とおといつつめのかたり 「相撲取りのおのこ あきないびとに股間そぞろはし こころときめきす」
村長の家から然程歩かない内に朋彦達は駐在所へと到着した。
荷車の車輪の音が中に聞こえた様で、タリョウゴが駐在所の閉め切られた木戸を叩く前に、がたがたと音を立てながら開かれた。
石木の痩せた顔が木戸の中から現れ、
「ああ、お帰り。タリョウゴ君。室地殿も。暗くなっても戻らないから心配していたよ。」
朋彦達の帰りに石木は笑みを浮かべ、木戸を開けて招き入れた。
「すンませン。」
タリョウゴが軽く頭を下げた。
「あ、いやいやいや。俺達が手間取ってたので! タリョウゴ殿は悪くないです!」
荷車を土間に押し入れながら朋彦は慌てて石木へと頭を下げた。
「ははは。こんな田舎だからそうそう何事かは起きないだろうけど、まあ万一の事もあるからね。」
朋彦の慌てて謝る様子を微笑ましく見ながら石木は木戸を閉めた。
「しかし、なかなかの大荷物だね。これで山道を歩いて旅してきたのかい?大したもんだよ。」
ナギシダ村やシモアサダ村近辺を自身も巡回して警官の仕事をしている石木は、道中の山道を思い返しながら、荷車に山のように積み上げられた荷箱を見上げていた。
荷車を土間の隅に置くと、朋彦とナオヨシ、タリョウゴは丸椅子に腰を下ろして一息ついた。
「あー腹減った。朋彦さん、メシにしようよ。」
すっかり三食きちんと食べる習慣が身に付いてしまったナオヨシが、腹をさすりながら朋彦の方を向いた。
「そうだな。」
朋彦が答える横で、タリョウゴと石木は申し訳無さそうな顔で口を開いた。
「・・・その・・・室地殿達には申し訳無いのだが、今回我々は自分達の滞在する分の食料しか持ってきていないのだ。」
シモアサダ村の食糧事情も、ナギシダ村よりはましとは言え決して裕福なものではなかった。
納税用の米や作物を除いて大半の作物は、干したり漬けたりして冬場を乗り切る為の保存食に加工されるので、収穫の秋とはいえ食料に余裕があるとは言えなかった。
後はせいぜい、カミイシダ村からタリョウゴが村祭り用に買い付けに来る分を特別に取り分けているくらいだった。
「もし商品に食べ物があれば、あの盗賊達の分の物を売ってもらいたいのだ。盗賊とはいえ飲まず食わずで留め置く訳にはいかんのでね・・・。」
石木は溜息をつきながら奥の牢屋に続く木戸を振り返った。
罪人とはいえ非人道的な扱いはしない方針の様だった。
「こンな田舎の村だから、いつも大した事件も起こらないからなァ・・・。」
タリョウゴも少し困った様に溜息をついた。
「じゃあ、お代はいいです。俺達の宿賃代わりと言う事で、みんなの分を出しますよ。」
朋彦はタリョウゴ達に気を遣わせるのも抵抗があったので、今夜の全員の分の夕食を提供する事に決めた。
荷車の陰に隠れると、適当な荷箱を開けるふりをして懐の道具袋から食料とカセットコンロを取り出した。
レトルトパックの筑前煮に米飯、フリーズドライの油揚げと葱の味噌汁。人数分の入った段ボール箱を抱えると朋彦は石木達の前に戻って来た。
「おお・・・!」
石木とタリョウゴは、箱一杯に詰まった見た事も無い材質の小袋に思わず感嘆の声を漏らした。
「えーと、こっちは湯煎であっためて、こっちはお湯を入れて混ぜてから・・・。」
人数分の食器もある訳が無く、朋彦はコンビニでよく見かけるカップ入りや器入りの製品をイメージして実体化させていた。
一人分ずつ分けながら説明し終えると、朋彦は机の上にカセットコンロを乗せた。
