヨが泣きながら顔を上げ、近寄ってきた村長に絞り出す様な声で告げた。

「何・・・!?」

 孫達が無残に連れ去られた事を聞き、村長や村人達も絶望しその場に立ち尽くすしかなかった。



 化生の襲来に怯えて静まり返っていた村の中で、カメヨ達夫婦の泣き叫ぶ声は朋彦達の居る駐在所まではっきりと聞こえて来た。

「!!」

 その悲鳴に、やっとうとうと寝入り始めた朋彦がまた目を覚ましてしまい、ナオヨシとタリョウゴは驚いて顔を上げた。

「ちょっと様子見て来ます。」

 危険ではあったが悲鳴を上げた誰かを見捨てる事も出来ず、タリョウゴは朋彦とナオヨシにそう言い置いて外へと飛び出していった。

 悲鳴はすぐに号泣する様な声へと変わり、声を頼りにタリョウゴが駆けていくとチヅコ達の家へと辿り着いた。

 泣き声はチヅコの母カメヨのものだった。

 近隣の村人達もカメヨの悲鳴や鳴き声で様子を見にやって来ており、共に泣いたり困惑しながらカメヨ夫婦を取り囲んでいた。

「おお、タリョウゴどん・・・。」

 近付いて来たタリョウゴに村人の一人が気が付き声を掛けて来た。

 村人達の話から、チヅコ、ツルオ、サダロウが化生達に攫われたのが判ったものの――子供達を取り戻す力は村人達には無かったのだった。

 化生達に怯え、カメヨ夫婦に同情して泣く村人達の様子を見ながら、タリョウゴも自身の無力さに拳を握り締めた。

 相撲取りであり、一応は腕に自信のあるタリョウゴであっても、単独では人質を取った化生二匹を相手取る事は困難だった。

 それに、夜の山の中を、何処に居るのかもはっきりしない化生達を追い掛けるのは余りに無謀で危険な事だと言えた。

「・・・・ん?」

 村人達と少しの間どうする事も出来ずタリョウゴが立ち尽くしていると、電気ランタンを手に辺りの暗がりを怖々と見回しつつ歩いてくるナオヨシの姿に気が付いた。

「あ、タ、タリョウゴさん・・・。」

 タリョウゴや村人達の姿を見てナオヨシは安心した様に一息ついた。

 その手にはランタンだけでなく刀も握られていた。

 心優しく、もっと言うと気弱そうなナオヨシには余り似つかわしくない持ち物に、タリョウゴは訝しく思いながらもナオヨシを出迎えた。

「室地様に付いてなくて大丈夫なンですか・・・?」

「あ、うん・・・。その、朋彦さんが、ちょっと様子見て来いって。・・・それに、もしまだ化生が居たらこの刀でやっつけるか、誰かに貸してやっつけてもらえって・・・。」

 タリョウゴの問いに、ナオヨシは自分達が旅立つ前に朋彦が作り出した刀を見せながら答えた。

 スイッチを切り替えればどんな物でも切れる名刀に変わるこの刀ならば、へっぴり腰ではあってもナオヨシでもどうにか化生を倒せる筈だった。

「折角だけど、もう化生は逃げてしまって・・・。チヅコ達も攫われて・・・。」

 タリョウゴは地面に蹲ったまままだ泣き続けるカメヨの姿を気の毒そうに見つめた。

「チヅコ達が・・・?」

 タリョウゴの言葉にナオヨシもまた泣きそうな表情になりながらカメヨ達を見た。

 ナオヨシの手にある電気ランタンの明るい光が、彼等の痛ましい姿を残酷に照らし出していた。

 化生達の居場所も判らず、戦う力がある訳でもなく、無力な彼等の姿にナオヨシもタリョウゴも

何も言えないまま暫く立ち尽くしていた。

