とおとななつめのかたり「シモアサダにてのあきない、手伝いのおのこどもの汗まむるるに 朋彦よろこびにけり」

 朋彦とナオヨシがタリョウゴの喜ぶ様子に心をときめかせていると、仕事の小休止なのか軽く肩を揉みながら石木が事務の部屋から姿を現した。

「おお、これはまた凄いな。ここがツワミナトの商店と言われても信じるぐらいだよ。」

 土間から軒先にかけて並べられた商品の種類と量に石木も目を見張っていた。

「そ・・・そうですかね・・・。流石にそんな事は無いでしょう・・・。いや、ははは・・・。」

 巡回の仕事であちこちの村や町を見知っているであろう石木にまでそう言われ、朋彦はもう笑って誤魔化すしかなかった。

「そこ迄謙遜せずとも。」

 朋彦のひきつった笑いに石木は苦笑した。

 それからまた商品に目を向けた所で、土間のむしろの上に並べられた金槌や釘に目が留まった。

「ほほう、金属の槌や釘も商っておられるのだね。丁度良かった。駐在所の修繕も前々からしたいと思っていたのだよ。」

 駐在所の建物も長年の間に雨漏りや壁板が腐る等して傷んでいた。

 村人達の協力でそうした屋根や外壁等は優先的に最低限の補修はされてはいたものの、細かい箇所の傷みは後回しにされがちだった。

「ああ、じゃあ、ついでですから掃除とか、ちょっとだけの簡単な修理で済む所とか手伝いますよ!」

 朋彦はこれ以上商品について注目されないよう、慌てて石木の手伝いを申し出た。

「ナオヨシも手伝ってくれよ。――あ、どっかの壁に板でも打ち付けるんですかね。釘は値引きしときますんで。」

 朋彦は金槌と釘を掴むとナオヨシの手を引いて表に出ようとした。

「いやいや、そこ迄慌てなくてもいいよ。村長の所から板をもらってくるので、それ迄すまないが拭き掃除でも頼むよ。」

 石木は朋彦を苦笑しながら留め、桶と雑巾を用意してから村長の家へと出掛けて行った。

 昼食まではまだ時間があったので、朋彦とナオヨシは取り敢えず廊下や木戸等目に付いた所から雑巾で拭き始めた。

 慣れない手付きで掃除をする朋彦達に、いつの間にかタリョウゴが指導をする形で混じり、ナオヨシの背の高さを活かして天井まで拭き始め、ちょっとした大掃除の様相を呈し始めていた。

