とおとここのつめのかたり「朋彦俄かに患いて ガチムチ男子の全裸看病妄想す」

 翌朝――正確には夜明けの時刻。朋彦は全身の激しい倦怠感と寒気や頭痛によって目が覚めた。

「・・・!」

 声を出そうとしても喉の痛みと咳で出ず、布団から起き上がろうにも体に力が入らなかった。

「朋彦さん?」

 朋彦の咳き込む様子に隣で寝ていたナオヨシも目が覚めた様だった。

 ナオヨシ――と朋彦が声を出そうとしてもがらがらとしたしわがれた声しか出なかった。

「どうしよう・・・。風邪ひいた?」

「・・・室地様?」

 朋彦のしわがれ声やナオヨシの心配そうな声にタリョウゴも目を覚まし、寝袋からごそごそと体を起こした。

「タリョウゴさん・・・。朋彦さんが・・・。」

 ナオヨシの不安気な表情をぼんやりと朋彦は見上げたまま、ぜいぜいと苦しげに息をしていた。

「具合が悪いのか?」

 まだ少し眠気の残る目をこすりながらタリョウゴは朋彦の枕元へとやって来ると、朋彦の額にそっと触れた。

「・・・熱がある。」

 タリョウゴはナオヨシの方を向いてそう告げると立ち上がり、急いで台所の水瓶へと水を汲みに行った。

 ナオヨシが不安気に朋彦の側で座り込んでいる内に、タリョウゴは手桶に水を汲んで手拭いを用意して戻って来た。

 手拭いを濡らして朋彦の額へと置いた所で、石木がそっと寝間の襖を開けて顔を覗かせた。

「どうしたんだ? 何やら騒がしい様だが・・・。」

 心配そうに部屋を覗き込んだ石木の後ろには見知らぬ白髪の中年男の姿もあった。

「室地様がお体の具合を悪くして・・・。あ、そちらの方は?」

 タリョウゴが石木を振り返ると、石木は寝間へと入り背後の男を招き入れた。

「ああ、こちらは夜中に到着した私の同僚の三原一之進(みはら・いちのしん)殿だ。盗賊達の護送の手伝いに来てくれたのだ。」

「よろしく。」

 白髪の中年男――三原はタリョウゴとナオヨシに軽く頭を下げた。

「・・・あ、石木さん達、もう今日には出発するんだった・・・でしたっけ・・・。」

 慣れない敬語に言い直しながら、ナオヨシが表情を曇らせたまま石木達を見上げた。

 石木達が出発してしまうと駐在所は閉鎖されてしまう事はナオヨシにも想像が付いた。だが今の朋彦を何処かに移動させる事は難しく、それに移動する当てもナオヨシには思い付かなかった。

