とおとひとつめのかたり 「山奥に、助け給うべき人も無き所に、朋彦敢へ無く童を助く」
下手な瞬間移動をして誘拐犯達のど真ん中に出現してしまっても困るので、朋彦はナオヨシとツルオを伴って山道を徒歩で移動する事にした。
携帯端末の地図に表示された誘拐犯達の動きを見ながら、少しずつ近寄っていこうと朋彦は考えていた。
朋彦の本音としては何よりも危険な場所に、闇雲に突入したくはなかったのだった。
「・・・あ、少しずれた。」
地図を見ながら朋彦は横を歩くナオヨシに声を掛けた。
山道は僅かばかり藪を切り払われた程度の整備しかされておらず、油断していると道を逸れてしまい易くなっていた。朋彦が少し知識の参照をすると、この辺りの山道はシモアサダ村の数人の樵だけが作業の為に行き来する為の道という事だった。
「朋彦さんがいると初めての山道でも安心だな~。」
呑気に笑いながら、ナオヨシは朋彦とツルオと共に元の道へと足を向けた。
共に山道を歩く内に幾分かは打ち解けたらしく、ツルオはまだ少し表情は硬いもののナオヨシのすぐ後ろに付いて歩く様になっていた。
「俺のお蔭で迷子にならなくて安心だろ?」
朋彦も笑いながらナオヨシに応え、携帯端末を懐の道具袋に仕舞い込んだ。
「・・・・。」
袋に仕舞い込んだところで、朋彦はツルオが自分の方をじいっと見ている事に気が付いた。
「・・・ん? どうした?」
朋彦の問い掛けに、ツルオはまだ慣れていないのかナオヨシの陰に隠れる様にして朋彦から距離を取った。
「・・・今の・・・板・・・。ぴかぴかしてる・・・。」
「あー・・・。板、ね。」
ツルオの言葉に朋彦は携帯端末を再び懐から取り出した。
ツルオに見易い様に朋彦が屈むと、ツルオは物珍しさに目を輝かせて画面に映し出された地図を見た。
「えーと、この赤い点が今俺達の居る所な。・・・で、お姉ちゃん達が居るのがここ・・・。」
朋彦が画面に触れて地図を動かしながら説明する様子に、ツルオは朋彦が何だかよく判らないが凄い力を持った人物だと確信し、朋彦を見る目が尊敬にきらきらとし始めた。
「朋彦さんは、苗字持ちの行商人様で、それから、すっげぇ偉いマジナイ師様なんだぞ~。」
ツルオの様子にナオヨシが、自分の事の様に得意気に説明した。
四歳の子供の頭では行商人もマジナイ師も何であるかは殆ど判ってはいなかったが。
とにかく何かの肩書がつく人間であるという説明に、ツルオはますます尊敬に目を輝かせて朋彦を見た。
そんなツルオの様子に照れ笑いを浮かべながらも、朋彦はナオヨシを見上げて、
「あー・・・。俺がマジナイ師だってあんまり言いふらすなよ・・・? ほら、悪いヤツに知られると面倒だし・・・。」
「あ、ごめん・・・。そんなつもりじゃなかったんだけど・・・。」
朋彦に窘められ、ナオヨシは少ししょんぼりと肩を落とした。
「しょげるなって。次から気をつけてくれたらいいからさ。」
朋彦は携帯端末を再び懐にしまい、立ち上がるとナオヨシの肩をぽんぽんと叩いた。
「ほら、さっさと出発しようぜ。この子の姉ちゃんも助けを待ってるだろうし。」
「・・・サダロウも・・・。」
朋彦の言葉にツルオが付け足した。
「あ、サダロウもな・・・。」
それから朋彦達は再び誘拐犯達の居ると思われる洞窟へと出発した。
細い山道をナオヨシを先頭にツルオ、朋彦の順で歩きながら、段々と朋彦達に慣れてきたのかツルオはぽつぽつと自分や村の事等を話してくれた。
秋のこの時期には村人総出で稲刈りや山菜、木の実採り、薬草採りに出ている事、子供達も出来る範囲で手伝いに駆り出される事、ツルオと姉は村長の姉の家の子供だという事等――。