 見捨てる事等出来はしないと思いながら、しかし自分に何が出来るだろうかとナオヨシは刀を握り締めたまま俯いた。

 化生達は恐ろしいと思うけれども、仲良くなれたチヅコ達や村の人達を何とか助けられないか――。

「――!」

 ナオヨシの頭の中に朋彦が携帯端末をいじる姿が閃き、思わず顔を上げてタリョウゴの方を見た。

 キヨミ達一味からチヅコ達を助け出した時に、地図上に人間や精霊の反応を表示する機能を朋彦が機械に付与していた事を思い出したのだった。

 それがあればチヅコ達の居場所を突き止めて助けに行ける筈だった。

「上手く説明出来ないけど・・・。タリョウゴさん、一緒に来て!」

 ナオヨシはタリョウゴにそう声を掛けるとすぐに駐在所へと駆け出した。

「え?」

 タリョウゴは一瞬戸惑ったものの、チヅコ達を助ける手段がありそうな事を察し、急いでナオヨシの後を追った。



 ナオヨシとタリョウゴが駐在所に戻ると、ナオヨシがランタンを持って行った為に真っ暗な中で朋彦がぜいぜいと息苦しそうに呼吸する音が微かに聞こえて来た。

「・・・ナオヨシ?」

 ナオヨシが寝間の襖を開けて中に入ると、ナオヨシの手の中のランタンの光に気付いた朋彦が薄眼を開けてナオヨシへと顔を向けた。

 まだ具合の悪い朋彦を煩わせる事に、ナオヨシは申し訳無さそうに僅かの間黙り込んだが、意を決して朋彦へと口を開いた。

「チヅコとツルオと、後、サダロウが化生に攫われたんだ・・・。それで、チヅコ達の居場所が判るあのピカピカ・・・貸して欲しいんだ。」

「ああ・・・。」

 盗賊の次は化生に攫われるとは――チヅコ達の気の毒な巡り合わせに朋彦は朦朧としかける意識の中で溜息をついた。

 ピカピカ――ツルオの携帯端末への言い回しと、それに付与した機能を朋彦は思い出した。

 確かにあれならばすぐにチヅコ達の居場所が判る筈だった。

「――それで後、タリョウゴさんにも朋彦さんの刀と腕輪、貸してくれないかな。」

 喉の痛みとしんどさがあり、ナオヨシの言葉にも返事をしないまま朋彦は懐に貼り付けたままの道具袋へと手を突っ込んだ。

「!」

 朋彦とナオヨシの遣り取りを黙ったまま傍らで見守っていたタリョウゴは、朋彦がひと振りの刀と二つの腕輪、そして一枚の薄い小さな何かの石板を布団の中から出す様子に目を見開いた。

 普段であれば朋彦も道具袋について何かしらの配慮をするのだったが、体の具合の悪い今の状態ではそこまで頭が回っていなかった。

 布団の中の何処に刀を隠していたのか不思議に思いながらも、取り敢えずタリョウゴも今はそれを追求する事は無かった。

 ナオヨシは朋彦から受け取った自分の分の防御の腕輪を嵌めると、もう一本の刀と腕輪をタリョウゴへと手渡した。

「えーと・・・その。朋彦さんが仕入れた、外国のすげぇマジナイの込められた刀と腕輪・・・なんだ。」

「あ、ああ・・・。」

 余り説明にもなっていない様なナオヨシの言葉を聞きながら、タリョウゴはナオヨシから刀と腕輪を受け取った。

 特には名刀という様な物でもなさそうな普通の刀と木製の腕輪は――ナオヨシの説明では、鍔の赤、青、黄色の小さな石のボタンを押すとそれぞれ切れ味が変わり、腕輪は付けているだけでどんな攻撃も受け付けないマジナイの壁が展開するという事だった。

