とおとむっつめのかたり 「朋彦、ぬすびとたちの訳聞きて よろづの薬の長 施しにけり」
タリョウゴの何か物悲しそうな様子を漠然と感じながらも、朋彦は取り敢えずまだ何か怒鳴り立てようとするキヨミの方へと顔を向け直した。
少しの間キヨミはシチゴロウ達に取り押さえられていたが、やっと頭も冷えたのか振り上げていた拳も下ろして力を抜いた様だった。
「・・・取り敢えず・・・何か事情があるみたいなのは察してたけど・・・。」
朋彦は余り気が進まないまま、キヨミやその横でキヨミを気遣うテルヒサへと声を掛けた。
先日彼等を捕まえてテントに入れる時に、確か、諦めるなとか機会を待つとかどうとか、そんな内緒話をしていた事を朋彦はぼんやりと覚えていた。
「ああ・・・そうだな・・・。盗っ人仲間の勝手な事情だが・・・。」
キヨミを落ち着かせようとその肩に手を置いたまま、テルヒサは朋彦へと自嘲気味に答えた。
長い前髪から覗くその目には幾らか疲労の色が浮かんでいた。
この流れでは、事情を聴かない訳にはいかないだろう――。朋彦は内心、大きな溜息をついていた。
強引に何も聞かないままキヨミ達を再び牢屋へと戻し、朋彦達は彼等とは何の関わりも持たずに旅を続けていく――。出来ない訳ではなかったが、朋彦もそこまで冷淡に彼等を切り離す事が出来る程人でなしでもなかった。
朋彦の溜息を知る由も無く、キヨミは裏庭の地面に座り込んだまま口を開いた。
「――あんまり面白い話じゃないけどね。」
まだ尿意もそれ程ではなかったし、立ったまま話を聞くのもどうかと思い、朋彦はランタンを地面に置きながら自分も腰を下ろした。
「む、室地様・・・。」
朋彦のそんな様子にタリョウゴは困惑し、朋彦とキヨミ達を交互に見た。
しかしタリョウゴも強引にキヨミ達を捕縛する気にはなれなかった様で、頭を掻きながら大きく溜息をつくと、どっかりとその場に腰を下ろしたのだった。
「――えーと、まあ、あたしはこう見えても、一応は隣の島の・・・ある村の・・・名家というか、金持ちというか・・・そんな家――の長女だったわ。」
隣の島――ニシドキハマ島。この国の地図が知識の参照により朋彦の頭にすぐに浮かび、更に詳しい情報も流れて来ようとしていたが、今は必要も無い為そこからは意識を逸らした。
出自を詳しくは言いたくはなかったのか、キヨミはそこだけはほんの少し言い淀んだものの、それ以降は特には詰まる事も無く話し続けた。
窮屈なしきたりや家同士、村同士のしがらみに縛られてばかりの家での生活に、キヨミは嫌気がさしていた。
こうでなければならない。こうしなければならない。女は、長女は――。
長女であるお前は、この家を栄えさせる為の部品として居なければならない。
あけすけにものを言い、しっかりと我を通すキヨミの性格はそうした古い家には全く向いていなかったのだった。
決められた年齢になると、しきたりに決められた通りの家から婿をもらい、結婚をする――そんな話が具体的になりかけた頃、キヨミは家出をして旅に出た。
いや、家出せざるを得なかった。
窮屈に縛られ、キヨミを一人の人間とも、大事な家族とも見做さないそんな場所に居るよりは、と。
キヨミの話す生い立ちに、タリョウゴの表情に薄く陰りがさし太い眉が少ししかめられた。
次男であるお前は、家を支える為の予備の部品である――。
キヨミの話との共通点に、タリョウゴの胸が小さく痛んだが、それはその場の誰にも気付かない事だった。
「――まあ、その後はよくある話さね。世間知らずのお嬢さんが無事に生きられる程、世の中甘くはないわな。」
ランタンの明かりに向かい自らの顔の側を掠めようとする羽虫を手で払い、キヨミはふん、と、自らを嘲る様に笑った。
ニシドキハマ島の大きな町に出ると、兎も角も何かの仕事に就いて生活費を稼ごうとキヨミは思った。