 何枚かの板を手に石木が戻って来ると、障子の桟や部屋の鴨居等の細かい所の埃や汚れまできれいになっていた。

 朋彦が手を止めて迎えると、石木は感心しながら天井や土間を見渡した。

「本当にきれいになったものだ。助かったよ。今迄つい細かい所は後回しにしていたからね。」

 石木は朋彦達に礼を言い、他の拭き掃除をしてもらいたい場所を頼んでから板や金槌を手に外へと出て行った。

 しばらくしてトントンという釘を打つ音が外から響いてくるのを聞きながら、朋彦達三人もそれぞれ掃除を再開した。

「さて・・・。」

 朋彦は独り言を呟きながらふと溜息を吐いた。

 次は牢屋の方の掃除だった。

 奥の木戸を開けて牢屋の方に朋彦がやって来ると、当然の事ながらキヨミ達の姿があった。

 何がどうという訳ではないものの、どうにも気まずい気持ちになってしまい、朋彦は余りキヨミ達の方を見ない様にして拭き掃除を行なう事にした。

「・・・随分騒がしいと思ったら大掃除かい。」

 牢屋の中で寝そべったままキヨミが呟いた。

「ええ、まあ・・・。成り行きで・・・。」

 朋彦はキヨミの問いに答えながら廊下を雑巾で拭き始めた。

 暫く無言のまま拭き進めていると、退屈しのぎなのか気紛れなのかキヨミが面白くもなさそうな口調で朋彦へと声を掛けて来た。

「あんたならわざわざ這いつくばってやんなくても、ささっとマジナイの一つで片付くんじゃないのかね。」

「まあ・・・あんまり誰彼に知られない様に、みだりに使わない様にしているというか・・・。」

 牢屋の木枠を拭く作業に移り、朋彦は曖昧な返事と曖昧な表情をキヨミに向けた。

 すぐに雑巾が黒く汚れ、朋彦は木桶でざぶざぶとすすいだ。

「薬なんかよりあんたがタカコの所に行ってちょちょいのちょいで病気治してくれたらいいんだけどなあ。」

 寝そべったキヨミの近くで小柄で太目な男の影が動いた。

 確かシチゴロウと言っていただろうか。余り人の顔や名前を覚えるのに自身が無い朋彦は、黙ったまま拭き掃除の手を止めずにシチゴロウの方を向いた。

「なあ、メシ以外にも色々出せるんだろ? 美味い酒、一遍酔い潰れるまで飲んでみてぇなあ。」

 シチゴロウの隣で丸まって座り込んでいたひょろっと痩せた背の高い男――スエハチだったか――も、朋彦が承諾する筈も無いと判っていながらも無邪気に笑いつつ願い事を口にした。

「お前ら・・・。そいつをあんまりからかうな。力のあるマジナイ師はバケモンだ。・・・姐さんを女郎にしようとした奴や療養所の奴と比べたら格が違い過ぎる。バケモンに関わり合いにならない方がいい。」

 小柄で痩せた男――タケハルが牢屋の奥の方で胡坐をかいて座り込んだまま、鋭い目付きで朋彦の方を睨み付けていた。

 タケハル自身はこのニシガヨリヒラ島でキヨミ達の仲間になったので、キヨミに隷属の呪縛を掛けようとしたマジナイ師自身を見た事は無かったものの――ある意味で正しく朋彦の能力の異質さを感じ取っていた。

 溺れて川辺に流れ着いたツルオを助けた時に水の上を飛んだり、キヨミが振り立てた小刀を防ぎ切ったり、自分達を捕縛したひとりでに動く縄や鉄柱の上に聳える屋敷を作り出したり、幾らでも水や食べ物を作り出したり――何より、診察してもいないタカコの病気を治せるという薬まで作り出したのだ。

 そんな事は医薬に関する神か精霊でもないと出来ない筈だった。

「「鬼神を敬して遠ざける」ってところか・・・。」

 タケハルが朋彦を睨む様子を寝そべったまま眺めながら、キヨミは拭き掃除を続ける朋彦に冷ややかな一瞥をくれた。

 タカコの薬をくれた事には一応の感謝はしているものの、キヨミの中でやはりマジナイ師達への激しい不信感は消えるものではなかった。

 そんな何とも居心地の悪い思いをしながらの掃除を終えると、一応はキヨミ達に軽く頭を下げ、朋彦はそそくさと牢屋を後にした。



 木桶の汚れた水を裏の庭木に撒いてから、朋彦は木桶を片付けようと台所へとやって来た。

「あ、朋彦さん。こっちの掃除は今終わったよ。」

 台所ではナオヨシが雑巾を絞り終えた所だった。

「お疲れ~。そろそろ腹減って来たな。」

 ナオヨシによって灰や古い燃え殻も綺麗に片付けられた竈を眺めながら、朋彦は軽く腹をさすった。

「お昼、何か食べたい物あるか?」

 腹をさする手をそのまま懐の道具袋に潜り込ませながら、朋彦はナオヨシの方へと顔を向けた。

 しかしナオヨシは雑巾を手にしたまま何事か考えているのか、浮かない顔でぼんやりと立ったまま返事は無かった。

「・・・どうした?」

 朋彦が問い掛けると、ナオヨシは曇った表情のまま呟く様に答えた。

「キヨミさん達の、その何とかっていう仲間の人の病気、大丈夫かなって。・・・それに、キヨミさん達も明日にはどっか連れて行かれて裁かれるんだろ? 何か・・・ずっと気になってて。」