ツルオの断片的な話を聞きながら知識の参照を行ない、朋彦達もシモアサダ村の様子について少しずつ判り始めてきた。
「――へえ、すげぇなあ。オレ、精霊様なんて見たコトねえ。会うの楽しみだな~。」
ツルオからサダロウの姿形やツルオの家で過ごす様子等を聞きながら、ナオヨシは期待に目を輝かせた。
「・・・まあ、誘拐犯に攫われるぐらいだから、あんまり大したコトなさそうだけどな・・・。」
ツルオの話を聞きながら朋彦は苦笑を浮かべた。
ツルオの話では、サダロウは小さな雀の姿をした精霊の子供の様で、まだ未熟でヒト型の姿も取れない様だった。
せいぜいが村の小さな子供達の遊び相手か、子供と同程度に村の手伝いが出来るだけの様だった。
元の世界のマンガやゲームに出て来る様なきらきらと華やかな、或いは清らかなオーラを纏った様なイメージからは程遠そうなサダロウの様子に、朋彦の方は精霊との邂逅への期待はひとまず置いておく事にした。
◆
「・・・やっと出来た。」
キヨミは大きな溜息をついて、木の枝を削って作った筆を地面に置いた。
粗末な作りの和紙にかりかりと筆先が引っ掛かる不快感に耐えながら、何とかシモアサダ村の村長への脅迫状は出来上がった。
「さすが姐さん、キレイな字だ。」
キヨミの前に広げられた和紙を見ながらスエハチはキヨミを褒め称えた。
「読めないくせに適当なこと言うんじゃないよっ!」
褒められて満更でもないのかキヨミは照れ隠しに軽くスエハチの頭をはたいた。
――村長へ。チヅコ、ツルオ、サダロウはあずかっている。返してほしければアキノヒラガ草を全部よこすこと・・・・。
キヨミの向かいに腰を下ろしていたテルヒサは、簡単な漢字仮名交じり文で書かれた脅迫状を手に取って眺めた。
キヨミ以外は、スエハチもシチゴロウもタケハルも教育らしい教育は受けておらず、読み書きは全く出来なかった。テルヒサもせいぜい平仮名片仮名を読める程度だった。
シモアサダ村も辺境の貧しい村の事ゆえ、恐らく簡単な読み書きが出来る者は村長ぐらいのものだろう。
これから自分達は今迄やって来た様な盗みよりもひどい事をしなければならない――重くなりがちになる気持ちが顔に出ない様に努めながら、テルヒサはその脅迫状を丁寧に折り畳んだ。
洞窟の奥で、そんな彼等のやり取りを捕えられた籠の中から見ながら、サダロウは少し憤慨しながら呟いた。
「全くけしからんでござる! 折角覚えた読み書きの力を、脅迫状を書くために使うなどとは!!」
「サダロウは読み書きできるの?」
ぴいぴいと籠の中で喚くサダロウに、幾らかは捕らわれた心細さも落ち着いてきたチヅコが問い掛けた。
「当然でござる! 神社に仕える精霊は読み書き計算は必修でござるよ!」
「へえー、大したもんだ。さすがガキでも精霊様は違うもんだなー。」
チヅコとサダロウの近くに座って見張っているシチゴロウが少し太った小柄な体を乗り出し、感心した様に籠の中のサダロウを覗き込んだ。
「仮にも精霊のはしくれゆえ当然でござる!」
籠の中でサダロウは得意気にふんぞり返った。
そこに、洞窟の入り口に痩せ気味の小柄な人影が映り、キヨミへと呼び掛けてきた。
「姐さん! 戻りました!」
タケハル――川に落ちて流されたツルオを探しに出ていた男だった。
洞窟の奥からチヅコとサダロウはタケハルの方へと目を向けたが、人影はタケハルだけでツルオの姿はそこには無かった。
「ちょうどよかった。戻ったばかりで悪いけど、あんた、この手紙を村長に・・・。」
戻って来たタケハルに、キヨミはまだテルヒサの手の中にあった脅迫状を指し示した。
それからすぐにキヨミや他の者達も、タケハルがツルオを連れていない事に気が付いた。
洞窟の奥に縄でつながれたままのチヅコは、ツルオの姿が無い事にまた泣き出しそうになってしまった。