偶然立ち寄った裏町の居酒屋の、胡散臭そうな客から紹介された口入れ屋――人材の紹介や派遣を行なう店へとやって来た。
世間知らずのキヨミはその時は居酒屋がどんな町にあり、その客がどんな人間かを見抜く事が出来る筈もなかった。
その口入れ屋は、真っ当な商人達で作る商業組合――「商部」(あきないべ)には属しておらず、目を付けた人間を非合法に売買する事も平気で行なう様な店だった。
口入れ屋とマジナイ師と女郎屋が結託し、口入れ屋が仕入れた者達を女郎や男娼にして儲ける様になっていたのだった。
ある高名なマジナイ師の家の家政婦の仕事があるとキヨミは騙され、マジナイ師に隷属させられる呪詛を掛けられようとした。
当然、その後はマジナイ師達によって女郎屋に売られる算段が出来ていた。
余り医療の発達してないこの国では、インチキも少なくはないものの、現実に効果を発揮出来るマジナイ師による病気除けは一定の需要があった。
勿論、避妊や性病除けのマジナイもあった。
だが、キヨミに掛けられようとしていたマジナイは隷属や束縛といった物も含まれており、破ろうとすると死んでしまうと言う様な、違法で文字通り呪縛という物だった。
「テルヒサと、シチゴロウ、で、今ここには居ないけどタカコとは、そのマジナイ師の家で出会ったのさ。」
テルヒサは男娼用に、キヨミとタカコは女郎として。
シチゴロウは本当にその家で家政婦――この場合は下男か――として働かされる為に集められていた。
「で、そんな破ったら死ぬ様なマジナイなんか大人しく掛けられるかってんで、掛けられる前にみんなでマジナイ師をぶちのめして兎に角逃げ出したのさ。」
それでマジナイ師をあんなに嫌い、憎んでいたのかと、朋彦はキヨミ達を捕まえた時の様子を思い出し納得した。
マジナイ師の家から逃げ出した彼等は、ニシガヨリヒラ島行きの船に密航し、この島へとやって来た。
最初に下り立った大きな港町――ツワミナトで日雇いの仕事をしたり、時には近辺の村々で小さな盗みをしながら生活していた。
そうした生活の中で食い詰めた流れ者だったスエハチやタケハルも仲間になり、真っ当な仕事と盗み仕事の半々ぐらいで日々を何とか生き延びる生活を続けていた。
しかしそんな不安定な生活によって仲間の内のタカコが少し体を壊してしまった。
軽い寒気に少しの咳、微熱――最初は軽い風邪かと思われた。
幸か不幸か、その時は真っ当な方の日雇い仕事の給料が入ったばかりで、キヨミ達の懐には少しだけ余裕があった。
病気が軽い内に医者か薬売りに掛かってタカコを養生させようと、キヨミ達はツワミナトから少し離れた村に貧乏人向けの療養所があるという噂を聞いて、そこにタカコを連れて行った。
「――で、そこでもマジナイ師だよ!!」
薄白いランタンの光に照らされたキヨミの顔が忌々しそうに歪んだ。
その療養所には医者と薬師は専属で配置されている訳ではなく、しかも隣村で病気が流行っていた為に駆り出されて不在だった。
留守は新参のマジナイ師に取り急ぎ任されていた。
ニシドキハマ島の町でマジナイ師にも酷い目に遭わされた為に、正直な所余り気は進まなかったが、料金も格安でもあるし病気が軽い内にさっさと治してもらおうと、タカコをそのマジナイ師に任せる事にした。
――だが。軽い風邪と思われた筈の病は日増しに重くなり、タカコはどんどんと衰弱していった。
すぐに戻って来ると言われていた筈の医師や薬師もいつまで経っても帰らず、マジナイ師も辛うじて衰弱の進行を遅らせる事しか出来なかった。
一応は薬草の知識もあるそのマジナイ師から、もう少し薬草の種類や量が確保出来れば医師達が療養所に戻って来るまでタカコの病の悪化を防げるという話があり――
「・・・それでアキノヒラガ草が欲しかったのさ。」