 チヅコとツルオの幼い姉弟を誘拐し、高価な薬草を奪おうとしたが――それは仲間の治療の為だった。

 自分が何か出来るという訳でもなく、そしてキヨミ達の事情に闇雲に深く踏み込むという訳でもないものの、ナギシダ村を脱出して初めて出会った村の外の者達の事は、ナオヨシの心に強い印象を刻んでいた。

 単純な善悪や、ナギシダの様な小さな村の中だけで完結する村の掟といったものだけではなかなか割り切る事の出来ないキヨミ達の事情は、ナギシダ村の様な辺境のごく小さく単純な世界しか知らなかったナオヨシにはまだ難し過ぎ――ただ心を痛める事しか出来なかった。

「・・・優しいよな、ほんと。」

 自分もナオヨシと大して歳も違わず、決して社会経験が豊富という訳ではないけれども、朋彦はつい微笑ましく、好ましくナオヨシを眺めていた。

 知識の参照で朋彦の頭の中に流れて来たニシガヨリヒラ島の社会常識的な情報を見ると、ツワミナトという海辺の大きな町に警察署があり、そこでキヨミ達は更に取り調べを受けて奉行所――この世界での裁判所の様な所で刑罰が確定する様だった。

 呼び名や細かい組織の内容は異なってはいたが、基本的には朋彦が元居た世界と罪人の扱いの流れには大差は無い様だった。

 ・・・誘拐と略取は専門的には違うんだっけか。

 元の世界での聞きかじりの知識を思い出し、朋彦はそれを元にこの世界での刑罰の知識を手繰り寄せた。

 ――略取とは暴行や脅迫によってその被害者の身柄を得る事を言う。

 ――未成年者を略取した者は、三ヶ月以上七年以下の懲役に処する。営利・猥褻・結婚目的では一年以上十年以下。身代金目的では無期懲役または三年以上の懲役となる。

「・・・あ・・・。」

 元の世界の刑罰とこの世界の刑罰はおおよそ同じ様な感じになっていた。

 キヨミ達に同情心を抱いているナオヨシに誘拐・略取の罪が重かった事を説明する事は、朋彦には出来そうもなかった。

 朋彦が困っている所に、丁度石木が台所の勝手口からやって来た。

「ああ、良かった。ここに居たのか。昼食をまた買いたいのだが・・・。」

「あ、はい! ちょっと取って来ますね。」

 石木の頼みにまた荷箱からレトルトパックを取って来る振りをしようと、朋彦が土間の方に足を向けた所で、ナオヨシが声を上げた。

「石木さん! あ・・・あの・・・!」

 不意に掛けられたナオヨシの声に石木は少し驚いた様だったが、そのまま次の言葉を待った。

「キヨミさん達・・・その・・・病気で困ってる仲間の人が居るんだけど・・・。その・・・何とかならないかと思って・・・。」

「病気の仲間・・・? 」

 話下手で人見知りなナオヨシの今一つ要領を得ない言葉に、石木は少し困惑しながら首を傾げた。

 夜中にキヨミが語っていた話も知らず、まだ取り調べも始まっていなかった為、石木にとっては初めて聞くキヨミ達の背景に、今一つナオヨシの言いたい事が理解しきれないで居た。

「あ、えーとですね。夜中にあいつらが脱獄しようとした時に聞いたんですけど・・・。」

 慌てて朋彦が補足し、キヨミ達の事情を改めて石木へと説明した。

「成程・・・。彼等にそんな訳があったのか。」

 朋彦からキヨミ達が今回の犯罪を行なうに至った訳を聞き、石木は困惑しながら溜息をついた。

「まあ、あくまで一般的な対応になるが、そのタカコという者については治療が勿論優先される。体調が良くなった所で改めて身柄を保護して彼女へも取り調べを行ない――何かしらの罪がある事が判れば逮捕されるし、そうでなければそのまま釈放といった所だろう。」