「・・・子供は見つからなかったのかい?」
キヨミも少し暗い表情でタケハルに尋ねた。
まだ少し息を切らしているタケハルは、大きく首を横に振り、
「いや、川の下流で、妙なマジナイを使う行商人らしい二人連れがツルオを助け上げたんでさぁ。・・・その、もし本当に二人連れがマジナイ師だとすると、姐さんに伺いを立ててからのほうがいいと思いまして・・・。」
タケハルの判断通り、マジナイ師という言葉を聞いただけでキヨミの眼差しは険しくなり、額に青筋が浮かんだ。
「・・・マジナイ師だって・・・?」
憎しみのこもった声でキヨミは吐き捨てる様に呟いたが、少しして二、三度深呼吸をして無理矢理気持ちを落ち着かせた。
今はシモアサダ村から薬草を奪い取る事を優先させなければならなかった。
「・・・まあ、いいさ。それより、この脅迫状、村長にひとっ走り届けとくれよ。」
キヨミはマジナイ師への苛立ちを押さえながら、テルヒサがまだ持っていた脅迫状をひったくりタケハルへと渡した。
「へい。」
「・・・ツルオ・・・。ツルオに会いたい・・・。」
タケハルがキヨミから脅迫状を受け取ろうとすると、洞窟の奥からチヅコのしくしくと泣く声が聞こえてきた。
「チヅコ・・・。」
籠の中からサダロウが何と慰めてよいものかと、言葉を詰まらせながらチヅコを見上げていた。
「お、おい・・・。泣くなよ・・・。姐さんにまた怒鳴られるぞ・・・。」
慰めるのに困ったのはシチゴロウも同じ様で、チヅコとサダロウの傍らで、ただおろおろと困惑して座っているばかりだった。
「・・・全くもう・・・!」
キヨミはタケハルの手に脅迫状を押し付けると、苛々と頭を掻きながら洞窟の奥で鳴き続けているチヅコを睨んだ。
「タケハル、ツルオの居場所に案内しな。行商人に連れて行かれちゃたまらないよ。人質をちゃんと捕まえとかなきゃね。あんたはその後で村に走っとくれ。」
キヨミの言葉にタケハルやテルヒサ達は微かに笑みを浮かべた。
「ついでに行商人の荷物や有り金も全部もらおうじゃないのさ。ほら、行くよお前達!」
タケハル達の喜んでいる様子を見ない様にして、キヨミは足早に洞窟の出口へと向かった。
「良かったな。弟に会えるぞ。」
シチゴロウの言葉にチヅコは泣き止んで嬉しそうに頷いた。
シチゴロウは無邪気に喜びながら、チヅコを括りつけていた一方の縄を解いて立ち上がった。
サダロウの入った小さな籠はチヅコが持った。
人質であるチヅコは洞窟の中に置いて行くつもりだったキヨミは、呑気な様子で縄の端を握ってチヅコと歩いて来たシチゴロウを怒鳴りつけた。
「何やってんだよ!! この子まで連れて行くつもりは無いよ!」
「え・・・。でも、姐さん・・・。」
キヨミの怒鳴り声にシチゴロウもチヅコも身を竦ませた。
「まあまあいいじゃないか。俺も見張ってるから。きっとこの調子だと、ツルオのほうも帰り道にチヅコを恋しがって泣いてうるさそうだし、姉弟一緒にしといたほうがうるさくないだろうよ。」
キヨミの肩と髪を軽く撫でながら、テルヒサが無理矢理の言い訳めいた事を口にした。
「・・・まあ・・・あんたがそう言うんなら・・・。」
微かに頬を染めてテルヒサを見ながら、キヨミは仕方が無いという風に少し大袈裟な溜息をついた。
「ふむふむ。盗賊にしてはテルヒサ殿は実に心優しいでござるな! なかなかに見所のある者でござるよ!」
籠の中で偉そうに踏ん反り返りながら、サダロウが能天気な調子でテルヒサを褒め称えた。
「うるさいわよ・・・! さっさと行くよ!」
キヨミは腹立ち紛れにサダロウの入った籠を軽くはたくと、一人で先に歩き出してしまった。