キヨミの話に朋彦はそっと溜息をついた。
療養所で使う分と、他の種類の薬草を買う資金にする分を得る為に。
その為に薬効も高く売価も高いアキノヒラガ草の採れるシモアサダ村にキヨミ達はやって来たのだった。
「まあ、それだけろくでもない目に遭わされればマジナイ師を嫌いもするよな・・・。」
朋彦は気の毒そうに呟いた。
療養所の方のマジナイ師は一生懸命頑張っているのだろうが、女郎屋に売られかけた後に出会ったマジナイ師が仲間の病も癒せないのであれば、キヨミの中でのマジナイ師全般への印象は最悪になってしまっているのだろう。
キヨミ達が今迄犯した盗みや、今回の誘拐や脅迫未遂については朋彦にはどうしようもなかったが、彼等に全く同情心が湧かない訳でもなく・・・。
朋彦はどうしたものかと迷いながら、傍らに座っているタリョウゴと、向かいのキヨミ達とを交互に何度も見た。
タリョウゴには蛙人形の力の事は秘密にしておきたかったので、今ここで何かしらの薬を作り出す事は憚られた。
「あー・・・えーと、その。」
話し終えて取り敢えずは気が済んだのか、黙ってぼんやりと座っているキヨミ達に、朋彦は思い切って声を掛けた。
「効くかどうかは判らないけど、一応薬は・・・その・・・荷物の中にあるから。ちょっと取って来る。」
そう言って立ち上がった朋彦の言葉に、キヨミ達は一斉に朋彦へと視線を集めた。
特にテルヒサは驚きと喜びに目を輝かせていた。
シモアサダ村に連行されてくる途中で朋彦が豪勢な弁当箱や、水の入ったペットボトルを取り出した時にふと、テルヒサが妄想した事が現実になった――。
「・・・本当に持ってたか・・・。」
タカコの病を治す――いや、どんな病気にでも効く薬を。
小さな声でほっとした様にテルヒサが呟いたが、その声は誰にも聞こえなかった。
「タリョウゴ・・・殿・・・。えーと、逃げ出さない様にこいつら少し見張っといて下さい。」
「え? ・・・あ、はい・・・。」
立ち上がりながらキヨミ達を指し示す朋彦の言葉に、今一つ成り行きが呑み込めないままタリョウゴは頷いた。
タリョウゴやキヨミ達に背を向け、足早に勝手口から母屋の中に入ると朋彦はすぐに懐の道具袋へと手を突っ込んだ。
タカコ本人の病状を見ていない為、どんな効果がある薬が望ましいかを想像する事は朋彦には難しかった。
どんな想像を固めるべきか少しの間朋彦は頭を悩ませたが、最終的には「どんな病気も少しずつ治していく飲み薬・小瓶入り三日分」という物に落ち着けた。
作り出す物のイメージが固まると、そこからは瞬間的に道具袋の中で蛙人形がゲロを吐いて薬入りの小瓶が完成した。
三本の小瓶を手に戻ると、キヨミ達の呆然とした表情が朋彦を迎えた。
キヨミはまだ余り信じていない様な眼差しで眉を顰めていたが、テルヒサや他の男達の目は期待に輝き始めていた。
山の中で自分達を捕まえたり、見た事も無い食べ物等を作り出すマジナイ師の能力は彼等が自身の身を以って知っていた。
朋彦はまだきつい目で睨んでくるキヨミを避け、その隣に座るテルヒサの前に屈み込んだ。
「えーと、まあ、その・・・体の衰弱に効く薬で・・・。少しずつ効果が出るので、三日間飲ませて・・・。」
流石に「どんな病気も少しずつ治す薬」だと正直に言う訳にもいかず、朋彦は曖昧な説明をしながらテルヒサへと小瓶を手渡そうとした。
そこに、背後から鋭い声が響いた。
「――何だ!? お前達!! 牢破りか?」
話し声や明かりで石木が起きて来た様だった。
朋彦達が勝手口の方を振り返ると、勝手口で明かりのついた小さな蝋燭を左手に立つ石木の姿があった。
右手はいつでも刀を抜ける様にと柄に掛けられていた。
「―ッ。」
慌てて走り寄る石木の姿にキヨミは小さく舌打ちをして立ち上がりかけたが、当然間に合わず、逃げられる筈もなかった。