「ああ、心配せずともいい。行商人と言えど旅の疲れが出たのであろう。回復するまではここで過ごすといい。」

 三原はナオヨシの心配事を見抜き、優しい口調で答えた。

「ここの鍵は村長が普段管理しているから、君達が出発する時には村長に返却してくれればいいよ。」

 石木が三原に付け足した。

「あ・・・有難うございます。」

 石木達の言葉にナオヨシもほっとして表情を明るくした。

 遣り取りを見ていた朋彦も礼を言おうとしたが、喉が痛くて声を出す事は出来なかった。 

 石木と三原が寝間から去り、ナオヨシとタリョウゴは朋彦の様子を見守っている内にまたうとうとと寝入ってしまっていた。

 それからまたしばらく経ってすっかり夜も明けると、身支度をしているらしい石木と三原の足音や話し声でナオヨシ達は再び目を覚ました。

 温くなった手桶の水を取り替えようとタリョウゴが台所の方へ行く途中で、土間の長机の前に座っている石木と三原の姿が目に入った。

 二人は駐在所に元々持って来ていた保存食の干飯を戻した雑炊を食べ終えた所だった。

「おはようタリョウゴ君。すまない。先にいただいているよ。」

 石木はタリョウゴの姿に気付き声を掛けた。

「室地殿の体調はどうだい?」

「いえ、まだ・・・。熱もまだあって・・・。」

 石木の問いにタリョウゴは視線を落とした。

「そうか・・・。」

 台所へと向かったタリョウゴの背を見送りながら石木は少し思案し、タリョウゴが水を換えて戻って来るとその後に付いて寝間へと行った。

 朋彦がまだぜいぜいと息をしながら横になっている側に腰を下ろすと、石木は心配そうに見下ろしながら口を開いた。

「室地殿、貴方の体調も悪いのだし、先日頂いた薬だが一本だけでもお返ししたいと思うのだが如何だろう?」 

「いえ・・・。」

 朋彦は薄く瞼を開け、ゆっくりと頭を横に振った。

 石木の親切な申し出だったが、捕縛中のキヨミ達よりは確実にタカコに薬を届ける事の出来る石木から薬を取り上げる訳にはいかなかった。

 それに三本飲み切って初めてタカコが完治する物だったので、一本だけ朋彦が飲んでしまう訳にもいかなかった。

「・・・大丈夫です・・・。薬はタカコさんに届けて下さい・・・。」

 石木達に説明する事は出来なかったものの、後で少しでも具合がましになればその隙に万能薬を作り出して飲むつもりだったので、朋彦はしわがれた声で石木に断りを入れた。

「そうか・・・。判った。薬は必ず療養所に届けよう。」

 朋彦がタカコを気遣って遠慮したと勘違いしたらしい石木は、改めて強く約束した。

 