本当にごく軽い力だったのでチヅコはサダロウの入った籠を落とす事は無かったが、呆然と立ち尽くしてキヨミの後ろ姿を見送った。
「心配することはないさ。ツルオが見つかって姐さんもほっとしてるんだ。」
シチゴロウが傍らでチヅコに話し掛けた。
「そう・・・なの・・・?」
不思議そうにチヅコは呟いたが、シチゴロウ達はそれ以上は答えずキヨミの後を追って歩き始めた。
チヅコの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるシチゴロウに促され、助かったツルオに会えるのを心待ちにしながらチヅコも歩き始めた。
◆
「ん?」
先を歩き藪を切り払うナオヨシのうなじや腕を眺めたり、携帯端末の地図を眺めたりしながら朋彦は歩いていたが、盗賊達人間の反応を示す青い点と精霊を示す緑色の点が洞窟から出て山道を移動し始めた事に気が付いた。
「どうした?朋彦さん?」
手を止めて刀を下ろしナオヨシが振り返った。
「なんか向こうの連中が移動し始めたみたいだ。」
朋彦は人数分の光の点が動き始めた地図の表示をナオヨシに見せた。
「・・・何処に行こうとしてるんだろ・・・?」
ナオヨシは不安気に呟いて朋彦を見た。
誘拐犯と精霊の反応を示す光点は、谷川沿いの小道を川下へと向かっている様だった。
「・・・もしかして俺達の方に向かってる?」
こんな山奥に幾つも道がある訳ではなかったのだから当然ではあったが、彼等が移動している道は、朋彦達が今歩いている場所に続いていた。
「シモアサダ村に行こうとしてるのかな・・・。」
不安に強張った表情でナオヨシは朋彦とツルオを交互に見つめた。
詳細は判らないなりに、立ち止まって思案する朋彦とナオヨシの様子にツルオもまた不安感を覚え顔を曇らせていた。
「そうだなあ・・・。洞窟から村まで行くのはこの道しかないしなー・・・。」
誘拐犯達と鉢合わせするかも知れない状況に、朋彦は大きな溜息をついた。
当初の、洞窟の外から中の様子を伺ってから、適当にマジナイを放ってチヅコを助け出そうと漠然と考えていた朋彦は、どうしたものかと頭を掻いた。
そしてすぐに気を取り直し携帯端末を道具袋に仕舞い込むと、中の蛙人形を掴んだ。
「二人とも、俺に掴まってろよ。」
「? う、うん・・・。」
ツルオは朋彦に言われるままおずおずと朋彦の着物の裾を掴んだ。
「俺の村から逃げた時みたいなマジナイするんだね。」
ナオヨシもツルオに続いて朋彦の肩に手を回した。
誘拐犯達の背後数メートルの地点に瞬間移動――口には出さなかったが、朋彦は軽く目を閉じてその想像を実現する様に蛙人形に願った。
連中の背後に回り込んでから隙をついて、気絶させたり捕縛したりするマジナイを放てば何とかなるだろう・・・。
朋彦がそんな考えをまとめている間にも、三人の姿は瞬時に掻き消えた。
◆
次の瞬間には、朋彦達は山の木々の枝葉が絡み合う様に生い茂る藪の中に姿を現した。
「!?」
初めて体験する瞬間移動にツルオは驚きに身を縮め、一層強く朋彦の着物の裾を握り締めた。
「よし、上手く移動出来たみたいだな。」
一応は周囲を警戒して朋彦は小声で呟いた。
「やっぱ朋彦さんはすげえマジナイ師だな~。」
朋彦の肩を片手で掴んだまま、ナオヨシも朋彦に倣って小声で呟いた。
蛙人形から手を放し、朋彦が目の前の藪を少し掻き分けると、思惑通り数メートル先には山道を下って行く誘拐犯達らしき男女とチヅコらしき腰に縄を巻かれた幼児の後ろ姿が見えた。
少し太めの小柄な男に縄の端を握られて歩くチヅコの後ろ姿を認めると、ツルオは涙交じりの声を思わず上げて藪の中から飛び出した。
「姉ちゃん!!」
「あ、おい!」