この村もナギシダ村と同様に燃料の薪も充分ではなさそうだったので、ついでにコンロも用意したのだったが、スイッチ一つで簡単に火の点いた道具もまた石木やタリョウゴの興味を惹いた様だった。
「ほンとにサダロウの言う通り大した商人様だなあ・・・。」
「全くだ。」
いつまでもコンロの青い炎の揺れる様子を感慨深気に覗き込んでいるタリョウゴと石木の視線に、照れ臭さと作業のやりにくさを感じながらも朋彦は鍋を火にかけ、レトルトパックの湯煎を終えた。
朋彦が温まった筑前煮と飯を備え付けのプラスチック容器に盛り付けると、石木が大盆にキヨミ達の分を乗せて牢屋の方へと運んで行った。
◆
奥の木戸を開けて石木が牢屋の方へとやって来ると、キヨミ達が牢内で転寝をしている様子が目に入った。
スエハチやシチゴロウ、タケハル、テルヒサ達は座った姿勢のままうつらうつらとしていた。
だが、キヨミは大股こそ広げていないが牢の奥に寝そべり熟睡していた様だった。
「大した度胸だ・・・。」
石木は呆れながら呟き、食事の差し入れ用の小さな窓枠の鍵を開けた。
かちゃかちゃと錠前の外れる音にテルヒサ達が顔を上げ、次いでキヨミが大きな欠伸をしながら体を起こした。
「おや、ここの駐在は当たりみたいだね。」
ヨモアシナラの国に一応は警察組織はあり、辺境の村々にも駐在の警官が置かれている。
とはいえ、捕えた罪人の扱いは警官によって違う事は珍しい事ではなかった。
取り調べに暴力を用いる事や、食糧事情を言い訳に食事を抜く事もよくある事だった。
窓枠から次々に送られてくる人数分の盆には、余り豊かではないと聞いていたシモアサダ村にしてはキヨミ達五人が満腹になるのには充分過ぎると思われる量の食べ物が盛り付けられていた。
「――あのマジナイ師か。」
出来立てで温かな湯気を上らせる煮物や味噌汁に一瞬上機嫌になりかけていたが、これらの食事の出処に思い当たり、キヨミの顔は不愉快な感情に歪んだ。
牢の奥で呟いたキヨミの言葉は石木には余り聞き取れなかったが、朋彦の事を言っているのだろうと何となくは理解出来た。
「よく判ったな。室地殿が宿代代わりに提供してくれたのだ。」
そう答え、石木は小窓の鍵を閉め直すと牢の前から去って行った。
「――クソッ忌々しい!」
そう吐き捨ててキヨミは自分の目の前に置かれた盆を引っくり返そうと手を伸ばしたが、
「やめないか。誰が出したもんだろうと、食える時に食っとけ。」
横から掛けられたテルヒサの声に手を止めた。
「いざという時に力が出ないぞ。」
諭す様なテルヒサの声音に舌打ちで答え、キヨミは不機嫌な表情のまま食事に手を付ける事にした。
二人の遣り取りをはらはらしながら見守っていたスエハチ達三人も、キヨミが食べ始めた事に安堵し、自分達も箸へと手を伸ばした。
◆
奥の木戸から石木が戻ってくると、朋彦達は土間の長机の上に食事を用意して待っていた。
「待たせたようだね。さ、食べようか。」
そう言いながら石木が席に着くと、朋彦達は箸を取って手を合わせた。
「いただきまーす」
暫く食事に手を付けた後、いつもの蝋燭の薄赤い灯火ではなく、電気ランタンの強く白い光に照らされた土間を何となく新鮮な感じでタリョウゴと石木はちらちらと眺めた。
「こンだけ明るいと、なンかかえって落ち着かないですね。」
タリョウゴは苦笑しながら飯茶碗を手に、石木と共に天井を見上げた。
角度の関係なのかランタンの傘の部分が天井に影を伸ばしていた。