 石木の説明にナオヨシも朋彦もひとまずはほっと一息ついた。

 今回のチヅコとツルオの誘拐――専門用語としては略取か――にはタカコは関わっていないので、それに対しての罪を問う事は出来ないだろう。

 今迄のキヨミ達の犯罪まではキヨミからは聞いてはいなかったが、彼等の様子からはそれ程高価な品物を盗んだり誰かを傷付けたという様子も無さそうだったので、今回の誘拐について情状酌量の判断が下りれば重罪と見做される事も無さそうだと朋彦は取り敢えずは安心した。

「しかし、室地殿・・・いや彼等のその話し振りからするとそこの療養所には今は碌に薬も無い様子だ。タカコとやらの身柄を保護するにしても・・・ううむ。」

 真面目に職務を遂行するべく石木はあれこれ考え始めたものの、まず優先しなければならないタカコの体調回復に早速支障が出た事に渋い表情を浮かべていた。

 石木の言葉にナオヨシが口を開き、

「薬なら朋彦さんが・・・。」

 そう言い掛けたものの、朋彦の方を見てその声は尻すぼみになり小さく消えてしまった。

 朋彦がとても凄いマジナイ師である事を、朋彦自身は言い触らして欲しくないと言っていた事をナオヨシは思い出した。

 それに何でもかんでも朋彦のマジナイの力に安易に頼り切る事は良い事ではないと、小さなナギシダ村の中だけで生きてきたナオヨシにも想像が付く事だった。

「ナオヨシ・・・。」

 困った様に俯くナオヨシの背中へと、朋彦はそっと手を添えた。

 ナオヨシが何を思って言い掛けた言葉を打ち切ったのか朋彦にも想像が出来、微笑ましく温かな眼差しを俯き続けるナオヨシへと向けた。

 ナギシダ村での孤独な生活でも擦り切れる事の無かったその温かく優しい心の在り方は、朋彦が持ち続ける事の出来なかった羨ましく眩しいものだった。

「どんな病状かは判りませんが、取り敢えず滋養強壮と体力回復の効果のある薬なら売り物の中にあります。安くしますし後払いという事で持って行って下さい。」

「そうか。有り難い。」

 朋彦の申し出に、石木は驚きつつもそれを素直に受け取る事にした。

 治療の必要な容疑者の為の医薬品ならば問題無く経費として認められる。それに、ナギシダやシモアサダの様な辺境の土地でも様々な品物を取り扱う朋彦の手腕ならば、優れた医薬品であっても石木が遠慮し過ぎる必要も無く朋彦にとっては容易に入手出来るのだろう。

「すぐ取って来ます。」

 そう言って朋彦はナオヨシと共に土間の方へと向かった。

 土間の隅に積み上げた荷箱の中から薬を取り出す振りをする為に、荷箱の前に屈み込んだ朋彦の背にナオヨシが申し訳無さそうに声を掛けた。

「ごめんね・・・。朋彦さんのマジナイに頼ってばかりで。」

 ナオヨシなりに色々と思い悩んでいたのだろうと察しつつも、朋彦は屈み込んだまま振り返った。

「気にすんなよ。これ位全然大したコト無いしな。」

 そう言って微笑む朋彦の前にナオヨシも腰を下ろした。

 安易に朋彦の力を頼る申し訳無さにナオヨシの表情は曇ったままだった。

「気にすんなって。・・・それに、ナオヨシのそういう優しいとこ、好きだしな。」

 笑いながら朋彦はナオヨシの頬を人差し指で軽く突いた。

「す、好きって・・・。」

 朋彦の言葉にナオヨシの顔は即座に赤く熱を持った。

「んー。風邪でもひいたか?」

 にやにやと笑いながら朋彦はナオヨシの額へと、自分の額をこつんとくっつけた。

 そのまま猫の頭突きの様にぐいぐいと朋彦がナオヨシの額を押し続けていると、ナオヨシは顔をますます真っ赤にしながら慌てて朋彦を引き剥がした。

「だ、ダメだってば。誰かに見られたらどうするんだよ。」

 「俺達の家」の中ならばともかく、いつ他人に見咎められるか判らない状況では流石にナオヨシも朋彦との濃いじゃれ合いは憚られた。

「へいへい。」

 朋彦は少し残念そうにしながらも立ち上がり、無造作に道具袋へと手を突っ込むとキヨミ達に渡した飲み薬と同じ小瓶を三つと、今日の昼食にする炊き込みご飯や煮物のレトルトパックを人数分取り出した。