朋彦が慌ててツルオを押し留め様としたが間に合わず、山道へと飛び出したツルオの姿は誘拐犯達に見つかってしまった。
「ツルオ殿!」
振り返ったチヅコが手にしていた籠の中から、ぴいぴいと声が上げられた。あの雀がサダロウなのだろう。
「朋彦さん・・・。」
思わぬ成り行きに、ナオヨシは不安そうに呟いて朋彦の着物の裾を強く握った。
「・・・あー・・・。ありがちな物語の展開デスヨネー・・・。まあ、こんな風になるような気はしてたけどねー・・・。」
裾を掴むナオヨシの背中を宥める様に摩りながら、朋彦は大きな溜息をついた。
朋彦達はまだ藪の中に隠れてはいたものの、ツルオが飛び出して来た方向を誘拐犯達らしき男女は鋭く睨みつけていた。
「ツルオ・・・!」
チヅコが籠を抱いたまま少し前へ飛び出し、ツルオは誘拐犯達が居るのも目に入らずに泣きながらチヅコへと抱き付いた。
彼等は泣きながら抱き合うチヅコとツルオを囲い込み、長い黒髪を後ろで緩く結わえた女がきつい調子で藪の方へと声を放った。
「隠れてんのは判ってんだ!! さっさと出て来なよ!!」
見知らぬ他人――しかも誘拐犯から悪意のある声を向けられ、ナオヨシはすっかり怯えて震えていた。
朋彦の着物の裾を握り締めるナオヨシの手は、緊張の汗で濡れてしまっていた。
「ナオヨシ・・・。心配すんなって・・・。」
傍らに立つナオヨシの顔を朋彦は見上げた。
内心ではやはりナオヨシと同様に緊張し怯えてはいたもののそれを押し隠し、引きつりながらも笑い掛けた。
「さっさと出て来いって言ってんのよ!! 」
苛々とした女の声が再び朋彦達へと向けられた。
ナオヨシの着物の裾を握り返し、無理矢理気持ちを奮い立たせると朋彦は意を決して藪の中から出て行く事にした。
藪の中から朋彦とナオヨシが姿を現すと、朋彦達を睨みつける女の表情に険しさが増した様だった。
チヅコとツルオはすらっと背の高い長髪の優男の両脇に抱きかかえられ、一番後ろへと下がった。
女が男達を一瞥すると、それが合図だった様で優男以外の男達は懐から錆だらけの小刀を取り出して構えた。
さっきまでチヅコの腰に巻かれた縄を握っていた背の低い小太りの男が一人に、痩せた男が二人。一人はひょろっと背が高く、もう一人は小柄。
どうやら女がリーダー格の様だと朋彦は思いながら、どうやって彼等を捕まえようかと頭を悩ませた。
「命は見逃してやるから大人しく有り金と荷物を全部置いて行きな!!」
手ぶらで姿を現した朋彦とナオヨシに不審感を持ちながらも、女は険しい表情のまま朋彦達へと鋭い声で告げた。
朋彦の着物を掴むナオヨシの手の震えはますます大きくなっていた。
防御の腕輪の力で絶対に自分達は怪我をしないと頭では判ってはいても。
やはり生身の人間からの敵意や悪意を直接受けていると当然足は震えるし、手や背中に汗が流れ落ち、朋彦の着物の背中はぐっしょりと濡れてしまっていた。
「あー・・・。えーと・・・その。」
彼等に何と言って話し掛けたものか。
額にもだらだらと脂汗の流れる朋彦の言葉にもならない言葉に、誘拐犯達の視線は更に鋭さを増した様だった。
化生は最悪でも蛙人形のマジナイの力で焼き払うなり何なりすれば片付くが、生身の人間相手にそこまで出来る程朋彦は人でなしでもなかった。
或いはこのまま瞬間移動で逃げ去るというのも簡単ではあったが、幼い姉弟を見捨てていくというのもまた後味の悪いものではあった。
第一、これからシモアサダ村に行く予定だというのにそこの住人であるチヅコとツルオ、サダロウを見捨てたと村人達に知られたら・・・。
色々な葛藤や打算が僅かな時間の内に朋彦の頭の中でめまぐるしく動いていたが、何とか意を決してリーダーの女へと話し掛ける事にした。
「えーと・・・。そこの・・・女のかた・・・。」