「そうだな・・・。いやしかし、今日の分の蝋燭が助かったよ。実に素晴らしい品物だ。さぞかし高価なんだろうな・・・。」
石木はしきりに感心しながら朋彦へと称賛の眼差しを送った。
「室地という姓はニシガヨリヒラ島では聞かぬから、きっと帝のおわすヒガシツタカラ島の立派な商家の出ではないのかな。」
「いや・・・ハハハ。そんな事は無いですよ・・・。」
行商をして長いのかとか、どの辺りを旅して来たのかとか、よくある世間話としての質問が石木から向けられ、朋彦は内心困りながらも当り障りの無い返答で何とかごまかしていった。
「・・・と、朋彦さんはすげぇ商人様だから・・・。」
時々ナオヨシも石木から話し掛けられたが、元々口下手な上に下手な事を言って朋彦を困らせてはいけないと、ナオヨシは殆どの話を朋彦に振ってやり過ごした。
口下手と言えば、タリョウゴの方も決して不愛想という訳ではないものの、石木と違い積極的には朋彦やナオヨシに話し掛けてくる事は無かった。
長机の上のランタンやカセットコンロ、レトルトパックの空き袋への称賛の言葉や視線を石木と共に送るタリョウゴをちらちらと盗み見しながら、朋彦は内心助かりつつも残念な気持ちも抱いていた。
本当はタリョウゴの事を個人的にもっと知りたい・・・等と、下心を抱きつつも、下手な話題を振って「産めぬ民」だとばれても困る為、朋彦は自重した。
食事を終えると後片付けも早々に、石木とタリョウゴは寝床の用意をし始めた。
明かりの為の燃料も節約する生活では就寝も早いのだと朋彦は理解してはいるものの、食後すぐに寝床に向かう生活にはまだ慣れなかった。
長机のある土間から上がると真ん中に伸びる廊下があり、それを挟んで両側に部屋があった。
廊下をそのまま奥へと進むとキヨミ達の収容されている牢屋へと続く扉があった。
朋彦とナオヨシは奥の扉へとふと目をやり、キヨミ達の事を思った。
「私はこちらの事務室に寝るから、君達はそちらの寝間を使ってくれたまえ。」
石木は土間から上がって右側の小さな和室の木戸の前に立ち、向かい側の部屋の襖を指差した。
「あ、でもいいんですか? そっちの部屋、何か寝にくそうな・・・。」
事務室として使われている部屋が狭そうに思え、朋彦が申し訳無さそうに石木を見た。
「すまないが、田舎の村の駐在所とはいえ、書類や調書等部外者には見られたくない物もあるからね。」
と石木は生真面目に返答した。
「それに、カミイシダの役人に盗賊達の事を知らせる書状も今夜の内に作っておきたいからね。」
「すげぇ真面目なんだな石木さんて。」
田舎の駐在にしては職務に忠実に取り組んでいる様子に、朋彦の隣でナオヨシは感心していた様だった。
「それではお休み。」
「お休みなさい。」
事務室へと入る石木へと頭を下げると、朋彦達は寝間の襖を開けた。
畳敷きの六畳程の部屋に薄い布団が一組と、予備らしい薄い肌掛け布団が一枚広げられていた。
布団は朋彦とナオヨシに。薄い肌掛け布団はタリョウゴにという割り当ての様だった。
「あ、あの・・・。御実家に帰れば御屋敷暮らしの商人様には狭くて粗末な寝床で大変申し訳無いンですけど・・・。」
頭を掻きながらぼそぼそと呟く様に謝るタリョウゴに、朋彦は大きく頭を横に振った。
「いやいや・・・。」
むしろ狭くて上等。あわよくば寝ているタリョウゴに色々と・・・等と瞬間的に様々な妄想が朋彦の頭の中を横切ったが、愛想笑いの下に押し隠した。
朋彦の後ろに立つナオヨシも、少し顔を赤らめながらもぞもぞとズボンの前をさりげなく直していた。
