とおとみっつめのかたり「朋彦、相撲人(すまいびと)に逢う いみじうあやしうこそ ものぐるほしけれ」 

 キヨミ達が食べ終わったのを見届けると、朋彦は彼等を連れてシモアサダ村へと出発する事にした。

 今迄のキヨミ達の様子を見るに、大人しく連行される訳も無いだろうと、朋彦は面倒に思いながらも大型の荷車を作り出した。

 本来は馬や牛に曳かせる大きさだったが、人力でも曳く事が出来る様に軽量化のマジナイがこっそりと掛けられていた。

「――じゃあ、これに乗って。」

 朋彦はキヨミ達五人へ荷車に乗る様に促した。

 朋彦の懐から出現した荷車に一瞬、キヨミ達は驚いた様だった。

 だが昨夜から続くマジナイの数々に驚くのにも疲れた様で、彼等はすぐに何でも無い様な表情で荷車に乗り込んだ。

「ナオヨシ、悪いけどシモアサダまで運んでくれるか?」

 マジナイで軽くしてるし、と小声で付け足しながら、朋彦は傍らに立つナオヨシを見上げた。

 ナオヨシは嬉しそうに頷き、

「悪くなんかないよ。それに、前に荷運びするって言ったじゃないか。」

 その言葉に朋彦も笑いながらナオヨシの頭を撫でた。

「そうか~。有難うな~。」

 そんな二人のやりとりをチヅコの肩の上のサダロウが感心した様に見ていた。

「お二人はご兄弟か何かでござるか? 実に仲がよろしい。良い事でござる。」

 小さな頭を何処か偉そうに上下させて頷いているサダロウの言葉に、朋彦もナオヨシも一瞬はっとして互いを見た。

 ナギシダ村から脱出してから今迄、ずっと二人きりで生活してきていたので気が緩んでいたが、他人には自分達が「産めぬ民」だという事は知られない様に気を付けなければならないのだった。