 それから半時程経つと、背負い袋と笠を手にした石木が寝間へと顔を出した。

「私達はそろそろツワミナトへと出発する。室地殿とナオヨシ殿には今回は大変世話になった。」

 石木の言葉にナオヨシは畏まって正座をしながら聞いていたが、朋彦は喉が痛かったので黙ったまま布団の中で軽く頷いた。

「あ、ではお見送りを・・・。」

 ナオヨシの側で座っていたタリョウゴが立ち上がると、ナオヨシも続いて立ち上がりかけた。

「いや、見送りは結構だ。心配だから室地殿に付いていてあげたまえ。」

 石木に留められナオヨシもタリョウゴも再び腰を下ろした。

 寝間を後にして石木が表に出ると、縄で後ろ手に縛られたキヨミ達とその縄を自分の腰に括り付けた三原が待っていた。

「待たせたな。」

「いや。」

 三原から縄のもう一方の端を受け取ると、石木は自分の腰へと括りつけた。

 先頭に石木が立ち、間をキヨミ達が縄で一列に結ばれ、最後が三原という形で列を組んでツワミナトまで歩くという事になっていた。

 駐在所の前には石木達の見送りに村長と二、三人の村人達が来ていた。

「今回も世話になった。」

「いえ。私達こそ。」

 石木が見送りの者達を向いて軽く頭を下げると、村長も石木へと頭を下げた。

「室地殿は恐らくもう少し滞在すると思う。看病はナオヨシ殿がすると思うが気にかけてやって欲しい。」

「はい。きちんとお世話させていただきます。」

 石木の言葉に村長はしっかりと請け負った。

「――あのマジナ・・・いや、行商人はどうしたのさ。」

 出発前の点検の為、括り付けた縄の結び目を再度確認する石木にキヨミが低い声で問い掛けた。

 自分達が牢から出される時に、駐在所の中に朋彦達の気配が無い様子だったのが気になった様だった。

「ああ、風邪をひいた様でね、今は寝間で寝ているよ。」

 石木の答えにキヨミは面白くなさそうに眉を顰めて呟いた。

「何だい、あたしらに薬くれといて自分が風邪ひいたのかい。」

 キヨミと石木の遣り取りを聞いていた子分達は、根はお人好しではあるので心配そうに駐在所の方を振り返った。

「大丈夫かね・・・。あの行商人。」

 シチゴロウが漏らした呟きを聞き、キヨミは縄で括られたままの両手で軽く小突いた。

「あたしらが心配しなくてもあいつならマジナイでその内何とかしちまうだろ。」

 石木達に聞こえない様に小声で言いながら、キヨミはそれよりもこれからの事をどうすべきかと考え表情を硬くしていた。

 タカコに薬を届け――飲ませるのはどうするか。タカコが回復した後、共に何処に逃げるか・・・。

 硬い表情のままキヨミは背後のテルヒサをちらりと振り返った。

 牢屋に入れられる時に刃物等の危険物を持っていないかと身体検査をされたが、それでよしとされたのか、幸いにも先刻牢から出されて縄で繋がれる時には検査はされなかった。

 朋彦からテルヒサに渡された薬瓶は、そのまま今もテルヒサの懐に隠されていた。

 昨日の石木の話では、朋彦は石木にもタカコへの薬を渡しているとの事で、石木か他の警官かが療養所に薬を届けてくれるという話だったが――。

 警官や役人等何処まで信用出来たものか・・・。

 石木達に任せるべきか、適当な所で逃げ出して自分達の力でタカコに薬を届けるべきか。

 いやしかし、逃げ出してもタカコの居る療養所等調べればすぐに判る事で、そこで待ち伏せされてまた捕まる事も想像に難くない事でもあった。

「どうしたものかね・・・。」

 自分達の身の振り方をどうするか、ツワミナトまでの道中で決めなければならずキヨミは一人溜息をそっと漏らした。



 石木達の出立を見送ってから、村長は少し足早に自宅へと戻った。

「確かこの辺りに・・・。」

 押入れを開けて中を覗き込み、奥の方にあった小さな木箱を見つけると急いで引っ張り出した。

「誰か具合でも悪いのかい?」

 村長が押入れの戸を閉めると、妻が心配げな顔で尋ねてきた。

「行商人様が風邪をひいたそうだ。旅の無理が出たのだろう・・・。せめて煎じ薬でもと思ってな。」

 箱に仕舞っていたアキノヒラガ草を取り出すと、村長は煎じる様に妻に頼んだ。

「まあ・・・。お気の毒に・・・。ついでだから一緒に大根粥でも作りますから持って行っておあげなさい。」

 村長の話を聞くとすぐに妻は台所へと向かい、急いで湯を沸かし始めた。

「ほらほら、お爺さん、そっちの大根と生姜も持って来て下さいな。」

「あ、ああ。」

 手早くアキノヒラガ草を刻み始めた妻に指図され、村長は慌てて野菜を手に台所へと入っていった。



 石木達やキヨミ達が騒がしくしていたという訳ではなかったが、彼等が出ていった後、人気の無くなった駐在所は何となくひどく静まり返っている様に朋彦達には感じられた。

「タリョウゴさん、今日は村の仕事はいいの?」