朋彦からの呼び掛けに、女はふんと鼻を鳴らして不機嫌そうに答えた。
「あたしはキヨミってんだ。」
「えーと・・・キヨミさん。わたくしどもは貧しい行商人です。荷物と有り金と言われましてもほとんど持ち合わせがありません・・・。何とか話し合いで解決しませんかね・・・。」
だがキヨミは馬鹿にした様に口の端を歪め、けっと笑い朋彦の提案を頭から無視した。
「何を話し合うってのさ! あんた達はさっさと荷物と有り金置いて逃げてったらいいんだよ! あたしらは忙しいんだ!」
苛々と不機嫌な表情でキヨミは朋彦を睨みつけた。
「・・・話し合う時間だって勿体無いんだよ・・・!」
キヨミの脳裡に病で伏せっている仲間の妹分の姿がよぎったが、それは朋彦達には判らない事だった。
「・・・。」
キヨミの言い草に朋彦は微かな溜息をついた。
別に金や商品等は蛙人形の力で幾らでも作り出せるから、朋彦達にとっては痛くも痒くもない事ではあった。
だが、下手に金品をちらつかせると、もっと寄越せとか却って面倒な事になりはしないか・・・。そんな不安もあったし、何よりもまず、チヅコ達を助けなければならない。
金品だけ置いて自分達が逃げても何の解決にもなりはしなかった。
「・・・結局、マジナイでの力押しかよ・・・。」
朋彦は小さく呟いて軽く肩を落とした。
さりげなく懐に手を入れて蛙人形を握り、
「・・・そのまま掴まってろよ・・・。」
ナオヨシにそっと囁きかけると、掴まっているチヅコ達に精神を集中した。
「!!」
次の瞬間には、長髪の優男の両脇に抱えられていたチヅコとツルオ、そして籠の中に居るサダロウは朋彦の傍らへと移動していた。
「・・・っ!!」
キヨミ達は言葉にならない程に驚き、手下の男達は何が起こったのか判らないままあたふたとしながらキヨミと朋彦達とを何度も見比べていた。
突然の瞬間移動に驚き混乱していたのはキヨミ達だけではなく、チヅコとツルオも同様だった。
呆然としながらチヅコとツルオは抱き合い、朋彦とナオヨシや辺りの様子を何度も見回していた。
「縄は後で解いてやるからな・・・。」
朋彦は蛙人形を懐の中で握ったまま、チヅコへと出来るだけ優しく声を掛けた。
瞬間移動のイメージが充分に出来なかったのか、チヅコの方は腰に縄を巻かれたまま移動していたのだった。
「・・・。」
朋彦を警戒して固い表情をしていたものの、自分達を助けてくれたらしき事は漠然と感じ取ったのか、チヅコは一応、朋彦の呼び掛けに黙ったまま小さく頷いた。
「アンタの方がマジナイ師だったのかい!!」
チヅコ達に瞬間移動で逃げられた混乱からキヨミはいち早く立ち直ったが、しかし、今度はマジナイ師への憎悪と怒りで頭に血が上ってしまっていた。
以前、キヨミと妹分は騙されて女郎屋に売られかけた事があった。その時に彼女らを騙し、食い物にしようとしたのが何処の誰とも知れない流れの怪しいマジナイ師だった。
それ以来、キヨミの中ではマジナイ師は全て信用出来ない憎むべき相手となってしまっていた。
何よりも、今なお病の床で苦しんでいる妹分の治療費の為に、やりたくもない子供達の誘拐やシモアサダ村への脅迫を行なう遠因となっていたのは、キヨミ達を騙したマジナイ師の所業だった。
「・・・この野郎・・・!!」
憎々しげに朋彦を睨みつけると、キヨミは傍らに立つひょろっと背の高い痩せた男から小刀をひったくり、朋彦目がけて駆け出した。
「姐さん!!」
「キヨミ!!」
痩せた男達や優男が止めようとするが間に合わず、小刀を突きつける様に持ったキヨミは朋彦の懐へと突進した。
「朋彦さん!!」
ナオヨシが驚きと怯えに立ち尽くしたまま悲鳴の様な声を上げた。