「あー、いやまあ。・・・似た様な感じ・・・かな・・・。」

 朋彦はごまかす様にひきつった笑いを浮かべ、小声でナオヨシへと耳打ちした。 

「――あんまりべたべたしない様にしないといけないな・・・。取り敢えず、俺達は旅の行商人で、お前はその弟子と言う事で。」

「そうだね・・・。また鍬や鎌で殺されそうになるのは嫌だし・・・。」

 朋彦とナオヨシはこそこそと話し合い、改めて他人に自分達の身の上を説明する時の設定を頭に入れ直した。

「取り敢えず、シモアサダに出発しよう。」

 と、朋彦がチヅコ達の方に声を掛けると、チヅコ達はキヨミ達の乗せられた荷車を何処か羨ましそうに眺めていた。

「何・・・? 乗りたいのか・・・?」

 朋彦は困った様に溜息をつきながらチヅコとツルオに尋ねた。

 朋彦の問いにツルオが黙って小さく頷いた。

 ツルオ達は歩かせようと思っていたが、シモアサダ村まではまだ何キロか山道を歩いていかなければならない事に今更ながら思い至り、

「しょうがないなあ・・・。」

 朋彦は小さく溜息をついた。

 だが、拘束しているとはいえ罪人であるキヨミ達と一緒の荷車に乗せるのも危険な様な気もした ので、朋彦は仕方無くもう一台小さな荷車を作り出す事にした。

「お前らはこっちにな。」

 朋彦に促されるとすぐにチヅコとツルオは嬉しそうに顔を輝かせて荷車に乗り込んだ。

 チヅコの肩の上のサダロウも物珍しげにきょろきょろと荷車の上を見回していた。

 当然の事ながらチヅコ達の乗った荷車は朋彦が曳かなければならなかった。

「・・・超軽量のマジナイ掛けとくか・・・。」

 荷物込みで重さ百グラムくらい・・・いや、五十グラムにしよう。朋彦は道具袋の中の蛙人形を掴むとすぐに軽量化のマジナイを掛けた。



 出発して暫く――二十分も歩かない内に、朋彦は早速疲れてしまい山道の途中でへたり込んでしまった。

「室地殿はマジナイは優れているが、体力はからっきしでござるな。」

 荷車の縁に止まっているサダロウが呆れた様子で、座り込んだ朋彦を眺めた。

「うるせえよ。」

 サダロウの言葉に朋彦は軽く眉を顰めながら睨み返した。

「少し休もうか?」

 座り込んだ朋彦をナオヨシは心配そうに覗き込んだ。

「あ、大丈夫大丈夫。もうしばらく進んでから休憩にしよう。」

 朋彦はナオヨシにそう答えると、腰についた枯葉を払いながら立ち上がった。

 朋彦達が再度出発してから更に二時間程すると、シモアサダ村まで後二~三キロという所までやって来た。

 恐らく、この世界での旅慣れた者の足ではとっくにシモアサダには着いていると思われたが、途中で何度も朋彦が疲れてしまい休憩を取った為に余計に時間が掛かってしまったのだった。