「いやいやいや、そんな事は無いですよ。あ、それに気を使わなくても、俺達、寝袋も持ってるし・・・。いやほら、行商の旅の野宿の時とかに使うし。」
太い眉を下げて申し訳無さそうに俯くタリョウゴに、朋彦も申し訳無さそうな表情を取り繕い、慌てて手を振った。
一つの布団で三人でぎゅうぎゅうに詰めて寝たいという本音は、当然微塵も表面に浮かぶ事は無かったが。
「ナオヨシ、荷車から寝袋とって来ようぜ。ほら。」
本音はともかく、見ず知らずのノンケの男子に手を出す事が人として出来る筈も無く、朋彦は妄想は妄想として置いておきナオヨシの手を引いて寝間を出た。
土間の片隅に置いていた荷車の所まで戻ってくると、朋彦はその陰に隠れて懐の道具袋へと手を突っ込んだ。
キャンプ等で使う様な寝袋のイメージをそのまま実体化させ、二組作り出すと一つをナオヨシへと手渡した。
ナオヨシは何処かホッとした様な表情で寝袋を受け取ると、少しだけ妙に低めの腰の位置で抱えた。
生きのいいナオヨシのナニヨシの様子をうっすらと察しながらも、取り敢えず朋彦は黙っている事にしてナオヨシと共に寝間へと戻った。
「あれ?」
朋彦とナオヨシが寝間へと足を踏み入れると、既に部屋の片隅で肌掛け布団一枚に包まって寝ているタリョウゴの姿が目に入った。
ナオヨシ程ではないにしてもがっしりとした大柄な体を縮こまらせて横になっているタリョウゴの様子に、朋彦は訝しみながら声を掛けた。
「いや、そこまで隅っこに行かなくても・・・。」
朋彦の声にタリョウゴが布団の中から顔を出し、
「い・・・、いやその・・・! 室地様達には広く使ってもらおうと思いまして・・・。やっぱり狭い部屋で申し訳無いし・・・。」
タリョウゴは先程の言い訳を繰り返し、朋彦達に場所を譲る様に更にもぞもぞと壁際へと体を寄せた。
「いやいや、そこまで気を使われると却ってこっちも申し訳無いと言うか・・・。」
薄掛け布団越しに感じられるタリョウゴのがっしりした背中へと朋彦は苦笑交じりに声を掛けた。
自分達の事を「産めぬ民」だと勘付いたから身の危険を感じて・・・とかじゃないよな? と、朋彦はタリョウゴの様子に内心不安も抱いたが、それならばもっと警戒心や嫌悪感が表れる筈だとひとまずは楽天的に考える事にした。
「そ・・・そうだよ!オレなんか朋彦さんに弟子入りするまではボロ小屋でムシロかぶって寝てたんだし。布団はタリョウゴさんが使ってよ!」
ナオヨシもタリョウゴの過剰な気遣いを心配したのか、自分と朋彦の寝袋を畳の上に広げると布団をタリョウゴへと押し付けた。
「そうは言っても、村のお客人でもあるし・・・。」
朋彦とナオヨシの気遣いにタリョウゴは上半身を起こし、自分の方に被せられた布団を見た。
タリョウゴの浴衣風の着物の胸元が寝乱れて厚い胸板や乳首が見えていたが、朋彦もナオヨシも内心ではときめきつつも決して顔には出さない様に押し隠した。
しかし、駐在所の押し入れに仕舞っぱなしの煎餅布団よりも、朋彦の持って来ているキャンプ用の寝袋の布地の方が、厚手ではありながらもふんわりとした羽毛が蓄えられ見るからに寝心地が良さそうではあった。
「あ、じゃあ、俺・・・いや私が布団に寝るから、タリョウゴさんはこの寝袋使って下さいよ。」
「そんな・・・!! 余計に申し訳無い・・・。」
朋彦の提案にタリョウゴは尚も言い募ろうとしたが、いつまでも譲り合っていても埒が明かないので朋彦は半ば強引に布団を取り上げると自分の分の寝袋をタリョウゴへと押し付けた。