「・・・ほんとに、大したコト無さそうなのがすげえよな、朋彦さん・・・。」

 ナオヨシは朋彦からレトルトパックを受け取りながら溜息をついた。

 朋彦の力を安易に頼る事は良くないと判ってはいても、こうも無造作に薬や食べ物を作り出す様子を見せられては、申し訳無さよりも呆れる感情の方が勝ってしまうのだった。

「だから必要以上には気にすんなって。じゃあ、腹も減ったし、皆で昼飯にしようぜ。」

 そう言って朋彦はナオヨシを促して石木の待つ台所へと戻る事にした。



 タリョウゴは見てしまった。

 駐在所のゴミや古い材木を裏庭へ持っていこうと何度か建物の外を往復していた時に、土間の窓から朋彦とナオヨシの話す声が漏れ聞こえてきた。

 何かの薬が必要になって荷箱の中から取って来る事になったらしいと、そんな朋彦達の微かな話し声がタリョウゴの耳に届いた。

 薬も取り扱っているとは流石だとタリョウゴは感心しながら、そのまま古い材木の束を抱えて通り過ぎようとした。

 それから何の気無しに窓から土間の中をちらりと覗き――朋彦とナオヨシがじゃれ合う様子を見てしまったのだった。

「・・・!」

 仲良く笑い合い、頬をつっついたり額をぐりぐりとくっ付け合う二人の様子は・・・仲が良過ぎるし過剰な触れ合いではあった。

 だがまあ、大変に仲の良い仲間同士の触れ合いの一環である、と、こじつけられない事も無く――。

 タリョウゴはそんな風にじゃれ合える朋彦とナオヨシの様子を、羨ましく眺めてしまった。

 カミイシダ村で自分と同じ位の年頃の男子は勿論大勢居るし、農作業等の日々の村の仕事の手伝いで交流する事だってあったし、冗談を言ったりふざけ合ったりする事もあった。

 だが、そんな彼等に友情だけではなく欲情をも抱いてしまう身の上を決して知られてはならないという緊張感は、タリョウゴの心に常に他人との間に壁を作らせていた。

 あんな風に心から笑い合い触れ合える事の、何と羨ましい事か――。

 窓の中の朋彦とナオヨシの姿から目を逸らすと、タリョウゴは二人に気付かれない様にそっとその場を離れた。



 朋彦達と一緒にキヨミ達への昼食を持って行ったついでに、石木はタカコの居る療養所に薬を届ける話をした。

 テルヒサが朋彦から既に薬を受け取ってはいるものの、それは勿論石木の知らない事ではあったし、キヨミ達が自力で届ける為には脱獄しなければならないので、石木からの話は最も穏便にタカコを治療出来るものだった。