「ちょっと早いけど昼飯にしようよ。」

 体力があるとはいえ、流石に少し息を切らしていたナオヨシが立ち止まった。

「そうだな。」

 懐から手拭いを取り出して汗を拭きながら、朋彦も立ち止まった。

「マジナイ師殿は休んでばかりでござるな。」

 チヅコの肩の上に止まりながら、サダロウはからかう様にぴいぴいと鳴いた。

 サダロウの言い草に少しイラッとしながらも、一応は聞き流しながら朋彦は山道の傍らに荷車を停めた。

 ナオヨシもその後ろに荷車を停めると、大きく伸びをした。

「あー、腹減った。」

 そう言って無邪気に笑うナオヨシの横に立ち、朋彦は道具袋の中からいつもの漆塗りの箱の大きな弁当箱を人数分と、レジャーシートを取り出した。

「おう、お疲れ。――ツルオ達も飯にしようぜ。」

 朋彦の呼び掛けにツルオやチヅコ、サダロウも荷車を下りて朋彦達の側に駆け寄って来た。

 人数分の弁当箱――その数には一応キヨミ達も含まれていた。

 何となくではあったが、自分達が豪勢な弁当で食事をする横で、キヨミ達には水とビスケットだけ食べさせる事に朋彦は気後れするものがあったからだった。

 レジャーシートの上に腰を下ろしたチヅコとツルオ、サダロウの前に弁当箱を並べた後、ナオヨシと半数ずつ弁当箱を持つと朋彦はキヨミ達の荷車の方へと行った。

「先に食べてていいからな。」

 朋彦の言葉に、チヅコとツルオは頷くとすぐに弁当箱の蓋を開けた。

「拙者の分も開けて下され。」

 サダロウの前に置かれた弁当箱も、チヅコ達と同じ大きさの物だった。

 食べ切れるかどうかは別として、チヅコ達と同じ様に扱われている事にサダロウは満足そうな様子だった。

 チヅコが蓋を開けるとすぐ、どんな食事なのかと楽しみにしながら、サダロウは弁当箱の縁へと舞い降りた。

「・・・・・・・・・。」

 サダロウの目の前の黒い漆塗りの弁当箱の中には、チヅコ達幼児の手の平程の小さな朱塗りの皿が一つあるだけだった。

 小皿には今朝のビスケットが砕かれてこんもりと盛り付けられていた。

「マジナイ師殿め・・・!!」

 サダロウは怒りに小さな体を震わせながらも、ビスケットの甘い香りに誘われ、朋彦への抗議は後回しにする事にした。

「・・・はい、昼飯。」

 相変わらずキヨミは朋彦を睨み付けている為にやりにくさを感じながら、朋彦はテルヒサ達へと弁当箱を渡した。

 朋彦の思念でキヨミ達の手枷は再びぐにゃぐにゃと緩み、食事をするのに不自由は無い様だった。

 小さく舌打ちしながらも、今朝テルヒサに窘められた事が頭にあったせいか、キヨミは一応は大人しく弁当に箸をつけ始めた。

 自分達も食事にしようと思い、朋彦とナオヨシが荷車を離れようとすると、

「マジナイ師殿、悪いけど水をくれないか?」

 喉が渇いていた様で、テルヒサが声を掛けてきた。

「あ、悪ィ。飲み物忘れてたな。」

 朋彦は慌てて懐に手を突っ込み、蛙人形からキヨミ達の分の飲み水を取り出した。

「・・・?」

 朋彦から受け取ったものの、テルヒサやキヨミ達は飲み水の入っている容器に少しの間、物珍しそうに首をかしげていた。

「あ。」

 朋彦はテルヒサ達の様子に思わず声を上げた。

 半ば反射的に飲み水のイメージを思い浮かべた為に、朋彦はペットボトル入りのミネラルウォーターを実体化させていたのだった。

「あ、えーと、その蓋をぐっと力入れて捻れば開くから。」

 当然蓋の開け方も判らないテルヒサ達に朋彦は慌てて説明した。

 説明された通りに蓋を開け、恐る恐る水を口にしたスエハチやシチゴロウ達は、やはり喉が渇いていたのかごくごくと飲み乾した。

「本当にかなりの腕利きのマジナイ師だな・・・。こんなに食べ物だの水だの荷車だの作り出すだなんて、昔話の中でしか聞いた事が無かったよ・・・。」

 飲み乾した空のペットボトルを物珍しそうに何度も見ながら、テルヒサは心底から感心した様に呟いた。

 回せば沢山の塩や米が出て来る石臼。履いて転べば小判の出て来る天狗の下駄。願えば何でも出て来る小槌――神々や精霊達が実際に居るこの世界であっても、貧しい日々の生活に追われる一般の人間達にとっては、水や食べ物が豊かに湧き出て来る宝物は空想の物語の中のものでしかなかった。