「はいはい。いいからいいから。さ、もう寝ましょう。」
タリョウゴに有無を言わせず手早く布団を敷き、朋彦はさっさと布団の中へと潜り込んだのだった。
どうやらタリョウゴも諦めたのか、朋彦の隣で寝袋に潜り込むナオヨシの気配の向こうに、タリョウゴもごそごそと寝袋を広げる音が聞こえてきた。
「あ、使い方判るかな? ここを引っ張って広げて・・・。」
「ああ、うン・・・。なンとか・・・。」
少しだけ下心はあるのだろうが、ナオヨシがほんの少し頬を染めながら親切にタリョウゴへと寝袋のファスナーの使い方を教えていた。
まだ紐や釦しかないヨモアシナラの国では当然の事ながらファスナーの様な物は存在せず、タリョウゴは物珍しげに何度か寝袋の前部分のファスナーを上げ下げしていた。
「おやすみ・・・。明かり消しといてくれよ。」
タリョウゴの様子を微笑ましげに見た後、ナオヨシにそう言うと朋彦は目を閉じた。
「あ、おやすみ。朋彦さん。」
「お・・・おやすみなさい。」
◆
キヨミ達一味の捕縛の知らせを書きあげると、すぐに蝋燭の灯を消して石木もそのまま事務室の畳の上に布団を敷いて寝入ってしまった。
夜更けのシモアサダ村にはもう何一つ明かりは無く、薄曇りの夜空に月と星の光だけが辛うじて微かな光を放っていた。
さほどの時間も経たない内に、石木も朋彦達もすっかり眠ってしまっていた。
「――そろそろかい・・・?」
牢屋の壁の上の方には小さな格子窓があり、そこから薄明かりが差し込んでいた。
それを見上げながら、キヨミはのろのろと身を起こした。
その声に他の者達も目を開け、その中の一人――シチゴロウがキヨミから小さな玉の付いた髪留めを受け取り、牢屋の扉の方へと向かった。
シチゴロウは木枠の間から錠前へと手を伸ばし、髪留めの針金を手早く鍵穴へと差し入れた。
小器用に針金を何度か回し入れ、僅かな時間の内にかちゃりと小さな音を立てて呆気無く鍵は開いた。
シチゴロウから髪留めを返してもらうと、牢の扉を押し開けて慌ただしくキヨミは外へと出た。
牢屋から少し離れた所には、罪人等を直接牢屋に導き入れる為の裏口があった。
長閑な田舎の村である為か防犯の意識や技術は低く、内側から掛ける鍵代わりの立て掛け棒しか無い事は昼間牢に入れられる時にざっと確認しており、キヨミは迷い無く裏口の木戸の前へと進んでいった。
テルヒサ達も急いでその後に続いた。
キヨミが顎でしゃくって示すと、シチゴロウが外の気配を探りながらそっと立て掛け棒を外し、そろそろと音を消して裏口の木戸を開いていった。
明かり一つ無い夜中の田舎の村で人目に付くとは思えなかったが、念の為、キヨミ達は駐在所の裏庭に出るとすぐに庭木の茂みの中へと身を隠した。
「全く。あのマジナイ師のせいで予定が狂いまくりだよ!!」
きちんと閉め直した裏口の木戸を睨み付けながら、小声ではあったがキヨミは心底忌々しそうに吐き捨てた。
スミサキハマという小さな村で今も病に苦しんでいる仲間の妹分の事を思い起こし、キヨミは悔しげに唇を噛んだ。
「・・・落ち着け。とにかくこの村じゃあもう稼げない。一度ツワミナトの近くまで戻ろう。」
キヨミの肩を軽く叩きながら、テルヒサも小さく溜息をついた。
予定が狂い焦っているのは一味の皆が同じ様だった。
「・・・そうね・・・。」
妹分の治療費を稼がなければならないと焦る気持ちを無理矢理に落ち着かせ、キヨミはゆっくりと大きな息を吐くと茂みの中から立ち上がった。