 鍔や腕輪のボタンがそれぞれ何の機能を持っているのかは、普段全く使っていなかった為ナオヨシは覚えてはいなかったが・・・。

 朋彦もナオヨシも平和で呑気な生活を過ごしていた為に、使わない腕輪の機能をすっかり忘れていたが、治癒のマジナイを発する水色のボタンの事を覚えていれば朋彦もこんな風に風邪で苦しい思いをする事はなかったのだった。

「・・・ん?」

 一先ずは試しに刀を抜いてみようとタリョウゴは朋彦達から少し離れ、柄に手を掛けたが――刀はぴったりと鞘にくっついたまま抜ける事はなかった。

「あ・・・!」

 その様子を見てナオヨシは刀の機能を思い出した。それぞれの刀は安全の為、持ち主である朋彦やナオヨシしか使えない様になっていたのだった。

 腕輪の方はそうした機能は付けていなかったので、タリョウゴも問題無く装着出来た。

 それを話すとタリョウゴは残念そうに肩を落としナオヨシに刀を返そうとしたが、ナオヨシは慌てて押し留めた。

「あ、いや、せめて殴るのに使って! 何か武器があった方がいいと思うし・・・。」

 朋彦の作り出した刀が簡単に壊れる事は無いという信頼の元に、ナオヨシはそう提案した。

 どうせ壊れても後で幾らでも直せるのだから、今は少しでもチヅコ達を助ける為の武器があった方がいいと、朋彦も布団の中から軽く頷いた。

「――そういや、この腕輪の小さいやつ、ツルオにも朋彦さん作ってあげてたよね・・・?」

 二、三日振りに装着した腕輪に手を触れながら、ナオヨシはふとツルオに朋彦が与えた腕輪の事を何となく思い出した。

 ツルオにも防御の腕輪を、キヨミ達に誘拐されたのを助け出す時に作り出した筈だった。

 あれを着けていればツルオだけでも化生に攫われずに済んだのだろうが――昨日の祠の広場で遊んだ時には着けていなかった様にも思うので、何処かに仕舞い込んだままで普段は着けていないのだろう。