 そんな存在が目の前に、冴えない平凡な風体の青年の形をとって存在していた。

 ――もしかしたら、どんな病気も治せる薬だって持っているかもしれない。

 今もまだ病気で苦しんでいる仲間の妹分の事を思い浮かべ、テルヒサは小さな溜息をついた。

 妹分の事を考えていたのはキヨミ達も同じだった様で、テルヒサがふと見ると、キヨミ達も少し箸を止めてテルヒサの方を沈んだ表情で見ていた。

 そんな彼等の様子は社会経験の全く足りないナオヨシには余り判らなかった様で、朋彦を誉められた事に機嫌良く胸を張り、

「朋彦さんは本当に偉いマジナイ師様で、それに大商人様なんだぞ! オレを助けてくれたり、村に沢山鉄の鍬や鎌を売ってくれたりしたんだ。」

「お、おい。ナオヨシ・・・。」

 照れ隠しや、盗賊であるキヨミ達と余り関わりになるのもどうかと思い、朋彦はナオヨシを窘めた。

「へえ・・・。村って、シモアサダ村か?」

 ナオヨシの言葉にシチゴロウが尋ねると、ナオヨシは村での事を思い出し曇った顔で答えた。

「ううん。ナギシダ村。オレ、村の皆に殺されかけて、それを朋彦さんがマジナイで助けてくれたんだ。」

 流石に「産めぬ民」云々に関してはナオヨシも口にはしなかった。

 村から逃げ出して、朋彦と共に旅をする事になったのだと、大部分については正直に話すナオヨシの言葉に、キヨミ達皆の表情が一様に暗く曇った。

 キヨミ達もまた、それぞれに理由の違いはあっても自分の生まれた村から逃げ出さざるを得なかった境遇を思い返していた。

「ほら、ナオヨシ、俺達も飯にするぞ。向こう行こうぜ。」

 暗く沈んだ空気を払おうと、朋彦はナオヨシの背中を軽く叩いた。

「あんたらも色々と事情があるとは思うけど、面倒事に関わるほどの力は俺には無いからな。シモアサダで役人か何かに引き渡したら、そこでお別れだ。」

 朋彦はもう一度ナオヨシの背中を軽く叩き、

「ナオヨシ、こいつら一応犯罪者だからな。チヅコ達みたいな幼児を誘拐したりしてるし。あんまり同情とか油断とかするなよ?」

「う、うん・・・。」

 朋彦の言葉に少しだけ割り切れない気持ちを感じながらも、ナオヨシは頷いた。

 朋彦とナオヨシが戻ってくると、既にチヅコとツルオは食事を終えていた。

 サダロウも腹一杯ビスケットを食べた様で、朋彦への抗議も忘れて弁当箱の中で丸まってうとうとし始めていた。

 朋彦もナオヨシも急ぎ気味に食事を終わらせると、再びシモアサダ村へと出発する事にした。



 それからさほどの時間もかからずに、朋彦達はシモアサダ村の村境へと到着した。

 子供の背の高さ程の苔むした石碑と道祖神の石像が道の傍らに立ち、シモアサダ村と刻まれていた。

 朋彦の曳く荷車の上でチヅコ達は、見慣れた石碑や道の向こうにぽつぽつと建つ小さな家々の様子に思わず立ち上がって喜んだ。

「こらこら、危ないだろ。もうすぐだから座ってろよ。」

 ぐらぐらと揺れる荷車を押さえ、朋彦はチヅコとツルオを宥めた。 

 二人が何とか大人しく座り直したので朋彦は再び歩き始めたが、後ろに続くナオヨシの表情が何となく硬い事にふと気が付いた。

「・・・ん? どうした?」

「・・・。」

 朋彦の問いに、ナオヨシは僅かの間、口を噤んでいたが、

「・・・村から追われた事とか、大丈夫かな・・・。何か言われたり、変な目で見られたりしたらどうしよう・・・。」

 ナギシダ村から脱出し、山の中に朋彦と隠れ住んでもう二か月以上経っていた。

 ナギシダからは離れた余所の村とはいえ、暫くぶりに大勢の人々の中に出て行く事に、ナオヨシは必要以上に不安を抱いていた。

「まあ、大丈夫だろ。心配すんなって。」

 朋彦は努めてへらへら笑いながら、ナオヨシへと話し掛けた。

「ナギシダからは随分離れてるし、ナオヨシ、自分で言ってたじゃないか。ほんの何人かの村人と村長しか余所の村に出掛けたりしてなかったって。」

 朋彦が念の為に少し知識の参照をすると、あくまで一般的な話としてだが、この地方の小さな村々は貧しく日々の生活に追われている為、村同士の行き来は少ないとあった。

 その為、村同士の間での噂話や出来事が伝わる速度も遅かった。

 それに何よりも、確たる証拠も無く「産めぬ民」だと決め付けて(実際には「産めぬ民」ではあったけれども)自分達の村の人間を半殺しにして追放した――等という村の暗部の話が、余所の村へと伝わる可能性はかなり低いだろうと朋彦は思っていた。