◆
窓ガラス等と言う物が当然ある訳も無く、窓に嵌め込まれた木の板を閉めると寝間の中は暗闇に閉ざされてしまっていた。
時折小さな風が吹くのか、かたりと窓の板が揺れる音と、朋彦とナオヨシの寝息が聞こえるだけで他には何一つ物音を立てる物は無かった。
「・・・。」
いつもならばタリョウゴは既に眠ってしまっている筈の時間だったが、今夜は漠然と落ち着かずどうにも寝付く事が出来ないでいた。
決して神経質という訳ではなかったものの、見ず知らずの人間と雑魚寝をする事はやはり苦手だ・・・と、タリョウゴは寝袋の中でそっと溜息をついた。
カミイシダ村でも祭りの準備の手伝いや、農作業の手伝い等で村の他の男衆達と納屋に泊まり込んで雑魚寝する事も勿論あった。
しかし、やはり他の者――いや、若い男に少し緊張してしまう為、タリョウゴはこうした状況は苦手だった。
「・・・んー。」
何かの寝言なのか、むにゃむにゃと隣のナオヨシから声が聞こえ、タリョウゴは何とはなしにナオヨシの方へと寝返りを打った。
真っ暗闇の中でナオヨシと朋彦の寝ている姿は殆ど見えていなかったが、昼間見た二人の様子をタリョウゴは思い返した。
相撲の為に日々鍛錬している自身の体とは違い、朋彦もナオヨシも決して筋骨隆々というものではなかった。
だがそれぞれにしっかりとした体付きと、人の良さそうな柔和な顔付きは好ましく感じられ、商いを行なう上でも適していると思えた。
しっかりとした体付き――ナオヨシは背が高くがっしりとした体で、朋彦はナオヨシと比べるとやや背が低く頼りない風ではあったが、しかし貧弱だという事ではなかった。
それぞれに男らしく感じられ、タリョウゴが二人に抱く印象は悪くはなかった。
二人にマワシを締めさせたら意外と似合うかもしれない――。
「!!」
不用意に二人のマワシ姿を妄想してしまい、タリョウゴは慌てて頭を振った。
ナオヨシの大柄で筋肉質な体には、使い込んで少し土で汚れた薄茶色のマワシがかっちりと締め込まれていた。
朋彦の余り集中的には鍛錬のされていない普通の体には、少し薄めの生地で作られた真新しいマワシが少し緩めに締め込まれていた。
振り払おうとしても妄想が進み始め、どくん、と、タリョウゴの心臓と――下腹の方も熱く疼き始めた。
まずい。
早くこんな妄想は振り払わないと。
この様な事は知られてはいけない。
カミイシダ村の神社の精霊に仕える相撲取りの家の次男が・・・「産めぬ民」だ等と。
――そんなタリョウゴの理性による抵抗も空しく、褌の中の物は完全に熱く強張ってしまっていた。
「・・・・・。」
思い通りにならない自分自身の物にタリョウゴは軽く唇を噛んだ。
早く便所に行かなければ。
小便も精も出してしまえば上せた頭も体もきっと落ち着くだろう・・・。
タリョウゴは出来るだけゆっくりと音を立てない様に、かなりの気を使いながら布団から這い出ると、やはりかなりの気を使って襖をそろそろと開け、寝間を忍び足で出て行った。
◆
漠然とした意識の中で少しずつ尿意を感じ始めていた朋彦は、襖の閉じられる僅かな音と廊下を歩き去るタリョウゴの気配に、ふと目を覚ました。
「んん・・・?」
誰か部屋を出ていった様な気がする・・・と夢現に思いながら、朋彦は枕元の電気ランタンのスイッチを押した。
ナオヨシを起こさない様にレバーを下げて一番弱い光に調節し、朋彦が上半身を起こすと、部屋の端の寝袋にタリョウゴの姿が無い事に気が付いた。
トイレにでも行ったのかね?