「!」
石木の注意がキヨミに向いている隙に、テルヒサは朋彦の手から素早く奪い取る様に薬瓶を受け取った。
朋彦がテルヒサを振り返ると、着物の袂に仕舞い込む様子が一瞬だけ見えた。
キヨミにもテルヒサの様子は横目で見えていた様で、何処かほっとした様に息を吐いていた。
石木が駆け付けるとキヨミは両手を上げて無抵抗の意を示しながら、のろのろと立ち上がった。
「・・・こいつらとちょいと夜風に当たってたのさね。」
「何だと!ふざけおって!牢破りは罪が重くなるぞ。」
キヨミの言葉に石木は半ば怒鳴る様に返した。
「・・・それに、室地殿も一体?」
まだテルヒサの前に立っている朋彦へと石木は訝しげな目を向けた。
「あー・・・えーとその。」
何と説明したものか朋彦が言葉に詰まっていると、
「いえ、私達が逃げようとしたところをこのお二人に見つかってしまったのです。」
意外な事にテルヒサが石木へと説明を行なった。
まだ今一つ石木は納得していない様ではあったが、相撲取りとして力自慢のタリョウゴも居る事ではあったので、脱獄した盗賊達を食い止めようとした事に不審な点は無かった。
「――まあいい。逃げられなくて良かったよ。室地殿もタリョウゴ君も有難う。」
納得してくれた石木に朋彦もタリョウゴもそれ以上は何も言えず、成り行きに任せる事にした。
石木は刀の柄に手を掛けたまま、キヨミ達を牢に戻る様に促した。
「はいはい。戻りますよ。」
わざとらしく大きな溜息を吐き、肩を落とすと、キヨミは子分達を率いて勝手口へと戻っていった。
朋彦やタリョウゴへと一瞥すらせずにキヨミはさっさと戸口の中へと消えていったが、スエハチやタケハル、シチゴロウは何か言いたげな様子でちらちらと朋彦の方を見つつ、しかし何も言えずにキヨミの後を追って牢へと戻っていった。
「――ありがとう。」
通り過ぎる一瞬に、聞き取れない程のごく小さな声がテルヒサから朋彦へと掛けられた。
「え・・・? いや・・・。」
朋彦が戸惑いの声を上げる間にも、テルヒサの姿も勝手口の中へと入っていった。
「室地様・・・。俺達も戻りましょう。」
「あー・・・。うん。あ、取り敢えずトイレ・・・いや厠済ませてくる・・・。」
朋彦は今更ながらの尿意に、足早に厠へと向かった。
「・・・・・・。」
再びキヨミ達を牢に入れるべく石木も急いで中に戻り、朋彦が厠へと急ぐ背中を見送りながら立ち尽くすタリョウゴの心の中で、キヨミの生い立ちの話がもやもやと澱の様に淀み続けていた。
窮屈なしきたりや家同士、村同士のしがらみに縛られてばかりの家での生活。
お前はこうでなければならない。こうしなければならない。男は、次男は――。
次男であるお前は、この家を支え、栄えさせる為の予備の部品として居なければならない。
――そして、そんな家や村の中で、自身が「産めぬ民」等と知られてはいけない。
タリョウゴは朋彦が厠から出て来る迄のほんの僅かな時間、きつく口を引き結んだまま、悲しそうにその男らしい太い眉を下げて立ち尽くしていた。
◆
石木に促されるまでも無く、キヨミ達は自主的に牢の扉を潜って中へと戻っていった。
「もう、おかしな了見を持つんじゃないぞ。」
石木の厳しい声と閉め直される錠前の鍵の音を背後に聞き流しながら、キヨミはまた床のむしろの上へと横になった。
「全くけしからん・・・。」
もう二度と牢破りを許す訳にはいかないと、石木は土間の方から椅子を持って来ると牢の前に腰を下ろした。
「――そんなにしなくたってもう逃げやしないよ。」
今夜はね。
最後の言葉を飲み込みつつ、キヨミは横になったままひらひらと石木へと手を振った。
キヨミがテルヒサや子分達に目を向けると、皆一様に何処か嬉しそうに力を取り戻した表情をしていた。