「――それに、もうナオヨシはナギシダ村の親無し学無しのナオヨシじゃないだろ。大行商人の室地朋彦様の大事な相棒じゃないか。」

「朋彦さん・・・!」

 その言葉にナオヨシは少し涙ぐみながらも笑顔を浮かべた。

 ナオヨシの曳く荷車の上から二人のそんなやりとりを眺めていたシチゴロウは、丸い体を更に丸めて呟いた。

「あのデカいのも俺みたいに親無しで口減らしに殺されかけたんですかねえ・・・。」

 飢饉でお互いに殺気立った小さな村で、自身も口減らしに殺されかけた幼い頃の記憶をシチゴロウは思い返していた。

「・・・食い物も無くなって、家族も無いし働き手にもなれないヤツから、役立たずってんで殺されるか追われるかして・・・。」

 シチゴロウの呟きを聞きながら、スエハチやタケハル、テルヒサも、小さく、長い溜息をついた。

「・・・。」

 黙々と自分達の乗った荷車を曳くナオヨシの大柄な背中を眺めながら、キヨミもまた何ともやりきれない思いを抱き掛け――しかし、無理矢理怒鳴り声を上げた。

「何だい辛気臭い!! 親無しだの村から追放だの、そんなヤツらは世間にごまんといるじゃないのさ!! 変な同情はおよし!!」

「あ、姐さん・・・。」

 キヨミの剣幕に、シチゴロウ達は俯き黙り込んだ。

 そんなキヨミ達の会話は、がらがらと大きな音を立てる荷車の車輪の音に紛れながらも、当然ナオヨシや朋彦にも漏れ聞こえてきた。

「あ・・・朋彦さん・・・。」

 背後のシチゴロウの話し声に、ナオヨシは困惑しながら朋彦へと顔を向けた。

 朋彦へと呼び掛けたものの、しかし、何と言っていいのかナオヨシは言葉を続ける事は出来なかった。

「あー・・・。うん・・・。」

 朋彦も返事をしながらも、大きな溜息をついた。

 キヨミ達はチヅコ達を誘拐してはいたものの、人でなしの大悪党という雰囲気ではなかった。

薄々は想像していたものの、村々から追放されて食うに困った連中が寄り集まって盗賊になってしまった――というところなのだろう。

 だが今、同情して逃がしたところで、彼等の困窮を根本から解決しない限りは、また何処かで似た様な犯罪を行なうだろう。

「・・・どうしたもんかねえ・・・。」

 朋彦はまた溜息をついた。

 朋彦とナオヨシの曳く荷車は、ゆっくりと村の中へと進んでいった。



 村境の石碑から田畑の間を伸びる一本道は、今迄歩いていた山の中の細道と比べてきれいに均されて歩き易くなっていた。

 朋彦達が荷車を曳き村の中へとやってくる様子に、畑仕事をしていた二、三人の村人達が気付いた。

 荷台の荷車には荷物ではなく何人かの人間を乗せている事に、彼等は怪訝な顔付きになっていた。  

「おい・・・! あっちの荷車、あれ、チヅコ達じゃねぇか?」

「カメヨさん呼んで来るわ!!」

 チヅコ達の姿に気付くと、その中の一人の男が慌てて村の奥へと走っていった。

 そんな彼等の慌てた様子に朋彦達も気が付き、荷車を停めて畑の方に呼び掛けた。

「すみませーん!! この子達の家は何処ですかねー!?」

 しかし朋彦の問い掛けにも畑に残っていた二人の男達はすぐには答えず、少し硬い表情のままゆっくりと近付いてきた。

「えーと・・・。」

 二人の様子に朋彦も戸惑いながら立ち尽くした。

 見慣れない余所者である朋彦達を警戒して、彼等は三~四メートル程離れた所で立ち止まった。

「あ、おっちゃん!!」

 荷台から身を乗り出したチヅコが、嬉しそうに声を上げた。

 そこに、先程村の奥に誰かを呼びに行った男と、もんぺ穿きの小柄な女性が走って戻って来た。

「チヅコ! ツルオ!」

 全力で走って来たのかぜえぜえと息を切らしながら、女性はチヅコとツルオへと両手を伸ばした。

「かあちゃん!!」

 チヅコとツルオは転がり落ちる様に荷台から下りると、嬉し泣きに顔をくしゃくしゃに歪ませて母親へとしがみ付いた。

「良かった・・・。良かった・・・。」

 彼女も涙ぐみながら屈み込み、チヅコとツルオをしっかりと抱き締めた。

「母ちゃんに会えて良かったな・・・。」

 少し羨ましそうにチヅコ達の様子を眺めるナオヨシの呟きを聞きながら、荷台の上でキヨミ達は唇を噛み、顔を背けた。

 判ってはいたけれども、チヅコ達親子を引き離していた自分達の行為の酷さを改めて突き付けられた気がしていたのだった。

「・・・この人達は?」

 母親がチヅコに尋ねると、まだ泣いているチヅコに代わって、チヅコの肩に止まっていたサダロウが答えた。