ナニは見る事が出来なくとも、もう少しタリョウゴとはお近付きにはなりたいし――。
そんな下心を抱きながら朋彦は布団から立ち上がると、電気ランタンを手にいそいそと寝間を出て行った。
弱めたランタンのぼんやりとした明かりに、台所の勝手口から出ようとするタリョウゴの後ろ姿が照らし出された。
そう言えばトイレの場所を石木から聞いていなかった事を朋彦は思い出した。
こうした家だと大抵トイレは母屋の外に設置されている事が多いので、恐らくこの家も同じ様なものなのだろう。
大して気にもせずに朋彦は、ランタンの明かりに振り返ったタリョウゴへと近付いた。
「む・・・室地様・・・。」
振り返ったタリョウゴの表情は何処か気まずそうにしており、白い薄明かりの中で少し目が泳いでいたのが朋彦には判った。
「・・・お・・・起こしてしまいましたか・・・。すンませン・・・。厠に行こうと思って・・・。」
「あ、いや・・・。俺・・・私もトイレ・・・いや厠に行こうと・・・。ハハハ」
朋彦は誤魔化す様に笑いながら言い訳をした。
タリョウゴの気まずそうな様子に、若い男子が夜中に厠に向かうもう一つの理由を朋彦はふと思い浮かべ、少し申し訳ない気分になってしまった。
タリョウゴが勝手口のつっかえ棒を取り先に外へ出て行くと、朋彦もゆっくりとその後に続いた。
「厠はこのすぐ裏です。」
タリョウゴが指差す方向に光量を強めたランタンを翳すと、母屋のすぐ裏手に時代劇で見る様な小さく粗末な造りの小屋が見えた。
当然の事ながら汲み取り式の便所である為、時々吹く風にアンモニア等の臭気が漂って来ていた。
「――あ、室地様、お先にどうぞ。」
さっさと朋彦を寝間に返そうという意図なのか、そうではないのか、タリョウゴは横に退いて朋彦に先を譲った。
「ああ・・・どうも・・・。」
タリョウゴの厠での様子を覗き見てみたいという下心はあったものの、尿意も本当にあった為、朋彦は素直に順番を譲られる事にした。
用を足すのに暗くて不便なので、ランタンを便所小屋の何処か適当な場所に置くか吊るすか出来ないものかと朋彦が辺りを見回した所で、裏庭の奥の方で何かが動いている様子が目に入った。
「・・・!?」
一瞬植木か何かの影かとも思ったが、朋彦がランタンを向けると何人かの逃げ去ろうとする姿がはっきりと照らされた。
「あいつら!!」
タリョウゴの上げた声と、自分達へと向けられたランタンの強い光に気付き、キヨミ達は慌てて走り去ろうとしていた。
「・・・!」
朋彦はもう片方の手を懐の道具袋に突っ込み、急いで蛙人形へと念じた。
タリョウゴに気付かれない様にキヨミ達の足元に細い縄を何本か作り出すと、走り出そうとするキヨミ達の足首へと絡み付かせた。
「あっ!」
「うわっ!」
お互いに体勢を崩してもつれ合い、キヨミ達はあっさりと転倒してしまった。
「ああもうクソ!!何やってんだい!!」
自分の上に倒れ込んだスエハチやシチゴロウの体を叩きながらキヨミは金切り声を上げた。
「すんません・・・。」
情けない声を出す男共を押し退けてキヨミが這い出した所に、行く手を塞ぐ様にタリョウゴが駆け寄り、どうしたものかと困惑しながら朋彦が続いた。
「牢破りか!」
倒れたキヨミ達に駆け寄り、タリョウゴが厳しい声音で咎めたてた。
自分達の足首に絡み付く細縄をそのままに、キヨミはタリョウゴと朋彦を睨め上げた。
「あたし達はこんな所でぐずぐずしてる暇なんて無いんだよ!」
キヨミの叫ぶ様に発せられた言葉に、タリョウゴは怯む事無く睨み返していたが、その横に立つ朋彦は小さな溜息を吐いた。
やはり彼等なりの事情があるのだろうと察しはするものの、チヅコとツルオの誘拐は事実ではあったし、未遂ではあったがシモアサダ村への脅迫もある訳で、何のお咎めも無く放免という訳にはいかないだろう。
兎に角キヨミ達を牢屋に戻すしかない――と、朋彦が思うものの、タリョウゴの目の前でキヨミ達の足首に絡み付いたままの細縄を操って縛り上げる訳にもいかず。
朋彦が悩みながらその場に立ち尽くしていると、キヨミの方も唇を噛んで俯き、何事か少し考えている様子だった。