 それから朋彦は端末を受け取ったナオヨシに取り急ぎの操作の仕方をぜいぜいと言いながら教えた。

「・・・その横のスイッチ入れて・・・。」

 真剣な表情でナオヨシは電源の入った端末の表面に指を走らせ、シモアサダ村近辺の地図を呼び出し、チヅコ達の現在位置を表示させた。

 チヅコ達はまだ村の近くに居る様だったが、山の中へとどんどん移動していた。

 化生達は恐ろしかったが――かと言ってこのままチヅコ達を見捨てる事は出来ない。

 ナオヨシは携帯端末を持つ手の震えを無理矢理抑えながら顔を上げた。

「大丈夫・・・じゃ・・・ないよな。」

 喉の傷みを感じながら朋彦はナオヨシに声を掛けた。

 タリョウゴも傍らで心配そうに見つめていた。

 しかしナオヨシは携帯端末を懐の中に仕舞い込み、自分用の刀を着物の帯に差して立ち上がった。

「恐いけど・・・でも、チヅコ達はもっと恐い思いしてると思うし・・・。」

 ナオヨシの言葉に朋彦は何処か眩しそうにナオヨシを見上げた。

「――やっぱりナオヨシは優しくて凄いな・・・。」

 しわがれた声のまま朋彦はそっと呟いた。

 朋彦が初めてこの世界に現れて怪我をしたあの日の事をぼんやりと思い返した。

 あの日もナオヨシは、何処の誰とも知れなかった朋彦を助けてくれたのだった。

「あ、いや・・・その・・・。」

 朋彦の呟きにナオヨシは顔を赤くして俯いた。

「と・・・取り敢えず行ってくるね・・・。」

 照れ臭さを誤魔化す様にナオヨシは朋彦から顔を逸らすと、電気ランタンを握り締める様に持って寝間から出ていった。

 布団の中から息苦しそうな表情をしながらもナオヨシを見送る朋彦に、タリョウゴも軽く頭を下げるとナオヨシの後を追った。



 携帯端末を片手に、表示された地図をちらちらと見ながらナオヨシは夜道を山の方へと急いだ。

 二人共いつでも刀が扱える様にと、電気ランタンは途中でタリョウゴが受け持ち、二人は片手を手ぶらにして走った。

 途中でチヅコ達の家に差し掛かったが、村人達は蹲り続けるカメヨ達を慰める様に取り囲んだまま立ち続けていた。

「タリョウゴどん・・・!」

 ランタンの光と二人の姿に気付いた村人達が何処か縋る様な声を上げた。

 タリョウゴと並んでカメヨ達の所に歩きながらナオヨシは、力無く涙ぐみながら立ち尽くしている村人達の姿を見回した。

 戦う心得も無い只の村人達が恐ろしい化生に敵う筈も無く――半ば以上諦め、カメヨに同情しつつも泣いて嘆くだけでどうする事も出来ない彼等の姿に、何故かナオヨシはナギシダ村で殺されかけたあの日の夜を思い出していた。

 ナオヨシとタリョウゴの身に着けた刀に皆が気付き、その目に期待と希望の光が差し始めた。

 何の力も持たない弱い人々が何かの力や救いを求めて縋ろうとするその様子に、ナオヨシは何故か何の脈絡も無くあの夜のナギシダ村の者達の姿を思い返していた。

 弱い事が悪いという訳ではないし、ナオヨシも決して強くなったという訳ではなかった。

 朋彦のマジナイの道具や武器が無ければ、ナオヨシもきっとこの村人達と一緒になって泣きながら震えているに違いなかった。

「・・・あ、あの・・・。ちょっと・・・行って来ます・・・。」

 震える足を誤魔化し、ナオヨシは自分達を見つめて来る村長達に向けて何とか声を絞り出した。

 これから攫われた子供達を救出に向かうのに、何ともそぐわないか細い声と俯きがちに立つナオヨシの姿だったものの、それでもカメヨ達は安堵の息を吐き頭を下げて来た。

 見た事も無い明るさを放つ道具を持って村に沢山の品物をもたらした不思議な行商人の弟子ならば、もしかしたら――いや、きっと、また何か不思議な道具で子供達を助けてくれるのではないか。

 そんな期待をカメヨは抱きながら、何度もナオヨシへと頭を下げた。

「お願いします! 子供達をお願いします・・・!」

「は・・・はい・・・!」

 ナオヨシの足元に縋りつく様にして見上げてくるカメヨの様子に気圧されながらも、ナオヨシは何とか返事をした。

 そんなナオヨシを落ち着かせようと軽く背中を叩きながら、タリョウゴが村長へと軽く頭を下げた。

「室地様はまだ具合悪くて寝てるンで・・・。念の為、お願いします。」

「ああ・・・。」

 村長はタリョウゴとナオヨシに小さく頷いた。

「あ・・・じゃあ、行ってきます・・・。」

 ナオヨシは村人達に頭を下げると、タリョウゴと共に再び化生達を追って山へと向かったのだった。


◆ 

 

 山道の途中で立ち止まり、ナオヨシが携帯端末の地図を確認するとチヅコ達を示す光点は段々と移動速度が遅くなり――ついには立ち止まったのか動かなくなっていた。

 細い山道の側にある小さな広場の様な場所に光の点は停止していたが、山の木々以外に判り易い人工物がある訳ではなく、山の何処なのかは今一つ判り難かった。

「とにかく急ごう。」

 タリョウゴの言葉にナオヨシも頷き、端末を仕舞うと再び駆け出した。

 足場の悪い上に真っ暗な山道は、ランタンの明かりがあるとはいえ思い切り走る事も出来ず体力ばかりを消耗した。

 暫く走った所でタリョウゴは少し立ち止まり辺りを見回した。

「化生達、キサブロウさン達が言ってたアキノヒラガ草の採り場にまた戻ったみたいだな・・・。」

 薬草採集やその運搬仕事も手伝った事のあるタリョウゴは、夜の山の中だったが見覚えのある山の木々の様子に薬草の採取場が近い事を悟った。

 山の中の幾つかの場所はアキノヒラガ草がよく生えるので、村の中の畑程には小まめな手入れはしていなかったものの、雑草引きや周囲の木の刈払いをして畑に近い様な扱いをしていた。