 寝間の隅で胡坐をかいて座っているタリョウゴにナオヨシが問い掛けた。

 タリョウゴは軽く頭を掻きながら、少し申し訳無さそうに答えた。

「ああ、今日はもう約束も無いし、明日には俺もカミイシダに帰るから荷物を纏める位しか無いから・・・。室地様の具合は心配だけど・・・。」

 カミイシダの村祭りまでのタリョウゴの役割や予定等も決まっていたので、タリョウゴの一存でシモアサダでの滞在を長く延ばす訳にはいかない様だった。

「っ・・・。」

 タリョウゴの言葉を熱で朦朧とする頭で聞きながら、カミイシダまでタリョウゴに同行するつもりだった朋彦は心の中で悔しがった。

「――もし。誰か居ますかね?」

 そこに駐在所の表の方から声が聞こえ、ナオヨシとタリョウゴは様子を見に出ていった。

 二人が土間の方へと出て来ると、小さな土鍋と徳利を手にした村長が立っていた。

「室地様が風邪をひいたと聞きまして、煎じ薬と粥を持ってきたのですが。」

 村長はナオヨシに軽く頭を下げて挨拶し、持っていた土鍋と徳利を渡した。

「あ、あ・・・有難うございます・・・。」

 朋彦の弟子だという事で村長から丁寧な言葉を掛けられ、慣れない扱いにぎこちなくナオヨシは礼を返した。

「・・・あ、でも大事な薬草を・・・。」

 それからすぐ、この村も物が余り豊かにある訳ではない事を思い出し、ナオヨシは申し訳無さに俯いた。

 朋彦の事を心配していない訳ではなかったが、きっと後でマジナイの力で体を治す筈なので煎じ薬はある意味無駄になると思われた。

「いえいえ、この位しかお返し出来ないので気になさらないで下さい。」

 村長はそう言って微笑み、体調の悪い朋彦の所に邪魔をするのも悪いと言ってそのまま帰っていったのだった。

 折角持って来てくれた村長の善意に申し訳無さを感じながら、ナオヨシは土鍋と徳利を手にタリョウゴと寝間へと戻った。

「朋彦さん・・・。村長さんが薬とお粥を、お見舞いだって・・・。」

 枕元に土鍋と徳利を置き、ナオヨシはそっと朋彦に声を掛けた。

 うとうとしかけていた朋彦はうっすらと目を開け、ふらふらしながら体を起こした。

 ふらつく朋彦の上半身を支え、ナオヨシは徳利を差し出した。

 煎じ薬は小さな徳利の中に半分程の量が入っており、濃い茶の様な青草の様な臭いが徳利の口からは漂っていた。

 慣れない臭いにナオヨシもタリョウゴも少し顔を顰めたが、朋彦は鼻も詰まっていた為に臭いは判らなくなっていた。

 ナオヨシから徳利を受け取り朋彦は少しずつ中身を口にした。

「――――!」

 やはり煎じ薬は苦い物と相場が決まっているらしく、口の中一杯にきつい苦味が広がり朋彦は必死で吐き出しそうになるのを堪え、何とか全部飲み干した。

「大丈夫?」

 心配そうに背中を摩るナオヨシに何とか頷き返し、朋彦は空の徳利を手渡した。

 がらがら声で何とか、食欲が無いので粥は後で食べるからと告げ、朋彦はふらふらしながらまた布団へ潜り込んだ。

 それからまたすぐに、駐在所の表から呼び掛ける声があった。

「タリョウゴどんは居るか?」

 その声にタリョウゴが表に出ると、荷車を曳いた村人が二人立っていた。

「ヨシベエが足を挫いてしまって人手が足らんのじゃ・・・。礼はするから、すまんが今日だけ力仕事を手伝ってくれんじゃろうか・・・。」

 タリョウゴが明日にはカミイシダに帰ってしまう事は知っていたので、村人達は頼みにくそうにしながら深く頭を下げてきた。

「ああ、礼はいいですよ。手伝いますよ。」

 タリョウゴは愛想良く笑いながら引き受けた。

「ちょっと出掛けて来る。何かあったら村長様の所に行けばいいから。」

 ナオヨシにそう声を掛けるとタリョウゴは村人達と一緒に出掛けていった。

「・・・何か、ほんとに静かになっちゃったね。」

 しんと静まり返った駐在所の空気を感じながら、ナオヨシは朋彦の額の手拭いを濡らし直した。

「・・・そう・・・だな・・・。」

 朋彦は息苦しさと寒気で寝入ってしまう事も出来ないまま、しわがれた声で答えた。

 ふらつきや眩暈が続き、体もしんどくて考えもまとまらないまま朋彦はぼんやりとナオヨシを見上げた。

 何処で風邪をうつされたのだろうか。意外と心身の疲れがたまっていて免疫力が落ちていたのだろうか――そんなとりとめの無い事を考えながら目を閉じ、無意識に懐の道具袋を摩った。

 今の朋彦の体調ではまともな精神集中が出来ない為、蛙人形に体調の回復や薬の創造を願う事が出来なかった。

 この先似た様な事が起きても大丈夫な様に、万能薬は予め作り出しておいて備蓄しておかなければ――。

 それはそうと、ナオヨシとタリョウゴに全裸で看病されたらとても嬉しいのに――。

 そんな風にあちこちに考えが飛びながら、朋彦は少し眠り始めた。


(パイライフの検閲により削除)