「行商人殿でござる。この二人に助けてもらったのでござるよ!」

 一応は精霊であるサダロウの言葉に何とか大人達の警戒心は和らぎ始めた様だった。

 見張るかの様に朋彦達を見ていた畑仕事の男達も、少しずつ朋彦達の方へと近寄って来た。

「あ、どうも・・・。」

 朋彦がチヅコの母親へと頭を下げ、ナオヨシもそれに続いた。

 サダロウは何故か自分の事の様に得意気に説明し、チヅコの肩から朋彦の頭の上へと飛び移った。

「拙者達、薬草採りの最中にこの盗賊達に攫われもうしたが、マジナイに優れた行商人殿が・・・。」

 マジナイ、という言葉に朋彦は慌てて頭上のサダロウを掴み取り、嘴を軽く摘まんで閉じさせた。

「あ、いやいやいや!! アキナイ!! 商いに優れた行商人です!! 山奥の村々に色々便利な品物なんかを大量に安く売らせていただいておりますのでっ!!」

 余計な事を言いやがってと内心苛立ちながらも、朋彦は慌てて笑顔を取り繕った。

「へえ・・・。行商人かあ。」

 チヅコの母親を呼びに行った中年の男が物珍しそうに朋彦を見た。

「この村でも何か売ってくれるのか?」

 ナギシダ村の時と同様に、村外からの行商人が珍しいらしく、他の男達の先程迄の警戒心もすっかり無くなった様だった。

「あ、荷物はその、盗賊を連れて来なければならなかったので、その、山奥に置いて来てですね・・・。」

 朋彦はサダロウを握り締めたまま言い繕った。

 そんなやりとりをしている内に、チヅコ達の母親を追って他の村人達も次々にこちらへとやって来た。

 昨日から行方不明になっていたチヅコとツルオ、サダロウが無事に戻って来たという知らせが、もう村中に広まった様だった。

 チヅコ達の無事を喜びながらも、物珍しそうな視線を向けて来る十数人程の村人達に囲まれたまま、朋彦とナオヨシはどうしたものかと立ち尽くしてしまった。

 しばらく握り締めていたせいでサダロウは朋彦の手の中で気絶しており、朋彦は慌ててサダロウをチヅコへと手渡した。

「あ、サダロウ、疲れて眠ったみたいだな・・・。」

 誤魔化す様に笑う朋彦を、サダロウを受け取ったチヅコは怪訝な表情で見上げるばかりだった。

「あの・・・行商人さん・・・。」

 チヅコとツルオが両手にしっかりとしがみついたままの母親――カメヨが、おずおずと朋彦へと声を掛けた。

「取り敢えず、誰かに村長と駐在様を呼びに行かせます。その間、村の駐在所でお待ちいただけませんか?」

「あ、はい。」

 朋彦は承知すると、カメヨの案内に従ってナオヨシと一緒にまた荷車を曳き始めた。

 駐在所までの道すがら、カメヨは村の事等について簡単に説明してくれた。

 この時期はアキノヒラガ草という薬草の収穫期なので、村人の多くが山の中に出掛けて行くが、田畑の仕事もしなければならず、とても忙しい状態だった。

 その為、チヅコとツルオ、サダロウが行方不明になったと言っても捜索の人手を多く割く事は出来なかった。

 村長と駐在の役人と、後は三、四人の村人だけがチヅコ達を探しに今も近辺の山の中を歩き回っていたのだった。

「でも本当に、無事で良かった・・・。」

 カメヨはそう言って少し涙ぐんだ。

 そうする内に、小さいながらも家々の集まった一角に着き、「下朝田村駐在所」と筆文字で書かれた看板の建物の前に朋彦達は案内された。

 駐在所とは言っても、周りの民家より多少大きく、柱が太くしっかりした造りというぐらいで、時代劇に出て来る様な商家を朋彦は連想した。

 丁度そこに、道の向こうから数人の人影がこちらへと急いで走ってくる様子が見えた。

「チヅコ、ツルオ、無事だったか!!」

 先頭を走っていた禿げかけた白髪交じりの老人が、息を切らしながらもチヅコとツルオの前へとやって来て、嬉しそうに抱き締めた。

「おじい!!」

 チヅコとツルオもきゃっきゃと嬉しそうにはしゃぎながら、老人の腕の中で飛び跳ねた。

「これ、外では村長様、でしょう。」

 カメヨが二人を窘めたが、嬉しさの余り聞こえてはいない様だった。

「何はともあれ、無事に帰って来て良うございました。」

 村長とチヅコ、ツルオ達の様子を微笑ましそうに見る中年の痩せた男性が、カメヨへと声を掛けた。

 一人だけ白いワイシャツを中に着た、濃い紺色の羽織袴――色味はともかく、何となく明治の書生を連想する様な恰好をしたこの男性が、シモアサダ村の駐在の警官であるとカメヨは朋彦達へと紹介した。