「――そうした訳で、その仲間の女性の居る療養所が何処なのかを教えてもらいたいのだが。」

 石木の話を聞きながらもキヨミは牢の中で寝そべったまま不機嫌な表情を崩さなかった。

「へっ。警官なんかに話す事なんて無いやね。」

 キヨミの返事に石木は溜息をついた。

「そうか・・・。それは残念だが、私も聞いた以上は放っておく訳にもいかないのでな。療養所の方には薬を届ける様に手配しておく。仲間の回復も近いだろう・・・。」

 真面目に職務を遂行しようとしている石木は、良心的で思いやりもあるのだろうとキヨミ達との遣り取りを見ながら朋彦は思った。

 牢屋を後にする石木に、朋彦の後ろで成り行きを見守っていたナオヨシが疑問を口にした。

「あの、療養所の場所とか、いいんですか?」

「ああ。室地殿からの話で充分だよ。ツワミナトの近くの町や村にある貧しい人達向けの療養所ならばすぐ判るからね。」

 一応は取り調べにキヨミ達が協力してくれたという体裁を作りたかったのだろう。石木の良心的な働き掛けは失敗したものの、タカコの所へは薬は確実に届く様だった。

 朋彦もナオヨシもひとまず安心した。

「さ、私達も昼飯にしよう。室地殿達は昼から忙しいだろう? 早く食べて備えないと大変だぞ。」

 辺境の村での行商は時には祭りの様に賑やかで混雑する事を知っている石木は、余裕なのか余りに呑気にしている朋彦とナオヨシを苦笑しながら急き立てた。



 土間は既に並べられた商品で一杯になっていたので、少し早めの昼食は朋彦達の寝間で取る事にした。

 朋彦達四人分の食事の乗った盆を畳の上に並べ終り、外でまだ作業をしているタリョウゴを呼びに行こうと朋彦とナオヨシが部屋を出た所でタリョウゴと鉢合わせた。

「あ、タリョウゴさん! 少し早いけどお昼にしようよ。」

 ナオヨシはそう言って部屋の中へとタリョウゴを促した。

「え? ああ・・・。」

 ビニールのパックを外されて盆に並べられた炊き込みご飯からは温かな湯気が上り、醤油と茸の香りがタリョウゴの鼻へと届いた。

 部屋の入り口で人の良さそうな笑顔を向けてくるナオヨシと朋彦の姿に、先刻の土間で仲良くじゃれ合う二人の様子を思い出してしまい、タリョウゴは一瞬だけごく僅かに肩を強張らせてしまった。