テルヒサや他の者達も、細縄を解く事もせずキヨミの様子を見守っていた。
僅かな時間の後よろよろとキヨミは体を起こすと、先刻迄とは打って変わって神妙な面持ちを朋彦達へと向けて来た。
「・・・あたしを一晩好きにしていいから、見逃して欲しい。」
少しの間迷った後、キヨミはきっぱりと朋彦達にそう言い放った。
「!!!!!!」
「キヨミ!?」
「ああああああ姐さんんんんんん!!!!!!」
キヨミの言葉は朋彦とタリョウゴだけではなく、テルヒサや他の仲間達も予想外の様で、キヨミ以外の全員が驚きの声を上げた。
辺境の村の質の低い警官やその下働きの者の中には、賄賂や賄賂代わりの夜伽の取引で罪人を見逃す場合も、ごく稀にはある――と、キヨミの発言に動揺する朋彦の頭に、反射的に行なわれた知識の参照による情報が浮かび上がって消えていった。
夜伽の取引ならキヨミよりもタリョウゴにして欲しい・・・等と、半ば現実逃避気味に朋彦は考えながら、ふと傍らのタリョウゴを見ると、タリョウゴも困惑しながら立ち尽くしていた。
「・・・あんた達ぐらいの年頃なら、女とやりたい盛りだろ? 悪くないんじゃないかい?」
キヨミも必死らしく、額に緊張の汗を少しかきながらも、小首をかしげ少しずつ浴衣の前をはだけて色っぽい女の仕草を取り繕おうとしていた。
この世界にブラジャー等の下着がある訳も無く、朋彦の持つ電気ランタンの光の中で少しずつキヨミの乳房が露わになろうとしていた。
「・・・。」
男の胸には決して存在する事の無い、女性らしい丸みを帯びた豊かな二つの膨らみ。
それが見えかけて朋彦は却って冷静さを取り戻し、何処か物悲しく空しい気持ちも感じてしまっていた。
この世界で言う所の「産めぬ民」である朋彦――そして今は寝床で眠っているナオヨシも、キヨミの持ちかけるこの取引では絶対に陥落する事は無かった。
ただ、僅かな関わりではあったが、キヨミは決して安易に自分の体を取引の材料にする様な人間にも朋彦は思えなかった。
「いや・・・まあ、取り敢えず・・・それ、しまって下さい。」
困惑の思いに眉をしかめたまま、朋彦はそっとキヨミに声を掛けた。
どうしたものかと溜息をつきながら朋彦が隣のタリョウゴを見ると、タリョウゴは顔を逸らしぎゅっと目を閉じてキヨミの姿を見ない様にしていた。
堅物なのか紳士なのかは判りかねたが、取り敢えずタリョウゴもキヨミの夜伽を受け入れるつもりは無さそうだった。
「キヨミ・・・。」
いつの間にか足首の縄を解き、キヨミの背後にやって来ていたテルヒサが咎める様な調子でキヨミの頭を軽く叩いた。
「軽はずみな事はするな。」
テルヒサの言葉にスエハチ達も目に見えて安堵の息を吐いた。
しかしテルヒサに窘められた恥ずかしさと自分なりの必死の策略が駄目になった恥ずかしさとで、キヨミは顔を真っ赤にして朋彦達へと怒鳴り散らした。
「なっ! なんだいなんだい! お前ら二人揃いも揃ってこんな美人の姉さんにご奉仕されるってのに断りやがって!!」
完全に八つ当たりだとこの場の誰もが思ったものの、テルヒサが止めるのも構わずにキヨミは朋彦とタリョウゴに怒鳴り続けた。
「あたしだってこれでも高級な女郎屋に売られかけたってぐらいの器量なんだよ!! それを何だい! あんたら二人共「産めぬ民」なんじゃないのかい!! この腰抜け! 萎えチ・・・」
「姐さんんん!!」
すぐ横に居たシチゴロウが慌てて尚も言い募ろうとするキヨミの口を塞いだ。
キヨミの剣幕に皆の注意が向いていたせいで、キヨミの放った罵りにタリョウゴが一瞬無防備に肩を大きく震わせた様子は誰にも気付かれる事は無かった。
「・・・?」
だが朋彦が何となくキヨミ達から視線を外し、タリョウゴの方を向いた時、キヨミの剣幕にも怯む事無く睨み返していた凛然とした様子は無かった。
牢破りのキヨミ達を逃がさない様に警戒の目を向けながらも、何処か困った様な――悲しそうな表情だと朋彦は思ったのだった。
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