 一応は警察組織もあるのか、と、朋彦は感心しながら警官へと頭を下げた。

 朋彦の後ろで、警官に緊張しながらもナオヨシも頭を下げた。

「拙者は、この近辺の村を巡回している石木圭清(いしぎ・けいせい)と申す。すまんが調書を作らねばならんので、しばらく時間をもらいたい。」

「あ、はい。」

 流石に朋彦もキヨミ達を役人に渡してすぐ終わりとは思っていなかったので、石木に先導されて駐在所の中へと足を向けた。

 キヨミ達を乗せた荷車は入口の土間へ停める様に石木に言われ、ナオヨシは言われるままに朋彦の後に続いた。

「さ、ワシ等は家に帰ろうな。」

 村長が、またカメヨの両手にしがみついたチヅコとツルオに優しく声を掛けた。

「お世話になりました。」

 土間の中に入ろうとする朋彦とナオヨシに、カメヨは深々と頭を下げ、チヅコとツルオもそれに倣ってぺこりと頭を下げた。 

 サダロウはチヅコの手の中でまだ気絶している様だった。

「あ、いえこちらこそ・・・。」

 朋彦とナオヨシも軽く頭を下げ、チヅコとツルオに軽く手を振ると、駐在所の中へと入っていった。

 荷車が入れる様に雨戸を開け放して広くなっていた入口から土間へと入り、ナオヨシは石木に言われた辺りへ荷車を停めた。

 土間の奥に木製の簡素な丸椅子とテーブルがあり、石木はそこに紙や筆を用意していた。

「さ、こちらに。」

 丸椅子を並べ、朋彦とナオヨシを促しながら、石木は駐在所の前で立ち話をしている何人かの村人達の一人へと声を掛けた。

「おーい、タリョウゴ君! すまんが荷車の連中の見張りを頼む!」

「はい!」

 低い声で返事をしながら、がっしりとした体格の青年が中へと入って来た。

 背丈は朋彦と同じぐらいであったが、分厚くどっしりとした筋肉質な体は日頃の鍛錬を感じさせた。

 耳周りから後頭部までは短く刈り上げられ、上の方だけが二~三センチ伸びた様な短髪で、太く意志の強そうな眉毛とくりっとした目が印象的だった。

 ――あれだ、昭和の男前って感じ。当然大好物です。

 朋彦は好みのガチムチ男子を目にした事でにやけそうになる表情を何とか抑えた。

 朋彦とナオヨシの方に軽く頭を下げ、タリョウゴと呼ばれた青年は荷車に乗せられたままのキヨミ達の近くにやって来た。

 荷車の近くの壁際に置いてあった丸太に腰を下ろすと、タリョウゴは口を引き結んだまま厳しい表情で見張りを始めたのだった。

 タリョウゴの着ていた物はやや厚手の生地ではあったが、白地に紺色で桔梗や芒、小菊等の秋の草花をあしらった浴衣の様な物だった。

 丁度、朋彦達の立っている位置から、タリョウゴが少し足を広げて座っている所――股間の白い褌とがっしりとした太腿がちらちらと見えてしまい、朋彦にとっては物凄い目の毒になっていた。

「・・・。」

 ふとナオヨシの方に目を逸らすと、ナオヨシもまた僅かばかり頬を赤らめてタリョウゴの方をちらちらと見ていた。

「あ、・・・!」

 朋彦からの視線に気付き、ナオヨシは思わず声を上げてしまった。

「いや、その・・・ハハハハハハ・・・・。」

 二人共、「産めぬ民」の視線の先は同じ様で、朋彦とナオヨシはお互いに誤魔化す様に軽く笑った。

 朋彦とナオヨシの様子に不思議そうに目を向けて来る石木に気付き、二人は慌てて丸椅子に腰を下ろした。

 旅の行商人・室地朋彦とその弟子・ナオヨシという設定は、幸いにも深くは追及はされなかった。

 ナギシダ村での商売を終えて、シモアサダ村に向かう途中でチヅコ達を助けたという朋彦の話も基本的には本当の事だった為、石木からは特に不審に思われると言う事も無かった。

「・・・ふむふむ。そこで、荷車に皆を乗せてシモアサダにやって来た・・・と。」

 B5くらいの大きさの粗い作りの和紙に、細い筆で細い字で石木は聞き取った内容を記していた。

 辺境の警官に支給される物品も余り潤沢ではない様で、その和紙がそのまま記録書になる様だった。

 朋彦達からの聴取はすぐに終わり、次はキヨミ達の取り調べを行なう事になった。

 石木がキヨミ達の事を書く新しい用紙を文箱から取り出しながら、朋彦達の方に顔を上げた。

「室地殿には申し訳ないが、きちんとした取調室も無い故、暫く席を外していただきたいのだが・・・。」

 田舎の山奥の小さな村では取調室も牢屋も充分には整えられていない簡素な派出所ではあったが、一応は取り調べの内容が安易に外部に漏れない様にという配慮を、石木は律儀に行なおうとしていた。