 ナオヨシがまた端末を取り出して地図を見ると、チヅコ達の光点は先程見た時のまま動いてはいなかった。

 それにそれらの光点は生命反応を示す物でもあったので、表示されているという事はまだチヅコ達は生きているという事でもあった。

 何とか無事にチヅコ達を助け出したい――強くなる緊張感に息が出来なくなりそうに感じながら、ナオヨシは再びタリョウゴと共に夜の山道へと足を踏み出そうとした。

「あ・・・!」

 一応は毎日山仕事に通う村人達によって踏み固められた道ではあったが、馴染みの無い山の夜道は歩きにくく、ナオヨシはうっかりと石に躓いて体勢を崩してしまった。

 何とか手を突いて体を支え、急いで立ち上がった。

 ――あのナギシダ村の秋祭りの夜も――山の中に逃げた時も、こんな風に途中で転んだっけ。

 体が記憶していたのか、似た状況になりナオヨシは秋祭りの夜の事をはっきりと思い出してしまった。 

 あの時の物寂しく、恐ろしい感情が記憶の中に絡まり合っているせいで、秋の夜の山は苦手だった。

「大丈夫か?」

 立ち上がった体勢のままぼんやりとしているナオヨシを心配そうに、タリョウゴは近寄って覗き込んで来た。

「あ! あ、うん・・・。」

 不意に目の前に迫るタリョウゴの顔に、ナオヨシは驚いて思わず体を震わせた。

 凛々しさを感じさせる太い眉と、何処か愛嬌のある丸みを帯びた輪郭の顔は少し男臭さも感じさせ、朋彦もナオヨシもとても好ましく思っていた。

 好ましい――勿論性的にも。

 電気ランタンの白い灯りに浮かび上がるタリョウゴの筋肉質な体の厚みも、汗ばんでうっすらとランタンの光を反射する浅黒い肌も、ナオヨシにとってはこの上も無く煽情的で魅力的なものだった。