癪には触るが、あのマジナイ師――朋彦のマジナイの力は確かだった。
テルヒサが貰った薬も本物だろう。
後は、タカコの居るスミサキハマまで一直線に戻るだけ――。
キヨミは決意も新たに、ひとまずは体を休める為に目を閉じた。
◆
翌朝。
「おはよう朋彦さん!」
夜中の出来事を全く知らないナオヨシは、そう言いながら布団から大柄な体を起こした。
「あー・・・おはよ・・・。」
呑気に笑い掛けてくるナオヨシに、朋彦も欠伸交じりに挨拶を返した。
「おはようございます・・・。」
朋彦とナオヨシの後ろから何処か疲れている様なタリョウゴの声が聞こえて来た。
朋彦とナオヨシがタリョウゴの方を向くと、やはりその表情は少し暗く疲れていた。
「どうしたのタリョウゴさん? 何か疲れてるみたいだけど・・・。」
タリョウゴのそんな様子にナオヨシが心配そうな眼差しを向けた。
「あ、いや、その余り寝付けなくて。夜中はあンなコトあったし・・・。」
タリョウゴは誤魔化す様に頭を掻きながらナオヨシから目を逸らした。
キヨミの身の上話に、自分の家の事や生きていく上での息苦しさを強く思い返してしまい、寝付けずに朝を迎えてしまった――流石にそんな事は正直に言う事等出来るものではなかった。
「夜中?」
ナオヨシはタリョウゴの言葉に軽く首を傾げた。
「ああ、ぐっすり寝てたもんな。」
朋彦はタリョウゴが疲れているのは言い訳通り、キヨミ達の脱獄騒ぎで神経が高ぶったからだろうと素直に納得し、ナオヨシに夜中の出来事を簡単に説明した。
隣のニシドキハマ島の出身である事や、悪いマジナイ師に騙されて女郎屋に売られそうになった事、仲間の女性が病気になってしまいその治療費の為に悪事を行なおうとした事等。
朋彦の説明を聞くと、元々心優しいナオヨシはキヨミ達への同情心に表情を曇らせ俯いてしまった。
「そうか・・・。キヨミさん達、そんな事情があったんだ・・・。」
「まあ、薬は・・・一応渡してはいるから・・・。」
小声で朋彦がナオヨシにそう囁くと、ナオヨシはほっとしたように顔を上げた。
薬をキヨミ達にあげたと言っても、罪人でこれから護送される彼等がどうやって病床の妹分に薬を飲ませたらいいのか――。
それは後で石木に相談するしかないか、と、朋彦は小さく溜息をついた。
◆
部屋から朋彦達が起きて出て来ると、石木も眠そうな表情で牢屋へと続く奥の木戸から姿を現した。
「あ、おはようございます。」
「おはよう。」
朋彦達が頭を下げると、石木も欠伸交じりに挨拶を返して来た。キヨミ達の見張りで徹夜していた様だった。
「お疲れ様です。メシにしましょう。」
朋彦は石木にそう声を掛け、土間の方へと向かった。
例によって土間に置いた荷車の陰でレトルト食品の入った箱を作り出すと、長机の上に置いて人数分を取り出した。
「毎回すまないね・・・。」
長机に出していたカセットコンロで湯煎をしている朋彦に、石木が申し訳無さそうに声を掛けた。
「あー、いえいえ。泊り賃代わりですし。気にしないで下さい。」
湯煎の終わった煮物のパックを袋から出し、盆に並べるのをナオヨシにも手伝ってもらいながら、朋彦はふと、キヨミ達のその後の様子が気になってしまった。
彼等の姿を見たからと言って何か事態が好転するという訳でもなかったし、朋彦に何か出来るという訳でもなかったが。
かといってこのまま知らん振りを決め込むのも居心地が悪かった。
「あ、俺・・・いや、私も食事を運ぶの手伝ってもいいですか?」
キヨミ達五人の分の食事を用意し終えて朋彦は石木に尋ねた。
「それは構わないし助かるが・・・。」
朋彦の申し出に石木は軽く首を傾げたが、深く気にした様子も無く、そのまま朋彦と共に盆を持って牢屋の方へと向かった。
「あ、オレも持っていくよ。」