 朋彦、眠りに落ちつつナオヨシとタリョウゴの全裸看病 妄想しにけり



 今日はチヅコ達に出来る手伝いは無く、子供でも出来る家の簡単な拭き掃除や掃き掃除を終えると村長の家に預けられる事になった。

「お爺~。お婆~。」

 チヅコより先にツルオが元気良く村長の家に飛び込んだ。

 チヅコ達の祖母の兄が村長だったが祖母は既に亡くなっている事もあり、また親しい親戚の気安さもあり、チヅコ達は村長夫婦も爺婆呼びで通していた。

 ツルオに続いてチヅコも家の中に入ると、台所で粥の残りを器によそっている祖母――義理の祖母と言うべきか――の姿に気が付いた。

「誰か具合が悪いの?」

 粥が病人食という事は漠然と理解しているチヅコが心配そうに尋ねると、祖母は鍋を片付けながら答えた。

「室地様・・・行商人様が風邪をひいたんだ。」

 何でも出来る偉いマジナイ師でも風邪をひくのかとチヅコは意外に思ったが、それよりもすぐに子供らしい同情心が湧いた。

「可哀想・・・。大丈夫なの・・・?」

「なぁに、滋養のある物を食べて寝てればすぐに治るわね。」

 チヅコの優しい言葉に祖母も微笑み、軽く頭を撫でた。

 滋養のある物という祖母の言葉に、ふとチヅコは団栗の入った粥を思い浮かべた。

 この辺りの山にも椎の木は多く、渋みの殆ど含まれていない椎の団栗は子供のおやつや非常食としても利用されてきた。

 シモアサダでは雑穀粥の量増しや栄養を加える為に、炒って砕いたり擦り潰した団栗がよく利用されていた。

「あたし、団栗取って来る。行商人様に滋養のある物食べさせたい。」

 自分も風邪の時に母に作ってもらった団栗入りの粥を思い出し、チヅコは祖母に告げた。

「そうねえ・・・。」

 祖母はチヅコの言葉を偉いとは思うものの、困った様にチヅコの顔を見下ろした。

 今迄ならばほんの近くの山の入り口までならチヅコ一人でも、短時間なら行かせない事は無かった。

 しかしこの前盗賊に誘拐されたばかりでもあり――そうそう誘拐等は無い様な長閑な土地柄とはいえ、心情的には賛成出来なかった。

「行商人様には気持ちだけでもいいんじゃないか?」

 チヅコと妻の遣り取りを聞いた村長も、ツルオの手を引きながらやって来てチヅコを宥めた。 

「すぐ帰って来させるから心配めさるな。ナオヨシ殿かタリョウゴ殿に、ほんの半時付き添ってもらえば良いでござる!」

 しかし折角のチヅコの思いを無碍にはしたくないサダロウは、チヅコの肩の上で羽ばたきながら反対した。

 一応は精霊であるサダロウの言葉に、村長と妻は困惑しながら互いに顔を見合わせた。

「・・・それじゃあ、訊くだけ訊くが、駄目だと言われたら諦めるんだよ?」

 村長はチヅコとサダロウにそう言い聞かせ、二人を連れて駐在所に行く事にした。



 朋彦は何度か目を覚まし、大根粥もナオヨシに少しずつ食べさせてもらい、また寝るという事を繰り返していた。

 やっと小さな土鍋の半分の量を食べ終えてまた体を横たえた所で、村長がチヅコとサダロウを連れてやって来た。

 村長からチヅコの願いを聞いたナオヨシはどうしたものかと朋彦へと目を逸らした。

 タリョウゴはまだ帰っていない為、チヅコの付き添いはナオヨシという事になるが、人見知りで子守の経験も無いナオヨシには荷が重いと言えた。

「何とか頼むでござる。ほんの半時、すぐそこの山の入り口で団栗を拾うだけでござるから。」

「昨日のみんなの飴のお礼もしたいの・・・。」

 サダロウとチヅコは朋彦とナオヨシに向けて何度か頭を下げた。

「ナオヨシ・・・。悪いけど・・・ほんのちょっと・・・だけ、行ってくれるか・・・?」