「ご、ごめん。急ごう。」

 ナオヨシはタリョウゴに謝り再び早足で歩き出した。

 ナオヨシの様子を化生との戦いを控えて緊張しているのだろうと、大して不審にも思わずタリョウゴはナオヨシと共に採取場へと急いだ。

 ナオヨシは傍らを共に歩くタリョウゴの姿を時々横目で見ながらも、深い暗さと冷たさを感じさせたあの日のナギシダ村の夜の山の景色を見続けていた。

 男なのに男を好きになり欲情してしまう身の上は、夜這いに浮かれる村の若者達とは決して相容れるものではないと思い知らされた。

 夜の真っ暗な山の中で佇んでいると、自分が一人ぼっちで、何処からも誰からも切り離されているかの様に感じてしまい――寂しく悲しいけれども。

 けれども――だからこそ、とてもほっとしてしまう・・・冷え冷えとした安堵感も同時にナオヨシは感じていた。

 足を進める内に化生と思われる甲高くけたたましい鳴き声が二人の耳に届いた。

「!」

 反射的に立ち止まり、タリョウゴは腰の刀に手を掛けた。

 化生の声に混じり、恐怖に碌に声も上げられないのだろうチヅコとツルオのえづく様な泣き声も聞こえ始めた。

 アキノヒラガ草の採取場が目の前へと近付き、ナオヨシはいざという時に慌てない様にと予め刀を抜いた。

 しかし既に緊張に心臓は苦しくなる程に脈打ち、額からは大粒の冷や汗が滴り始めていた。

 泣き声が聞こえるという事は二人とサダロウはまだ無事なのだろう。

 だが盗賊の次は化生に攫われ、可哀想に――今もさぞ恐ろしく心細い思いをしているだろう。

 逃げ出しそうになる気持ちを何度も抑え、ナオヨシは汗ばむ手で刀を握り直すと、タリョウゴと共に採取場へと足を踏み入れた。



 ランタンの光に照らし出された採取場は思ったよりも広く、下草や雑木が丁寧に刈り払われていた。

 広場に等間隔にアキノヒラガ草の株が並び、余り成長していない物を残して稲の様に根元を残して刈り取られていた。

 チヅコとツルオ、そしてサダロウは化生達に挟まれる様にして広場の中程に座り込んでいた。

「・・・!!」

 ナオヨシとタリョウゴの姿を見て、チヅコ達は安堵から――化生達は警戒感から、暗い山の中に聞こえていた泣き声も鳴き声も一瞬途切れた。

「――ッッッ!!!」

 泣かせて怯えさせて楽しんでいた玩具を取り返しに来た者達の姿に、化生達は牙を剥いて唸り始めた。

 ナオヨシは一瞬後ずさりしかけるが、刀の切れ味もきちんと最大にしてあると自分に言い聞かせ、その場に留まり続けた。

 そして――何故か。全く理屈に合わない事だったが。

 ここに来る途中で何度もナギシダ村の秋祭りの夜の事を思い返していたせいなのか。

 あの時の山の中で蹲っていた自分自身と――、今抱き合って震えながら泣いているチヅコとツルオが重なって見えてしまうのだった。

 時間にしてほんの数秒――ナオヨシにとってはとても長い時間、お互いに睨み合っていた態勢は化生が投げて来た石によって破られた。

 化生達はチヅコ達から離れると、足元に落ちていたのか適当な石を何個か拾い上げ、次々にナオヨシとタリョウゴに向けて投げ付けてきた。

 人の拳大の石が結構な速度で迫り、一、二個は躱し切れずにタリョウゴもナオヨシも直撃を受けかけ――腕輪の力で展開された不可視の防御壁によって石は呆気無く弾き飛ばされた。

「おお・・・!」

 初めて腕輪の力を目の当たりにしたタリョウゴが、ナオヨシの横で身構え直しながら感嘆の声を漏らした。

 そうだった。刀だけでなく、腕輪の力で絶対に自分達は怪我をしたりする事は無い――。

 目の前に迫る化生は恐ろしいけれども、身の安全は保障されているのだ。ナオヨシは何とか気持ちを落ち着かせると刀を構え、チヅコ達を助け出せる機会を見逃さない様にと集中し始めた。