単純に朋彦の手伝いをしたいナオヨシもそう言うと、手に一つずつ盆を持って朋彦の後を追い掛けた。
「――。」
石木についていった朋彦とナオヨシの背を見送りながら、タリョウゴは小さな溜息をついた。
今更キヨミ達に会ってどうなるというのだろうか。彼等の境遇には勿論同情はするものの・・・自分達にはどうする事も出来ないというのに。
それに、キヨミのせいではないものの、自分自身の生き辛い気持ちを刺激されてしまう為に、タリョウゴはキヨミにはもう関わりたくはなかったのだった。
◆
朋彦達の足音に気付き、キヨミは不機嫌そうにゆっくりと体を起こした。
「何だい――朝飯かい。」
牢の木枠の向こうでキヨミは朋彦を睨んでくるものの、気のせいかその視線は前程鋭くはない様に朋彦には思えた。
特には石木も朋彦も口を開く事はなく、ナオヨシは朋彦の後ろに隠れる様にして立っていた。
石木はキヨミ達を一瞥すると慣れた手付きで牢の隅の差し入れ口の鍵を開けた。
キヨミ達からは何となく、多少は大人しくなった様な印象を朋彦は抱いたものの――やはり朋彦が彼等に対して何か出来る事は無かった。
キヨミもテルヒサも子分達も、黙ったまま盆を受け取っていき食事を始めた。
昨夜テルヒサに渡した薬は、まだそのまま彼が持っているのだろうとは思うものの。
ゆったりとした作りの着物にはそれらしい膨らみも見られず、薬が何処に仕舞い込まれているのか朋彦には判らなかった。
病床のタカコという妹分の所にどうやって薬を届けるのか。
朋彦がそれに対して何か協力できるのか、口を挟めるのか・・・。
朋彦が迷っている内に石木は再び差し入れ口の鍵を閉めた。
朋彦は何も言う事は出来ないまま、土間の方へと帰る石木の後を追った。
何となく・・・多分、キヨミ達は適当な所で再び――罪が重くなるとしても、タカコに薬を届ける為に脱獄するのだろうと朋彦は思った。
土間に戻り朝食を終えると、朋彦とナオヨシは余り晴れない気持ちのまま後片付けを始めた。
石木の方はキヨミ達の護送についての援助を求める手紙を、カミイシダ村へと飛ばす準備をしていた。
「ん?」
冷めた鍋の水を捨てようと朋彦とナオヨシが裏庭に出ると、小さな赤い石と書状を手にした石木の姿があった。
石木が書状の上に赤い石を置くと、何度か石が輝き――僅かの間に石と書状が溶け合って紙製の鳩の様な姿へと変わっていった。
「おー!」
朋彦が思わず声を上げると、振り返った石木が紙の鳩を手にしたまま朋彦の方へとやって来た。
「室地殿はマジナイの伝書鳩は初めてか。」
「ええ、まあ・・・。」
朋彦とナオヨシが物珍しそうに鳩を見ていると、石木はいつもの真面目な調子で手の中の鳩について説明し始めた。
普通の生きている鳥を使う伝書鳩も勿論あるが、食事や糞の世話の手間が掛かったり途中で他の生き物に襲われる心配もある為、辺境の巡回警官の場合は出来る限りマジナイの伝書鳩――朋彦の元の世界で言う所の式神の様な物を使用する事が奨励されていた。
紙製とはいえマジナイの力で防御されているので、雨や外敵に損なわれる心配は殆ど無く速やかに情報を遠方に送る事が出来る為、決して安い品物ではないが辺境を巡回する石木の様な警官達には重宝されていた。
「へー、すげぇんだなあ。」
石木の説明を聞きながらナオヨシも感心しながら、物珍しさに目を輝かせてマジナイの伝書鳩を覗き込んだ。
「恐らく明日の夜には応援の警官が来るだろう。その警官と共に私も明後日には盗賊達の護送でツワミナトに出発する。室地殿とナオヨシ殿には随分世話になったな・・・。」
鳩を空へと放つと、石木は出立の準備があるからと家の中へと先に戻っていった。
キヨミ達の護送――その言葉にタカコの薬をどうしたものかという問題を思い出し、朋彦の表情は暗くなった。