「え・・・。う、うん・・・。」

 朋彦の言葉にナオヨシは渋々頷いた。

「・・・半時・・・というか・・・半時の半分ぐらいで・・・さっさと帰るん・・・だぞ・・・。」

 ぜえぜえ言いながら朋彦はしわがれた声でチヅコとサダロウに言い聞かせた。

 正直な所余計な気は使わなくてもいいとは思ったものの、かと言って小さな子供が自分の為に一生懸命になっている姿を否定する気にもなれなかった。

「有難うございます。無理を言ってすみません・・・。」

 まさか承諾してもらえるとは思っていなかった村長は、朋彦とナオヨシに深く頭を下げた。



 昨日の要石の祠のある広場のすぐ近くの――村人のイチヨシさん家の裏山の入口。

 チヅコ、サダロウ、ナオヨシがやって来たのは、そんな、まだ村の中と言ってもいいぐらいの場所だった。

 だがそんな場所でも椎や楠、栗や椿等が鬱蒼と生い茂り、秋の柔らかく白々とした日差しは少し奥に歩いただけで遮られがちだった。

「早く拾っていくでござる。」

 短い時間で帰るという約束を守る為、サダロウはチヅコの肩からせわしなく飛び立った。

 一粒ずつではあったが地面の落ち葉の間に埋もれた団栗を咥え、椎の木の根元に屈み込むチヅコの持つ籠へと運んでいった。

 常緑樹と落葉樹の入り混じった山ではあったが、秋から冬へと少しずつ移り変わろうとする中で、赤や黄の色とりどりの落ち葉が随分と降り積もっていた。

 チヅコとサダロウが団栗を拾う様子をぼんやりと眺めながら、ナオヨシは適当な切り株に腰を下ろした。

「ナオヨシ殿も早く手伝うでござるよ。」

「あ、うん。」

 サダロウに急かされナオヨシもまたすぐに立ち上がり、近くの落ち葉の中に隠れている団栗を拾い始めた。

「あ・・・あんまり遠くに行くんじゃないぞ・・・。」

 一応は見守りの役目を果たそうと、ナオヨシはぼそぼそとチヅコとサダロウに声を掛けた。

「うん。気を付ける。」

 チヅコは地面に屈んだままナオヨシの方を振り返って答えた。

 ナオヨシの居る辺りには余り団栗が落ちておらず、ナオヨシの持って来た巾着袋にはまだ数粒しか入っていなかった。

 ――ナギシダ村でも団栗を拾わされたっけ。

 不意にナギシダ村での暮らしの記憶がナオヨシの脳裡を軽くよぎった。

 ナギシダ村でも秋の収穫を祝う秋祭りは皆楽しみにしていて、祭が近づくと皆そわそわとしていた。

 そわそわと楽しみに待ちながらも――ただ、同時に、秋祭りの後はすぐに冬が来るから皆少し怖い顔をしていたのをナオヨシは覚えていた。

「チヅコ! こっちに沢山落ちているでござるよ。」

 サダロウが大きな椎の木の根元に下り立ちチヅコに呼び掛けた。

「うん!」

 チヅコは小さな籠を手にサダロウの所へと駆けていった。

 ナオヨシ達の近くには何本も椎や栗の木が大きく聳え、昨日の祠の広場から百メートルも歩かない内から薄暗くなっていた。

 時折、小鳥達が囀りながら椎の木々の茂みの奥から奥へと飛び去って行く気配があった。

 チヅコとサダロウが一生懸命団栗を拾う様子を見守りながら、ナオヨシはナギシダ村の秋祭りの夜の事もぼんやりと思い起こしていた。

 祭の日ばかりは節約してきた油や蝋燭、松明を皆が持ち寄って燃やし、珍しく赤々と小川の近くの広場が浮かび上がっていた。

 その明かりの中で、村の皆が楽しそうに飲み食いしたり踊ったりしていた。

 そこから少しだけ離れた薄暗い所では、互いに気の合った村の若い男女が逢引きしたり――公然の秘密ではあったが、こっそりと夜這いの約束を交わし合ったり。