 化生達は既にチヅコ達から関心が失せているのか、新しい玩具としてナオヨシとタリョウゴを見定め、甲高い叫び声を上げながら飛び掛かって来た。

 食べる為ではなく、ただ嬲り痛めつけて殺す為だけに化生は人間や動物を襲う。

 とてもある意味人間らしい表情をして化生達はナオヨシとタリョウゴへ向けて、その鋭い爪を振り立てた。

 しかし――目には見えないけれども確かに存在している壁によって、化生達の爪はナオヨシ達の眼前、数センチ手前で止められた。

 化生達の知能では理解出来ない事態に化生達は一瞬硬直した。

 その隙をついてナオヨシは慌てて刀を振り上げた。

「!!」

 化生達は不愉快そうな叫び声を上げ、ナオヨシの刀を素早く避けた。

 ナオヨシは懸命に化生へと刀を振り回すものの、素人の太刀筋はなかなか化生を捉える事が出来ず疲労だけが積み重なっていった。

 化生達がナオヨシに注意を向けている隙にチヅコ達を助けようと、タリョウゴは足元に電気ランタンを置くと、じわじわと近寄ろうとした。

 ランタンの明かりは充分に広場を照らしており、そこからでも化生達を相手取るナオヨシの視界に問題は無い様だった。

 ちらちらとチヅコ達と化生達とを交互に見ながら、タリョウゴは少しずつ距離を詰めていった。

 チヅコとツルオは広場の隅で青い顔をして力無く手を取り合い、座り込んだままタリョウゴとナオヨシが化生達と戦う様子を見つめていた。

 サダロウもいつもの軽口を囀る余裕は無く、チヅコの着物の懐から顔を出したまま硬直していた。

 だが、化生の内の一匹がタリョウゴの様子に気付くとすぐにタリョウゴの方へも飛び掛かってきた。

「タリョウゴさん!!」

 思わずナオヨシが叫んでしまうが、タリョウゴは借り物の刀を棍棒代わりにして自分に向かってきた化生を殴りつけた。

「・・・!!」

 まるで人間の様に、打ち据えられた左肩に手を当てて後ずさり、化生は白目の無い真っ黒な四つの目に憎しみを湛えてタリョウゴを睨み付けていた。

 それからすぐ、全力で体当たりをしようとするのか、化生は力をためて少し屈み込んだ。

「!」

 屈み込んだ化生の体勢にタリョウゴは相撲の仕切りを思い返し、一瞬の判断で手にしていた刀を傍らへと投げ捨てた。

 その一秒二秒の瞬間にも――人間とは比べ物にならない筋力で化生は地面を蹴り、物凄い勢いをつけてタリョウゴへと迫った。

「―――!!」

 姿勢を低くして待ち構えていたタリョウゴの眼前に展開された防御壁が化生の突進を受け止め、頭から突っ込んできた化生はその場で自らに返って来た衝撃に体をふらつかせた。

 そのままタリョウゴは素早く化生の背後へと立ち回り、化生の首を絞めて地面へと抑え込んだ。

 全体重を掛けて化生へとのしかかり、タリョウゴは逃げ出そうと全力でもがく化生の体を必死に押さえ込み続けた。

 一応は仲間意識はあるのか、もう一匹の化生は足元の小石をナオヨシへと投げ付けて怯ませると、仲間を助けるかの様にタリョウゴの所へと跳躍した。

「タリョウゴさんっ!」

 ナオヨシは焦りに思わず叫ぶ様にタリョウゴの名を呼んだ。

 いつのまに手にしていたものか、化生は拳大の石をタリョウゴの背後から頭を狙って叩き付けてきた。

 しかし既に腕輪の能力を理解していたタリョウゴはそのまま取り乱す事も無く、背後の化生を振り返りすらしなかった。

 不可視の防御壁は再び化生の攻撃からタリョウゴを守ったのだった。

 だが化生は防御された事に腹を立て、ますます力を込めてタリョウゴの頭へと石を叩き付け続けた。

「早く!」

 逃げようともがき暴れる化生を押さえ付けるのに精一杯で、流石にタリョウゴももう一匹への対処は出来ないでいた。

 タリョウゴの呼び掛けに、ナオヨシは刀を握り直すと慌ててタリョウゴの背後で石を振りかぶる化生の所へと走った。

 疲労と恐怖感に体力も気力も削られ、走るナオヨシの足もふらついていた。

 優れた武器と防具を与えられてはいても、恐ろしい化生を相手に戦う事は未だナオヨシには難しい事だった。