後で石木の手が空いた時にでも相談しよう。そう決めると朋彦は水を捨てた鍋を道具袋に仕舞い込んで家の中に戻る事にした。
◆
朋彦とナオヨシが土間の方へと戻ると、タリョウゴが小さな荷車を曳いて出掛けようとしていた。
二人に気付いたタリョウゴは、
「あ、昼飯までには戻ります。ちょっと買い付けに出掛けます。」
軽く頭を下げると空の荷車を曳いて何処かに出掛けてしまったのだった。
「ああ、そういやタリョウゴさん、元々祭の品物買い付けに来てたって言ってたな。」
ナオヨシの言葉に朋彦もそう言えばそうだったと今更ながら思い出していた。
カミイシダ村の祭に必要な米や酒、薬草等の買い付けの用事があった事を、キヨミ達の脱獄騒ぎで朋彦もすっかり忘れてしまっていた。
「――あー。俺達も売る側で用意しなきゃな。」
買い付け――その言葉で、そもそもシモアサダ村でも商売をすると村長に請け合った事を、朋彦とナオヨシもやっと思い出した。
商品を並べる為の適当な木の台やむしろを道具袋から引っ張り出すと、二人で駐在所の表に設置していった。
タリョウゴも出掛け、石木も事務の部屋に居る様なので殆ど気を遣わずに道具袋から直接商品を引っ張り出しては並べていった為、大した時間も掛からずに行商の体裁を整える事が出来たのだった。
「あらあら、何処かの町の立派な商家みたいだねえ。」
朋彦とナオヨシが丁度準備を終えた所で、二、三人連れ立って洗濯に行く途中らしき若い娘達が声を上げた。
「ゆうべのすっごい明るい提灯の行商人様だろ? お爺が化生だって最初腰抜かしてたわよ!」
「うちのおっ母もよ! でもそんなすごい提灯持ってるくらいだから、売り物もすごい物ばかりじゃないの?」
「すごい物って何よ。」
「だから何だか分からないけどすごい物なのよ。」
そんな調子で姦しく楽しそうに話しながらも、やや遠巻きに駐在所を眺めて去って行く娘達に軽く頭を下げ、朋彦は軽く溜息をついた。
「何か・・・やっぱり、すっげえ期待されてる・・・?」
遠巻きではあったが彼女等の賑やかな様子に圧倒され、朋彦の後ろで一応隠れる様に身を小さくしていたナオヨシが不安そうに呟いた。
「そうだな・・・。」
昨夜の、荷車を曳く朋彦達を戸口から覗いていた村人達の眼差しを思い出し、朋彦は困惑しながら返事をした。
そこに村長がチヅコとツルオの手を引いて急ごしらえの店先へとやって来た。
サダロウはチヅコの肩の上に止まり、物珍しげに台の上の品々を見回していた。
何か偉そうに物を言おうと嘴を開きかけたので、余計な事を言わない様にと朋彦が軽く睨むとサダロウは慌てて嘴を閉じて小さな体を硬直させた。
「おはようございます。室地様。もう準備が出来たみたいですな。」
村長は並べられた商品――一升瓶入りの酒や、塩や砂糖の入った袋、色とりどりの反物等、田舎の村ではまず目にする事の無い大量のそれらを嬉しそうに眺めた。
「皆、午前の仕事がありますので、昼飯を食べてから買いに来ると思います。それまでは室地様達もゆっくりしていて下され。」
「判りました。」
朋彦が答えると、村長は軽く頭を下げ戻っていった。
チヅコとツルオも何度か振り返りながら手を振って来たので、微笑ましく思いながら朋彦もナオヨシも軽く手を振り返した。
その後も荷車で収穫した野菜を運ぶ若者達や、アキノヒラガ草の干した束を背負って運ぶ老人達も通りかかり、昼飯後の買い物が楽しみだと朋彦達に言っては去って行った。
大した娯楽も無い貧しい辺境の田舎である為に、行商人から何か買うという事だけでも村人達にとっては一大行事なのだろう。ナギシダ村での行商の様子を思い出し、村人達からの期待の大きさに朋彦は知らず身震いした。
「――もう少し売り物出しとくか・・・。」
「そうだね・・・。」