 自分もあんな風に誰かと振舞える様な日が、いつか来るのだろうか――。

 そんな思いが胸の奥で蠢き、ちくりと小さく刺す様な痛みを感じたものの、タリョウゴは無理矢理押し隠し自分の盆の前に腰をどっかと下ろした。

「さ、いただこうか。」

 石木が煮物へと箸を伸ばし、朋彦達もそれぞれ食べ始めた。

「やはり美味いな。これが保存食とは思えないよ。異国の技術は大したものだ。我々の様な巡回仕事だと、こういう保存食があると本当に助かるのだが。」

「いや・・・ははは。そうですね・・・。」

 明日からのツワミナト迄の護送の道のりを思い、しみじみと煮物の里芋や人参を食べながら褒めてくる石木に、朋彦は相変わらずの曖昧な笑顔で誤魔化した。

 石木とそんな話をしながら朋彦達が半分程食事を食べた所で、表の方から誰かが呼び掛て来る声が聞こえた。

「――どなたか居りませんかのう?」

 その声に出入り口近くに座っていたタリョウゴが立ち上がり、様子を見に行った。

 朋彦達もタリョウゴの後に続いて表の方へと行くと、そこには既に何人かの村人達が乾物や酒瓶等を手に立っていた。

「え? もう来たの?」

 早速の来客に朋彦は慌てて土間へと下り立った。

 待ちきれなかったらしく、昼飯を早々に終わらせてやって来たのだと村人達が朋彦達へと話す間にも、後から後から客がやって来始めていた。

「あ、そしたら会計――支払いの人はこっちに並んで下さい~!」

 愚図愚図していると捌き切れなくなると予感し、朋彦は慌てて土間の長机の一部を片付けて会計用の場所にした。

 ナギシダ村の時よりも数多くの商品を用意していたが、やはり滅多に行商の来ない村の事であり、この機会を逃すまいと多くの村人達が多くの商品を買っていった。

 成り行きでタリョウゴや石木も朋彦達と共に接客や品出しを手伝ってくれて、おおよそ二時間程で品物も売り切れ、村人達も午後の仕事へと戻っていった。

「・・・何かあっという間だったね・・・。」

 慣れない会計や接客にくたびれ切ったナオヨシが長机の上に大きな溜息をついて突っ伏した。

 代金や釣銭の遣り取りや接客も一杯一杯になりながら手伝っていたせいで、ナオヨシの体は緊張感で汗まみれになってしまっていた。

 客の買った品物を途中まで運んだり、荷箱から在庫を出したりと、肉体労働で手伝ってくれたタリョウゴも額の汗を拭いながら土間にそのまま腰を下ろした。

 ナオヨシやタリョウゴのそんな労働の後の汗でうっすら光る肌を堪能しながら、朋彦は長机の上に無造作にまとめ置かれた銅銭の山を数え終わった。

「やっぱり全部売れちまったか・・・。」 

 すっかり何も無くなってしまった台やむしろを眺めながらタリョウゴが残念そうに溜息をついた。

「そうだな。私も干物やどぶろくの一本くらいは買っておきたかったな。」

 予想はしていた様で石木は苦笑を浮かべた。

 石木が手に入れた品物は、タリョウゴと村長が朋彦に頼んでいた半紙の束と五つ程の墨の塊だけだった。

 そんな二人の言葉を聞いてしまい、ナオヨシは長机から顔を上げると隣に座っている朋彦の方を向いた。

 タリョウゴの――好みのガチムチ男子の為になる事ならば、キヨミ達の薬の時の様な気遣いや思慮等を全く必要とせずにマジナイの力を手加減無く振るうに違いない。

 ナオヨシのそんな直観は正しかった様で、

「朋彦さん、何とかならな・・・。」

「任せろ。」

 ナオヨシが言い終る前に朋彦はにやりと笑い、勢いよく立ち上がった。

「あ、二人共ちょっと待ってて下さいね。売り物、カミイシダ用に取り置きしてましたから!」

 そう言うと朋彦は裏庭の方へと素早く走って行った。石木はともかく、タリョウゴの喜ぶ顔を見ながら自分も喜びたい朋彦にとっては何も迷う事等無かったのだった。

 商売する間は邪魔になるからという事で裏庭に置いていた朋彦達の荷車の上に、朋彦は早速大き目の荷箱を一つ作り出した。

 祭には多分酒や食べ物の方が必要だろうと想像し、荷箱の中身は酒を中心に、保存が利くが飽きが来ない様にと様々な種類の乾物を詰め込んだ。

 何となく呑み助が喜びそうな品物の組み合わせになった様な気がしたものの、朋彦は取り敢えず荷車を曳いて駐在所の土間へと荷箱を運び込んだ。

「室地様・・・有難うございます。」

 戻って来た朋彦にタリョウゴが頭を下げた。

 荷箱を開けてみると、駐在所の前に並べられていた物よりも少し高価と思われる酒や乾物がぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 朋彦の気遣いに申し訳無さそうにはしてはいたが、予想外に上等な酒や食べ物を村の為に入手出来てタリョウゴは嬉しそうに微笑んだ。

「良かったねタリョウゴさん。」

 ナオヨシがタリョウゴへと声を掛け、朋彦と共に二人してタリョウゴの喜ぶ様子を心ときめかせながら堪能した。

「石木さんもどうぞ。」

 朋彦が声を掛けると、石木も荷箱の中へと手を伸ばした。

「では遠慮無く。」

 先程の言葉通りに石木はどぶろくの入った大き目の酒瓶を一つと、布袋に入った十尾程の干物を手に取った。

「はい。えーと値段は・・・。」

 村人達に先刻売った品物よりは若干上質などぶろくと干物ではあったが、計算が面倒だったのとそもそも仕入れ値が存在しないので朋彦は村人達に売った物と同額で計算した。

「あ、俺の方は多分・・・足りない・・・。」

 石木が朋彦に金を払うのを見ながら、タリョウゴは手にしていた巾着袋の中身をちらりと見た。

 この村での買い物で既に幾らか使ってしまっていたし、朋彦が取り置いてくれていた品物は質も良く少しだけだが値も張る物だと思われた。

「カミイシダに戻ってからでいいですよ。」

 タリョウゴが全裸で四股踏みしてくれるのを見せてもらえたら無料でもいいくらいだったが、流石にそんな事を言う訳にもいかず、朋彦は無難に愛想笑いを取り繕った。



「すっかり冷めちまったな・・・。」

 朋彦達が寝間へと戻ると、当然の事ながら盆の上の食べかけの食事は冷めてしまっていた。

 流石に電子レンジを出して温め直す訳にもいかず、少し味の落ちた煮物や汁物をかき込んでから、朋彦とナオヨシは駐在所の前に出しっ放しにしていた台や荷箱を片付ける事にした。