 いつだったかの、山の中の小さな湖でタカキ夫婦を襲った化生の相手も随分と苦労し、恐ろしい思いもした――。

 ナオヨシはそんな事を思い出しながら、タリョウゴを襲い続ける化生の背後へと迫った。

 とにかくばっさりと斬る――とにかく斬ればいい。化生の体にさえ刃が届けば、後は刀が切断してくれる。

 まだ震える手に無理矢理力を込め、ナオヨシはタリョウゴを襲う事に集中してしまっている化生の無防備な背中へと刀を振り下ろした。

 どんな物でも切る事が出来る刀は何の手応えも無く、あっさりと化生の体を縦に切り裂き――仮初の血飛沫とはらわたを撒き散らした。

 それらも一種の攻撃と見做されたのか、防御壁の展開によりナオヨシの体に返り血等が付く事は無かった。

「!!」

 そうする内にも化生の体は崩れ落ちていき、血やはらわたも黒い煙と化して消え去ろうとしていた。

 仲間が殺されたせいなのか、もう一体の化生はますます死に物狂いの力を振るってタリョウゴの下から逃れようと暴れ始めた。

「っ!」

 化生の爪がタリョウゴの左腕を掠めた。

 防御壁の力で怪我をする事は無かったが、凶悪な表情で牙を剥き、激しい力で暴れる化生の体を抑え続ける事は難しくタリョウゴの体力や気力の消耗も激しかった。

 ナオヨシも震えて倒れ込みそうになる自分の体を叱咤し、タリョウゴが押さえている化生の顔面へと刀を突き刺した。

 タリョウゴを間違えて傷付けてしまわない様に、激しく暴れる化生とは逆に、ナオヨシはゆっくりと刀を動かし――化生の頭部を横一文字に切り裂いた。

「!!!!!!!!」

 頭の上半分を失った化生は断末魔に全身を痙攣させ、手足を出鱈目に振り回しもがいた。

 タリョウゴが慌てて手を放し少し後退すると、化生はその場に横たわったまま頭から血や脳、眼球等を撒き散らしながら転がり回っていた。

 最早仮初の命は尽き、撒き散らされた血と共に草むらの上に横たわった化生の体は形を失い黒煙と化し始めた。

 やっと――やっと、終わった。タリョウゴとナオヨシはぜえぜえと息をしながらその場にへたり込んだ。

「・・・あ・・・あ~ああああ・・・。」

 少し向こうから、危機を脱したと悟ったサダロウが涙目で言葉にならない声を上げた。

 その声にナオヨシが座り込んだまま顔を向けると、まだ腰が抜けているのかチヅコとツルオがよろよろと這いながらナオヨシ達の方へとやって来ようとしていた。

「あ・・・。」

 ナオヨシも立ち上がる事が出来ず、ずるずると座ったままチヅコ達の方へと体を動かした。

 何とも締まらない絵面だったが、それでもチヅコ達には自分達を救出してくれた英雄の様にも見えただろう。

「立てるか?」

 いつの間にか立ち上がっていたタリョウゴがナオヨシへと手を差し伸べた。

 片手には既に拾い上げたランタンが握られ、汗と泥に汚れたタリョウゴの姿がその明かりに照らされていた。

 買い付けの為の旅の途中で盗賊や化生に襲われつつも撃退した経験があったせいか、ナオヨシよりは立ち直りが早い様だった。

「う、うん・・・。」

 顔が赤くなるのを感じながら、ナオヨシは少し目を逸らしながらもタリョウゴの手を取った。

 立ち上がりチヅコ達の所へと歩み寄ると、チヅコとツルオ、そしてサダロウはやっと助かった実感が湧き起こったのか、大声を上げて泣きながらタリョウゴとナオヨシへとしがみ付いた。

「恐かったな・・・。もう大丈夫だ。帰ろうな・・・。帰ろう・・・。」

 泣きながら縋りつくチヅコとツルオの頭をタリョウゴは優しく撫でた。

 その様子を眺めながら、ナオヨシも少し涙目になってしまっていた。

 タリョウゴはナオヨシの方を向き、ほっとした様に息を吐いて微笑んだ。

「帰ろう・・・。皆待ってる・・・。」

「うん・・・。」

 ナオヨシは手の甲で涙を拭うと小さく頷いた。 

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