周りに人目が無い事を確かめ、朋彦は追加の酒瓶や袋、反物を引っ張り出し、どさどさと台の上へと積み上げた。
包丁や鎌、鉄製の鍬や鋤はナオヨシが受け取ると、駐在所の土間に広げたむしろの上に無造作に追加で並べていった。
他にも飴やポン菓子、魚や肉の干物、昆布といった食品に、針や糸、鋏といった裁縫道具、鍋や薬缶等々――辺境の田舎の村には不釣り合いな程の量と品揃えになっていた。
「あ、石木さんが紙と筆欲しいって言ってたっけ・・・? タリョウゴさんが言ってたよね?」
土間の長机の上に鍋と薬缶を並べ終えたナオヨシが朋彦の方を振り返った。
「おー。そういやそうだったな。」
一晩の内に色々な事があり過ぎてすっかり忘れ掛けていたが、そんな事をタリョウゴが言っていた様な気がする。朋彦は無造作に道具袋に手を突っ込むと、書道用の墨の塊と半紙の束をひと掴み取り出して長机の角へと積み重ねた。
「後は値札と釣銭を――あ、でもナギシダの時も皆小銭ばっかりだったから、値札だけ用意するのでいいか・・・。」
元の世界でのフリーマーケットに参加する友人達を手伝った時の事を少し思い出しながら、朋彦は貼って剥がせる弱粘着な付箋とボールペンを道具袋から取り出した。
「ナオヨシももう字は覚えただろ?」
朋彦から自分の分の付箋とボールペンを受け取りながら、
「うん! 数字も大丈夫だよ。」
自分が学んだ事が朋彦の役に立てる事に、ナオヨシは嬉しそうに返事をした。
二人が付箋とボールペンを手に土間を出ようとした所に、荷車を曳いて意外と早く帰って来たタリョウゴが店先で唖然として立ち尽くす姿があった。
「あ、お帰りなさい。」
ナオヨシが声を掛けても少しの間、タリョウゴは言葉も無く駐在所の前や土間に広げられていた商品の山をきょろきょろと見回していた。
この辺りでは大きい規模になるカミイシダ村の商店でも、これ程の量や種類を揃える事は滅多に無い事だった。
「た、ただいま・・・。あ、いや、ゆうべの荷車、こンなに荷物積ンでたンですか・・・?」
「あー、うん。・・・そんな感じで・・・。ほら、ウチ、荷運びのナオヨシが優秀だから・・・。」
流石にこの量はやり過ぎたかと思ったものの、今更どうしようもなく、朋彦は適当に誤魔化した。
横に居るナオヨシの方は、単純に自分を褒めてくれる朋彦の言葉に嬉しそうにしていた。
「と、取り敢えず荷物置いてきます・・・。」
まだ驚きが抜けきらないままそう言って、駐在所の裏の物置小屋へとタリョウゴは荷車を曳いていった。
荷台の荷物が朋彦とナオヨシの目に入ったが、小さな酒樽が二つと、米俵二つ、後は何か入った荷箱が一つといったところだった。
シモアサダ村もそもそも裕福な村ではない為、買い付けと言ってもそう沢山の物を買う事が出来ないのだろうと朋彦達は察した。
近隣の村々で酒や食料を買っていくと言っていた様な気がするので、幾つかの村で買い合わせた量で祭の用を足すという事なのだろう。
タリョウゴが戻ってきたところで、朋彦は、
「あ、タリョウゴ殿。ここの売り物、多分余ると思うんで、よかったらカミイシダ村の人に売るのに取り次いでくれるとありがたいなー・・・なんて・・・。」
「本当ですか!? 有難うございます。是非!」
朋彦の申し出を聞いたタリョウゴは嬉しそうに顔を綻ばせた。
良い。
好みのガチムチ男子が笑顔を向けてくる様子は、やはり良い。
朋彦はタリョウゴの様子を満足げに見つめていた。
「朋彦さん、何かニヤニヤしてて怖い顔してるよ・・・。」
こっそりと小声でナオヨシが朋彦に注意をしてくるが、そう言ってくるナオヨシもほんの少し頬を赤くしてちらちらとタリョウゴを見ていたのだった。
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