突然の事に朋彦もすぐには反応出来ず、目の前数センチという所までキヨミが迫って来ていた。
後少しで朋彦の胸元に小刀の錆びた刃が食い込もうという所で、腕輪の不可視の防御壁が展開され小刀を弾いた。
「あっぶね・・・!! やっべーよ全くもう!!」
防御壁に守られているとはいえ、目の前数センチまでに迫った小刀と憎悪に燃えるキヨミの姿に、朋彦は反射的に後ずさった。
「姐さん・・・。」
キヨミの仲間の男達は、キヨミがひとまず殺人を犯さずに済んだ事に安堵の息を吐いた。
「と、ととととと、とにかくロープか何か!! 何か縛るヤツ!!!」
冷や汗をかきながら後退し、蛙人形を懐の中で握り締めたまま朋彦は慌てて叫んだ。
キヨミ達に放つマジナイのイメージがまとまりかけていた筈が、キヨミの突進により朋彦の頭の中は真っ白になってしまっていた。
そんな中でキヨミ達を捕えるものを取り急ぎ蛙人形に願った為、空中に出現したのは工事現場で使う様な黒と黄色の縒り合された数本の太いナイロンのロープだった。
ただ、その先端には何故か蛙人形と同じデザインの頭部がくっついており、全体が蛇の様にうねうねとうごめきながら空中を漂っていた。
「!!」
異様な物体の出現にキヨミも何とか頭が冷え、小刀をひっこめると仲間達の方へと後退した。
だが、蛙人形の頭の付いたロープは意外に素早い動きで空中を滑り、キヨミ達に抵抗させる間も与えずに一瞬にして縛り上げてしまった。
「何とか終わったな・・・。」
手足を縛られたキヨミ達が体勢を崩して地面の上に倒れたのを見届けると、朋彦はほっとしてその場にへたり込んだ。
「朋彦さん・・・大丈夫か?」
心配の余り半泣きになりかけたナオヨシが、座り込んだ朋彦へと手を差し出した。
「ああ、何とか・・・。」
ナオヨシの手を取って立ち上がりながら、朋彦はもう片方の手で額の汗を拭った。
「ツルオ達も怪我は無いか?」
何とかツルオ達の様子を気遣う余裕も取り戻し、朋彦はまだ呆然と抱き合って立ち尽くしているツルオとチヅコの方を見た。
「なななな、何でござるか! 今のマジナイは!? 何が起こったでござるか?」
チヅコがしっかりと手に持っていた小さな籠の中で、雀らしき小鳥の雛がぴいぴいと人間の言葉で喚いている事に、朋彦とナオヨシは今更ながら驚いた。
「こいつが・・・サダロウとかいう精霊か?」
「すげえ! 精霊様なんて初めて見た!」
朋彦とナオヨシの物珍しそうな視線に、籠の中のサダロウは黄色い嘴をぱくぱくと広げて不愉快そうに叫んだ。
「失敬な!! 拙者は見世物ではござらぬ!! 早くここから出すでござる!!」
サダロウの言葉を受け、ツルオとチヅコは出してもいいかと伺いを立てる様な目で朋彦とナオヨシを見上げた。
「あー、そうだな。もう人質じゃないもんな。」
見た目がただの雀であった為、朋彦はつい元の世界の固定観念で小鳥は籠の中に入れておくものだという意識でいた。
チヅコの腰に巻かれた縄を解く間に、チヅコは嬉しそうにサダロウを籠の中から出してやった。
「良かったな、姉ちゃんに会えて。」
ナオヨシがほっとしてツルオに笑い掛けると、ツルオは少し照れくさそうにしながらも笑みを浮かべて大きく頷いた。
しかしそうした和やかな雰囲気を、キヨミの怒りに満ちた叫び声が打ち消した。
「畜生ぉぉぉぉぉ!! この変な縄、解きやがれってんだ!!」
地面の上でじたばたと体を動かしながら、何とか縄が解けないかともがいているキヨミを、半ば諦めた様子の優男や他の男達が心配そうに見ていた。
「姐さん~・・・。そんなに暴れたら余計に縄が食い込んじまいますぜ・・・。」
小柄で太目の男が、どうやら先にそうした目に遭ってしまったらしく、自分の体中にきつく食い込んでしまった縄を身振りで示してみせた。