「あ、はい。じゃあ俺達はこれで・・・。」

 石木へと軽く頭を下げ、朋彦は席から立ち上がると外へと足を向けた。

 ナオヨシも無言で頭を下げると慌てて朋彦の後を追った。

「あ、どうも・・・。」

 壁際のタリョウゴへも頭を下げ、そのままの流れで下げる必要の無かったキヨミ達へも軽く頭を下げて朋彦とナオヨシは派出所の外へと出た。

 丸太に腰を下ろして黙ったままタリョウゴが会釈をする後ろで、硬い表情で朋彦達を見つめるキヨミ達の様子が目に入ったが、朋彦は出来るだけ気にしない様にした。

 適当に時間を潰した後で荷車の回収という名目で戻り、タリョウゴの事を少し訊くのもいい。

 だがキヨミ達にこれ以上関わるのも気が進まないし――そもそも荷車等惜しくも何ともないのだから捨て置いて、このまま当初の目的の相撲大会を見にカミイシダ村に出発してもいい・・・。

 そんな事をつらつらと考えながら、朋彦はナオヨシとあても無く少しの間派出所前の一本道を歩いた。

 大部分の畑は秋の収穫作業が終わっているらしく、掘り返されたばかりの土が大雑把に均されていた。

「・・・ちょっと一休みするか・・・。」

 キヨミ達一味の事がぼんやりと頭の片隅で揺らめいていて、今一つすっきりしない気分のまま朋彦は、畦道の傍らに生えていた柿の木の下に腰を下ろした。

「朋彦さんは休んでばっかりだね・・・。」

 そう言って偉そうにしていたサダロウの様子や口調を思い出し、ナオヨシも軽く笑いながら朋彦の横へと座った。

 朋彦が何となく柿の木を見上げると既に収穫済みの様で、実は殆ど残っていなかった。

 二、三の熟れ過ぎて潰れかけた実が高い位置に残されているぐらいだった。

「・・・茶でも飲むか?」

「うん・・・。」

 朋彦の何となく気の抜けた問いに、傍らのナオヨシもぼんやりと答えた。

 いつもの竹筒の水筒と二人分の湯飲みを道具袋から取り出すと、朋彦は温めの番茶を注いでナオヨシに手渡した。

 番茶をちびちびと飲みながら、ナオヨシは何処かうかない表情で駐在所の方角を時々眺めていた。

 朋彦はナオヨシのそんな様子に、タリョウゴとかいう青年の事が気になるのかと軽口を叩きかけた。だが、今は何となくからかう気にもなれず、

「・・・盗賊の連中の事か?」

「う、うん・・・。オレ、世の中のコトよく知らないから、よく判らなくて・・・。」

 朋彦の問いにナオヨシはそう言って手にしていた湯飲みに目を落とした。 

「盗みや人さらいは悪い事だし、キヨミさん達、悪い人達なんだろうけど・・・。けど・・・飢饉で村を追われたとか殺されそうになったとか、話してただろ・・・?」

 キヨミ達がしていたそんな話は朋彦の方にも聞こえていた。

 辺境の貧しい村が飢饉に襲われれば、食べ物の奪い合いや村からの追放、逃亡といった事は珍しい事ではなかった。

 それに、命からがら逃げ出した後、寄る辺の無い身が生きていく為に犯罪に手を染めてしまう事もまた、珍しい事ではなかった――。

「キヨミさん達、捕まった後、どうなるのかな・・・。何か・・・何かよく判んないけど、可哀想で・・・。」

 沈んだ声で肩を落とし、ナオヨシは持っていた湯呑を知らず握り締めていた。

「・・・ナオヨシ・・・。」

 朋彦も傍らに座るナオヨシを見上げながらも、何と声を掛けていいのか戸惑ったままだった。

 ナギシダ村の狭い世界しか知らなかったナオヨシには、キヨミ達の事情はまだ難しいのだろう。

「優しいな、ナオヨシは・・・。」

 朋彦はそう言って微笑んだ。

「そ、そう・・・かな・・・。」

 朋彦の笑みに、ナオヨシは思わず顔を赤らめて目を逸らした。  

 ナギシダ村では褒められた事も無かった為に、ナオヨシは朋彦の言葉に嬉しくもくすぐったい様な気持ちも感じてしまっていた。

 顔の赤みを誤魔化す様にナオヨシが湯呑の茶を一気に呷った所で、駐在所の方から誰かが走ってくる様子に朋彦は気が付いた。

 こちらに手を振りながら小走りで駆けて来るどっしりとした筋肉質の青年――タリョウゴの姿に、今度はナオヨシと朋彦は心のときめきに顔が赤くなるのを感じた。

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