 タリョウゴは午後も村人達の手伝いの約束があるとかで、食事を終えるとまた出掛けていった。

「箱もむしろもどうするかなあ・・・。」

 土間の隅に高く積み上げた空の荷箱を見上げながら朋彦は溜息をついた。

 調子に乗って商店が開ける位の量を作り出したものの、次に何か仕入れる時に使うという用事もある訳は無く、現状は空の荷箱は朋彦達にとってはただのゴミだった。

 もっと言えば荷車すら必要無かったのだが、この後タリョウゴと共にカミイシダ村に行商人として旅立つ都合上、何一つ荷物を持たないという訳にもいかなかった。

「全部は必要無いと言うのであれば、駐在所の備品として一つ二つ分けてもらえないだろうか?」

 そこに書類の束を抱えた石木が朋彦へと声を掛けてきた。

「あ、引き取ってくれるとこっちも助かります。」

 朋彦はナオヨシと共に一つずつ空箱を抱えて事務部屋へと運んだ。

 そのまままた駐在所の拭き掃除や片付けを手伝おうとしたが、石木に慌てて止められた。

「いやいや、村のお客人をこれ以上働かせる訳にはいかないよ。もう随分と片付いたし充分だ。本当に助かった。」

「そ、そうですか・・・?」

 石木の言葉に従い、取り敢えず休憩しようと朋彦とナオヨシは土間の長机の方で腰を下ろしたものの、書類を片付けたり明日の出立の為の旅支度をする石木の様子を見ながらだと落ち着いて休む事も出来なかった。

「あ、タリョウゴさんの手伝いしに出掛けようよ。」

 手持無沙汰にぼんやりと外の様子を眺めていたナオヨシが、薬草の束を背負って通り過ぎる何人かの村人達を見て声を上げた。

「お! いいな、それ!」

 村の仕事の大半は力仕事だし、肉体労働に励むタリョウゴのガチムチな体を横目で堪能する事も容易に違いない。

 朋彦は即座にナオヨシに賛成し、石木に出掛けて来ると声を掛けるとそそくさと駐在所を後にした。

 まだ二か月――もう二か月。いちいち日数を数えていた訳ではないが、ナオヨシが朋彦と共に暮らす様になってから大体それ位になるのだろうか。

 朋彦が自分の欲望に素直な所があるのは既にナオヨシも充分に理解していた。

 機嫌良く鼻歌を歌いながら足早に歩く朋彦の、肉体労働に励むタリョウゴの姿を堪能したいという下心も、既にそれなりには感じ取れる様になっていたのだった。

「ご機嫌だね朋彦さん・・・。」

 ナオヨシは少し苦笑しながら朋彦の後ろを歩き続けた。

 朋彦はナオヨシを振り返りながら機嫌良く笑った。

「んー。まあな。ナオヨシだって嫌いじゃないだろ。なかなか俺達好みのいい男だもんな~。」

 朋彦の言葉にナオヨシもタリョウゴのがっしりとした体付きやきりっとした太い眉等を思い浮かべ、知らず頬を赤らめた。

「う・・・うん。」

「だろう~? まあ俺達みたいなナントカの民じゃないだろうけど、普通には仲良くはしたいよなー。」

 それからまた少し歩いた所で畑で大根を引いている老夫婦を見掛け、朋彦は彼等の近くへと駆け寄った。

「すみませーん。この辺でタリョウゴ殿を見掛けませんでしたか?」

「朋彦さん・・・。」

 あれだけ上機嫌で足早に行動していたのに、肝心のタリョウゴの居場所を確認していなかったのかと、ナオヨシは呆れながら老夫婦に尋ねる朋彦の様子を見下ろしたのだった。

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