キヨミの暴れる様子にまた怯えたチヅコとツルオは、急いでナオヨシの真後ろに身を潜めた。
「拙者達を誘拐した報いでござるよ!」
チヅコの肩の上に乗ったサダロウが偉そうに踏ん反り返って口を開いた。
「しかし、どうしたもんかね・・・。」
朋彦はキヨミ達やチヅコ達を交互に見ながら頭を掻いた。
何とかチヅコ達を助け出し、誘拐犯達を捕まえ――気が付けばもう辺りは日も傾きかけ、夕暮れが迫っていた。
今からチヅコ達幼児連れの徒歩でシモアサダ村まで行く事は難しいし、何よりキヨミ達が大人しく朋彦達に従ってくれるとも思えなかった。
「今夜はここで泊まりか・・・。」
「あ、「俺達の家」で泊まるの? やった!」
面倒臭そうに呟く朋彦に対して、ナオヨシの方はすっかり住み慣れて快適な「俺達の家」で今夜も寝られる事に喜んだ。
もうマジナイ師だと知られてしまったので、今更隠す事も面倒になり朋彦は懐から「俺達の家」を取り出すと道の脇の適当な場所に底面の釘を差し込んだ。
朋彦の念を受けた家はすぐに空中に伸びて元の大きさに戻った。
「・・・・・・・・・。」
キヨミ達もチヅコ達も、彼等の価値観からすれば大きな御屋敷が瞬時に空中に出現した光景を、ただただ言葉も無く呆然と見上げるばかりだった。
「こここ・・・・腰が抜けたでござる・・・。」
チヅコの肩の上で黄色い嘴を開けっ放しにしたまま、サダロウは小さな目を見開いていた。
雀の腰って何処なのだろうかと、内心朋彦は疑問に思ったが捨て置いた。
懐に手を入れて蛙人形を握ったまま、取り急ぎ地面に転がっているキヨミ達へと近寄ると、
「あんた達に夜中に凍え死なれても嫌だから、今夜はテントで寝てもらうよ。」
朋彦が蛙人形で念じると、キヨミ達を縛っていた縄は両手首と両足首を固定する手錠と足枷へと変化した。
それから懐の中で既に実体化した大き目のテントの部品一式を取り出すと、蛙人形に念じて瞬時に組み上げた。
「・・・。」
次々に目の前で起きる超常の出来事に、キヨミ達は既に驚く事にも疲れ始めていた。
「取り敢えず中に入っといて。」
朋彦に言われるまま、既に抵抗する気力も萎えてしまったのかキヨミ達はごそごそと這う様にしてテントの中へと入っていった。
「・・・このまま捕まっちまうのかい・・・。」
キヨミは疲れた様に小さく呟いた。
テントに鍵がかかるようには設定してはいなかったが、両手両足に枷を掛けられた状態では満足に歩く事も出来なかった。
「姐さん・・・。」
男達もキヨミの落ち込む様子につられて泣きそうな声を漏らした。
「・・・諦めるな。」
テントの中で座り直すと優男が小声でキヨミ達を励ました。
「きっと逃げ出せる。諦めずに機会を待つんだ。タカコも待ってる・・・。」
「テルさん・・・。」
優男の強い意志のこもった言葉に、他の男達もキヨミも大きく頷いた。
◆
「・・・。」
テントの中から漏れ聞こえてくるキヨミ達の話し声を、朋彦は聞くともなく聞いていた。
テントの方は取り急ぎの想像で作り出したもので、「俺達の家」の様に色々な防御機能や防音断熱等々の機能が付いている訳でもなかった。
「朋彦さん?」
「俺達の家」に早く入ろうと、ツルオとチヅコの手を引いたナオヨシは家を支える鉄柱の近くで朋彦を待っていた。
「ああ、今行く。」
呼び掛けに応え、朋彦はナオヨシの方へと足を向けた。
キヨミ達の話し振りからして、きっと何か訳ありの連中なのだろうとは予想出来たが・・・。
「・・・面倒事には巻き込まれたくないけどな・・・。」
小さな声で朋彦は独り言を漏らした。
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