 ナオヨシはそんな村人達の中に溶け込めず、飲み食いもそこそこに、夜這いに誘ってくれた村の娘を断り――皆の所に居辛くて山の中へと逃げ出した。

 山の中の適当な場所で一晩過ごして翌朝家に戻ったのだけれども――、そのせいでナオヨシが女には興味の持てない「産めぬ民」だという疑いが強まってしまったのだった。

「――もうサダロウったら。そっちの団栗はすごく渋いのよ。」

 椎以外の団栗が混じっていた様で、チヅコは笑いながらサダロウの今持って来た団栗を籠から取り出した。

 チヅコ達の近くの地面に屈み込んだ姿勢のまま、何となくナオヨシは辺りの木々を見上げた。

 あの日の山の中は孤独で寒くて辛かったけれども――村の皆から離れている事で却ってほっとした様な・・・色々な気持ちが混じり合ってしんどかった事をよく覚えていた。

 夜の冷たい山の中で虫や鳥の声を聞きながら、大きな図体を小さく丸めて独りっきりで座り込んでいる自分自身の姿も、また。



 ぼんやりと座り込んでいるナオヨシから巾着袋をサダロウが引ったくり、チヅコの籠に入りきらない分を詰め込んだ所でそろそろ帰る約束の時間になっていた様だった。

 小さな籠と巾着袋に一杯になったと言ってもそれ程大した量ではなかったが、チヅコとサダロウは満足した様だった。

「そろそろ帰ろうか・・・。」

 ナオヨシは立ち上がりながらチヅコとサダロウに声を掛けた。

「うん。」

 籠と袋を手にチヅコはナオヨシの所へと戻って来た。

 そこに、山の奥へと続く細い道の方から誰かが慌てて駆け下りて来る気配があった。

 ナオヨシ達が何事かと目を向けると、どたどたと音を立て大股で転がり落ちる様に走って来た二人の村人の姿が現れた。

「シゲジ殿にキサブロウ殿ではないか!」

 知っている顔だったのかサダロウが二人の名前を呼びながら、チヅコの肩の上で驚いて声を上げた。

 狩猟用の弓矢を手に握ったまま、息も絶え絶えに真っ青な顔をして二人はチヅコとサダロウ、ナオヨシの前に座り込んだ。

「早く村長に知らせないと!」

「化生が下りて来ぬ内に!」

 青い顔のまま気持ちを落ち着ける暇も惜しんでシゲジとキサブロウは再び立ち上がり、チヅコ達を家に戻る様にと急き立てた。

 彼等の勢いに押され、共に村長や駐在所の方へと早足で歩く中でナオヨシ達が何事かと訳を聞くと、シゲジとキサブロウは未だ青い顔のまま答えた。

 村の近くの山中に点在するアキノヒラガ草の採集場所の内、一番奥にある所に二匹の猿型の化生が出現したのだという。

 二人が山の兎を狩りに出掛けた帰り道、採集場所に通り掛かった所で出くわし慌てて逃げ帰って来たのだった。

 幸いにも猿の化生はまだ本気でシゲジとキサブロウを襲う気ではなかったらしく、また、シゲジが放置した獲物の兎の方に興味が向いたお陰で逃げ切る事が出来た。

「おい! 猿の化生が二匹出た!」

「皆に知らせてくれ!」

 歩く途中で出会った村人達にもシゲジ達は慌てて声を掛け、声を掛けられた村人達も顔を青くしてそれぞれ知らせを村に広めるべく駆け出した。

 大人達のただならぬ緊張と騒ぎ様に、早足で歩きながらチヅコも震え始めた両手で団栗の入った籠を抱き締めた。

「チヅコ・・・大丈夫でござるよ。きっと、室地殿が何とかしてくれるでござるよ・・・。」

 サダロウにしては珍しく周囲を気遣って小声でチヅコに囁きかけた。

「うん・・・。」

 風邪をひいているとはいえ、大きな御屋敷を出したり盗賊をあっという間に縛り上げた凄いマジナイ師ならば、きっと化生もやっつけてくれるに違いない――チヅコもサダロウも、そう思う事によって何とか恐怖に泣き出しそうになる気持ちを堪えた。

 村長の家に彼等が着くと、先にキサブロウが飛び込むように中に入り、村長夫婦に猿の化生が出た事を説明した。

「何だって!?」

 話を聞いて村長はすぐに険しい表情になり、村の主だった男衆を集める様にシゲジへと頼んだ。

 すぐに村人を呼び集めようとシゲジは飛び出していった。

 少しの間村長は走っていくシゲジの背中を厳しい表情で見つめていたが、近くに居たチヅコ達に今やっと気付いたかの様に顔を向けた。

「チヅコ達はお婆さんと一緒に、お母さん達が帰って来るまでここに居るんだよ。」

 村長の言葉にチヅコは黙って頷いた。

「さあさあ、団栗は台所に置いておきましょうね。」

 サダロウを肩の上に乗せたチヅコとツルオの手を引いて、村長の妻は家の奥へと引っ込んでいった。

「じゃ・・・じゃあ、オレ・・・帰り・・・ます。」

「あ、ああ。ナオヨシ殿も今日はすみませんでした。室地様には宜しく伝えて下さい。」

 慌ただしく張り詰め始めた空気に怯みながら、ナオヨシは取り敢えず駐在所に帰ると村長達に告げ、村長の家を後にした。



 化生が出たという知らせは瞬く間に村中に広まっていた。

 ナオヨシが駐在所に帰るまでの僅かの距離を歩く間にも、村人達が仕事を途中で放り出して自宅に帰る様子が目に入った。

「ナオヨシ殿!」

 駐在所まで後少しという所で、ナオヨシの背後からタリョウゴの声が聞こえた。

 ナオヨシが振り返ると、タリョウゴも険しい顔で足早に歩いていた。

 化生が出たという知らせを聞いて仕事は打ち切られ、急いで帰って来たのだとタリョウゴはナオヨシに告げた。

 タリョウゴとナオヨシは駐在所に戻ると取り敢えず雨戸を閉め、他にも閉められる窓や戸口は全て閉めた。

 作業を終えて二人が暗くなってしまった寝間に入ると、物音で目を覚ました朋彦が布団の中からナオヨシを見上げながら尋ねた。

「・・・何か・・・あったのか・・・?」 

 ナオヨシは朋彦の枕元の電気ランタンのスイッチを入れ、近くに腰を下ろした。

「化生が山の中に出たって・・・。」

 朋彦の問いにナオヨシは声を震わせながら答えた。

「・・・!」

 横になったまま朋彦は驚きに目を見開いた。

 朋彦とナオヨシは今迄に二度化生と遭遇し、必死で何とか撃退した事はあったが、どちらも健康な時だった。

 まだ頭痛も寒気も続いている今の朋彦では、蛙人形を使いこなして化生を斃す事は無理だった。

「し・・・心配せンでも・・・きっと大丈夫です・・・。小型の猿の化生が二匹と言ってました。そン位なら戦った事もあります。」

 硬い表情ではあったが、タリョウゴは不安に沈む朋彦とナオヨシに向けて強い口調で言った。

 去年も一昨年も、祭の買い出しの為にあちこちの村を行き来する途中、盗賊や化生にごくたまに山奥の道で襲われる事があったが一人で撃退した事もある――とタリョウゴは朋彦とナオヨシに告げた。

「まあ、流石に買い出しの荷物は駄目になってしまったですけど・・・。」

「タリョウゴさん、やっぱすげぇ強い相撲取りさんなんだ。」

 頭を掻きながらそう言うタリョウゴの様子に、朋彦もナオヨシも少しだけ不安や緊張が和らいだ様だった。

 それからまた朋彦はうとうとし始めたので、ナオヨシは電気ランタンの明かりを弱めた。

 ナオヨシが時々朋彦の額の手拭いを濡らし直し、手桶の水を交換する他には特に何かするでもなく時間が少し過ぎていった。

 手持無沙汰のままナオヨシもタリョウゴも朋彦の近くに座ってぼんやりしていると、駐在所の表口の雨戸を叩く音が聞こえてきた。

「――タリョウゴ殿!」

 自分を呼ぶ声にタリョウゴが立ち上がり、表口へと向かった。

 雨戸を少しずらして外を覗くと、村長と二、三人の村の男衆が鍬や鋤を手に立っていた。

 村長はシゲジやキサブロウ、村の他の男衆達と話し合い、化生を刺激して村の方に来る事が無い様に今夜はこのまま戸締りを厳重にして静観する事にした――と、村の決定をタリョウゴに伝えた。

 そして明日、夜が明けてから何人かの男衆が鍬等を武器代わりにして化生の様子を確かめに行くので、出来ればタリョウゴにもその中に加わって欲しいという事だった。

 化生が何処かに立ち去っていればそれでよし、そのまま居る様であれば派遣した者達で力を合わせて殺す――消滅させるという事で、その際の簡単な役割分担や連携を軽く打ち合わせると村長達は帰っていった。

 再び雨戸を閉めてタリョウゴが寝間へと戻ると、ナオヨシがまた心配そうな表情でタリョウゴを迎え入れた。

 村長達との話し声が寝間まで聞こえていたので朋彦も目を覚ましていた。

「聞こえてたと思うけど、そンな訳で夜が明けたら出掛けて来ます。ナオヨシ殿は室地様に付いてあげて下さい。」

 タリョウゴの言葉にナオヨシは不安気な表情のまま黙って頷いた。

 朋彦もナオヨシも武道の心得も無い素人の上に、朋彦の方は未だ体の具合が悪くて伏せっているのでは村人達の足手纏いにしかならなかった。

 タリョウゴや村人達の事が心配ではあったものの、二人に何かが出来るという訳でもなく――ただタリョウゴや村人達の明日の無事を祈るしかなかった。

 何か心配で余計に具合が悪くなった気がする――朋彦はそう思ったが口に出す気力も体力も無く、再び目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る